YUJI * STORY 8
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ピースの調査ノートYUJIのお友達コーナー
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ピース

ピース 「憲九郎くん、こんなになるまで放っておいてごめんね。これからは私たち、もっとよく考えなくちゃ。でも、ひとつだけききたいこ とがあるの。憲九郎くんが言っているのは、自分の国が攻撃されそうなときは武力でたたかうけど、それ以外はだめっていうこと? それとも、 どんなときも武力でたたかっちゃだめっていうこと?」

憲九郎 「そうだね、じゃあ、ぼくが生まれたときの話からしようかな。」

「うん、憲九郎くんはどうやって生まれたの? 」

「ぼくが生まれるもとになったのは、アメリカで作って日本に送ってきた『日本の統治体制の改革』 と、日本にいたマッカーサー元帥が 提案した『マッカーサー三原則』 との二つなんだ。もし、よくいわれるようにアメリカが日本に軍隊を持たせずに骨抜きにしようと思ったのなら『日本の統治・・・』のほうに軍の廃止がうたわれて いそうなものだけど、実はここにはそういう指示はなくて、『軍部支配の復活を防止するための改革』が指示されていただけだったんだよ。」

憲九郎

「へえ。じゃあ、軍隊を持たないっていうのはマッカーサーさんの考えなの?」

「そこがおもしろいところなんだけど、実はマッカーサーにそれを提案した人が、別にいたんだ。 その前に、『マッカーサー三原則』には、なんて書いてあると思う?」

「あ、それってもしかして、私の疑問への答ね。うーん、アメリカ本国が軍隊をなくすって考えていなかったくらいだから、 自衛のための軍隊はOK.かな。」

「残念でした! 『マッカーサー三原則』にははっきりと、『自己の安全を維持するための手段としての戦争をも放棄する。日本はその防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇 高な理念に委ねる。日本は陸海空軍を持つ機能を持たず、交戦権が与えられることもない。』 と書かれているんだよ。これは、自衛のための軍備も持たないという意味だね。」

「ええーっ。そんなにはっきり書いてあるの? それじゃあ憲九郎くんの言う意味がどっちかは、はっきりしているんだね。」

「うん、そうなんだ。で、これが押し付けかどうかの話なんだけど、興味ある?」

「あるある。さっき、提案した人は別にいるっていったよね。その人はなにもの?」

「それは、幣原(しではら)喜重郎という日本の首相だよ。この人の意見が、『マッカーサー三原則』につながったらしいんだ。 以前から、言い出したのはマッカーサーか幣原かで議論になっていたんだけど、憲法調査会というところでよく調査したら、 どうやら幣原だということがはっきりしたんだよ。」

「じゃあ、日本人の意見だったのか。でもどうして自分の国を守る軍備まで放棄するといいだしたのかな。」

「幣原氏のことを研究した本には大体こんなことが書いてあるんだ。 『幣原氏は平和外交を展開し、日本も不戦条約に調印した。しかし日本は自衛のためと称して戦争をやってしまった。満州事変さえ自衛のための措置と理由付けられた。侵 略戦争と自衛戦争とを事前に区別して、自衛のためだという言い訳を見破ることは不可能だという、その苦い経験から、失敗を繰り返さないように抜け穴をふさいだのだろう。』
  自衛のためならいいとしてしまえば、戦争を始めるときには理由をつけて、自衛のためという体裁にするよね。満州事変なんて、自分 で鉄道を爆破しておいて、やられたっていって始まったんだもの。だから、自衛という抜け穴を残せばけっきょく戦争は防げないと考えたんだね。」

憲九郎

「そうだったのか。でも、自衛のための武力も持たないなんて、思い切った発想だね。」

「そうだね。自分で言うのもくちはばったいけど、新しいよね。挑戦といってもいいと思うよ。」

「不安だという人の気持ちも、ちょっとわかるな。」

「ぼくもわかるよ。ぼくがいっているのは、『こうすれば日本は攻められないよ』っていう保証じゃないからね。『こういう方向に進んでいこうと決意 する』 『これが平和を守れる方法だと信じてやり遂げる』っていうことだから。」

「でもね、考えてみて。軍備で人々を守るという発想でいくと、どうなるか。 軍備で守るためには、常にほかの国の軍備に気を配って、それに対応できるだけのものを用意しておかなければだめだよね。人々が働いて手 にした糧を、税金としてたくさん吸い上げて、そうした軍備を用意し続けるやり方は、どんな未来に行き着くだろう。世界中の国々が、そうしてエネ ルギーを費やし続ける先には、どんな未来が待っているだろう。それは、目指したい未来だろうか。」

「うーん・・・。もう地球上のものはなんでも、無駄遣いしないで大切に使わなきゃいけないんだよね。みんなが軍備を増やしてきりがないより、 みんなでやめることで平和になりたいなあ。それに、軍備を持つことだって、日本が攻められないという保証にはならないんじゃないかな。」

「全くそのとおりだね。軍備だって保証にはならない。それともうひとつ。いま、日本の政府は、ぼくが自衛のための最小限の軍備はいいっていってることにして物事をすすめているけど、やっ ぱりおかしなことになってきているよ。たとえば、『人間が行って戦うと海外派兵だからだめだけど、ミサイルが飛んでいくのは憲法違反じゃない』 とか、『核兵器だって小型なら憲法違反じゃない』 とか、『徴兵制は憲法違反じゃない』とか。 自衛のためっていえばなんでもありに、やっぱ りなることが示されているんじゃないかな。」

先制攻撃も防衛のうち、みたいなこといってたもんね。」

「うん、こんな感じで歯止めなく自衛の意味が拡大していくに違いないよ。だって、これじゃ防衛庁が発表している『防衛政策基本方針』をさえ無視しているからね。 だから、幣原首相の考えたことを思い起こして、最低でもこれ以上自衛の意味を広げないようにすることがとても重要だと思うんだ。」

ピース

「うん。それが憲九郎くんを守ることにつながるんだね。そうそう、私、憲九郎くんのいうことを勝手に捻じ曲げる人たちに抗議しようと思うんだ。だって、 ただのオジサンとしての発言じゃないんだよ。政府首脳なんだから。責任重大なんだよ。やめてもらわなきゃいけないくらいだよね。」

「うん、それやろうよ。ぼくも、ぼくはそんなこといってないって、ぜひみんなにわかって欲しいよ。それから・・・・、ぼくを守るっていう話なんだけどさ、実はぼく、守るより鍛えて欲しいんだな。」

「え? 憲九郎くんって、筋肉質にあこがれてたの?」

「・・・・そうじゃなくて。 あのね、手を触れては行けない、神聖なものみたいに飾っておくんじゃなくて、いろいろ疑問をぶつけて、話し合ったり 考えたりして欲しいんだ。『本当に憲九郎で大丈夫なのか』 とか、『どうしたら大丈夫になれるだろう』 とか、『ほかの国と交渉するとき、憲九郎は どんな役割を果たせるかな』 とか、いろいろね。その前提として、『できれば戦争はしたくない。世界中から軍備がなくなれば一番いい。』 と いう思いがあれば、ぼくは鍛えられるたびに、逆境でもへこたれない強さを手に入れられると思うんだ。」

「ふうーん。そうかあ。 私は、そうだなあ、憲九郎くんの仲間をほかの国にもつくっていったらどうなるか、できそうかどうか考えたいなあ。」

「そうそう、そういう感じ。そうして鍛えられて、ぼくはうんと強くなるよ。そして、戦争をしようとする人がおかしなことをいったりしたりしたらすぐにでてい って、日本の人々が望んでいないことをするのをやめさせるよ。ぼくは、呼ばれたらすぐに駆けつけるから。どんなときも、ぼくがいることを忘れないで。」

「うん、憲九郎くん、ありがとう。 憲九郎くんの力の源は、私たちだったんだね。 私たちが憲九郎くんを強くするんだね。そうだったのか。 これからもいろんなこと考えるから、ずっと一緒に歩いていこうね。」






幣原はなぜ軍事全廃をかかげたか
 「幣原氏がワシントン軍縮会議以来、終始一貫して、日本が締結した国際条約を守ることを主張し、満州事変をはじめとする条約に違反した戦争に反対し、 日本の資本主義を平和の中で発展させようとし、そのために満州事変以来、戦後の追放などとうてい比較にならない文字通り”獄中15年”に近い境遇に押しこめられていたことは、 もはや誰もよく知っている事実である」
 「それと同時に、幣原氏は、政治、外交の専門家として、不戦条約の日本におけるいたましい運命、外務省が満州事変を自衛のための措置と弁明することを、たとえ詭弁の一種としてでも 許すような不戦条約の歴史的解釈の抜け穴に深く打たれたにちがいない。侵略戦争と自衛戦争とは、概念模型(イデアル・ティプス)としては区別できても、現実の政治的事件としては、 区別することがはなはだむつかしい。いわんや事前に区別して、自衛戦争への口実化をふせぐなどということはとうてい不可能なのである。」
(久野収著 「憲法第9条の思想」1962年、筑摩叢書『憲法の論理』所収)

 幣原喜重郎が「平和外交」を展開したのは、1921年のワシントン軍縮会議から1930年のロンドン軍縮会議までのほぼ10年間で、不戦条約の成立は1928年8月であった。(中略) 「戦争放棄ニ関スル条約」と副題された不戦条約に加わっていた日本は、そのために中国で「自衛」と称して戦線を拡大する毎に、「戦争」とは呼ばずに「事変」と呼んだのであろう。 そして幣原外交はそうした「事変」によって挫折させられたのであった。
(伊藤成彦 「憲法9条はどこから来たのか」1997年、9条連発行『第九条が輝く21世紀を』)

  幣原喜重郎http://www.britannica.co.jp/search/item?rgid=05115500

 9条連http://9joren.net/





不戦条約
 1928年8月27日、パリにて条約締結。
「戦争放棄に関する条約」、パリ条約、ブリアン・ケロッグ条約とも。
米、仏、英、独、日、伊、ソを含む15ケ国。38年末までには64ケ国。
第1条
 締約国は国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし、かつ、その相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言す。

条約全文 http://duplex.tripod.co.jp/joyaku/js04-1.htm

資料 戦争違法化への歩み、憲法9条の解釈
http://www.ksky.ne.jp/~sensoten/shiryo2.htm





(旧)憲法調査会
1957年7月、岸信介内閣で発足した憲法調査会(高柳賢三会長)
最初は国会への設置を提案したが、野党第一党の社会党が強く反発したことから内閣に設置。

高柳氏の見解
 「憲法第九条は、連合国が日本非武装化政策を新憲法に定めることによって、これを永久化しようとするのではないか、と素朴的に考えていた」
「(憲法)調査会における大多数の参考人は、幣原ではなかろうマ元帥だと陳述したが、青木得三、長谷部忠など少数の参考人は幣原だと陳述した。 そこで念のため、わたしからマ元帥にこの点をたしかめたが、マ元帥は従来の言明どおり、幣原だとハッキリと述べ、かつ右に述べたようなそのときの状況をつけ加えた。」
「調査会の集めえたすべての証拠を総合的に熟視してみて、わたしは幣原首相の提案と見るのが正しいのではないかという結論に達している。」
(高柳賢三 『天皇・憲法第九条』1963年、有紀書房)
 
マッカーサー氏の証言
「日本の首相が私の所にやって来て、幣原氏は言ったのです。『私は長い間熟慮して、確信しました』――彼は非常に賢い老人で、最近亡くなりましたが―― 『長い間熟慮して、この問題の唯一の解決は、戦争を無くすことだという確信に至りました』と。彼はいいました。 『私は非常にためらいながら、軍人であるあなたのもとにこの問題の相談に来ました。何故ならあなたは私の提案を受け入れないだろうと思っているからです。しかし』 と、彼は言いました。
『私は今起草している憲法の中に、そういう条項を入れる努力をしたいのです』と。
それで私はおもわず立ち上がり、この老人の両手を握って、それらは取られ得る最高に建設的な考えの一つだと思う、といいました。私は彼にこうも言いました。 ――世界があなたを嘲笑うことは十分にあり得ることです。ご存知のように、今は栄光をさげすむ時代、シニカルな時代なので、彼らはその考えを受け入れようとは しないでしょう。その考えは嘲りの的となることでしょう。その考えを押し通すには大変な道徳的なスタミナを要することでしょう。そして最終的には彼らは現状を 守ることは出来ないでしょうが。こうして私は彼を励まし、日本人はこの条項を憲法に書き入れたのです。そしてその憲法の中に何か一つでも日本の民衆の一般的な 感情に訴える条項があったとすれば、それはこの条項でした。」
(アメリカ上院軍事・外交合同委員会聴聞会記録、1951年5月5日)



安倍内閣官房副長官の、2002年5月3日早稲田大学での講演

(2002年6月9日 サンデー毎日 から)
「攻撃に着手したのは攻撃と見なしますから、いわゆる発射しますよと、日本に(ミサイルを)向けているというのが明々白々になりますよね。 明々白々になって、これ撃ちますよというときには、一応ここで攻撃を、座して死を待つべきではないと言ってですね、その答弁は確立しているんですね。 この基地をたたくことはできるんです、憲法上ですね。
「法制局的にはですね、ミサイルが、憲法との関係ではこのミサイルが発射されようとしたら、そこに日本がミサイルでビョーンと撃つのはいいんですが、 これに人が乗ってはいけないんです。人がいたら、これ派兵になるので、派兵は海外での武力行使になるからいけない」
「ああ、大陸間弾道弾はですね、その、憲法上はですね、憲法上は問題ではない。」
「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね。」



防衛庁の「防衛政策基本方針」にも、非核三原則の堅持はうたわれている

1 国防の基本方針
  わが国が憲法の下で進めている防衛政策は、1957年(昭和32年)5月に国防会議及び閣議で決定された「国防の基本方針」にその基礎を置いています。

2 その他の基本方針
  この「国防の基本方針」を受けて、これまでわが国は、憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならないとの基本理 念に従い、日米安保体制を堅持するとともに、文民統制を確保し、非核三原則を守りつつ、節度ある防衛力を自主的に整備してきています。

(3)非核三原則の堅持
 非核三原則とは、核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずという原則を指し、わが国は国是としてこれを堅持しています。
  なお、核兵器の製造・保有は、原子力基本法の規定の上からも禁止されています。さらに、1976年(昭和51年)に批准した核兵器の不拡散に 関する条約により、わが国は非核兵器国として、核兵器を製造しない、取得しないなどの義務を負っています。

3 わが国の防衛体制及び自衛隊の行動の制約
(5)核兵器等保有の否定
 わが国は非核三原則を国是としており、政策上、核兵器は保有しません。また、核兵器以外にも化学兵器、生物兵器等、大量破壊兵器は保有しません。

(以上、防衛政策基本方針から)
http://www.jda.go.jp/j/defense/policy/basic.htm




1999年には、核武装発言で 西村真悟防衛政務次官は更迭された。

  小渕首相は二十日午後、雑誌の対談で核武装の必要性などに言及した自由党の西村真悟防衛政務次官を更迭し、後任に同じ自由党から西川 太一郎衆院議員を任命した。この後、首相は、「このような事態になり誠に残念であり、国民のみなさんに深くおわびする」と陳謝の談話を発表した。(中略)
  首相が西村氏を更迭したのは、西村氏の発言に対して野党だけでなく与党からも「日本の核兵器の保有を禁じた政府の非核三原則に反するもの だ」と不適切さを指摘する声が相次ぎ、このままでは臨時国会の審議にも響きかねないと判断したためだ。(中略)
  また、青木官房長官は同日の記者会見で、「非核三原則は国是として堅持しており、今後も変わりない」と強調した。(中略)

http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/digi/abni/abni5g2.htm






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※ 各記事のタイトル、及び強調文字などの装飾は、吉田まきこが編集時に付けています。
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