*0177 |
仕立て屋 [12/02/08(火)-03:52] |
| 軍事裁判抜きの処刑についての感想(その2) |
まず最初に、kokako-laさん、クマさんへ、ご指摘感謝いたします。確かに、「surrender at discretion」は「いわれるままに降伏する」あるいは「無条件で降伏する」が正しかったです。有難うございます(かなりカ
ッコ悪かったですね)。今度からは、必要な場合を除き下手な英訳は付けない方が無難かも(^^;)
> これは瑣末なことですが、当時の日本で公布されていた文言よりもイギリス語の文章が優先されるべき理由は存在しないと思います。ましてそこから現在の日本語に仕立て屋さんが訳しなおした文章を優先する理由はさらに存在しないと思います。日本軍が認識していたのは当然、当時のその日本語によって公布された文章によるわけですから。また、イギリス語を「原文」と捕らえていいのかどうか、不勉強にして私は知らないので教えていただければいいかと思います。
私が挙げた英文には「translation」とありますので、原文ではないと思われます。これは想像ですが、原文はオランダ政府の公文書館に保存され、外交経路を通して各締約国に送られた形になっていることから、オランダ語?もしくは、ドイツ語だったのではないでしょうか?
ところでわたしが英文を挙げた理由は原文との内容比較が目的ではなく、「降を乞へる」の意味が英文でよりはっきりするのではないかと考えたからです。英文を読んでみれば、和文も英文も結局同じことを意味していることが分かるはずです。
また、降伏にはある一定の手続きが必要で、当然、捕虜の待遇を受けるには、捕虜となる資格をあらかじめ有していなければならないのは言うまでもないでしょう。問題は、南京における便衣化した兵士が一定の手続きに則ったうえで降伏し、捕虜となる資格があったかどうかであり、クマさんにおかれましては、ヘーグ条約の交戦者資格の条項が正規軍以外の交戦者資格に言及したもので、正規兵であれば、この交戦資格の有無に拘わらず、捕虜待遇を受けられるとの見地に立って述べておられているものと想像します。クマさんは、所謂マルテンス条項における基本方針としての人道擁護とそれに則った例外事例の扱い、に触れておられますが、同じく本条約前文では、本条約が、交戦者相互間の関係性と共に、文民との関係性においても、これを明確にし、交戦者を適切に導く意図のもとに提案されたものであることが述べられています。なぜなら、この明確化によって、軍事的必要性の許す限りにおいて、交戦者による戦争犯罪を少しでも減ずることができると考えられたからです。そして、この軍事的必要性というものも、条約文に明文化されていないからといって、無制限に許されるものではない、との意図が述べられています。即ち、本条約における人道とは、交戦者と非交戦者がそれぞれ有する特権と義務を明確化させることによって、無用な殺戮を防ぐことが目的であり、その基礎のもとで、交戦者相互間で守るべき法規を規定しているのです。これは、本条約で真っ先に交戦者資格に関する規定がなされていることからも明らかでしょう。
本条約における交戦者資格規定の目的が以上のような人道目的であるならば、当然、正規軍もこの交戦者資格に合致していることが最低限求められることは、言うまでもありません。本条約を通して、正規軍の定義がなされていないことは、それが暗黙の前提条件となっていることの証左でありましょう。仮に、正規軍がこの交戦者資格に合致しなくとも交戦者の特権を享受できるものならば(具体的には捕虜待遇など)、義務は負わなくても特権だけは受けられるという、本条約の理念に反する状態が生じることにもなりますし、また、捕虜特権の有効無効に関する条項の存在理由と矛盾することにもなりかねません。結果、人道擁護の精神も踏みにじられることになります。従って、この交戦者資格に反するものは、たとえそれが正規軍であろうとも、交戦者資格を失うものと解釈するのが妥当であるといえましょう。また、捕虜特権の規定は、交戦者相互間のモラルを向上させ、結果として、交戦者資格と“ほぼ”表裏の捕虜資格の維持を促すことになり、戦場における犯罪防止につながります。
クマさんは、先の投稿で、
>[1] 第一次世界大戦の戦後処理のために設けられた1919年の平和予備会議(日本も参加)、および「戦争開始者責任および刑罰執行委員会」(日本も委員として参加)が出した報告書ではマルテンス条項を援用して、陸戦の法規慣例に関する規則以外の戦争行為も戦争犯罪として認定しています。
[2] 日本はこの条約に署名はしたものの最終的な批准は行いませんでした。しかし、欧米諸国からの問い合わせに応じる形で、日本政府は同条約を「準用する」と答えています。
と述べられていますが、具体的な事例をご存知ですか?もしよろしければ、ご教授ください。
私見を申せば、明文化の有無に限らず、本条約の精神に反する行為は避けられなければならないとするならば、正規軍兵士による便衣化が、軍事的必要性の結果だとしても、これは、まさしくこの人道精神に反する行為であり、交戦資格とほぼ表裏の捕虜資格を失うものと解釈すべきだと存じます。
最後に、南京における日本軍の基本方針や便衣化した正規軍の摘出法の是非に関しては、別途、考察する必要があるでしょう。
| (203.134.001.091) |
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*0177-01 仕立て屋 [12/02/08(火)-06:52] |
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補足。
仮に、南京戦における便衣状態の敵兵がゲリラ戦目的でなかったとしても(便衣戦術の戦術的意味合いからして、その判別は不可能ですが)、実際、降伏意思を公然としないかぎり、戦術的な意味での戦闘続行中と見なすことに違法性は見出せません。事実、便衣になることで日本軍の目を欺き、南京を脱出し、見方に合流した敵兵がかなり存在したことは事実です。逃亡中、日本軍に捕縛され、実際、武器不所持だったとしても、そのことが「surrender at discredion」したことになりません。本来あるべきとおり戦闘服着用状態であったならば捕縛されずに掃討されていたものを、文民との選別の必要性から捕縛されたに過ぎないのですから。当時、日本軍が便衣兵を現場の即決で処罰してもよいとの基本方針で戦闘に臨んでいたことは、それこそ、合理的な“軍事的必要性”に基づいたもので、違法であるとは言えません。よく、所謂便衣兵と便衣状態の正規兵は別であるとの理由から、これを問題視する方もいらっしゃいますが、「便衣」となることの戦術的意味合いと陸戦法の人道的意味合いを踏まえれば、両者は同一のものであると見なして問題ないものと愚考いたします。また、便衣状態の正規兵を所謂スパイと見なして、陸戦法の30条に照らして、事前審議を伴わない処罰は違法との見解を述べる方もいらっしゃい
ますが、これに関してはよくわからない部分があるので、態度を保留したいと思います。
| (203.134.002.092) |
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*0177-02 クマ [12/02/08(火)-09:13] |
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仕立て屋さん、こんにちは。
beatさんのいうように、お互いの誤りを指摘しあいながらより正確な結論へと到達していくのが学問という作業ですから、私にも、その立論に誤りがあればどんどん批判してください(「自虐」とか「エンターテイナー」とは見ないで下さいね)。
>ところでわたしが英文を挙げた理由は原文との内容比較が目的ではなく、「降を乞へる」の意味が英文でよりはっきりするのではないかと考えたからです。英文を読んでみれば、和文も英文も結局同じことを意味していることが分かるはずです。
・なぜイギリス語訳文を日本語に訳しなおすと「降を乞える」の意味が「よりはっきり」するのですか?
・むしろ当時の法解釈がどうだったか、制定時にどのような議論が行われたのか、制定後どのように運用されてきたかなどについて文献に当るほうが「よりはっきり」すると思いますが、どうでしょうか?
・貴兄の訳は、本来の「いいなりになって」を「自分の判断で」と正反対の意味にしてしまっていますから、「和文も英文もけっきょく同じことを意味していること」は、少なくとも貴兄は分からなかったはずですが?
・国際条約において「原文」とは何ですか?[1]
・仕立て屋さんは訃霞さんの「兵士とは一旦戦闘に携わった以上、逃亡中、潜伏中の状態は戦闘中と解釈されます。例え非武装、戦意喪失、無抵抗という状態の場合でも同じ事です」を「別段、問題ない」とされています。その根拠とした訳文が、本来の意味とは正反対であったことが明確になった以上、すでにこの論拠は成立しませんね?・・・つまり、「問題ある」のです[2]。
>クマさんにおかれましては、ヘーグ条約の交戦者資格の条項が正規軍以外の交戦者資格に言及したもので、正規兵であれば、この交戦資格の有無に拘わらず、捕虜待遇を受けられるとの見地に立って述べておられているものと想像します。
・ここは文法・構文上の問題があるかと思いますが、
1、ハーグ陸戦規則の第1条の条項が「正規軍以外の」、つまり義勇兵・民兵(=ゲリラ)の交戦者資格に言及した“のではない”、という解釈ができますか?もしくは、国際法学者でそういう解釈をしている人がいますか?[3]
2、「正規兵であれば、この交戦資格の有無に拘わらず」・・・と、「この交戦資格」は義勇兵・民兵のための条項なのですから、私がその条項をもって「正規兵であれば」「捕虜待遇を受けられる」と解釈することはありえません。私はハーグ陸戦規則第23条ハ項およびジュネーブ捕虜条約によると明記していますが。具体的にどの記述からそう読まれたのですか?
次に、ハーグ陸戦法規の前文についての「解釈」なのですが、仕立て屋さんが前文の第二段落についてのみ取り上げ、そのうえで解釈を進めていくことは「誠実な解釈」ではないと思います[4]。先に引用したマルテンス条項、つまり「もっと完備した法律ができるまでは、たとえ条文に書いていないことでも、人道的な立場に立ってやりなさいね」という条項の次の段落(5段落)に、
『締約国は、採用せられたる規則の第一条および第二条は、特に右の趣旨(マルテンス条項・・・クマ注)をもって解すべきものなることを宣言す。』(原文カナ)
と書いてありますね?つまり、義勇兵や民兵といったゲリラの交戦者資格(第一条および第二条)については、本文では確かに厳しい制限をしているけれども、これに適合しない場合でも、人道的な立場でことにあたりなさい、と「特に」、強調されているのですよ。したがって、仕立て屋さんが、
>本条約における交戦者資格規定の目的が以上のような人道目的であるならば、当然、正規軍もこの交戦者資格に合致していることが最低限求められることは、言うまでもありません。
と述べるのは、1・ゲリラの「交戦者資格」を正規軍の条項と誤認している点でそもそも誤っていますが、2・人道的配慮を要請している精神の軽視、の点で問題があります。この指摘は、以下に引用する仕立て屋さんの論考の結論部分にも当てはまります。
>明文化の有無に限らず、本条約の精神に反する行為は避けられなければならないとするならば、正規軍兵士による便衣化が、軍事的必要性の結果だとしても、これは、まさしくこの人道精神に反する行為であり、交戦資格とほぼ表裏の捕虜資格を失うものと解釈すべきだと存じます。
・何度もくり返しますが、南京大虐殺事件について、安全区に逃げ込んだ中国兵を「敗残兵」ではなく、「便衣化した兵士」と表現するのは「便衣隊」と誤解されますので問題があります。「便衣隊」はゲリラ隊でありますから、「目的と形態」が全然違います。赤いシャツを着たら「赤ギャング」になるわけではなく、イタリアで黒いシャツを着たら「黒シャツ隊」になるわけではなく、革ジャンを着ていればBIKERになれるわけではありませんので、ご理解ください。
・中国兵たちが平服に着替えて安全区に隠れたのは「軍事的必要性」などではなく、「生命のため」ですので、お間違えのないよう。
・それを、民間人もひっくるめて捕虜として捉えたうえで「片端から」問答無用で虐殺することこそが「人道精神」に反しているのです。
[1] 国際条約においては、「条約がニ以上の言語により認証された場合には、その各言語による本文は、ひとしく正文とする」のが正当です(条約法に関するウィーン条約第33条)。この場合の「認証」にという言葉の定義については同条約10条参照。先の投稿で「原文」と括弧をつけた理由であります。
[2] ここでこの議論は終わったも同然なのですが、続けます。
[3] そうした解釈をしている東中野修道氏は国際法学者ではありませんので、念のため。
[4] 国際条約の解釈について、「誠実な解釈」が原則であることは前掲条約第3節「条約の解釈」、または、概説書の該当部分をどうぞ。
最後に、これはお願いです。この掲示板は中国人留学生も多く見ていますので、できれば分かりやすい日本語で書くべきだと思います。適当に段落換えなどもしつつ。
仕立て屋さんがお尋ねになった件について。
前者の注釈[1]については、手に入りやすいところでは、すでに紹介した『戦争犯罪とは何か』岩波新書、38頁に書いてあります。
後者の注釈[2]については、手に入りやすいところでは、朝日新聞戦後補償問題取材班『戦後補償とは何か』朝日新聞社、1994年、63頁、詳しくは田中利幸『知られざる戦争犯罪』大月書店、1993年、25〜26頁をご参照ください。ジュネーブ捕虜条約が慣習法として扱われていたことについては前掲『戦争犯罪とは何か』、もしくは藤田久一『新版国際人道法』有信堂、93年をお読みください。
それでは。
「補足」について
書いている最中に「補足」が書き込まれましたので、これに「補足」します。
「降伏意思を公然としないかぎり」・・・降伏して命が助かるからこそ、降伏するのです。その条件はすでに失われていたことを考えるべき、とこれは繰り返しでした。その他の点についても繰り返しになりますので、もうやめます。
もう疲れてきたので大雑把に結論を言いますが、戦闘服を着ていようがいまいが、元が兵隊であろうが民間人であろうが、無抵抗の人間を片端から虐殺することが許されるはずないでしょう。だからこそ戦後の戦争犯罪裁判でも裁かれたし、連合国側の犯罪も裁かれつつあるのです。
| (202.248.065.091) |
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*0177-03 kokako-la [12/02/08(火)-10:07] |
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こんにちわ。ざっと読んで気が付いたことをいくつか書いておきます。
1899年および1907年のハーグ諸条約の正文はすべてフランス語です。
第二次世界大戦ごろまではフランス語が外交,国際会議の公用語
だったということはわりによく知られていると思いますが,ドイツ語
が国際公用語になったことは歴史上一度もありません。
唯我独尊,傍若無人の19世紀末ドイツ法学を基本に据えたこと,
1930年代には「法の形式さえ整えばその倫理的内容は一切問わずに
有効である」とする極端なドイツ実定法主義を信奉する人々が
主流を占めたことが日本の不幸の法学的根拠だろうと思います。
いまだにこういうドイツ的発想が残っているところが恐ろしいです。
「降伏にはある一定の手続きが必要で」という言い回しを掲示板で
よく見掛けますが,多分佐藤和男氏などの誘導により,Instrument
of surrender という国際法上の概念を間違った場面で使用して
いるのでしょう。この言葉は例えば帝国海軍が全体として降服し,
米海軍司令官に降伏文書を手渡す,というふうなときに使います。
個別の部隊なり,小規模の兵士の一群の場合は,白旗を掲げるか,
武器を持たずに両手を揚げればそれで十分です。
敗残兵の掃討は前線の向こう側へ逃げる敵兵ににのみ許されます。
現在では航空戦が主流ですので,前線という概念があいまいに
なっていますが,第二次世界大戦のころはまだ前線のこちらか
向こうかということが決定的に重要です。(シュヴァルツェンベルガー)
南京の中国兵のような場合は単に,sauve qui peut (勝手に逃げろ)
状態の soldat hors de combat (戦闘力を失った兵士)と,南北戦争
当時のアメリカでもフランス語で表現されていました。軍服を着ていよ
うがいまいが関係ありません。一夜明ければただの現地人です。
その取扱いは,「敵側の文明の水準にゆだねられることになる」(シュヴァ
ルツェンベルガー)であり,ハーグ世界平和会議以降は「法の一般的原則に
則して取り扱わねばならない」(フェアドロース)といったところです。
この「法の一般原則」というのは,特に国際的な協定がなくても,どこの
国にも刑法のようなものがあり,内容的にその時代の一般的な趨勢から極端に
外れた法を持つ社会は長続きできないという,普遍的な人間社会の原理をあら
わしたものです。
第二次大戦中に,捕獲したゲリラを大量射殺したとして一昨年,昨年と
有罪判決を受けた老人がイタリアとクロアチアで続いて出ているのですが,
そういう世界の法的正義についての考え方の流れと無関係に,日本だけで
通用する「国際法理論」をもてあそぶのはそろそろおよしになったほうが
よろしいと思います。
| (195.186.242.150) |
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*0177-04 とほほ [12/02/08(火)-12:58] |
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仕立て屋さん、こんにちは。
国際法上の問題はクマさんkokako-laさん達とよく議論なさって下さい、私も勉強させてもらってます。
では、事実はどうだったのか?と言う観点から、、、。
> 仮に、南京戦における便衣状態の敵兵がゲリラ戦目的でなかったとしても(便衣戦術の戦術的意味合いからして、その判別は不可能ですが)、実際、降伏意思を公然としないかぎり、戦術的な意味での戦闘続行中と見なすことに違法性は見出せません。
なるほど国際法上の解釈とは面白いものですね。
ま、どう解釈しようと勝手ですが当時の日本軍は便衣兵(平服に着替えて潜伏していた兵士)をそのように解釈していたのでしょうか?
では、日本軍は南京で「投降したら安全を保障する、と言うような内容のビラを飛行機からまいたり看板を立てていた」と言う話を聞いた事があるのですが、要するに大うそをついていたわけですね。当時の日本軍は国際法を 仕立て屋さん ように解釈し嘘のビラを蒔き看板を立て敗残兵を騙しておびき出し国際法に順じて殺していた、と 仕立て屋さん は主張しているのですね。
> 事実、便衣になることで日本軍の目を欺き、南京を脱出し、見方に合流した敵兵がかなり存在したことは事実です。
また、この仕立て屋さんの主張する事実が確認できません。
「かなり」と言う表現が曖昧ではありますがその表現に相当するような脱出成功の確認または傍証らしきものがあるのでしょうか?
防衛軍の南京からの脱出について私の認識ですが。
唐将軍の退却命令が出たのは12日午後7時と言う事ですが、実際にはその時点ではすでに防衛軍は混乱に陥っており城外守備兵は城内に逃げ込もうとするしで軍としての態をなす撤退は為されなかった。
それでも各部隊個別に脱出を試みたが時すでに遅くその試みは日本軍によってさえぎられほぼ全滅の様相であった。
この時の脱出に成功したのは第ニ軍団(第41、48師)がほぼ全員の脱出に成功している。
主力である第66軍83軍も脱出したが途中日本軍の追撃に会い四散して壊滅、指定された合流場所に到着した者はわずかであった。と秦郁彦氏の「南京事件」には書いてありますね。
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土曜日(11日)には中国兵による市内の商店に対する略奪が広がっていた。目的が食料と物資の獲得にある事は明かであった。
日曜日(12日)朝、中国軍の防衛は目立っておとろえ、士気の低下は明白となった。正午過ぎに日本軍は城壁をのりこえてきた。中国軍は逃走して、市内に流れこみ、安全区を横切った。第88師団の部隊がそれを阻止しようとして失敗した。まもなく下関門を目指して総退却が始まった。
(中略)
夕方には多数の兵が軍服を脱ぎ捨てはじめた。通りすがりの一般市民から便服を盗んだり、頼んで譲ってもらったりした。軍服とともに武器も捨てられ、街路は小銃・手投げ弾・剣・背嚢・軍服・軍靴・ヘルメットでうずまるほどだった。
記者が日曜日の夕方、市内を車でまわったところ、一部隊全員が軍服を脱ぐのを目撃した。多数の兵が安全区委員会の本部をとりまいて銃を渡しており、門から構内に銃を投げ入れる者さえあった。安全区の外国人委員たちは投降する兵士を受け入れ、彼らを地区内の建物に収容した。
(『ニューヨーク・タイムス』12月18日および1月9日付):南京事件、秦 より
-------------
これは中国軍が脱出する時の市内の様子を伝えたものですね。
なぜそんなに混乱したかと言えば城内から脱出する為の出口は1箇所しかなかったのです。
その出口(下関)に敗残兵が殺到した為の大混乱ですね。
で、逃げ遅れた兵士達がどうしたかと言うと軍服と武器を捨てて安全区難民区等へ逃げこんだのですね。
この脱出の混乱後の翌日12日夜半から13日以降の南京の様子はすでにクマさんが [176]のスレッドで紹介した通りです。
軍服を脱いだのは虐殺を逃れる為であり、実情は安全区に紛れ込むと言うより安全区委員会の説得により自らの意思で武装解除し投降したものが多く、また安全委員会が投降兵として収容している部隊も多数あった(もちろん武装は解除されている)。
なぜ、収容したのか?武装解除さえしていれば捕虜としての処遇が受けられると、安全委員会も思っていたのですね。もちろん軍服を着て武器を所持して潜伏していた部隊も確認できてますよ。
> 事実、便衣になることで日本軍の目を欺き、南京を脱出し、見方に合流した敵兵がかなり存在したことは事実です。
これは私の知らない新事実でした。ありがとうございます。m(__)m
いえいえ、12日の中国軍の撤退時に脱出成功した事例はいくつか一般書等で読んでおりますがそれは便衣で脱出したわけではありません。(民兵の中には通常から平服の者も多かった、これも頭に入れておきましょう)
軍服を脱いだのは脱出が困難または不可能であるからこそですよね?
「平服に着替えた兵士」になって脱出した中国軍の事を知らないのです。確かにどんなに日本軍の便衣兵掃蕩が苛烈であっても脱出に成功している「平服に着替えた兵士」はいるでしょう。
鈕先銘連隊長、郭岐連隊長、蒋公穀軍医、等は脱出に成功し体験記を出版しているそうですね。日本語に翻訳されていたら是非読んで見たいですね。
(まさか軍服を脱いでいたら各城門の出入りは自由だった、とか言い出しませんよね?いや失礼インターネットでこう言う議論していると結構いるんですよ、こう言う とんちんかん 小僧が、、、(^^; )
仕立て屋さんはかなりの数の「平服に着替えた兵士」が南京を脱出しているとのお話ですのでそれなりの根拠をお持ちなのでしょう。それがかなりの数に昇るのであればそれこそ南京で殺された便衣兵って実態は何だったのでしょう?
それが証明できれば 仕立て屋さん あなたは一躍、南京虐殺肯定論者のヒーローですよ、あの頭の固い秦氏の論を完璧に覆せるのですから、、。(笑)
もし、仕立て屋さんが秦郁彦氏等の計上している脱出成功者数と言うのを根拠にしているのであればそれはいわゆるここで語られている「平服に着替えて潜伏していた兵士」とは別ですね、秦氏の統計をもう一度良く見てください、秦氏の統計は中国軍の推定総数から戦死者、捕虜(処刑数 生存数)を差し引きして求めている数字です。「平服に着替えて潜伏していた兵士」が脱出した数の事ではありません。
もう少し詳しく教えてもらえるとうれしいです。
<参照文献>
南京事件、秦郁彦
真相南京事件(ラーベの日記を検証して)、楠本正巳
南京の真実、ジョン・ラーベ
| (210.234.117.041) |
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*0177-05 クマ [12/02/09(水)-21:54] |
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>KOKAKO-LAさん
こんにちは。
フランス語正文「Convention concernant les lois et coutumes de la guerre surterre」、確認いたしました。
ありがとうございました。
>仕立て屋さん
長大な「反論」文をいただきましたが、あまりに長大すぎ、あまりに誤りが多すぎ、反論していくのが面倒になってしまいました。
私としては次の資料を示すことによって、この点についてはもう議論をしめくくることにいたします。
中方軍令第一号「中支那方面軍軍律」
中支那方面軍軍律左記の通り定む。
昭和十二年十二月一日
中支那方面軍司令官 松井石根
第一条 本軍律は帝国軍作戦地域内にある帝国臣民以外の人民にこれを適用す
第二条 左に掲げる行為をなしたる者は軍罰に処す
一、帝国軍に対する叛逆行為
ニ、間諜行為
三、前二号のほか帝国軍の安寧を害し、またはその軍事行動を妨害する行為
(第三条・第四条省略)
中方軍令第二号「中支那方面軍軍罰」
第一条 本令は中支那方面軍 軍律を犯したる者にこれを適用す
第二条 軍罰の種類 左のごとし
(死刑から没収まで五段階が述べられている、以下第十条まで省略)
中方軍令第三号「中支那方面軍軍律審判規則」
第一条 軍律会議は軍律を犯したる者に対しその犯行につきこれを審判す
第二条 軍律会議は上海派遣軍および第十軍にこれを設く
(以下第十条まで省略)
出典は偕行社『南京戦史 資料集』、573〜575頁により、原文はみすず書房『続 現代史資料6 軍事警察』に所収。
「軍律審判規則」は翌13年1月10日に第二条が改められ、中支那方面軍にも軍律会議が設けられました。
この点について軍事史家の原剛氏は次のように述べています。
「まぼろし説の人は、捕虜などを揚子江岸で銃殺もしくは銃剣で刺殺したのは、虐殺ではなく戦闘の延長としての戦闘行為であり、軍服を脱ぎ民服に着替えて安全区などに潜んでいた『便衣兵』は、国際条約『陸戦の法規慣例に関する規則』に違反しており、捕虜の資格はないゆえ処断してもよいと主張する。」
「しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないとするならば軍律会議で処置を決定すべきものであって、第一線の部隊が勝手に判断して処断すべきものではない。」 ・・・板垣由明『本当はこうだった南京事件』 日本図書刊行会、1999年12月、8頁より
以上、とほほさん・KOKAKO-LAさん、および私の投稿によって、この問題についてはかなり明確になったと思います。
1、南京安全区にいたのは「便衣兵」ではなく敗残兵と民間人であること。
2、敗残兵は「便衣兵」ではないこと。
3、当時の南京には「便衣兵」は存在しなかったか、それと同等であると考えられること。
4、仮に便衣兵が存在したとしても、これを軍事裁判(軍律会議)もかけずに処刑するのは違法であること。
5、軍事裁判は実際に設けられていたこと。
6、したがってBEATさんの疑問は半分はとけたということ(諸外国の例がないので)。
7、同じく、捕捉された敗残兵(=捕虜)の「処刑」も違法であること。
それでは。
| (202.248.065.001) |
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*0177-06 kokako-la [12/02/09(水)-21:56] |
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>当然、殺されたゲリラは平服で文民との区別が容易ならざる者達だった
>のですよね。
イタリアのプリープケ裁判の場合は,被害者のほとんどすべてがゲリラの
現行犯として逮捕されていた人々ではなく,その疑いがあるということで
政治犯として私服で自宅や職場,町中から拘引されていった人々なので,
ある意味では南京ケースに近いでしょう。
クロアチアのサキチュ裁判の場合は,とにかく数が多いので,ありと
あらゆるケースが混ざっていると思いますが,まだ被害者に関する
詳しい資料は見ていません。バルカン半島の場合は私服の市民ゲリラ
は非常に多かったようですが,ナチス占領下では基本的に軍事法廷
判決,死刑命令という手続きは踏んでいたようです。サキチュ氏は親
ナチスではあるのですが,あくまでもクロアチア現地政権の人間です。
こうした複雑な事情も,今後政治的な安定がすすむと,さらに詳細に
研究されてくるでしょう。
いずれにしても裁判抜きの処罰は,現地の刑法あるいは軍事刑法という
国内法の違反として裁かれているわけで,戦時国際法違反というものが
直接刑罰に適用されたわけではないのです。このあたりのところが,日本
の掲示板上での議論では非常に混乱しているようですね。(#田畑氏の
教科書の記述にも誤解の原因があると思います。)
これらの,老齢者に対する処罰というのは,日本的な感覚だとやりすぎ
ではないか,ということになるのだと思いますが,欧州では刑罰そのもの
についての考え方もこのところ「懲らしめの刑罰」から教育刑へと変わって
きていて,それほど酷いという感じではありません。
被害者あるいはその遺族によるサディスティックな趣意返しというよりも,
社会的な公正の実現自体が法益である,という考え方の問題でしょう。
特に東西対立の解消後,西側あるいは東側内部の複雑な内部対立を覆い隠
しておく必要がなくなったという事情により,こうしたことがスムーズに
実現されてきているのだと思います。
| (195.186.138.109) |
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*0177-07 仕立て屋 [12/02/10(木)-06:30] |
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こんにちは。
> 長大な「反論」文をいただきましたが、あまりに長大すぎ、あまりに誤りが多すぎ、反論していくのが面倒になってしまいました。
私としては次の資料を示すことによって、この点についてはもう議論をしめくくることにいたします。
ほほう(笑)うれしいなあ、私も勉強中ですので、その「誤り」を指摘して頂けるとホントうれしいんだわ。それから、「長大な」は余分ですよ。“真面目に”記述しようと思うと長くなるもんですよ。そうそう、ついでに私の質問にもお答え下さいね。
次の資料???どれどれ見させて頂こう。
>中方軍令第一号「中支那方面軍軍律」
ほうほう、軍律会議に言及されるということは、南京の「便衣兵」が“捕虜特権”を有さない、ということで見解が一致したと解釈してよろしいのですね。それだけでも収穫でした。
で、便衣兵や交戦資格を有さないゲリラは、所謂軍律会議にかけられて処罰される、ということが、当時、国際社会で慣習化されていたという事実があるんですね。へえ、知りませんでした。つーか、知りたいなあ。
>以上、とほほさん・KOKAKO-LAさん、および私の投稿によって、この問題についてはかなり明確になったと思います。
1、南京安全区にいたのは「便衣兵」ではなく敗残兵と民間人であること。
2、敗残兵は「便衣兵」ではないこと。
3、当時の南京には「便衣兵」は存在しなかったか、それと同等であると考えられること。
4、仮に便衣兵が存在したとしても、これを軍事裁判(軍律会議)もかけずに処刑するのは違法であること。
5、軍事裁判は実際に設けられていたこと。
6、したがってBEATさんの疑問は半分はとけたということ(諸外国の例がないので)。
7、同じく、捕捉された敗残兵(=捕虜)の「処刑」も違法であること。
>1
南京にいた国民党軍兵士が便衣兵でなくて敗残兵だった?だれがそんなことおっしゃったの?
>2
敗残兵が便衣兵でなかったこと?えっ、誰が決めたの?
>3
?????どうも、わたしの知らぬ間に議論が進んじゃったみたいですね。
>4
?????知らなかった。そんな慣習法があったなんて。
>5
そりゃそうでしょう。占領地に必要に応じて軍政を敷くのは当たりまえでしょう。つーか、治安維持には必要でしょう。
>6
それは、無理でしょう。それじゃあ、beatさんがかわいそうでしょ。
>7
そりゃ、「捕虜資格」があったとするならば、処刑はマズイでしょう(笑)
なんか、逆戻りしちゃったかな。
最後に、またまたkokako-laさん、勉強になります。ただ、
>イタリアのプリープケ裁判の場合は,被害者のほとんどすべてがゲリラの
現行犯として逮捕されていた人々ではなく,その疑いがあるということで
政治犯として私服で自宅や職場,町中から拘引されていった人々なので,
ある意味では南京ケースに近いでしょう。
>クロアチアのサキチュ裁判の場合は,とにかく数が多いので,ありと
あらゆるケースが混ざっていると思いますが,まだ被害者に関する
詳しい資料は見ていません。バルカン半島の場合は私服の市民ゲリラ
は非常に多かったようですが,ナチス占領下では基本的に軍事法廷
判決,死刑命令という手続きは踏んでいたようです。サキチュ氏は親
ナチスではあるのですが,あくまでもクロアチア現地政権の人間です。
こうした複雑な事情も,今後政治的な安定がすすむと,さらに詳細に
研究されてくるでしょう。
以上をもって、
>第二次大戦中に,捕獲したゲリラを大量射殺したとして一昨年,昨年と
有罪判決を受けた老人がイタリアとクロアチアで続いて出ているのですが,
そういう世界の法的正義についての考え方の流れと無関係に,日本だけで
通用する「国際法理論」をもてあそぶのはそろそろおよしになったほうが
よろしいと思います。
と仰るのは、あんまりでしょう(^^)
それでは、失礼いたします。
| (203.134.002.092) |
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*0177-08 とほほ [12/02/10(木)-08:45] |
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この仕立て屋なる人物はどうあっても事実から目をそらしたい様ですな。
事実を認めないばかりか、ありもしない事実をでっち上げ、悪意しか感じる事が出来ません。
この人物がひたすら正統化しようとしている事実の一端を一応アップしておきます。
この掲示板は中国の方も見ておられるとの事でその心情を思うと心苦しいのですが。
何をどう解釈しようが事実に勝る雄弁はありません。
●幕府山虐殺
「私たち120人で幕府山に向かったが、細い月が出ており、その月明かりのなかにものすごい大軍の黒い影が・・・。私は『戦闘になったら全滅だな』と感じた。どうせ死ぬならと度胸を決め、私は道路にすわってたばこに火をつけた。(中略)
ところが近づいてきた彼らに機関銃を発射したとたん、みんな手をあげて降参してしまったのです。すでに戦意を失っていた彼らだったのです」
#第5中隊長代理角田栄一少尉回想
南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集』偕行社、1989
<12月14日>
他師団に砲台をとらるるを恐れ、午前四時半出発、幕府山砲台に向かう、明けて砲台の付近に到れば投降兵莫大にして始末に困る。
捕虜の始末に困り、あたかも発見せし上元門外の学校に収容せしところ、14,777名を得たり。かく多くては殺すも生かすも困ったものなり、上元門外三軒屋に泊す。
<12月15日>
捕虜の始末その他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す。皆殺せとのことなり。各隊食糧なく困却す。
#第13師団山田支隊長山田少将日記
南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集2』偕行社、1993
<12月16日>晴れ
捕虜総数17,025名、夕刻より軍命令により捕虜の3分の1を江岸に引出し一(第一大隊)において射殺す。一日二合給養するに百俵を要し、兵自身徴発により給養しおる今日、到底不可能事にして軍より適当に処分すべしとの命令ありたるもののごとし」
#小野賢二、他編『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』
歩兵第65連隊第8中隊遠藤高明少尉の陣中日記
<12月16日>晴れ
二、三日前、捕慮(捕虜)せし支那兵の一部5,000名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃をもって射殺す。その后、銃剣にて思う存分突き刺す。自分もこの時ばが(か)りと憎き支那兵を30人も突き刺したことであろう。
山になっている死人の上をあがって突き刺す気持ちは、鬼お(を)もひひ(し)がん勇気が出て力いっぱい突き刺したり。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りもいれば子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首をも切ってみた。こんなことは今まで中にない珍しい出来事であった。・・・
帰りし時は午後8時となり、腕は相当つかれていた。
#小野賢二、他編『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』
山砲兵第19連隊第3大隊黒須忠信上等兵の陣中日記
翌日残りの捕虜も同じように殺害し全遺体を揚子江に流しました。
この殺戮の時、全員を殺害したわけですが生き残りがいないか確認する為に遺体に火をかけてその熱さにたまらず体を動かした所を銃剣で刺す、と言う残虐非道なものです。
また、こうした事実を旧陸軍将校の会・偕行社は機関誌『偕行』に中国人民に深く詫びるという一文を掲載しその非をわびています。
| (210.234.117.069) |
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*0177-09 kokako-la [12/02/10(木)-17:43] |
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すみません。二か所,OCRエラーに気がつきましたので訂正しておきます。
| (195.186.141.051) |
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*0177-10 kokako-la [12/02/10(木)-17:52] |
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以上,Alfred Verdross(駐ベルリン・オーストリア公使秘書官・当時,後に
ウィーン大学教授,欧州人権裁判所判事,国際法学会会長)著
Die voelkerrechtsewidrige Kriegshandlung und der Strafanspruch der
Staaten 1920年,ベルリン,97−98ページより孫引き。
----------------------
3. Military Necessity, Exception to General Prohibitions
At times, the laws of war explicitly subject a general prohibition
of a given conduct to an exception based specifically on military
necessity.
-----------------------------32691308428131
| (195.186.141.051) |
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*0177-11 kokako-la [12/02/10(木)-20:01] |
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もう一つ重要なところ。
(誤)But it is important to bear in mind that, as pointed out in the Hostages ease, supra, destruction "as an end to itself" is still prohibited.
(正)But it is important to bear in mind that, as pointed out in the Hostages case,_ supra_(原文イタリック), destruction "as an end to itself" is still prohibited.
撤退の際に橋を壊すというふうなことは,国際法の条項違反ではあるが,「軍事上
の必要」として認められる場合がある。しかし,捕虜の殺害はそれを超えたレベル
で禁じられている,ということですね。
| (195.186.142.134) |
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*0177-12 仕立て屋 [12/02/11(金)-07:29] |
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kokako-laさん今日は。
役立つ情報有難うございます。
軍事的必要性について
引用頂いた「1. Balancing Military Necessity and Humanitarian Sentiments」の内容に関してひとつ。私の理解に誤りがあれば指摘していただきたいのですが、特に最後の部分「In this, as in other situations, the individuals taking action (or their governments) are not the final arbiters of the legality of that action.」に関して、では「final arbiters」とは何を指すのかというと、結局のところ、当時の国際社会における慣習ということなるのではないですか?であるならば、数ある戦時重罪犯の中でもとりわけ正規軍の憎悪の対象であった所謂ゲリラの類が、「Military Law」に従って処罰されなければその処罰行為は国際法違反となるということが当時の国際的慣行となっていなければ、便衣兵の即決処置が国際法違反であったとは言えなくなりはしませんか?確かにすべての戦時重犯罪者が軍律に従って処罰されることが望ましいとは思いますが、特に便衣兵の類の場合、そうしなかったからといって即、国際法違反と言いきってしまうのはどうかと思います。そして、仮に軍律会議にかけられても、便衣兵の類はほぼ確実に死をもって罰せられること疑いありません。特に、軍の置かれた当時の状況を鑑みれば。そしてこれに対する答えが、kokako-laさんの引用してくださった1914年英国戦事局の文章となるのだと思いますが、これって占領軍の立場からの王道理論という感じですね。
まあ、人間のやることに体裁が必要だというのは確かでしょう。そう言う意味で、「捕虜資格があろうが無かろうが,裁判無しで人を処刑してはならないというのは,文明社会に共通の法理であるわけです。」には異論ありません。取り敢えず、ゲリラの類は即決処置しても“かまわない”という見地からは足を下ろします。但し、国際法違反である、というのにはまだ納得できません。
最後に再度感謝。
さまざまな情報源ありがたく拝見させていただきます。
| (203.134.001.091) |
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*0177-13 kokako-la [12/02/12(土)-06:32] |
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>「final arbiters」とは何を指すのかというと、結局のところ、
>当時の国際社会における慣習ということなるのではないですか?
この場合の final arbiters は原則的には司法裁定です。これは,
戦争中に当該地で行われる場合よりも,停戦後に行われることの
ほうが多いわけですが,いずれにしても公表され,国際社会の批評,
批判に耐えうるようなものでなければなりません。物的損害について
の判例はいくらでもあります。
慣習国際法をからめた実例として,先に引用したディンステインは
交戦国の戦艦による商船の拿捕,撃沈の取扱いを述べています。
=========================
The military necessity exception to general prohibitions need not be formulated in an international convention. It may also evolve unambiguously in customary international law. Thus, under the rules of sea warfare, when an enemy merchant ship is seized by a warship, it must be taken to port with a view to conducting condemnation proceedings before a prize court (捕獲物審判所あるいは海事裁判所). Yet, there are exigencies of military necessity under which the warship is not free to accompany the seized merchant ship to port. In such instances, the practice has developed of sinking the seized ship, provided that the crew, the passengers and the vessel's papers have first been placed in safety. The commander of the warship has a broad discretion in resolving his course of action on the basis of military necessity.
But, after the merchant ship has been sunk, prize proceedings must be conducted to determine not only whether the seizure of the vessel was lawful, but also whether its destruction was justified in the circumstances.
======================
この場合の商船というのはたいてい,軍需物資を輸送するために
交戦国に雇われた商船であるわけですが,人命を保護し,破壊した
資産内容の記録さえ残しておけば,あとは審判の結果に応じて
事後的に金で解決できるという問題ですね。
さらに司法を迂回して,停戦後の和平交渉において,関係諸国が同意
の上,和平条約に事態の処置を裁量的に反映させるというやり方も
一般的です。
この事については,実証主義的なリアリストとして知られるシュヴァル
ツェンベルガーが以下のように述べています。
==============================
As a rule, the plea of necessities of war is put forward in arbitrations between belligerent and neutral Powers. In the relations between former enemy States, the typical situation is that peace treaties contain general amnesty clauses, which preclude further inquiries into relevant situations, or, irrespective of the position in international customary law, the dice are heavily loaded against the defeated side.
==============================
引用出典: G. SCHWARZENBERGER, "International Law as Applied by International Courts and Tribunals" Vol. 2, 'The Law of Armed Conflict' (1968) p. 130.
>仮に軍律会議にかけられても、便衣兵の類はほぼ確実に死を
>もって罰せられること疑いありません。特に、軍の置かれた当時
>の状況を鑑みれば。そしてこれに対する答えが、kokako-laさ
>んの引用してくださった1914年英国戦事局の文章となるのだと
>思いますが、これって占領軍の立場からの王道理論という感じ
>ですね。
ここのところは論理の筋道が成立していないように思われます。
「便衣兵の類はほぼ確実に死をもって罰せられること疑いありま
せん」という事実はありません。プリープケ事件の被害者と同じ
立場で,生き残っているイタリア人パルチザンは大勢います。
旧ユーゴのチトー政権構成メンバーの多くも,逮捕経験のある
パルチザンの生き残りです。
先にも触れましたように,バルカン半島では,ナチスは大量に
パルチザン裁判の判決文を残しています。そのすべてが死刑
というわけではありません。
この判決文の一部に元国連事務総長,元オーストリア大統領ワルト
ハイム氏(当時ナチス側の司法担当将校)のサインが見つかったた
めに,ワルトハイム氏は米国から入国拒否をされていたわけです。
しかし,1980年代に行われた中立的な歴史学者の公式の検証で,
ワルトハイム氏の司法行為に違法性があったか否かについては
証拠不充分という結論が出たために,訴追はまぬがれています。
>まあ、人間のやることに体裁が必要だというのは確かでしょう。
「体裁」ではなく,戦時下でも守らなければならない最低限の倫理
というべきでしょう。戦争中の混乱だから,ということで倫理や法的
良識の感覚を完全にかなぐり捨てると,後の時代に大きな社会心理上
の歪みを残すことになります。
| (195.186.139.167) |
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