国際サバイバル道場

野蛮化する日本の社会環境
親父狩りに遭遇した体験から




 実は、私は少年期を南米の牧場で育ち、体重500キロ前後の牛によく追いかけられたりして育った。

 腰にピストルを下げて、ライフルを担いで猟に行ったりもしていた。しかし、牛は大事な商品であるから銃をぶっ放すわけにはいかない。脅かすつもりでも他の牛まで寄り付かなくなる。
 当時のうちの牧場は野性的な牛ばかりで、この牛たちは群れの中で上下の関係を作る習性があり、人間も含めてどっちが上なのかを見極めようとする。こいつは自分より下っ端だとみるとかかってきて、一度ナメラレたらそれからはいつも脅かされて逃げ回るはめになってしまう。
 牧場主の跡取として牛になめられればカーボーイたちにもなめられることになるので、17歳の頃からは、棒切れをもって向かってくる牛を張り倒したりしていた。

 しかし、21歳の頃、手には予防注射器だけで丸腰の状態の時に角の長い暴れ牛に正面から突撃されたことがあった。 死ぬかと思った瞬間無意識に回し蹴りが出て、牛の頭の耳後ろにヒットして突進コースが変わり間一発でかわすことができた。それからはその牛もカーボーイも私に一目おくようになった。そして私は、牛に負けない自信がついた。(当時の話) 牛以外にも猛犬や人間なども怖さを感じなくなった。(体重500キロ位まで相手にできる自信。)「危険な相手に背を向けることはもっと危険だ、相手がやる気なら勝敗を気にせず全力で立ち向かわなければならない」というサバイバル本能が染み付いてしまった。そしてそのサバイバル空手を多くの学生たちに教えたりもしてきた。<私のサバイバル空手>



 しかし、新宿で出会ったこのガキ供グループは、女の子もいて多くの通行人が見ているなか、プライドがあり後に引けない状態になっていた。(こっちは機関銃を向けたやつらとも喧嘩する人間だってのに) しばらく睨みあった後、私もまともに喧嘩をする気はなくなっていたが、「てめえ死にたくなかったらさっさと帰れ」といわれれば、私も人をぶっ殺すと喚く危ないバカどもをほっとくわけにはいかないという単純な正義感で「ここはみんなが歩く公道だ、おまえらの家でもあるまいし、ガキこそ人に迷惑をかけるようなまねは止めて帰れ!」と返してしまった。 しかし、はじめの正義感もだんだん冷えて冷静になり「下手に殴って怪我でもさせると自分がブラジルに行けなくなる」「新聞に変に書かれたら、俺もこの業界では仕事ができなくなる」という変なサラリーマン根性が出てしまった。 そして怪我をさせずに痛めつけるにはどう料理してやろうかと悩んでいる間に、酔っぱらったおせっかい親父が私に向かって「ここは私に免じて大人しく帰ってくれ」と仲裁に入ったが、私としてはこういう機会はめったにないので、チャンスを逃したくない気持ちが強く、「こういうやつらをのさばらせるから平気で人を殺してあるくんだ、反省させろ」というと、今度は少年達に向かって「ここは私に免じて勘弁してくれ」というと少年達は「この親父に免じて帰ってやらあ」と捨て台詞をいって行ってしまった。

 一部ではほっとしたが、こういう少年達をいっさい咎めず、黙って金を出したり、暴力を震わせたりさせる大人の社会に問題があるのではないのだろうかとつくづく感じさせられた。 そして多くの通行人が見ていながらだれも彼等の横暴を止めさせようとするものはいないのか。(あの酔っぱいのお節介親父はもしかしたら酔っ払ったふりをした少し勇気ある仲裁者だったのかも) しかし、これらの横暴を野放しているツケは誰かが犠牲になって払うことになるのだろう。 日本社会の懲りない面々だろう。 

 社会水準が向上するにつれて治安も安定してくるラテンアメリカでは、私の第六感の危険感知機は最近全然反応することがないくらい危険は少なくなってしまったが、たまに日本に帰ると、外国進出のマフィアがのさばっていたり、少年の犯罪グループがのさばっていたりと海外より危険度が高くなっており、上り詰めた社会の野蛮化を感じている。 (私の夢のサバイバル学校は途上国よりも今の日本に必要なのかも)



<私のサバイバル教育>

<ホームへ> <作者について> 


Hosted by www.Geocities.ws

1