ここで、紀行を終えてもいいのだが、もう少しだけ書いてみよう。
浜町町駅についた。さて、今日はどこに泊まろう。誰かが浅草に安いカプセルホテルがあると言っていた。電話帳で最寄り駅を調べたが、カプセルだから予約をするのも変だ。最寄り駅までいって、人に道を聞きながら行くと、宿はほどなく見つかった。
値段は確かに安い。エレベーターの張り紙には「TV料金箱盗難最強監視」と書かれている。盗難が絶えないのだろう。自分のカプセルまで辿り着いた。よくある積み木を積み重ねたようなモダンなカプセルではなくて、一部屋、一部屋がコンクリートで壁が仕切られている。日本で最古のカプセルホテルかも知れないな。そう思いながら中を覗いてみる。入り口はコンクリートの横穴よりもさらに小さく、アコーディオンカーテンが取り付けられている。入ってみると、中は薄暗く、動物が寝床する洞穴のようなものだ。入り口の狭さが、その印象をさらに強める。
荷物を押し込み、風呂に行くことにする。風呂場近くにはコイン式の洗濯機と乾燥機が置いてあり、ひっきりなしに回っている。ここで生活している人もいるのだろう。風呂の扉には「浴槽内、糞尿絶対禁止」と書いた紙が張ってある。浴室内に入ると、古めかしい設備の浴槽がある。蛇口には、長年の間に白い化合物が付着している。シャワーの放水柄がすべて違う。壊れる度にひとつづつ修理していったのだろう。何故か一人の男が、入り口の扉の近くに目を瞑って座っている。誰かが下手に扉を開けると、その男に当たりそうになる。その度に男は怒鳴っている。きっと怒鳴りたくて、そこに座っているのだろう。
都会の安宿には、それに似合う人々が集まる。帰る場所もないか、その日暮しの男達だ。いや、この宿には女達も泊まれるらしい。ロビーでは人々が備え付けの自動販売機でカップラーメンを買い、てんでに座って啜っている。彼らにとっては、これが世界なのだ。他にどうしようもないと思っているのだろう。彼らは幸せなのだろうか。すべてが薄暗く、色は力を失い、灰色の中に同化している。光り輝く小笠原の色に溢れた風景との対照はどうだろう。これが同じ世界とも思えない。
10月7日、朝から友人に連絡をつけ、今夜は泊めてもらうことにした。友人は居酒屋に勤めている。夜遅くの待ち合わせになった。まだ時間はたっぷりある。とりあえず、浅草観光でもしておこう。ふらりと浅草寺へと足を向けてみた。境内では、韓国人の観光客が鳩に豆をやっている。豆を買った瞬間から、鳩たちが集まり、豆を手に持てば、鳩たちが身体中に乗っかってくる。鳩で覆われて観光客は顔しか見えなくなっている。素晴らしい。鳩たちは、韓国人であっても、まったく区別しないのだ。考え見れば当たり前のことだ。鳩たちは豆を沢山くれる人が好きなのだ。寺は浄財を沢山くれる人が好きなのだ。参道の商店街はお土産を沢山買ってくれる人が好きなのだ。なんだ、人間も鳩並に自然に生きているではないか。だが、他の多くの面では、人は区別する。生まれた国が違うとか、ついているとかいないとか、身なり格好がどうのこうのと。もっと、鳩を見習うべきだな。参道で黒い猫が近づいてきた。ファーストフードで買ったハンバーガーの匂いにでも惹かれたのだろうか。パンをちぎって投げてやったが、見向きもしない。欲のないことだ。

友人の居酒屋は川崎にあるらしい。他にすることもないので、早めに川崎に移動した。川崎も、多くの人の知っているとおり、柄の悪い街である。駅前には、することもないおじさんたちが、たむろして座っている。近くの図書館に行った。暇なおじさんたちはここにも溢れている。館内には「置き引き注意」の張り紙がある。座る所のない人達が右往左往している。もっとも、この図書館は座る場所などほとんどないのだ。図書館員は、そのへんに座り込んでいる人を見つけては、座る場所もないのに、立たせてまわっている。座っている子供は立っている大人たちに軽蔑の一瞥を投げつけ、また本に目を落とす。これが素敵な世界だろうか。
夜遅く、待ち合わせの時間になったので、居酒屋の出口で友人を待つ。友人の勤めているのは少し高級な居酒屋らしい。昼間のおじさんたちとは対照的にきれいに着飾った人々が宴を終えて帰っていく。どの人の顔にも笑みがこぼれている。恋人たちはくっついて歩き、人前でキスを交わしながら歩いていく。いかにも幸せそうだ。将来を保証された安泰な生活。人々は他人と同じような幸せを求め、それが幸せだと信じて生きている。彼らにとっては、これが世界なのだ。10年前、わたしもここに住んでいた。同じように生きていた自分の姿がオーバーラップする。だが、今のわたしには、それが薄氷のように薄っぺらく、真実を知らない幸せのように思えてしまうのだった。
振り返ってみれば、少し旅をしただけでも、多くの世界を見ることができることに驚かされる。実にさまざまな世界があるものだ。何が良いわけでも、悪いわけでもないだろう。人々はその世界を求めて、そこにいるのだ。何を選択するのも自由だし、どのような世界を創造するのも自由なのだ。それでも、多くの人々にとって、世界とは創造の対象ではなく、主観的な認識にしかすぎないのではないだろうか。そんなことを考えながら、この紀行は終わっていくのであった。
ジャンジャン
終わりじゃ、終わり。
紀行はこれで、ぜ〜んぶ終わり。
これ、まじに全部読んだ人いるのぉ〜?
信じられん、何でそんなことができるんじゃ(笑)
というわけで、読み終えた方は、どうも、お疲れ様でしたぁ(^^)
さっそく、ゆたかに感想メールを送りましょう(^^;
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