CONFIDENTIAL DATA "TOP SECRET"
管理人についての詳細情報
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名 前 : 年 齢:
- 伊藤玄一郎 11歳+17年+6年+16年
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生まれと育ち:
- 日本生まれで南米育ち。 1956年、岩手県の開拓地に生まれる。 小学5年の11歳の時に両親について南米パラグアイのイグアス移住地に入植。 牧場作りを手伝いながら育つ。
中学はアスンシオンの三育学院。 高校、大学はアルゼンチンへ留学。高校の時に父親が亡くなってからは農場経営の責任者として2足わらじで学業を続ける(1年大学へ行き、翌年は休学し農場で働いたあとまた大学に戻ったり)。
第1のふるさと =生まれ故郷:岩手県、玉山村 薮川の外山
第2のふるさと =仕事を叩き込まれた少年期:パラグアイのイグアス移住地 <イグアス移住地>
第3のふるさと =高校時代の修行:ブラジルの弓場農場(サンパウロ州)<弓場農場>
第4のふるさと =大学時代のアルバイト先:アルゼンチンのパタゴニア(フニン・デロス・アンデス)<Junin de los Andes>
第5のふるさと =初の海外赴任先:ホンジュラスのコマヤグア <専門家報告>
第6のふるさと =仲間の発見:パナマのサンタクララ(コクレ県)<Photo Album: Santa Clara>
仕事:
- ラテン文化圏での開発プロジェクトの管理、建設プロジェクトの施工監理と安全管理の仕事での派遣。
約20年以上にわたり、国際協力関係の仕事に従事する。
国際協力機構が途上国において実施する技術協力プロジェクト(ODAの一種)には16年以上係わる。中南米での開発調査の通訳、翻訳から、技術訓練の専門家や、研修監理員などを経て、プロジェクトの運営全体を管理するコーデイネーターを4件勤める。
学生時代から長い夏休みや冬休みを利用しパラグアイで日本の調査団の通訳や翻訳の仕事をして学費を稼いでいた。 アルゼンチンの大学をアルバイトの仕事に追われて中退し、通訳や翻訳の仕事を抱えながら、パラグアイの邦人紙「日系ジャーナル」で編集記者の仕事に就く。その後1985年在パラグアイ日本大使館に就職、4年間勤務するが、技術協力を中心に無償資金援助、円借款、社会問題調査から経済問題調査まで広く務め、自分にとって一番大きな財産となる貴重な経験を積む。しかし1989年にクーデターがあり、パラグアイでの35年来の軍事政権が終わったのをきっかけに退職し、次のステップアップを狙ってバブル景気の日本に出稼ぎ渡航する。
日本ではバブル景気に踊る建設業の土方仕事やガードマンから、コンビニ店員等まで広範囲な仕事を経験するが、1990年に国際協力事業団よりホンジュラスに農業開発プロジェクトに専門家として派遣されたのをきっかけに、ニカラグア、コスタリカ、ボリビア、アルゼンチン、パラグアイ、パナマそしてブラジルとラテンアメリカでのさまざまな開発プロジェクトに携わった。
2002年からは日本にNGOを設置してラテンアメリカでのNGO支援活動を目指しながら、2003年8月から1年間マンション総合管理会社で日本の会社勤めも経験。
2005年はアフリカのカーボベルデに給水設備建設事業の施工監理者として1年間赴任する。
2006年は半年ほど日本国内のプラント建設現場で仕事をした後、7月よりロシアのサハリンで建設中の世界最大の天然ガス液化プラントの建設現場に派遣される。
<最近までの派遣先:「サハリンプロジェクトv>、<去年:西アフリカのカーボベルデ><その前の日本での仕事:株装堂宮川><ブラジル赴任時: ブラジル都市交通人材開発><パナマ赴任時:パナマ航海学校強化計画>
海外経歴と言語
パラグアイに農業移住で、アルゼンチンに留学で、ブラジルに農業研修で、ウルグアイに大学吹奏楽団の演奏旅行で、ホンジュラスに専門家派遣で、ニカラグア、コスタリカ、ボリビア等に調査団員として、パナマにプロジェクト調整員として、ロンドンに会議で(2度)、メキシコに会議で、アメリカに家族で自動車旅行で(2回)、トルコに家族訪問旅行でなど計13カ国、通算31年の海外生活をおくっている。
語学は日本語とスペイン語のバイリンガル。 後はポルトガル語が業務上不自由しないレベルで、次は英語が文書作成は可能だが、聞くことはだいたい理解できても、話す力はベーシックなレベル。その他グアラニー語を大体理解できる程度。
家庭での日常会話は奥さんとはスペイン語、子供たちとは日本語。 ブラジルの職場とカーボベルデの職場では、ポルトガル語と日本語が半々。ロシアの職場では、英語50%、日本語30%、ロシア語20%の環境。
<ラテンアメリカの言語>
写真:2001年ブラジルのマスコミインタビューに対応
体格と性格
身長:175cm、体重:95kg前後 (時々100kgを超える)、血液型:A型、プロレスラーのような体格で野蛮人的な顔をしているが、性格は意外とやさしい。 自然や生き物を観察することが好きで (実は動物学者になりたかった)、人に対する関心とあらゆる物に対する好奇心が旺盛。なんでも見てやろう、なんでも試してやろうという性格。 正義感が強く、人種差別や社会ステータスなどを嫌う。
できた娘を自慢し、勉強嫌いの息子どもになにか隠れた才能を期待する親バカ。逃げられた女房にも父親のような感情を持つおめでたい人間。
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趣味:
基本的には自然アウトドア派だが(趣味というより野生人間が本当の正体)生活や仕事の環境によって新しいのが増えたりするので、ここでは現在の順位で主な趣味を紹介。
ドライブ旅行: 自分で車を運転して気ままに旅行するのが好き。南米で12歳からオートバイ、15歳からジープを乗り回して育つ。大学時代は400ccのカスタムバイクでパラグアイからアルゼンチン8000キロの一人ツーリングをやる。家族ができてからはもっぱら車になったがアメリカのフロリダやカリフォルニアを車をレンタルし家族旅行したりする。ブラジル赴任中は、お袋を連れ出しにブラジリアからパラグアイのアスンシオンまで往復5500kmを行ってきた。
読書: 朝に目がさめるとと30分くらい本を読んで頭のエンジンを整える、夜も寝る前に本を読まないと眠れない。 雨の日や体の調子が悪いときは本や雑誌を読んで過ごす。1冊づつではなく数冊を同時進行で読む。体の調子がいいときは出歩くので読書は進まない。中には2−3ヶ月かかって読むこともあるが、最後まで読むことにしている。
飛行機運転: 子供の頃に描いていた飛行機乗りの夢が宮崎駿のアニメ映画「紅の豚」でまた燃え直していたのを、最近ブラジリアで実現できる機会に恵まれる。ウルトラライトプレーンという小型飛行機パイロットの学校に入学し、講義と実習に夢中になる。 <広い空で遊べ!>
パソコン: 仕事についてすぐ牛を売ってパソコンを買い、日本語力の弱い部分を補う武器とする。学生時代に将棋が好きだった分今は戦略シミュレーションゲームに子供と一緒に夢中になる。
武道: 中学から高校時代にかけて柔道、少林寺拳法、空手等を習得。 パナマでは剣道にもトライ。空手に興味がある生徒ができると無料指導をする。<私のサバイバル空手>
魚釣り: 日本では渓流釣り、パラグアイではドラド釣り、パナマでは運河でバス釣りを楽しむ。
ダイビング:ダイバーの資格ももっているが、シユノーケリングで魚を追いかけるのが好き。
ペットと共棲:牧場育ちなので基本的に動物を集めるのが好き。パナマではアパートにイグアナや亀やハムスターを放し飼いしていた。
楽器: 中学・高校時代はギターとフルート、大学時代はブラスバンドでフレンチホルンを吹いていた。最近はパンフルートを時々鳴らしたりする。 (写真:NHK番組のバック演奏用に大学時代の友人と即製に作ったフォルクローレバンド。)
映画鑑賞: 家族でよく映画に行く。洋画から邦画となんでも観る。最近は涙もろく感動的シーンではおいおい泣く。映画館に行く時間がないところではビデオレンタル屋の常連。 特にシュワルツネガーやバンダン等のアクションものが好き。 アニメでは宮崎駿の作品類:特に「紅の豚」。
音楽鑑賞: コンサート等に妻とよく行く、ポップスやクラシック、伝統音楽等。ブラジリアでは国立劇場でいつも無料コンサートがあり非常にラッキー。
マンガ本、テレビ: 日本にいた少年時代はテレビっ子で漫画好き少年。もしかしたら父親はテレビやマンガのない世界に私を連れていくために南米移住をしたのではと思ったりする。開拓時代、留学時代(11才-26才)はテレビ、マンガ無しの生活で、上記の多様な趣味はその結果。サラリーマン(日本大使館職員)になってからまた復帰。片っ端からなんでも読むが、ゴルゴ13、ドクタースランプ(あられちゃん)、サラリーマン金太郎などにアイデンティティーを感じる。ドクタースランプなどは読みながら「げらげら」と笑うので周りの人間をびっくりさせる。永年ビックコミックシリーズを購読していたが、ブラジリアでは日本のマンガを扱う店がなくマンガと関係が切れた状態。代わりにNHK衛星テレビ番組を良く見るし、かたい本も読むのでまともな情報が沢山入る。(プロジェクトXとか、THE PROFESSIONALとか)
好きな食べ物:
ラーメン(新幹線で博多までラーメンを食べにいったこともある。)
プチェロ (牛肉シチューのようなアルゼンチンの庶民の定番料理)
ボリボリ(上記のプチェロにトウモロコシとチーズの団子が入ったパラグアイの田舎料理)
シュラスコ(岩手のわんこそば方式のように肉を次からつぎへと食べさせられる危険なブラジル式焼肉。これにハマり「通風」になる人もいるので要注意)
<ブラジルの料理>
嗜好物:
マテ茶 これは神が人類に与えられたもっとも優れた飲み物。南米南部地方特有のお茶で、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリとブラジルの西部と南部で飲まれている。ウーロン茶よりも健康的だということで。なにせアルゼンチンやパラグアイのカーボーイたちは野菜を知らず、肉と芋とマテ茶だけで健康な体を維持してきた長い伝統があるのだ。パラグアイ育ちの私はもっぱら水で出す「テレレ」として飲むが、これだけはホンジュラスでも、パナマでも持ち歩いてどこでも一人で飲んでいたが、これがないと体の調子が悪い。 <マテ茶のHP>
<マテ茶の飲み方> <テレレのしあわせ>
宗教、思想、哲学
日本での小学時代は宗教に無関心な科学少年。南米に移住してからはキリスト教の学校で教育を受け、小学はカトリック系ミッションスクール、中学はバプテスト系、高校、大学はSDA(アドベンチスト)系などの環境で育つ。一方ではお寺の住職をしていた兄や、佛教系の新興団体の幹部だった兄もいる。自分は創造科学を信じるが、宗教、宗派には拘らない無教会主義。最近、人間の使命にスポットを当てた「人間宗教」を信仰した父の影響を大きく感じる。
生き方の基本的姿勢として、明るく、正しく、力強く、積極的に生きることを教える天風哲学に共感を覚え、2001年に天風会の会員となる。
途上国の地域開発の理想的な形態として、自給自足的社会創りを考えるようになる。2002年に、白樺派の武者小路実篤の自他共生の精神に共鳴し、その思想を1918年から実践してきた「新しき村」の会員となる。
参考サイト: <中村天風と天風哲学> <新しき村について>
家族:
逃げられたアルゼンチン人の妻との間にできたパラグアイ生まれの3人の子供がいる。 <私の家族HP>
80を過ぎて世界をあちこち旅行し、便りをよこす両親がいる。 <母親夫婦HP>
私と同じヤクザなボーダーレス渡世に身を置く弟がトルコにいる。 <弟家族HP>
失業したら共同で中華料理屋をだそうとよく話しをする台湾人の義妹がいる(弟の嫁)。
堅気の兄や姉たちが日本とパラグアイにいる。 <身内HP>
頼りになる叔父、叔母、従兄弟たちが日本にいる。 <身内HP>
いつか遊びに行こうと思っている従姉がニューヨークで寿司バーをやっている。
愛する甥や姪があっちこっちに沢山いる。 <1名紹介: パラグアイで農業経営者の甥>
仲間:
同じ屋根の下で同じ釜の飯を一緒に何年か食べた仲間がいる(パラグアイ三育学院学生寮OB会)
兄弟分の盃を交したような仲間がいる(とうとう破門される)
「一緒に南米に学校を造ろう」とホンジュラスやパラグアイで声をかけた仲間がいる。(もう忘れられているかも知れない)
パナマに学校を創るためのNGO設立中の仲間がいる。 <パナマのNGO仲間>
日本に「南米に自立運営の学校を創る会」の仲間がいる。<サバ会>
人生の師(作者が影響を受けた人物)
宮本武蔵 日本一の武道家。13歳で吉川英治の本を読んだ時は目からうろこがおちたような体験をした。それ以来生涯修行の行者を目指す。 <宮本武蔵とは何者か> <宮本武蔵> <剣聖 宮本武蔵> <宮本武蔵にまつわる事>
デール・カーネギー 成功者の秘訣を調べ、書かれた「道は開ける」、「人を動かす」から強い影響を受ける。 <カーネギーの本「道は開ける」> <カーネギー・名言集の部屋1>
高橋啓介 生まれ故郷の岩手県の高冷地外山の小学校の時の担任教師。子供が好きで愛情あふれる教師。教育者に憧れる原因となった恩師。
宮沢賢治 「雨にも負けず、風にも負けず」が自分の生き方のポリシーとなった。 <宮沢賢治> <雨ニモマケズ> <宮沢賢治の宇宙> <宮沢賢治学会イーハトーブセンター>
キリスト 南米に移住してからは中学、高校、大学とクリスチャン系の全寮制の学校で教育を受ける。「世の中で一番大切なものは愛である」というキリストの教えを自分のポリシーにする。現在はどこの宗派にも属さないが、私の精神面に大きな影響を与えた。<イエス・キリストの福音> <親分はイエス様>
伊藤勇雄 岩手で社会運動から、教育、開拓、地域造りに活躍した思想家。 県議、岩手県教育委員長等を務めながら自分の畑で農作業をし、岩手の山々を歩き回り詩を書きつづける自称「開拓詩人」。ほとんど家で見かけることの少ない私の父親。 70歳の時に自分の念願だった学校造りのために南米パラグアイに私たち家族を引き連れて移住。人生の最後を自分の夢と信念に捧げたかっこいいオヤジ。<伊藤勇雄の世界>
松下幸之助 9歳にして丁稚奉公し、仕事の中から多くのことを学び一流家電メーカーを築き、世界に企業経営の理想的模範を示したことからハーバード大学やその他の大学から名誉博士号まで授与した。 社会に対する使命感をもった松下式経営に共感を覚える。<松下幸之助の生涯> <松下幸之助物語> <松下政経塾>
中村天風 自分の病をなおすべく欧米を修行し、インドで決定的な教えを受け、日本に帰り事業界に入り、実業銀行の頭取までいった後、自分の哲学を確立させ普及させることに専念し、天風会を結成。 日本で学者から実業家、芸能人まで広範囲に子弟を持つ。 社会への貢献精神と積極思考を説く天風哲学に強く惹かれる。 <中村天風と天風哲学>
ナポレオン・ヒル アメリカ中の成功者をインタビューして作り上げた「成功哲学」は実践的で、事業家を目指し人生で夢を達成させることを願う人間にとっては必読書。
<ナホ゜レオンヒルの成功哲学>
ボランティア活動:
空手指導 - 自分の健康維持と護身技維持を兼ね、部活動をおこしたり教室を無料で開いたりしている。
写真はパナマ航海学校内に作った空手部「海援隊」の教え子たちと <海援隊>
学校作り - 自己資金と兄弟や友人たちの協力を得て、パラグアイとパナマに小学校を一校づつ作っている。<学園計画の経緯>
NGO支援活動 - NGO活動をしている人たちに親近感を感じる。パラグアイ大使館勤務時代に1部で「草の根無償援助」も担当した経験を生かし、個人的に今まで4つのNGOで草の根援助事業による組織形成を手伝い成功させた。ライフワークの一部としてNGOを応援するための支援組織「ラテンアメリカ開発支援ネット」を作る。
<現在パナマに準備中のNGO>
<ブラジルでのNGO支援>
家業: 農場経営
一日中パソコンのキーをたたいて単調な事務処理に明け暮れながら、運動不足のサラリーマン親父にしか見えない私は実は、子どもの時からジャングルを切り開いて牧場作りを手伝って育ち、現在でもパラグアイにある300haの小さな牧場の共同経営者で、そしていつかラテンアメリカのあちこちに牧場を作ってやろうと野望を抱く夢見るカーボーイなのです。
 
パラグアイのイグアスにある農場
野望(夢): サバイバル学園計画
そしてその実は、中学時代から馬に乗って牛を追い回しながらも牧場の中にサバイバル教育の学校を作る野望を心に育て、高校から大学までこの計画にそった勉強や仕事を重ね、後には地元イグアスの公立中学校で先生をしたり、実家の農場内にパラグアイ文部省認可の小学校を作ったり、パナマの赴任先の学校のない漁村に小学校を作ったりとひそかに着々と野望に向けて準備をしている「隠れ教師」が本当の正体です。
 
パラグアイに作った小学校とパナマに作った小学校
私のサバイバル教育とは、基本的に、自分の力で生きること、生きのびるために必要な「知識」、「知恵」、そして「力」をつけることを意味しており、それには単に自然の中でキャンプをしたり、魚や動物をとって食べたりすることだけではありません。自然の中でも、または人間社会の中でも生きのびれることができる訓練をというものを考えています。それには、基本的な生活の知恵から、職業を身に付け、自立できるまでの課程を揃えた教育です。
このためには、理論だけではなく、教師自身が社会での実践経験に基づいた生きた知識を教えられなければれなりません。そういう訳で、サラリーマンから、職人、商売人、労働者、技術者などまで幅広い経験を積んだ教育者になってみたらどうかと自分を実験の「20日ねずみ」にしてみました。
結果として高校から大学にかけて、父親が亡くなり経済的支援がなかったこともあり、幅広いアルバイトに明け暮れ、学校内の産業部門やサービス部門でいろいろな仕事を経験させてもらいました。農園(果樹の箭手)、木工所(家具作り)、写真部(写真撮影)、音楽部(ブラスバンド用の楽譜作成)、食品加工工場(パン製造、乳製品製造)、建築部(左官助手、クレーンオペレータ)、スーパーマーケット(販売、在庫補填、店内掲示)、メンテナンス部(施設の修理、整備)他、興味が湧いた仕事には片っ端からトライしてみて、最低半年から約1年間づつ経験しました。熱心に従事し、上司や同僚にも喜ばれ、それで生きていける確信が得られた時点で次の仕事に変わるというパターンでしたが、これらの経験は自分にとってとても重要な財産だと思っています。<私のサバイバル教育>
夢のある人生への薦め
岩手の山奥に生まれた私は小学生の頃から沢山の夢を描いていました。 特にテレビや雑誌で見る海外に憧れていました。そして世界のいろいろな国を見てみたり、暮らしてみたいと夢見ていました。それからテレビ番組の西部劇やアメリカ開拓物語などを見て(ワイオミングの兄弟)、自分も馬にのりライフルをもって自然を相手に暮らしてみたい、そして大牧場主になって多くの動物を飼ってくらしたいといった取り留めのない夢でしたが、今になって見ると小学生の時の夢は全部実現しているのです。そして残っているのは中学生頃より描き出した夢です。この夢はパラグアイに移住して自分が実感した途上国の教育問題に対する学校構想ですが、私はこれも実現するだろうという確信を持っています。
夢というものは、自分のもっているもの総てをかけて試行錯誤と努力とを続けていればいつかかならず達成できると確信しています。 夢を実現させるためには、この夢自体が間違ったものではないか、そしてその達成方法は間違っていないかどうか常に検討する必要があります。自分の夢に正義と運命を確信することができれば小さなことで悩むことも、迷うこともなくなります。
夢ある人生は張りがあり、退屈するようなことはありません。そして夢実現に向かって自分が注ぎ込むことのできる努力は決して苦労にならず、楽しみと充実感が一杯の人生になります。「人事つくして天命まつ」の心境は、無理のない、焦りのない人生の歩み方になります。
大きな規模の企業や事業は夢を見ることができない人間には起こすことができません。 アメリカ大陸は小さい時から海の向こうの東洋人と商売することを夢見ていたコロンブスによって発見され、スエズ運河やパナマ運河は世界がもっと交易しやすくなることを願って運河造りを夢見たフランス人の元外交官のレセップスが事業を起こし、そしてアメリカ合衆国やカナダも含むアメリカ大陸の諸国は広大な自然の中にユートピア(理想郷)を描いた人たちの努力によって現在の新鮮で発展的な社会が築き上げられたのです。アメリカ大陸は夢見る人たちが築き上げたユートピアです。(もちろんこの中にはビジネス、政治、宗教的な野心・野望によるものもありますが。) そしてこれからの我々にも夢に挑戦することのできるスペースと機会を与えてくれるすばらしい世界です。

作者とこどもたち(2005年12月、アフリカから帰った時に東京で家族で食事)
【作者の思い出】 【家族アルバム】 【作者の夢】
キーワード:
なわばり: ラテンアメリカ、パナマ、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、カーボベルデ
仕事:
国際協力、
開発事業、
ボランティア活動:
NGO活動、
人材支援、
環境問題、
ADHD
趣味:
空手、
ウルトラライトプレーン、
テレレ、
アドレス:
これだけ自分のことを暴露してしまう人間はあまりいないだろうと思いますが、こんな私のホームページ及び私の計画等に関する、お問い合わせ、お便りなどがありましたら下記まで。
花嫁応募者は遠慮なく写真と正直な自己紹介を送ってください。
E-Mail:
[email protected]

ラテンアメリカ開発支援のコンサルタントです
【パナマより愛を込めてへ】【理想郷ブラジル】【ラテンアメリカはいかがですか】
【国際サバイバル道場】
【アミーゴのサイト】
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