- ラテンアメリカのお国案内 -

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南米の楽園パラグアイ

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目次


パラグアイ国一般情報

 1.パラグアイ概要
 2.基礎データー
 3.ブロードバンドTV情報
 4.パラグアイ経済の基礎
 5.パラグアイ社会の特徴
 6.観光名所
 7.歴史
 8.生活スタイル
 9.関係リンク


パラグアイの魅力

 1.木から女が降ってくる国
 2.グアラニー文化の遺産
 3.イエズス会の理想郷
 4.メノニータたちの独立村
 5.パラグアイの英雄チラベル
 6.グアラニー語


パラグアイの報道

 1. 日系ジャーナル
 2. El Diario Noticias
 3. ABC Color
 4. Ultima Hora
 5. La Nacion
 
パラグアイの情報サイト

 1. LANIC
 2. LatinWorld: Paraguay
 3. Governments on the WWW: Paraguay
 
パラグアイでボランティア

 1. イグアスの村づくり


2003年2月25日作成

ご意見・ご質問などは
  [email protected]









イラスト: ビックコミック 「C級さらりーまん講座」(山科けいすけ作)より
南米の楽園パラグアイ


大統領府としてパラグアイのシンボル的なロペス宮殿



 南米のブラジルとボリビアそしてアルゼンチンに囲まれた内陸に日本ほどの大きさの国が隠れるようにしてあります。そこは昔、グアラニー族たちの平和な楽園で、そこにスペイン人がやってきて、他の地域であったような虐殺や侵略の戦争をすることもなく受け入れられ、そして平和な共存の結果として出来上がった珍しい国です。

 そして、スペイン人たちがアメリカ大陸の探検を始めた1500年代に、中米のパナマを拠点としてペルーやメキシコへの探検が行われた時に、南米における拠点となったのは、「母なる都」と呼ばれたアスンシオンでした。

 さらに、1608年には、スペインからやってきたイエズス会の宣教師たちの働きによって、インディオたちを改宗させ、文化教育を与える場所として「ミッション」と呼ばれた伝導村がパラグアイを中心に広く形成されました。これは集団でバナナやキャッサバのプランテーションを作り、様々な工場を整え、それを完全な分担作業に振り分けた組織体制が築かれた訳ですが、これは未開の地にあって、一種の「理想郷」とも言われた驚くべき共同社会が出現したのでした。  そこでは、宣教師たちに教育されたインディオたちがヨーロッパの建築物を建て、バイオリンやギターを造り、コーラスで賛美歌を歌い、ヨーロッパ人を驚かすような教養と技術水準を見せるようになったのです。「ヘスイタ帝国」とも呼ばれたこの独立文化圏は150年近くの繁栄後にスペイン・ポルトガル連合軍に破壊されてしまいました。


 近代に入っても多くの冒険家や思想家、宗教家が魅力を感じてこの国にたどり着き根を降ろしたりしました。ブラジルやアルゼンチンに移住した人がパラグアイにひかれて移ってきました。仕事で派遣された人達の多くが愛着のついた忘れられない国となっています。ここではゆったりと時間が流れるくつろぎの場所を実感させられます。異国でありながらなにか懐かしい「ふるさと」のような感じを体験できるところが残っています。パラグアイには、多くの人間が心の奥で求めている理想郷をつくるのにふさわしい場所を感じさせるものがあるようです。



 パラグアイ国の概要

 パラグアイ共和国は、南米大陸の南部に位置しブラジル、ボリビア、アルゼンチンなどに囲まれた面積約40万平方キロ(日本の国土の約1.1倍)、人口約550万人の小さな内陸国です。

 パラグアイは、牧畜業と豊かな天然林から出る材木、そしてマテ茶などの生産を中心とする伝統的な牧畜国でした。しかし1930年代から入ってきたドイツ人移住者や日本人移住者たちの影響を受けて近代農業が発達し、大豆や綿花などの生産地として大きく変わってきました。

 現在ではパラグアイの産業は農業、林業および牧畜が主体で、国内総生産に占めるこれらの割合は26.3%で、主要産物は大豆、トウモロコシ、綿花、小麦、マンジョーカ、柑橘類、牛肉、木材、葉タバコ、マテ茶などです。大豆および綿花は主に輸出用として生産されていますが、中でも大豆は現在世界第4位の生産量をほこっています。

 パラグアイは、半世紀にも渡りコロラド党と呼ばれる伝統的な大政党である国民共和協会によって政権が継続されてきています。特に1989年までの35年も続いたストロエスネル将軍の独裁政権は、民主主義と人権問題に関して国際社会からの非難は受けながらも安定した政治と同時に堅実な経済政策も維持されてきました。その政策の一環として、回りの国々のような無理な工業化をしなかった分、社会近代化は遅れていましたが、大きな負債を抱えることもせず、ラテンアメリカ内では比較的安定した社会環境と治安を保ってきました。

 この社会的そして経済的安定性に対して世銀やその他の国際機関はパラグアイを優良途上国として位置づけ、多くの日本人移住者を快く受け入れてもらっている日本も多くの経済協力や技術協力を行ってきました。


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