国際サバイバル道場/ ユートピアへの挑戦
新しき村について
- 武者小路実篤の目指した理想的社会 -
新しき村は、文学者武者小路実篤が考えた理想的社会のあり方を模索した思想であるが、これを実践する場所として、自給自足の農業共同体が九州の日向に建設された。それはその後ダム建設によって水没し、その後関係者により埼玉に再建設され現在に至っている。
この思想が、より良い社会を築くためのモデルとして社会に普及されることを願い、財団法人「新しき村」が設けられ、実篤の考えや、新しき村思想について書かれた記事を載せた機関紙「新しき村」が毎月発行されている。
この機関紙より特に「新しき村」の考えや武者小路実篤の目指した理想的社会についての思想をわかりやすく反映、または説明している記事を財団の許可を得て、転載、引用、要約して紹介してみたいと思う。
雑誌「新しき村」第54巻第11号(14.11.1)
「新しき村五二年」 武者小路実篤- より(部分引用)
僕は人間の真価を生かしぬくのは之からの人間の協力にあると思う。金と武器の世の中では人間の価値は正しくは生き切れまいと思う。我等は武器と金の世の中は卒業したいと思う。他人を支配する力は愛と真理だと言ったら、今の人は笑うであろう。
しかし人間はもうそろそろ自分の真価を生かすべきだと思う。人間は奴隷ではない。自分の真価を生かす事で、本当の人間が喜んで生きる事だ。自分を正しく生かし、人間同士の価値を高める事だ。生活を目的にせず、人間として立派に生きる事だ。勿論、真価を高める事が大事だ。健康に生きる事は元より大事な事だが、生活の為だけに働くのではなく、有意義に働く為に勉強すべきだ。もう人間は生活が目的ではなく、益々正しく生きる事が大事だ。
食わねばならないのは事実だが、ただ生きればいいというのではつまらない。もっと自己を美しく生かす事が大事だ。僕は皆が人間らしく正しく生きることが大事だ。この事は皆でよく考え、皆、心嬉しく生きる事が大事だ。
僕は皆が人間に生まれてよかったと思うような世界をつくるべきだと思う。
雑誌「新しき村」第54巻第10号(14.10.1)
彩の国いきがい大学東松山学園大16期生文化科2班の研究
武者小路実篤と新しき村 -その語りかけるもの- より(全文転載)
武者小路実篤は、正しく自己を生かしきる個人主義の思想から、人道主義に基礎を置く「自他共生」の思想へと考えを昇華させていった。さらに実篤は理想的社会を実現させるため、白樺派の同人ほか知人、友人の支援を受けて新しき村を創設した。
新しき村は、全ての人が健康で長生きできる社会、全ての人が個性を発揮して天職を全うできる社会、全ての人が生きる喜びを感じ、趣味良き遊びを楽しむことができる社会(理想的社会の三要件)を目指したものである。 これは食うためにのみ働かざるを得なかった当時の農民や労働者を衣食住の心配から解放し、だれもが人間らしく生活できる理想的社会の実現を図るものであった。
実篤がいう「人間らしい生活」とは、「衣食足りて礼節を知る」の教えのとおり衣食住をまず自分達の手で確保し、その後に、「自己を正しく生かすことにより他人を生かし、またお互いに助け合って自己を完成する」よう生きることであり、その根底をなすものは「人類愛」である。
新しき村の村民(村内会員)達は、80年以上前に掲げた理想を頑なまでに今も追い続け、自己実現、理想の実現に励んでいる。
「我々は死ぬのは嫌いであるが、奴隷のごとく生きるのを喜ばない。」と、主義思想、制度、人間関係、金銭、物等に縛られることを嫌い、全てから自由であることを求めてきた実篤はまた、新しき村についても「新しき村は協力の村であるが、同時に独立の村である。われらは他人に支配されることを嫌うものである。」と独自性を鮮明に述べている。
これらの武者イズムは、村の人々の心にしっかりと根付いており、他人に迷惑を及ぼさない範囲で自由を楽しみ自己実現に励むという新しき村の生き様は、「村の精神」を核心に今後ともかわることはないと考えられる。 ........中略。
歴史は左右に揺れ動きながら中庸を少しずつ変化していくものである。そろそろ物質偏重の考え、利己的発想、無責任な姿勢に歯止めがかかる反省の時期が来つつある予感がする。変わるべきは今の世の中だろう。
煩悩の焔を限りなく燃やし、心の潤いを失い、満足感、達成感を得ることなくぐ次から次へと物をせわしく求め続ける現代の偏った物質文明に終止符を打ち、生活にゆとりを持たせ、人を思いやる心、「愛」の感情を取り戻す時期に来ていると確信する。
新しき村にはそれがあり、ごくあたりまえに実践されている。一人でも多く新しき村を訪ね、この村を皮相的に観察するのではなく、物質的には恵まれていないかもしれないが、豊かな心をもった人間らしい人間の生活、真の武者イズムを体感してほしい。
若者に魅力が薄く、年輪を重ねた人に理解者が多いのは、人生経験の差によるものではないか。サラリーマン経験者などは、一度は会社を離れて新しき村のような生活(脱サラ)をしてみたいと考えたことがあるのではないか。そこでは上下の人間関係に煩わされること無く、また一つの歯車として決められたとおりに動き続ける必要も無く、潤いのある人間らしい生活ができると考えられ、一番贅沢な生活といえよう。
.....中略。
2000年代は、「心」の時代と言われる。小さな村ではあるが大きく息づいている、生きた「心」のある村、新しき村に学ぶとこを多い。 ただ新しき村の人々は、「村の精神」を信仰し、悟りきったごとくごくあたりまえに武者イズムを実践しているが、他の社会に働きかけるtこを是とせず、他の社会が正しく変わることをまっているように見える。これが武者イズムの真髄である。
行き過ぎた物質文明に悩んでいる世間一般のありかたについて、こころある人は、是非一度新しき村を訪ね、正しい方向に世の中を動かす策を模索してほしいものである。
..........中略。
21世紀は、文化、心の世紀といわれているが、人類はその心を何時取り戻せるのであろうか。このような世情の中にあっても、この村には、我々がどこかに置き忘れてきたものが確かに存在する。
雑誌「新しき村」 第54巻第10号(14.10.1)
田恩伊、韓国雑誌「山上の村」より
「この門に入るものは自己と他人の生命を尊重しなければならない」
村の門内に入った瞬間目に付く文章である。.....目の前に広がっているお茶畑と家屋の風景を眺めながら、ふと考え込む。”ここが本当に共同体の村なのか?静か過ぎる!共同体の村の人々はどこに? 共同体の村らしき建物はどこに?......”
我々を感動させる、我々を性急な対話で熟れる特別施設とか、この世のよくある親切もない。それなのに、我々の心は安らかである。太初の静けさの中にいるような安らぎ、はじめは、三人とも話すことがなくて、黙っていると思ったのだが、ある瞬間、村の深い静かさに我々が無心状態になっていたのである。
三人とも誰もしう言わなかったが、説明できない村の神秘な力に惹かれて心が深く、おっとりと空になっていたのである。我々はこの瞬間一緒にいるのにお互いに別々だ。互いに別々なのに心はすごく安からかである。我々は一体今どのような世界にいるのだろうか?
東京から約2時間程度の埼玉県入間郡にある小さな村は、一見してここは他の日本農村とあまり変わりはない。それよりも日本の庶民的昔の村の面影を保持しているといえる。村に入った瞬間広がるお茶畑は、そんなに広くはないけれど、すごく古い茶木がぎっしりと植えられていて、村の歴史の古さを物語っている。
現在の新しき村は米、養鶏、椎茸、石窯焼きパン、お茶、野菜、果樹等で完全自立農で、村の提唱者武者小路実篤の精神を理想として生活している。
武者小路実篤は日本で小説家、画家または哲学者として知られていて、日本近代文学史において理想主義を代表する白樺派の創始メンバーでもある。白樺派はトルストイ等の影響を深く受け自己の個性を伸張、完成させる方法で文学とか芸術を重要視したのである。
新しき村は白樺派精神の連続性を基本に武者小路方式の社会的実践形態として生まれた村である。武者小路実篤は共生、共働、共産の精神で相互協力、友愛、一定の義務労働を完遂したあとは、個人の自我実現のための自由な創造的な生活ができる理想的社会建設指向しているのである。
新しき村の創設は1918年11月に、宮崎県児湯郡の三方が川に面した僻地からの始まりであった。しかし苦労の末、出発した村の土地はダム工事のために、ほとんど水没地域に指定され、村人達は散り散りに去っていったのであるが、その中の一部の人は、1939年に現在の埼玉県入間郡の雑木林の土地の開墾から新たに村を再建したのである。一時はたった一家族が残り村を守った事がある位消滅寸前を経た時もあった。
1958年当時、日本の伝統的農家でも容易でなかった農業を基盤とした自活に成功、そのあと完全自立農業を実現した共同体に対して日本だけではなく、国際的に大きな関心と注目を浴びるようになった。チベットのダライラマも新しき村を訪問したとの記録が残っている。
新しき村の構成員は村内会員と村外会員の二種類の会員に分けれている。現在約30名の村内会員が生活しており、村内会員になるためには約1年間の仮入村の期間を経て、入村が決定すると、本人自信が村を出て行かない限り、誰も離村を命令することができないのだが、これは村に指示、命令をする命令権者をおいていないからである。階級の区別とか上下の身分の区別は無く全ての事案は個人の自律的意思と自主性にひょり解決するようにしている。
新しき村は、共働、共生の社会を志向しているので、全ての教育費、医療費、生活費等は村で一切負担している。現在一人当たり約120万円程度の生活費が所要されている。このような共働、共生社会が可能なのは、義務労働で、一日約6時間の義務労働をやり遂げると、残り時間は読書、絵画、書道、陶器、音楽、旅行等で、自分自身の時間を自由に活用しながら、生活できるようになっている。65歳になると、この義務労働から解放される。村内会員には、毎月35千円の個人費が支給される。村外会員は全国に約700人程度いて、東京支部では毎週木曜日に定期会合が開かれている。又、村外会員は村の行事に参加したり、新しき村を社会により知ってもらうために、村内の協力を得て、美術展を企画し開催したりしている。
新しき村自体は教育機関を保有していないので、子供たちは村の外の一般の学校に通っている。高等学校まで村が全ての教育費を負担している。そして高校を卒業したら、村に残るか村外に出るかは本人自身が決定するようにしている。しかし残念ながら村で誕生し成長した子供たちは村に残らず、若年層の入村減少で現在村は高齢化している。村の外に出た子供たちは村と完全に断絶した関係ではなく、村外会員または村と一定の連帯関係を維持している。
新しき村が経済的自立達成という最も根本的問題を解決したあと、教育問題は村が新たに直面した一番重要な思案であると思う。教育は単に子供たちの教育だけではなく新しき村の精神を村の構成員たちがどのように継承、発展させるのか、とする村の政体制と深い関連があるためである。
........ (中略)
私は新しき村で彼らの深くて強靭な根と幹の時間と出会った。我々が村で体験した霊的な静かさと無欲の時間は新しき村人の純直、清い霊魂が地下に根っこをおろし、地上に枝を広げて自然に形成された”村の力”に依るものであったと信じる。私は一体この村から、この世から何をこの目で見たくて苛立っているのか。今、花咲かせる時間が彼等をお待ちしている。万一私が生きている間にその花咲く時間を見られなかったとしても、それは何の問題でもない。人類史という大地上に村という生命体がいまその美しい芽が吹き出したばかりなのに.......。
雑誌「新しき村」 第54巻第11号(14.11.1)
日比野英次
私は「新しき村」を武者小路実篤の村に限定して考えていない。古今東西の所謂ユートピア思想が「新しき村」の土台となっている。しかし、その中で武者小路氏の構想を中心に考えるべきだとすれば、それは氏があくまでも「個を活かす」ということを目的にされた点に見出されるだろう。
武者小路氏はあくまでも個人の魂の糧を問題にする芸術家であった。確かに氏には社会全体の改革という関心もあり、それなくして「新しき村」の活動もあり得ないが、氏はついに実際的な社会運動家ではなかったと思われる。そこに氏の限界を見出す人が多いが(特に「現実的な」共産主義者などは、氏の試みを「空想的」の一言で片付けてしまうに違いない)、見方を変えれば、そこに氏の大きさがあるとも言えるだろう。
いずれにせよ、私は個人としての人間(単独者)が本当に生きることを求める - これが全てのユートピア思想の出発点でなければならぬと思っている。従って「新しき村」は個人としての人間が本当にいきることを実現できる場でなければならない。これこそユートピアを求める様々な試みの原点であるべきだろう。言わば個を真に活かす全体の現実だ。それは全体のために生きる(犠牲となる)この止場であることは当然であるが、同時に個のために存在する全体の止場でもあることを忘れてはならない。すなわち私の目的地は、個即全・全即個の成就としての「新しき村」なのだ。私はこうしたユートピアの究極とも言うべき「新しき村」の具体的内容を、その真の新しさについて考えることで明らかにしていきたいと思う。
(一部省略〜 「新しき村」の新しさについて〜)
(1)古き村 - 近代都市 - 新しき村
先に述べたように、「新しき村」の魅力は自己(個人としての人間=単独者)を真に活かすことを主たる目的とする共同体という点にある。これを個と全体の関係で言えば、全体のために個があるという構造をもつのが封建主義的な「古き村」であるのに対し、「新しき村」は個を真に活かすための全体(これは後述するように単に個のために全体があるという構造ではない。その微妙な差異が問題なのだ)の実現を目指していると言えよう。こうした「新しき村」の理想は実に魅力的なものであるが、ここには根本的かつ構造的な矛盾がある。それは自己を真に活かすということと共同体の関係だ。前者は垂直の次元における主体的な事柄であるのに対し、後者は水平の次元における社会的な事柄に他ならない。果たして自己を真に活かそうとすることは共同体を必要とするだろうか。我々は先ず、この根本的な問題に立ち返らねばならない。さもさかれば、「新しき村」に幻滅する者の後を断てないだろう。
そこで改めて問う。理想の共同体とは何か。しかし、私の考える理想が他者の理想と同一であるとは限らない。してみると理想の共同体というのは一つの矛盾ではないか。先ずこの矛盾について考えてみる必要がある。もし唯一の理想を追求する共同体を考えてみれば、それは抑圧以外の何ものでもないだろう。と言うのは、理想は個人によって種々雑多であるのが当然であるからだ。それ故、唯一の理想によって統一される共同体は何ら理想的ではないと言えよう。実際共同体の生活と聞くと顔を顰める人が多いのは、そこでは個人の自由が制限されるという印象のせいだと思われる。残念なことに、現にある殆どの共同体はその印象が正しいことを証明しているが、理想の共同体の真の姿とは如何なるものか。
私は理想の共同体というものを一応「様々な個人の理想が統合される共同体」だと理解している。そこでは個人の理想が自由に、何に妨げられることもなく追求される。もはや経済的な問題を気にする必要はない。個人は自らの理想追求に最大限集中することができるのだ。このような重要なことはあくまでも個人の理想追求だが、それは個人だけでは決して達成できないだろう。これは経済的な理由によるだけではなく、むしろ人間存在の原理によるものだ。尤も「個人の理想追求に共同体など関係ない。むしろ邪魔なだけだ」と考える人も多いかもしれない。しかし私はとうは思わない。そもそも個人の理想というものは個人だけで成就することは原理的に不可能であり、否応なく他者との関係を必要とするものだろう。人間の原点は単独者であるが、単独者のままで本当にいきることはできない。それが人間の現実だ。山奥で修行していたツァラトゥストラも里に下りてくることを余儀なくされた。それは「十牛図」の示しているものと基本的に同じであり、孤独な哲学(修行)の往相は社会的実践の還相によって閑静すると言えよう。すなわち人間が本当に生きることを成就できる場は孤独な山奥ではなく、あくまでも人々が生活する里である、そこにこそ「新しき村」は実現するのだ。個人の理想は不可避的に共同体を必要とする。共同体においてこそ個人の理想は成就するのだ。私はこんぼ点を、個人の理想と全体の理想の関係においてさらに考えてみたいと思う。
個人の理想と全体の理想- 前者の集合が後者になることはないし、後者が前者に口出しすることもできない。両者は質的に異なったものであり、全く次元が違っている。そこで取り敢えず「個人の理想は魂の糧に関するものであり、全体の理想は肉体の糧に関するものである」と考えて見る。いうまでもなく、人間にはその両方の糧が必要だが、それは人間が個人的な存在であると同時に全体的(社会的、といった方がいいかもしれない)存在であることを意味している。すなわち、たとえ自らのの個人的な理想だけを追求して生きて行きたいと願っても、他者との関係を否定することはできないということだ。むしろ個人の理想は、それを可能にするために否応なく全体の理想を必要とする。具体的にいえば、肉体の糧を得るための労働を最小限に、魂の糧を得るための仕事を最大限にすることを可能にする全体(社会)-- これこそ理想的なものと言えるだろう。すなわち理想の共同体とは、個人の理想が最大限にいかされる全体に他ならない。しかし、それは個人が勝手なことをしてもいい社会とは根本的に異なる。そのような個々バラバラの状態を招いたのが、「古き村」のアンチ・テーゼとして実現した「近代都市」であると言えよう。
確かに「近代都市」は、全体のために個があるという「古き村」の封建主義的構造を否定し、個のためにこそ全体があるという新しい構造を実現した。しかし、その結果、「近代都市」における人間は個々バラバラのアトムとしての個人と化してしまった。私はこのようなアトムとしての個人では、人間として本当にいきることなど到底できないと思う。個人の「本当の生」は原理的に個人だけでは実現しない。「今、この瞬間に生きている私は本当の私である」と言うことができる時、主語の私が確認する述語の私=本当の私は「私」を超越している。それはヘーゲル的に言えば「我である我々・我々である我」という全一的意識にたどり着く時、個人は人間として本当に生きていることを実感できるに違いない。具体的に言えば、それは「全ての人が自分の兄弟姉妹である」という実感であり、ここに「新しき村」の基礎があることは言うまでもない。そして、そうした全一的意識が求める理想の共同体は個の問題からの逃避(もしくは個が逃避する場)では決してなく、あくまでも個の問題の成就(もしくは個が自らを真に活かせる場)でなければならない。従って、全体のために個が奉仕せねばならぬ「古き村」が問題外であるのは当然であるが、個のために全体が奉仕することだけを望む「近代都市」も理想とは言えない。人間が本当に生きることにおいて、個人は決してバラバラな存在ではあり得ないからだ。そこには統一は必要ないが、統合は不可欠だと思われる。
統一体と統合体 - この差異にこそ理想の共同体をめぐる問題の核心がある。「古き村が統一体であるのに対し、新しき村は統合体であるべきだ」と言う時、その相違は偏に個人を真に活かすことができるかどうかという点にあるだろう。「古き村」は全体の意思によって統一され、個人はそれに従うことを求められる。言わば「全体のために個がある」とうのが「古き村」の本質に他ならない。それに対して「新しき村」では個が中心となる。ただし、それは「近代都市」における個々バラバラのアトムとしての個ではなく、それぞれの個が全体を反映しているモナドとしての個だ。すなわち、村の一人一人の「私」が「新しき村」ではなくてはならない。これは「古き村」の常識からすれば、もはや共同体とは言えぬものかもしれない。然り、「新しき村」はその究極の理想において共同体を超えていくものと思われる。「古き村」(全体のために個がある)を超えたのは「近代都市」(個のために全体がある)だが、「新しき村」はそれさえも越える後 -近代(ポスト・モダン)の共同体(XXX)(これは従来の共同体概念の止場を意味する)であるべきだ。
古き村 −近代都市 - 新しき村。人間は原理的に何らかの共同体を求めざるを得ぬ存在だ。しかし現代人はもはや統一体としての共同体(古き村)に生きることはできず、さりとてその否定による個々バラバラの状態(近代都市)にも堪えられない。この窮地を打開するものこそ統合体としての共同体(XXX)であり、「新しき村」はそれを実現しなければならない。しかし「古き村」の共同体と「新しき村」の共同体(XXX)は具体的にどう異なるのか。それについて述べるに当たり、私は今後、「新しき村」の共同体(XXX)を「共働体」と記し、次のように「古き村」の共同体と区別したいと思う。
古 き 村−唯一の理想によって統一される共同体(「全体のために個がある」統一体)
新しき村−様々な個人の理想が統合される共働体(「個即全・全即個}の統合体)
(2)祝祭共働体としての「新しき村」
「新しき村」の精神の第一は、「全世界の人間が天命を全うし各個人の内にすむ自我を完全に生長させることを理想とする」ことにある。私はこの理想を、「人間の天命を全うする事」は肉体の糧によって可能となり、「各個人の内にすむ自我を完全に生長させる事」は魂の糧によって可能になるというように理解している。従って、「新しき村」は肉体の糧と魂の糧を同時に無理なく満たすことのできる共働体でなければならない。しかし先にも少し問題にしたが、常識的に考えれば、共働できるのは肉体の糧に関してだけであり、各個人の魂の糧については共働などできないだろう。確かに「近代都市」の構造においてはそう言う他はない。しかし、「新しき村」の共働体では全く事情が異なる。この点について改めて考えてみたい。
私は先に「個人の理想は魂の糧に関するものであり、全体の理想は肉体の糧に関するものである」とした。言うまでもなく、この区別では肉体の糧を求めることにおいてしか人間の共働は成立せず、全体の理想は「全ての人が食うに困らぬ社会の実現」に限定されることになる。確かに「この世の中に食うために働く人が一人でもいれば、その世の中は未だ完全ではない」と言われる武者小路氏の言葉に明らかなように、それが「新しき村」の目指す理想の一つであることは間違いない。しかし乍ら、肉体の糧については共働し(6時間の義務労働)、魂の糧については孤独に、などという生活の在り方が人間の究極の理想であるとは到底思えないし、また思いたくもない。とは言え、それぞれの人間の魂の糧は純粋に主体的・個人的なものであり、そこには本来共働はあり得ない。それ故、魂の糧の追求は原理的に孤独なものだ、ということになる。
しかし、それにも拘わらず、私は敢て魂の糧についても共働を求めたいと思う。それは単なる芸術の共同制作の如き最大公約数的なものではなく、それぞれの魂の糧が舞い踊る最大公倍数的なものを目指す。勿論、そこにはもはや先に述べたような個人の理想と全体の理想の区別はない。すなわち、究極的な全体の理想は、「全ての人が食うに困らぬ社会の実現」という肉体の糧だけに限定された理想を超え、「全ての人の魂の糧が最大公倍数的に統合される祝祭空間の実現」という段階にまで達しなければならないのだ。私はそうした言わば魂の祝祭共働体こそ、個即全・全即個の成就を目指す「新しき村」の究極態だと思っている。それは存在の祭り、と言ってもいい。自己を真に活かす場である「新しき村」は毎日がお祭りであるような生活を実現すべきだ。自他共生という理想も祝祭共働体においてこそ実現できるものと信じている。宮沢賢治曰く、「おお朋だちよ、いっしょに正しい力を併せ、われらの全ての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな大四次元の芸術に創り上げようではないか」(「農民芸術概論綱要」)
祝祭共働体としての「新しき村」 −私はここにユートピアの究極態を見る。勿論、現にある新しき村がこの最終段階に辿り着くまでには、未だいくつもの段階を経なければならない。その第一はやはり肉体の糧をめぐる水平的問題、すなわち「全ての人が食うに困らぬ社会を如何に実現するか」おいう経済問題であろう。「新しき村」と雖も肉体の糧を得るための経済なくしては成り立たない。さもなけれえば、布施で肉体の糧を得て魂の糧を追求している出家者集団と大差ないものに堕してしまうだろう。「新らしき村」に経済は不可欠だ。ただし、それは古い経済(特に資本主義経済)であってはならない。「新しき村」には新しき経済が必要なのだ。それは近代農業を超える農業の在り方を様々な形で模索している多くの先進的な農民たちが求めているものでもある。残念ながら今の私にはそれについて具体的に述べられるだけの力はないが、新しい農業の在り方、そしてそれを可能にする新しき経済を求める運動が徐々に世界的なうねりとなりつつあることは間違いない。日本におけるユートピア(もしくはコミューン)運動の草分け的存在である「新しき村」がこの流れを無視することはできないだろう。むしろ先頭に立って新しき経済を追求し、それによって祝祭共働体を実現しなければならない。そして全世界に向かって叫ぶのだ、「全ての農業労働を舞踏の範囲まで高めよ」(宮澤賢治)と。
おわりに
ヒトが人間として生きる。それは垂直の次元における魂の糧と水平の次元における肉体の糧を満たすことを意味する。私はこうした人間観に基づいて、魂の糧を求める運動を「仕事」、肉体の糧を求める運動を「労働」としたいと思う。もし人間の本来的生を「仕事」にみるならば、「労働」を最小限に、いや将来的には無に帰することこそ人生の理想だと言えるだろう。そしてその理想を実現するものこそ「新しき村」でなければならない。昔から「働かざる者食うべからず」というのが常識であるが、「働く」を「労働」と看做すならば、この常識はもはや「新しき村」では通用しない(勿論、これはあくまでも理想を実現した究極態においてのことだ)。「新しき村」では「働かなくても食うことができる」からだ。しかし、これは決して「新しき村」を怠け者の村にすることではない。尤も怠けることが自分の魂の糧だという人は怠けてもいいだろう。怠けることが彼の「仕事」になるからだ。それで自分が人間として本当に生きているという実感が得られるならば、他人がとやかく言う筋合いはない。しかし現実にそういうことはあり得ないと思う。「怠ける」とう状態は「労働」の拒否ではあり得ても、決して「仕事」の拒否にはなり得ない。「仕事」の否定は人間として生きることの否定に他ならないからだ。それに「労働」を無に帰することは水平の次元を否定するものではない。たとえ垂直の次元に人間本来の生があるにせよ、それは主体的なもの(神的なものと私の絶対的関係)であって、それ自体が共同体を成すことはあり得ない。「新しき村」はあくまでも水平の次元において収穫した魂の糧による饗宴こそ「新しき村」の究極態なのだ。私はそうした祝祭共働体の実現こそ我々の「仕事」だと思っている。
岩波現代文庫、竹村実編訳
毛沢東初期詞文集「中国はどこへ行くのか」より