国際化する新しい時代に生き延びれる力を養い、自己確立を目指す


 このサイトは自分の存在目的と生き方について考え、「国際派人間」への脱皮と挑戦をはかるための場。  作者が体験の中から得た教訓や自分のために集めた情報を放り込み、勉強するための場所として作ったWEBサイトを公開しているものです。



 国際化する社会

 今世界は、個人が意識しようがしまいが関係なく国際化が進んでいる。そしてこのプロセスに大きな影響をしているのがIT産業(コンピューター、通信、テレビなどの情報技術)であり、さらにグロバリゼーションの政治的働きによってこのIT化社会(情報技術に管理された社会)の流れから世界市場の一体化に向かう傾向が地域主義や、伝統主義、民族主義、個人主義などとぶつかり合いをみせながら世界を変化させていっている。
 このグローバル化の良し悪しはともかく、今ではアマゾンでコンピューターが生産され、山で遭難しても携帯電話が通じ、そしてジャングルの中にある僻地でも子供たちはテレビゲームに熱中し、その子供たちは大きくなるにつれコンピューターに夢中になり、日本やアメリカ、ヨーロッパと変わらないレベルで情報へのアクセスを利用し仕事ができる人間が育っている。そしてそこで生まれ育った人間が先進国の経済建て直しに気合を入れている現実を理解しているのだろうか。(アマゾン地域で生まれたカルロス・ゴーンはその一人だ。またコンピューター技術などのハイテクについて最も人材が多いのは貧困層の多いインドだと言われ、アップル社の社長にはインド人がいたりした。)


グローバリゼーションによってボーダレス化する世界

 いまだに多くの日本人が外国は物騒だからといって海外にでたがらない。しかし、外国に出なくても国際化の波は自分の住んでいる社会に浸透してくる。戦国時代に黒船が大砲を鳴らして開国を迫ったように。「ここはうちの庭やで〜、よそはよそ、うちはうちや〜、関係ない!」とかいっても、自分が意識していないところで、テロが日本を狙ったり、外国企業が日本企業の乗っ取りを着々と進めていたりしているかも知れない。北の方から軍事的戦略を立てて、特殊工作隊が日本に上陸し多くの若者を連れ去っていても、国も地域社会もそしてそこらに住む住民も危機意識をもっていなかったのかと驚かされる。

 ラテンアメリカやアジアなどの途上国では誘拐や、殺人が毎日おこるのが普通のところでは、各個人が危機管理意識をもっている。外国にいって「拉致問題」への理解や同情を獲ようとしても、「日本はなんとおめでたい国だ」と思われるだけなのである。アメリカや外国では、集団や組織的な規模でなければニュースにならなくても、個人的な誘拐や拉致のようなものは日常茶飯事で珍しくなく、個人的な注意で防がれなければならない社会的常識がある。

 目を開け! 日本を見ろ! そして世界を見ろ! お前はサバイバルできるのか!!

 しかし、今の問題は治安よりも日本の若者たちの国際競争力の弱さではないだろうか。80年代に企業レベルで日本の商社やメーカーはすごい勢いで競争力をつけて一気に世界のトップにのし上がった。そしてバブル景気に浮かれた日本は世界を買いあさった時代があった。その後、バブルがはじけ日本の世界舞台からの撤退が始まった。そしていまや狭い日本国内で足の引っ張り合いである。いてもたってもいられない昔の戦士たちは会社に失望し、人生に失望し、プラットホームから身を投げる。そして若い世代はこの暗い現実から目をそむけ、音楽や踊りに逃避しているのではないのか。

 なぜ現実をしっかりと見極めようとしないんだ!。

 オリンピックの成績を見れば、日本の若者たちが国際レベルの中で弱くなっていることはない、問題は好きなことだけに逃げ込んでいるのではないか。

 好きなことをとことんやって自分を鍛え、成長させ、自信をつけることは大変有効である。しかし、そこで身に付けた強靭な知力、体力、精神力は、国際社会の中で個人のみならず国として地域として、民族としてのサバイバル能力に生かされなければ意味がないのではないか。それは、仕事での競争力であり、ビジネスでの交渉力、そして新しい社会やシステムを作り出す能力に生きてこないと今の国際社会では生き残れない厳しい現状があるのだ。

 グローバル化によって日本はもう安全な国ではなくなった。しかし、それに対する危機感がない。そしてそれは治安だけではなく、仕事や社会保障、医療、教育などあらゆる面で危機感をもつことである。途上国では、企業のサラリーマンでも公務員でも自分の仕事や収入に対しては不安を持ち、そのために副収入確保や、自分で会社を作るか、ビジネスを起こすことを常に考えている。リストラは必ずしも景気と関係なくやってくるのである。野球選手のように実力と結果主義といった雇用常識がそのうち一般化されるかもしれない、そういう職場では先輩後輩や年功などはあまり関係なく、仕事での結果がものをいう。


グローバル化に伴う治安の悪化と危機感不足

 途上国では通常的な治安の不安定というものもグローバル化の波とともに日本にも入ってきている。これは単に犯罪者が外国から入ってくるだけのものでもなく、思想や主義の多様化、そしてバランスを失った常識と歪んだ価値感覚の結果として生命に対する尊重や、他人への思いやりなどが廃れてきているものである。そしてそれに他者を食い物にしようとする人間が便乗したり、または力を持ったりする世の中になってきた面もある。

 日本では、一般市民は国から守られているという錯覚がある。しかし国が守るのは国の領土であり、社会の秩序であり、国民の生産力である。国や社会は個人を守るための法を整備してくれるが、具体的に自分を守るのは自分だという意識をもたないといつか誰かに食い物にされてしまう。そして自分の家族を守るのも自分だ。その意識だけは持たなくてはならない。それは人にも、国にも頼ってはいけない。それが国際社会の常識であり、国際社会をサバイバルできる基本的態度である。

 もともと人生は不確実で、不安定なものなのであるが、それに対して自分が自分を守り、家族を守る備えをしなければならないのだ。国も企業も保証できない時代になってきているが、それは国際社会では普通なのだ。いよいよ日本でも個人でサバイバルしなければならない時代が始まった。




国際サバイバル学





ゲストブック
(感想やコメントを残していってくれ!)


< 道場主について >

Hosted by www.Geocities.ws

1