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目次



ラテンアメリカから世界ヘ

1.カルロス・ゴーン
2.ルベン・ブラデス
3.チェ・ゲバラ
4.アレックス・ロドリーゲス
5.チラベルト
6.ヒクソン・グレイシー
7.リョウト


ラテンアメリカの基礎知識

1.ラテンアメリカ総論
2.ラテンアメリカの言語
3.ラテンアメリカ文化
4.ラテンアメリカの料理


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2003年2月25日作成










関連サイト
1.ルベン・ブラデス「メティエンド・マーノ」

2.「ブスカンド・アメリカ」 ルベン・ブラデス

3. ルベン・ブラデスの映画

4. ハ−ヴェストカフェ サルサ〜ルベン・ブラデス ..

5. Samurai Latino Web: SPOTLIGHT


6. Ruben Blades Official Site

7.Ruben Blades, Filmography, Awards, Biography
ルベン・ブラデス
〜パナマの天才マルチミュージシャン〜


Ruben Blades
ルベン・ブラデス

1948年7月16日パナマ生まれ。
1974年 パナマ国立大学法学部卒業
1985年 米ハーバード大学ロースクール卒業

サルサ歌手、作曲家
ハリウッド映画俳優
弁護士、政治家

ラテン音楽アルバム20本
グラミー賞受賞4度
映画出演26本
1993年パパエゴロ党の党首
1994年パナマ大統領選挙に出馬
   参戦した27党中第三位
2000年人種問題の国連親善大使




多彩な才能をもつ思想家ルベン・ブラデス

 パナマから一人の思想家が世界に声を張り上げた。その名はルベン・ブラデス。彼はパナマの下町に生まれ育ち、ギターをかき鳴らしながら社会の矛盾を訴え、そして人生に希望を求める。彼の歌にはメッセージがあった。彼のサルサにはラテン社会の現実があり、そして夢への挑戦があった。
彼にとって音楽はメッセージを伝える手段に過ぎない。彼は自然を愛し、人間を愛し、そしてパナマの下町でサルサを踊ることを愛する庶民の代表だ。

 彼は庶民の夢を世界の桧舞台にもっていこうとした。パナマ大学で法律を学び、弁護士となり、そしてアメリカのハーバード大学まででている。下町育ちのラテン人がここまで頑張れたのはなにが原動力なのだろうか。 確かに彼にはリーダーとなる天才的な能力があった。そしてラテン人としての誇りがあった。しかし、さらに大きなものはパナマの社会に対する愛国心と使命感なのではないか。

しかし、彼の音楽の血はだまってはいなかった。ニューヨークのラテン音楽界でブレイクし、グラミー賞を受賞。サルサのスーパースターとなる。そして彼の高い理想は、ハリウッド映画への道も開いてしまった。
 ロバート・レッドフォードが監督した名作「ミラグロ」では、準主役の保安官役を演じ、一躍俳優としても注目を集めるようになり、その勢いで、1986年の映画「クロス・オーバー・ドリームス」では、ついに主役の座を獲得。10本以上の映画に出演。脚本も手がける。

 1993年にパナマにて、社会平等と平和、自然保護を看板とする政党「パパ・エゴロ」党を立上げ党首となる。そしてその翌年パナマ大統領選挙に立候補、庶民の広い支持を得て、第1候補の銀行家トロ・バジャダレスを激しく追い上げながらも夢はかなわなかった。その後彼はハリウッドに戻り、俳優業を続けながら自分のパパ・エゴロ党を支えていたが、とうとうその党も他の政治家に乗っ取られるなどの結末を見た。

 しかし、彼の歌は枯れない。作曲家として歌を作り、そしてラテン社会へのノスタルジアを歌う。彼はラテン人の悩みと驚き、そして希望を歌にすることのできるメッセンジャーなのだ。
 そして彼はパナマに帰りパナマ社会のために働くことを考えている。


ラテン音楽のスーパースター

   サルサ界から世界に打って出たスーパースター、ルベン・ブラデスはパナマ生まれ。 NYに出てまずソング・ライターとしてスタートする傍ら、レイ・バレットのオルケスタなどで歌手をつとめる。「レイ・バレット・ライブ−トゥモロウ」でのティト・ゴメスとの「グァラレ」や「バン・バン・ケレ」等の名唱を残しているが、彼に「ギターをかついだ渡り鳥」風のファースト・ソロ・アルバムがあることはあまり知られていない。


   彼の名声が一気に上がるのはウィリー・コローンとのコンビ以降である。以来、コローンの得意とするトロンバンガ・サウンドが彼とのコンビ解消以降もルベーンのトレード・マークとなる。実質上のデビューとなった「メティエンド・マノ」は、そのポップなサウンドとはうらはらに日本のサルサファンにはおなじみの(?)「パブロ・プエブロ」等厳しいスパニッシュ・ハーレム”バリオ ”の現実をも映しだしている。
 次作の「シエンブラ」が彼の人気を絶対的なものにする。特に「ペドロ・ナバーハ」の大ヒットはNYのみならず汎カリブ的なヒットになった。同時に「プラスティコ」「シエンブラ」等のメッセージ・ソングも含む大作であり、この辺りのメッセージは満を持してリリースされたドラマ・アルバム「マエストラ・ビーダ」に結実している。しかし、次作「カンシオネス・デル・ソラール・デ・ロス・アブリドズ」では、ネタを出し尽くしたのか小粒な作品となっている。
 当時のファニアはボクシングと映画にも手を出しており、そんな折にルベーン主演のB級映画「ラスト・ファイト」が制作されている。その映画と同時リリースとなった(サントラではない)「ラスト・ファイト」、映画の方はどうしようもなかったが、特に8分に及ぶ大作「ジョ・プエドビビール・デル・アモール」やボビー・ロドリゲスに書いたものをリメイクした「ホワット・ハプンド」等、こちらの音はなかなか見事な出来である。しかし、ウィリー・コローンとのコンビもこのあたりまで。これを最後にコンビを解消する。このあとファニアには「レル・ケ・アセ・ラ・パガ」を残しているが中途半端な出来となっている。
 '84年ルベーンはメジャーのエレクトラに移籍、ホーンレスのバンド、セイス・デル・ソラールでメジャー市場に進出する。記念すべきその第一作「ブスカンド・アメリカ」はまだまだ指向錯誤のあとが生々しいが、名曲「トドス・ブエルベン」はその後、彼主演の映画「クロスオーバー・ドリーム」(サントラ)のテーマとなり元祖のビルヒリオ・マルティと共演する。  2作目「エセーナス」ではそのホーンレス路線がほぼ確立されている。前作であった バイブは姿を消し、シンセサイザーがメロディを押さえている。ドラムスがロック色を強めており、ラスト・ナンバーの「ムエベテ」はディスコ向けで英語バージョンも出た。
 3作目「アグア・デ・ルナ」は既に安定成長型の音になっており、一定水準の音とバジュナータへの挑戦等の試みはあるものの、ガルシア・マルケスの本からとったという曲名とは裏腹にまとまりをかくものだった。

 
   その後の彼は「サン・シティ」への参加、ルー・リード、ジョー・ジャクソンとの共演、映画「ミラグロス」出演、ノン・サルサのソロ・アルバム「ナッシング・バット・ザ・トゥルース」を発表する等英語圏での活動に中心を移していたが、一転トロンバンガ・サウノのソン・デル・ソラールを率いてのアルバム「アンテセデンテ」をリリースした。
 なお、エレクトラ移籍以降もファニアから未発表テープ集が2枚発表されている。'84年リリースの「ムーチョ・メホール」は曲数は少ないもののなかなかの佳作でボレーロ版の「シエンブラ」やドゥワップ・チャチャの「ムーチョ・メホール」、ヒット・チャートNo.1をとった「アモール・パケ」等が収められている。その後リリースされた「ダブル・フィロ」はさすがに残りテープというイメージで完成度も低く、エクトル・ラボーの大ヒットのリメイク版「エル・カンタンテ」等悲しくなるような不出来である。
 さて、最近のルベーンはウィリー・コローンとも和解し、再びトロンバンガでスパニッシュ・フィールドからの活動をしていると聞く。来日公演は何しろ名古屋が初日、メンバーも良くわからないが、きっとサルサを演ってくれるだろうと期待している。  もし彼が英語で歌うことがあれば、力一杯ブーイングしたい。やはり彼はラティーノであるのだから。


夢を追う男、ルベン・ブラデス

 ルベン・ブラデスは、中米パナマ出身のヴォーカリスト兼コンポーザーですが、それだけではなく、将来は母国パナマの大統領を目指す政治家志望の青年でした。(今でも彼はそのつもりかもしれない)さらに彼は、このアルバムの発表後、映画俳優としての活動も開始し、ロバート・レッドフォードが監督した名作「ミラグロ」では、準主役の保安官役を演じ、一躍俳優としても注目を集めるようになりました。その勢いで、1986年の映画「クロス・オーバー・ドリームス」では、ついに主役の座を獲得、サルサ界のスターが全米ポップス界のスターを目指して奮闘する姿は、まさに彼の人生そのものでした。ところが残念なことに、彼の夢もまた、映画と同じように挫折への道を歩んでしまいます。

 
  <挫折からの再出発>  彼にとって「クロス・オーバー・ドリームス」のサントラ・アルバムは、アメリカの音楽業界メジャーへ進出する足がかりとなるはずでした。しかし、現実はそう甘くなく、アルバムはまったくヒットしませんでした。結果は映画の主人公の挫折とまったく同じになってしまったのです。そして、そうなったとき、彼が取った行動もまた映画の主人公と同じでした。彼は再びサルサの本流、彼本来の音楽へと戻っていったのです。


 ルベン・ブラデスの大きさ

 彼の歌唱力、インプロビゼーションの素晴らしさは言うまでもないのですが、特筆すべきは彼の作曲の才能でしょう。ポップなメロディーメーカーであると同時に、代表曲 "Pablo Pueblo"、"Juan Pachanga"、"Nuestra Vida" のような社会風刺を盛り込んだ歌詞は彼ならではのもので、サルサに新風を吹かせたといえるでしょう。彼の視線は常に世界を向いていて、せまいニューヨークのクラブ・シーンから脱却して、後に見事にメジャー・レーベルでのデビューも果たしました。その後の彼の活動を見ると、音楽シーンを媒体にして次のステップに行こうとしているのがわかり、人物の大きさを感じることができます。


  サルサのその後、ブラデスはどこへ?

 サルサがクロス・オーヴァーを目指した80年代中頃、サルサはブームのピークを迎えようとしていました。ロックがそうだったように、時代の緊張感が薄れてくるにつれて、サルサも次第にメローな路線へと向かい、そのパワーを失い始めました。すると、それと入れ替わるように現れたメレンゲの仕掛け人、ウィルフリード・バルガスやラス・チカス・デル・カンなどのカワイコチャン系アイドル・グループによって、ラテン・ミュージック界はメレンゲ・パワーに占領されてしまいます。しかし、その間も、ルベン・ブラデスは、サルサの本流をはずれることなく、地道に活動を続けていました。そんな彼の目指す先には、今でも母国「パナマ」の大統領という目標があるのでしょうか?「クロス・オーヴァー・ドリームス」を見続け、「アメリカを探し続けた」彼なら、それは十分あり得るかもしれません。あの「大根役者」といわれたレーガンですら、アメリカの大統領になれたのです。彼ならきっと素晴らしい大統領になることでしょう。








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