10月3日、今日は父島へ帰る日だ。といっても、午後2時の出発だから、まだ時間がある。わたしは、飲料水と紙とペンを持って、石次郎海岸に出かけた。石次郎海岸では二人の女の子たちが泳いでいた。彼女たちもわたしと同じ船で母島に来て、わたしと同じ船で父島へ帰るのだった。特に話をしたわけでもないが、狭い村なのですぐにわかる。とりあえず、挨拶だけして腰を降ろした。
やがて、女の子たちも消え、浜には誰もいなくなった。波と砂浜の他には何もない。波は寄せては返し、単調な波音が響いている。わたしの他にはヤドカリがいるだけだ。このヤドカリも天然記念物だったような気がする。アフリカマイマイという不気味なカタツムリの抜け殻に宿を借りている。持ち上げると、手足を殻の中に引っ込める。チョンチョンと叩いてみる。「シッシッシッ」と鳴く。またチョンチョンと叩いてみる。また「シッシッシ」と鳴く。面白い生き物だ。
急に雨が降ってきた。小笠原諸島ではスコールはいつ来るか分からない。わたしは岩陰に座り込み、父島行きの船の時間まで母島の印象をメモすることにした。
人口400人程度の小さな島。山は赤土で覆われ、浜辺には石ころがゴロゴロしている。島に上陸すると、日本式のあまり美しくない、見慣れた建築物が目に飛び込んでくる。日本の田舎にいるのと変わらない感じがする。島民の観光客への視線は一様に冷たい。水着で表を歩いてはいけない。上半身裸で表を歩いてはいけない。一人で泳ぎに行ってはいけない。など事細かに日本らしく口うるさい規則が並ぶ。島民にしてみれば、普通に生活しているところに観光客がやってきて、騒がれるのは迷惑なことなのだろう。開放感を求める観光客にとっては、海外のほうが遥かに開放的で、移動時間も短く、費用も安い。それでも、島には「空港建設一致団結」の垂れ幕が下がる。なんと皮肉なことだろう。多くの観光客が利用してくれなければ、空港の採算は成り立たないのだ。

島の最大の産業は公共事業だという。人々は自分たちのために道路を作り、金をもらって生活している。金は東京都から出ている。もちろん400人だけの力で、これだけ立派な社会資本を整備することはできない。複雑な環境だ。人は、いったい何のために生きているのだろう。都会では忘れかけた、そんな基本的な疑問を、思い出させてくれる環境がここにはある。何もない。何もないから、そんな疑問が際立つのかも知れない。多くのものがあれば、人々はそれを追いかけるのに夢中で、生きる意味さえ考えることはない。それにしても、人口400人の内地から1000kmも離れた島に立派な舗装道路を作り、発電所を作り、電話を引く。日本はなんと豊な国だろう。

母島では、誰に会っても挨拶をしていた。島の人口は400人、取りあえず非礼のないようにと挨拶をした。この島では、自然とそんな気持ちになる。我々は子供の頃から挨拶をしなさいと言われて挨拶をする習慣を身につけるものだ。しかし、挨拶の本当の意味を考えたことがあるだろうか。挨拶とは、実は自分の身を守るためのものだったのだ。今日、内地では全然知らない人に対して挨拶をしたりはしない。逆に挨拶をすれば、怪しまれるだろう。それでは、日本語の通じない海外で一人取り残されたとしよう。そこに面識の無い日本人がいたとしたらどうだろうか。あなたは挨拶をするだろう。我々が普段、挨拶をしないのは、相手に助けを求める必要がないからなのだ。圧倒的な自然の前に人は無力だ。昔の人々は協力し合わなければ生きていくことができなかったのだ。挨拶をして自分を仲間に入れてもらうことは、いざというときに助けてもらうことを保証するものなのだ。この島では山で迷っても、海で溺れても、あるいは病気になっても、容易に他人の助けが必要となるのだ。どこでも死ねるほど、自然は手付かずで荒々しいのだ。
