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南米の楽園パラグアイ

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目次


パラグアイ国一般情報

 1.パラグアイ概要
 2.基礎データー
 3.ブロードバンドTV情報
 4.パラグアイ経済の基礎
 5.パラグアイ社会の特徴
 6.観光名所
 7.歴史
 8.生活スタイル
 9.関係リンク


パラグアイの魅力

 1.木から女が降ってくる国
 2.グアラニー文化の遺産
 3.イエズス会の理想郷
 4.メノニータたちの独立村
 5.パラグアイの英雄チラベル
 6.グアラニー語


パラグアイの報道

 1. 日系ジャーナル
 2. El Diario Noticias
 3. ABC Color
 4. Ultima Hora
 5. La Nacion
 
パラグアイの情報サイト

 1. LANIC
 2. LatinWorld: Paraguay
 3. Governments on the WWW: Paraguay
 
パラグアイでボランティア

 1. イグアスの村づくり


2003年2月25日作成

ご意見・ご質問などは
  [email protected]








パラグアイ人の生い立ち
〜Historia del Paraguay〜




 パラグアイ人の97%は、スペインとグアラニー族の混血だとされています。これは同じスペイン人の植民地より独立した経緯をもつ他のラテンアメリカ諸国の中でも珍しい人種構成となっており、パラグアイ人の生い立ちは興味深いものがあります。



 グアラニー族の楽園

 パラグアイはスペインたちが到着する1500年の初めまでは、30部族以上の先住民たちが暮らす自然の楽園でした。
この中でも特にグアラニー族が大きな影響力をもっており当時の広大な地帯を治めていました。

 しかしこのグアラニー族の楽園も1521年に黄金卿を探してやってきたスペインの探検隊によって征服されました。

 1537年に南米の探検の拠点としてアスンシオンにスペイン総督府が置かれ、そして植民地作りが始まってからはここからボリビア、アルゼンチン、ウルグアイを含むラプラタ河流域全体が監督されました。



 ヘスイタス帝国の繁栄と滅亡

 パラグアイに興味深いことが起こりました。それは、1608年にローマ法王より新世界の布教という大きな使命を与えられてやってきたイエズス会の宣教師たちの、先住民宣教の働きが実を結び、一つの「帝国」ともいえるすばらしい文化圏が築き上げられたことでした。  それは、「レドゥクション」とか、「ミッション」と呼ばれた伝導村でしたが、未開の地にあって、一種の「楽園」とも、「理想郷」とも言われた驚くような文化圏が南米のジャングルの中に出現したのでした。
 そこでは文明を持たず裸で、狩猟とジャングルの果実採集による、移動型の暮らしをしていたインディオのグアラニー族を改宗させ、教育し、彼らを指導してヨーロッパ当時の進んだ技術を使った建物群と、高い生産性を誇る農場や工場が整備された、非常によくできた共同体社会が築かれたのでした。

 となりのポルトガル領のブラジルでは、奴隷とするためのインディオ狩が盛んで、スペイン領土にまで手を広げていました。その中で、隣人愛と平等主義を説くイエズス会の伝導村は、奴隷商人の手から逃げる駆け込み寺のような存在ともなり、宣教師たちは彼らの保護者になりました。
 しかし、これはポルトガルとスペインの領土紛争に発展し、その後ポルトガル領となったイグアス地帯から伝導村は解散されることになり、これに反対したインディオたちは、ポルトガル・スペインの連合軍を相手に「グアラニー戦争」と呼ばれる戦いを繰り広げ玉砕しました。そして目を見張るような建物は破壊され、グアラニー族たちの文化学園はジャングルの中の遺跡となってしまいました。



 パラグアイ人の中にはこのグアラニー族たちの血が流れています。そしてそれをパラグアイ人は誇りに思っています。そのためにパラグアイはスペイン語の次にグアラニー語も国語とし、国民の90%ほどがグアラニー語を理解できます。


 パラグアイ人の誕生

 オフィシャルな歴史では、グアラニー族は、狩猟や釣りを主とする部族が多い中で、焼畑農業も営む温和な土着民だったと言われ、そしてこのインディオたちはスペイン人探検隊に対して友好的だったため、争うことなくスペイン人を受け入れてアスンシオンに町を築くことに協力し、そして平和的な共存の結果として今日のグアラニーとスペインの混血のパラグアイ人が誕生したとされています。 
 しかし、本当にそんな微笑ましい成り行きですんだものなのでしょうか。もしかしたらすごい事実がかくされているのかもしれません。  ここでは、作者がパラグアイの歴史を教わりながら反発的に想像した新説を紹介してみます。


パラグアイ人の誕生 新説(1): グアラニー族の虐殺(男皆殺し)

 しかし、金銀財宝を求めて新大陸を探検していた命知らずの荒くれスペイン人たちは、他の地域ではインディオたちと交戦し、侵略と略奪を繰り返す、殺すか殺されるかという血なまぐさい歴史が残されている中で、本当にパラグアイだけ平和な共存が成立したのかどうか疑問が残るわけです。 

 もちろん、探検家の中には人命を尊重する敬虔なクリスチャンもおり、先住民たちとの平和な共存を目指したものがいたとしても不思議ではないのでこれは可能ですが、当時のスペイン人探検家に見られた野心や、インディオたちとの難しいやり取りを勉強していると、もしかしたらスペイン人たちはおとなしいグアラニー族の男たちを皆殺しにし女だけを残したということはなかったのだろうかと考えてしまいます。

 というのは現在パラグアイでよく見かける部族とはマカ族とか、イシュル族、ンブア族、グアジャキー族などグアラニー族以外の部族ばかりで純血なグアラニー族は見かけたことがないからです。作者は日本大使館に勤務していた時代に、パラグアイ先住部族連合会というところに調査にいったこともあり、ここにはグアラニー族以外の14部族が登録されていましたが、肝心なグアラニー族は存在しないのです。
  しかし、ブラジルのパラグアイに隣接するマトグロッソドスル州には、グアラニー族が部族として残っています。しかし絶滅が危ぶまれています。


パラグアイ人の誕生 新説(2): グアラニー族の西洋化(イエズス会の伝道)

 イエズス会の伝導村で教育を受け、組織的で安定した生活を知ってしまったグアラニー族は、もうジャングルを移動する狩猟の生活にはもどれませんでした。彼らはキリスト教に改宗し、ヨーロッパ的な文化教育を受けていたこともあり、スペイン人と働くことや生活区を共にすることに抵抗がなかったため、自らすすんでスペイン人の町に移り住み、ミッションで受けた教育を生かして勤勉で質の高い仕事をして喜ばれました。

 こうしたグアラニー族とスペイン人たちの共存の中から混血化進み、現在のパラグアイ人を作りました。









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