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作者の写真アルバム



南米移住
小学生、11歳頃。 夢を求めて南米パラグアイへ移住を決めた70歳の父に連れられて、母、弟、甥、兄夫婦たちと共に横浜港より移住船あるぜんちな丸で出航。 (写真:NHK特別ドキュメンタリー番組「31年目の乗船名簿」より)



開拓生活
パラグアイのイグアス移住地は当時の海外移住事業団が日本人移住者のために分譲地を造成し、30ヘクタールから奥地では90ヘクタールを基本単位とした区画で家族の人数と開墾能力に応じて分譲された。入植したイグアスの土地は巨大な木が生えている密林でそれを斧や二人引き鋸、そしてチェーンソーなどで切り倒し、人力で切り株を焼いたり、引っこ抜いたりして畑を整備し、家を建てたり、家畜小屋を建てたりしていく大変な重労働であった。そしてこの作業には、家が建つまでの仮小屋住まいの間は女子供も総出で参加した。 (写真:NHK特別ドキュメンタリー番組「31年目の乗船名簿」より)


自己確立を目指した日々
大学生時代、22歳頃。 自分の生きるべき道を求めて神学校へ入る一方、空手を通し体を鍛え、休みには家に帰ってジャングルを切り開いて牧場作りに専念する。サバイバル学校を作る夢が自分の人生の目標となっていた。

イグアスでの1年間
大学生時代、22歳頃。 中学からアスンシオンに出て、高校、大学はアルゼンチンとイグアスに戻るのは夏休みや冬休みであったが、父の死後、大学を1年休んでイグアスの農場経営にたずさわりながら、夢の計画に向けて半日は公立中学校(西語)で代員教師をしていた。イグアス青年団の活動にも参加、空手部を作り大会に向けて選手を育てたりする。(写真:NHK特別ドキュメンタリー番組「31年目の乗船名簿」より)


フルートを吹く
大使館勤務時代、30歳頃。 中学時代に覚えた横笛は、その後フルートやケナ、サンポーリャ、パンフルートなどへ広がっていき、大学時代に学園祭で笛を吹いたりしたのが今のかみさんと付き合うきっかけになりました。(写真:NHK特別ドキュメンタリー番組「31年目の乗船名簿」より)


JICAパラグアイ事務所
1991-1992: JICA本部でシニアボランティア調整員として採用され、ジャイカのパラグアイ事務所に派遣される。  


家族で沖縄旅行
パナマへ赴任中の一時帰国で弟家族を訪ねて沖縄を訪問。家族は2週間で帰り、自分は残って「沖縄国際協力センター」でビデオ制作の専門家研修を受ける。


パナマの弟子たちと
パナマ航海学校勤務時代、39歳。 パナマ航海学校の整備事業のプロジェクト勤務の際、空手部「海援隊」を作る。


パナマの弟子たちと
パナマ航海学校に作った空手部「海援隊」を率いて夏休みには海辺で合宿を行った。

【私のサバイバル空手】


ブラジルのマスコミインタビュー
ブラジル勤務時代、45歳。 ブラジルのゴイアス州ゴイアニアのバスシステムの見学時にマスコミに捕まってしまった時。 不慣れなポルトガル語でインタビューに応じている場面。


全ブラジル地域プロジェクト調整員会議
ブラジル勤務時代、45歳。 国際協力事業団が抱えるブラジル国内のプロジェクトの財布を預かる調整員たちがあつまって苦労話の交換会をやる。


アマゾン調査へ
ブラジル勤務時代、45歳。 アマゾン地域の交通と環境問題を調査するべく、アマゾン河を船で渡る。

【アマゾン地域の交通と環境調査】


【パナマより愛を込めてへ】 【夢見る者たちが造った理想郷ブラジル】 【ラテンアメリカはいかがですか】 

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