10月2日、前日、疲れて早く眠ったので、朝の4時くらいに目が覚めた。ベランダに出ると空には星が輝いている。内地から1000Km離れた孤島で見る夜空は美しい。村には、いたるところに街灯が灯り、人々は自宅の室外灯さえも消そうとはしない。まるで闇を恐れるかのように、晧晧と明かりを灯す。真っ暗な世界で、明かりを消せば、人間が生きていることを感じさせるものは、何もなくなるだろう。明かりは、人々が生きていることを主張するものなのだ。せっかくの星空なのだが、村の人々はそんなことは、気にもとめないようだ。
朝食までにはまだ時間がある。わたしは宿をこっそり抜け出した。夜の桟橋にはオレンジ色の明かりが灯り、これがまた随分と明るい。白みはじめた空に星々が消えはじめ、あたりは青白い薄明かりに包まれる。灯台が静かに点滅している。歩いている人が一人、近づいてくる。この人も400人のうちの一人なのだと思いつつ、とりあえず挨拶を交わす。

朝焼けの見える場所を探して、山のほうに登ってみる。歩いて回る母島は目茶苦茶しんどい。御幸の浜まで片道30分を歩いてみる。看板にしたがって行ったつもりが、道を間違えて畑の中についてしまった。思わず「なんだこれ!」と叫ぶと、近くのビニールハウスから不審げな顔をして農家のおばさんが顔を出した。「なんですか?」冷たい視線に耐えて、御幸の浜への道を聞く。そこから更に、上がったり下がったりしながら、やっと御幸の浜に辿り着く。どうやら、ここからでは朝焼けは見えないようだ。茶褐色の岩肌を赤い蟹が這い回っている。夜明けの御幸の浜をさんざん眺めた後、また重たい身体を引きずって宿まで帰ることにした。朝の村には、ハイビスカスが開き終わったばかりの美しい花を咲かせている。また、こっそりと宿に戻り、ベッドにすべり込んだ。

朝食を済ませ、またベッドで一眠りした後、近くにある乳房山に登ることにした。遊歩道を歩いていけば一周3時間ほどで周れるらしい。頂上まで3kmと書いた看板を後にして、どんどんと登っていく。連日の泳ぎで疲れた体に、登山はきつい、目茶苦茶きつい。登りはじめてすぐに、何度も引き返そうかと思った。少し登るたびに息が切れる。かなりの急勾配だ。連日の泳ぎと歩き回りで足はガクガクである。何度も休憩しながら、少しづつ登っていく。

どうして人は苦しいと分かっていながら、山などに登ろうと思うのだろう。そう真剣に考えたとき、あるインスピレーションが訪れた。「生きるのと同じではないか」「いつもと同じことをやっているだけではないか」そうなのだ、人は苦しいことがあると分かっていながら、生まれてくるのだ。そして、生きているのだ。いまさら、何を馬鹿なことを自問しているのだろう。登山の目的は山頂を極めること、つまり達成感ということだろうか、ならば人生の目的も同じとすれば、達成とはどういう意味なのだろうか。

登っていくちに、旧日本軍が掘ったという塹壕が現れた。くねくねとあちこちに続き、果てしなく長い。敵が上陸してきたら、この塹壕にこもって闘うつもりだったのだろう。島には、この他にもトーチカであるとか、大きな照明設備の残骸などが残されている。それらを見ていると、戦争の力というものがどれほど凄まじいかを実感させられる。これほどの作業を人手でやってしまうというのは、どれほど大変なことであっただろう。
ゆっくりと登っていくと、あたりにはガジュマルなどの亜熱帯の植物が絡み合い、シダ植物が茂った風景へと変わっていく。突然、開けた場所に出た。まだまだ頂上には距離がありそうだが、とても美しい風景だ。南北に長い島の南端が遥かに見渡せる。

さらに登っていくと、山の尾根を登っていくような道になる。山幅はどんどん細くなり、ついには道幅と同じになる。恐い。まじに恐い。一歩間違うと、落っこちてしまいそうだ。しかも、見下ろせば遥かに下まで続く崖は、海まで繋がっている。進むにつれて、道は次第に植物たちに覆われて明瞭でなくなってくる。植物を押し分けながら、道とも思えない道を、さらに進む。
山頂近く、美しい花が咲いている。人もほとんど通らないのにご苦労なことだ。そう考えると、いつも人の目を気にして成り立っている価値観に慣れていることに気づく。彼らは誰かに見られるために咲いているのではなくて、ただ咲きたいから咲いているのだ。道端には恐竜時代を思わせるような植物が茂っており、黒や緑のトカゲが遊んでいる。
ついに、頂上まで辿り着いた。ふもとからここまで、誰一人として出会うことはなかった。頂上からの景色は格別だが、どうも、さっき見た景色のほうがきれいなようだ。

帰り道、大きなガジュマルに出会う。都会では小さな鉢に入ったかわいらしいガジュマルを売っているが、それがこんなに大きくなると知っていたら、誰も買わないだろう。もともと防風林として移植された植物らしいが、いまではあちこちで野性化して、まるですべてを覆い尽くすかのように、その触手を広げている。恐るべきガジュマル。道はガジュマルのトンネルを抜けて続いている。もともとあった道をガジュマルが覆ってしまったのだろうか。別の場所では戦前の旧民家をガジュマルがすべて飲み込んでしまっていた。

サボテンのような葉っぱが乱立する場所を抜けて、ふもとの村にまた帰ってきた。観光ガイドには一周3時間と書かれていたはずだが、実際には5時間程度かかっていた。またまた、足のガクガク加減が増したようだ。
宿に戻り、時計を見ると午後4時だ。夕食までには、まだ時間がある。わたしは近くの石次郎海岸で泳ごうと考えた。よくも、そんな気力があるもんだ。自分でも呆れる。またまた、えっちら、おっちらと坂道を登っていく。石次郎海岸に降りる入り口の前まで来ると、工事中らしく、鉄骨が積まれている。うむ、どうしたものか。御幸の浜の隣には南京浜というのがあるらしい。行ったことはないのだが、旧名をココナッツビーチと呼ぶらしい。なんとも、泳ぎたくなるような名前ではないか。わたしは南京浜までいくことにした。
南京浜は、御幸の浜よりもさらに遠い。また汗をだらだらと流しながら坂道を上ったり下ったりしながら道標にしたがって歩いていく。南京浜の近くまできた。道がない。ガビーン。どうやら誰も来ないので道らしい道がなくなっているらしい。草と木を押し倒しながら、なんとか南京浜まで降りた。浜幅3m。岩と岩に囲まれた、なんとも素晴らしいビーチではないか。御幸の浜よりもさらに大きな石がごろごろしていて、とても海に入りにくそうだ。波が寄せるたびに石が転がる音がゴロゴロと鳴る。なんで、ココナッツビーチのような素敵な名前を付けるんだ。泳ぎやすい素敵なビーチと勘違いしてしまったではないか。
さっそく、水着に着替えて海に入ろうとする。波は激しく荒い。まじに荒い。一度、沖に出たら、とても帰ってこれそうもない。帰ってきても、波で揺れている頭ほどもある大きな石ころに頭をぶつけてしまうかも知れない。大きな石ころに捕まって、何とか波に流されないようにするだけで精いっぱいだ。その間にも石がゴンゴンとわたしの身体を殴る。しかたないので泳ぐのは諦めて、そこで風呂につかるように海水に浸かるだけ浸かった。そう、この島では自分の命は自分で守らなければならないのだ。
はたして、疲れるだけの南京浜を後にして、また長い帰り道を歩きはじめた。だんだんと暗くなってきたころ、後ろからやってきたトラクターが少し前で止まる。運転席には、ずいぶんと年取った爺さんが乗っている。「乗ってくかね?」と言うので、ありがたく荷台に乗せてもらった。宿まではまだ一山超えなければならないのだった。強烈な排気ガスの匂いの中、トラクターはガタガタと進む。街まで乗せてもらい、礼を言って別れた。年からして、戦前から住んでいるのだろう。親切な人もいるようだ。