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目次



ラテンアメリカから世界ヘ

1.カルロス・ゴーン
2.ルベン・ブラデス
3.チェ・ゲバラ
4.アレックス・ロドリーゲス
5.チラベルト
6.ヒクソン・グレイシー
7.リョウト


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2003年2月25日作成










関連サイト
1.MLB PLAYERS: アレックス・ロドリゲス

2.Alex Rodriguez


アレックス・ロドリゲス
〜野球界一の稼ぎ人〜


Alexander Emmanuel Rodriguez
アレクサンデル・エンマヌエル・ロドリゲス

1975年7月27日ニューヨーク生まれ
マイアミ育ちのドミニカ系米国人

大リーグ野球の打点王
2年連続本塁打王
ハンク・アーロン賞
至上最高の年棒28億円

右投げ右打ち
1993: マリナーズ
2001: テキサス・レンジャース
2004: ヤンキース
遊撃手
MLB通算
▼打率.310
▼打点895
▼HR307本




もっとも人気の高い大リーグのホームラン王
Kenjiの『その男、メジャーリーガーにつき』より

A-ROD(エイロッド)という愛称で親しまれているアレックス・ロドリゲスと は現在、最も人気がある選手の一人であり、その将来を最も期待されている選 手の一人でもある。

両親がドミニカ人であるため、彼の体にはドミニカの血が流れている。現在の メジャーリーグを語る上で中南米、特にドミニカ共和国を抜きに語ることはで きない。それだけドミニカ共和国はメジャーリーガーの人材の宝庫という役割 を果たしている。

彼は幼くして父親が家から出ていってしまい、母子家庭に育った。非常に貧し い環境に育った彼が野球に出会ったのは5歳の頃。ポジションはそのころから ショートだった。

そんな彼のあこがれの選手は同じショートを守っているカル・リプケン・ジュ ニア(ボルチモア・オリオールズ)だった。2632試合連続出場記録を樹立した スーパースターである。リプケンからサインをもらったのは14歳の時、キャン プ地でのことだ。マイアミで育ったロドリゲスの部屋には、このときにもらっ たサインボールとリプケンのポスターが貼ってあったそうである。

マイアミのウエストミンスター高校時代には、高校全米選抜チームに選ばれる ほどの実力を持った彼をメジャーリーグは放っておくわけがない。1993年のド ラフトでは高校生野手として全米1位でシアトル・マリナーズに指名された。

高校生野手として全米1位で評価されることがいかに凄いことか。1987年には ケン・グリフィー・ジュニア(現レッズ)、1990年にはチッパー・ジョーンズ (ブレーブス)が同じくその名誉を手にしたが、この2人の現在の活躍を見て もその凄さが十分にわかることと思う。

ちなみに1999年はジョシュ・ハミルトン外野手(デビルレイズ)、2000年には エイドリアン・ゴンザレス一塁手(マーリンズ)がそれぞれ高校生野手として 全米1位の指名を受けている。この2人にも今後注目である。

しかし、マリナーズから全米1位という名誉を受けたロドリゲスだが、ドラフ ト前にはドジャース希望を打ち出していた。というのは彼が住んでいたマイア ミにはフロリダ・マーリンズというナショナルリーグのチームがあり、その中 でもベロビーチをキャンプ地にするドジャースこそが彼の希望を満たすものだ ったからである。

もし、希望が満たされなければマイアミ大学に進学すると言っていた彼も、結 局はマリナーズと契約。背番号は彼がリプケンと同様に尊敬してやまないデー ル・マーフィー(ブレーブスで活躍)の3番を選んだ。

その後の彼は順調に実力を発揮。マイナーリーグでは3割を越える打率を記録 し、プロの世界に足を踏み入れたばかりの1994年にはメジャー昇格を果たして いる。そして、メジャーリーグに完全に定着した1996年には21歳3ヶ月で打率 .358を記録し首位打者になる。この年齢での首位打者は歴代3位の記録であり、 この年の215安打、141得点はショートとしての新記録でもあった。しかもそれ だけではない。36本塁打、123打点と全く文句のつけようのない成績である。
この年の日米野球ではあこがれのリプケンとともにメジャー代表選手として来 日も果たしている。

翌97年は多少かべにぶつかった感もあったが、98年には42本塁打、46盗塁を記 録し、史上3人目の「40-40」クラブ入りを果たす。

当時マリナーズでチームメイトだったグリフィーが本塁打数を伸ばし注目を浴 びていたが、将来性という面ではロドリゲスの方が上でないかと思っていた人 は多いはずだ。

99年には開幕2試合目で左膝のじん帯を痛め、早々と離脱。約1ヶ月も戦列を 離れたものの終わってみれば42本塁打、111打点。シーズン途中には長いスラ ンプを経験したものの怪我での離脱を考えても十分に合格点をあげられるだろ う。しかも、前年より出場試合数が減っているにも関わらず、四球数が増えて いるのも注目である。

2000年はチームリーダーとしてチームをプレーオフへ導く。惜しくもワールド シリーズへの進出は果たせなかった。リーグチャンピオンシップシリーズでの 最終戦のプレーがマリナーズのユニフォームを着ての最後のプレーになった。
そして先に述べた通り、レンジャーズへのFA移籍が決まった。今まででもかな りの注目を浴びていただろうが、今後は更に注目を浴びるだろうし、批判の目 も向けられることだろう。

例えば、彼の先輩のグリフィー。マリナーズからレッズへ移籍したのが、彼の 抜けたマリナーズがプレーオフに進出し、彼が加わったレッズがプレーオフに 進出できなかったということもある。

前人未踏の「50-50」に挑戦するということも十分に意義のあることだと思う が、それよりも彼に必要なのはチームをいかにワールドシリーズに導けるかと いうこと。



04年2月、ヤンキースの アルフォンソ・ソリアーノ 二塁手(+マイナー選手1人)との交換で ヤンキース へ移籍し、再び世間を驚かせた。だが、ヤンキースのショートには、「ヤンキースの象徴」とも言われる デレック・ジーター がいるため、サードへのコンバートを了承しての移籍となった。 現在、5年連続41本塁打以上、111打点以上、110得点以上を継続中。 99年を除いて96年から打率3割をキープ。 カル・リプケン Jr. から始まった「超攻撃的遊撃手」の時代の中でも別格で、デビュー当時から「末は史上初の“50-50” か4割打者、そうでなければ三冠王」とまで言われて嘱望され続けてきた。






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