国際サバイバル道場

国際派人間を目指して

ボーダーレス化する国際社会で生きるには -作者の個人的経験より-



 今程世界が狭くなった時代はなかったでしょう。 ひと昔前、30年前に私の家族が南米移住で船で50日かけてパラグアイへ向けて出航した時は、もう二度と日本の地を踏むことがないかも知れないと思って出かけたものでした。 しかし今ではちょっと一週間くらいの感覚で気軽にどこの国へも旅行することができるようになりましたし、企業もコストの低い生産地を求めて工場を移したり、新しい市場を求めて進出したりするようになっています。 日本国内ですら地方へ転勤させられるのはなんとか避けたいと思っているのに、聞いたこともなかった、ラテン・アメリカの小さな国へ赴任させられたりする時代です。


   行ってみると意外と日本より仕事にやりがいがあったり、生活環境が日本より恵まれていたり、また状況が違っても、帰国する頃になってその国にだいぶ愛着がつき、その国に延長して残りたい、できれば今後も海外で働きたいと考えるようになったりするケースが増えていますが、しかし、そういうふうに心境が変わった時に、はたして今度は組織が高い費用をかけてまたあなたを派遣するほどあなたは国際人間に変身しているでしょうか。 「だったらもっとスペイン語を勉強しておけば良かったな」、「スポーツニュースだけではなく、もう少しこの国の政治や経済にも目を向けておけば良かったな」と後悔しているのを聞いたりします。 「後悔先にたたず」で、だったら始めから語学学習やその国に馴染む努力をするべきでしょう。


国際派人間の条件

 グローバル社会につぶされることなくこの新しい時代を泳いでいくには、けっこう高いハードルの条件を備えなくてはならない。それだけ世の中が複雑になったわけだし、人口も多い。つまり世の中をあっと驚かせるような天才も多くなったし、また油断すれば、殺されかねないキチガイも多くなってきたことになるわけです。

 一昔前は、ドコソレの国は危険だけど、ドコドコの国は安全だよ.... とか、あそこの国の人間はこういう性格で、こういったことを気をつければみんな良くしてくれるよ、とか結構、人間はわかりやすかったのですが、今の世界は多様化、多彩化、暴走化、発狂化してきています。もうどこの国にも天才的人間もいれば、キチガイ的な人間もいるのです。
 つまり、いままでのようにマニュアルどおりにやればうまくいく世の中ではなくなったのです。

 国際的常識に、環境に合わせて臨機応変な対応能力というものや、さらに「本能的カン」とういうものまで必要となってきています。こうなってくると、他民族国家や多様文化圏の人間のほうがこういう要素を多彩に備えているので、日本人は太刀打ちできなくなってくるでしょう。



世界中どこでも逞しく生きていけるボーダーレス人間の条件

    1) コミュニケーション能力 (会話力)
    2) 旺盛な好奇心とチャレンジ精神
    3) 小さいことにくよくよしない楽観主義
    4) 体力と精神力

海外業務に役立つ国際派人間の条件

    1) 語学力(協議できるレベル)
    2) 交渉力と指導力
    3) 品性、人格(常識的な発想と行動、自分の役割に対する責任感)
    4) 危機管理能力(安全対策、自己防衛感覚等)
    5) 健康管理能力  
    6) 順応性と協調性 (所属組織と赴任先現地への)

    コミュニケーション能力

    1) 誠意と情熱は伝わる
     コミュニケーションの基本は「ハートだ、情熱だ」とか言われます。  私はスペイン語圏では言葉の障害はいっさい感じないヒスパニック人(スペイン語を母国語とする人間) になってしまっていますが、それでもパナマで、ロシア語しか話さないロシア人のじいさんと縁があってアミーゴになり、釣りにいったり、ドライブにあちこち連れ出したりしていました。言葉があまり通じなくてもフィーリングが合うせいか、感覚的に理解しあい、けっこう楽しく遊び回ることができ、大変素晴らしい信頼関係ができました。(釣りバカ日誌パナマ版) スペイン語、英語、ロシア語をごっちゃにまぜた会話で、このじいさんが定年前はソビエト空軍のミグ戦闘機のパイロットで、ソビエト連邦崩壊前にはアフリカ諸国や東ドイツなどの同盟国へミグ戦闘機の操縦指導に行っていた話などをしてくれ、社会主義諸国の厳しい問題や民族間問題などのややこしい話に入ったりすると理解の限界を感じることもありますが、それでもこの人と釣りに行っては船を見ては騒いだり、魚を見つけてははしゃいだり楽しむことができるのです。 それでもだれかロシア語を話せる人が近所にあらわれればいいね、といったことを言うと、いやロシア人は信用できない、付き合いも疲れるからおまえとの付き合いで十分だ、といったようなことを聞かされるとつくづく言語以前のハートの重要さを考えさせられました。(写真:私と元船長の湯川さん、そして元ミグ戦闘機パイロットのアレクサンデル)

    2) 語学学習のすすめ
     しかし、それでもロシア人とつき合うことによってロシアに関心が湧いても言葉の障害があるためにロシアに旅行したいという気にはなりません。 やはり国際人間になろうと思ったら語学の壁を乗り越える努力を常に心がけ、時間をかけても習得しようとする気持ちをもたなければならないと思います。 赴任先の国で赴任当事者または家族が語学教室へ通ったり、個人教師をたのんだりして行う語学学習には、語学を覚える以上の多くの収穫があります。 個人教師を通して得る付き合いや新しい人間関係、または同じ語学教室へ通う仲間との人間交流などはその国での生活が充実される重要な要素となることがあります。 外国赴任で私がほとんどの人に薦めることは語学教室に通うか、個人教師を頼むことです。 そして職場及び生活環境においても語学とその国の文化伝統を常に学ぼうとする努力が重要です。 これにお金をかけることを惜しんではなりません。 なにもしなくてもスペイン語の環境にいるんだから職場の同僚やアミーゴから語学は身に付くと思っている人が沢山いますが、受け身と積極的な対応では成果が全然違います。 お金をかけることによって自分にプレッシャーがかかりますし、犠牲を払うことによって身に付きかたも全然違います。 私は永年スペイン語圏で暮らしてきましたが、スペイン語、日本語そして英語等を仕事で使えるものにするために相当なお金と時間をかけました。 結果としては、払った以上の成果を得られることができました。 個人的な差は当然ありますが、海外で暮らす人間にとってはお金と時間を割くだけの価値は十分にあることを確信しています。


    危機管理能力の重要性

    1) 安全対策と自己防衛感覚を身につける必要
     ここ数年日本でも異常な犯罪や社会問題が増えてきており、地下鉄サリン事件、関西大震災、そして少年による傷害事件がなどが続けて発生した1996年以降は世界でリスクの高い国3位に上がったりしました。 そして日本に一時帰国するときにはパナマ人から「なんでそんな危ない国へいかなきゃないんだ」などと同情されてしまいました。
       社会の急激な多民族化によって伝統や社会の常識が乱れ、思想主義の対立、宗教派閥の対立、そして民族間衝突等が増え、経済景気とモラルの変化によって特殊な犯罪が増えたり、危険が増大していることは避けられない時代の流れでしょう。 こうした中で、個人として危機管理能力を備えることは西洋社会、特に途上国では常識でしたが、国や警察に全部まかせきってきた日本でも必要な部分となってきました。 ましてや日本を出て、他の国へ出かけて仕事をする、あるいは生活しようとする人間にとっては危機管理能力は必要条件でしょう。

    2) 護身術習得のすすめ
      海外では「自分の身は自分で守る」という常識があります。 日本では長いこと警察などの公的機関が安定した治安体勢を提供してきており、これは日本人を自分の安全に注意することなく自分の職業だけに専念できる環境を築き、結果的に「あり社会」のような生産性の高い社会を形成させました。 しかし、そのため日本人は安全を空気のようなただで保証されたもののような感覚を持ってしまいました。 今ではどの国でも強盗や誘拐犯罪者たちにとって最良のお客さんとは日本人観光客であり、日本企業の駐在者であることが世界的に知られています。 お金をけっこうもっている上に安全について無頓着で、襲われた場合ほとんど無抵抗なので犯罪者にとってリスクが低い「カモ」という評判です。
      強い人種差別と偏見の被害に代々苦しんできたユダヤ人たちは、安全には一番お金と注意をかける習慣があり、 中には自分の家を持たず、高い宿泊費を払って安全な一流ホテルで暮らす者も珍しくありません。  また私がパナマで、運動不足のリハビリを行おうとして空手の道場に通ってみたら、お金持ちのユダヤ系の生徒が多いのに驚きました。 子供から大人までおり、中にはお父さん、お母さん、娘、息子と一家全員で通っているユダヤ人家族もいました。そして彼等はスポーツ感覚ではなく、本当に身を守るためにやっているので気合いが入っており、五歳頃から始めて30歳を過ぎて事業家として仕事をしながら続けているのには感心させられました。


     私は子供の頃から体が弱く、未熟児で生まれ、医者も育たないだろうといったほどでした。母は、赤ん坊の私を寒風摩擦したり、甘いものを一切食べさせないで、野菜や栄養のあるものを注意して取るなどの努力をして育ててくれましたが、パラグアイに移住してから12歳の子供にして家畜の世話から、山切りそして閥根まで重労働の仕事に従事したことが私の体質を変えてしまいました。しかし、開拓作業と平行して柔道や空手をやったことが体だけではなく精神まで鍛え、それが私の弱かった胃腸まで丈夫にしてくれたと思っています。
    写真:体を鍛えることに明け暮れた学生時代


     また私は、子供のころからどちらかというといじめられるタイプの子供で、いつもガキ大将の攻撃の的でした。 しかし柔道や空手を身に付けてからは軟弱そうな体でガキ大将を投げ飛ばしたり、クラスの悪ガキを相手に殴り返したりだんだんと自分に自信を付け、そして17歳ころから筋肉質の頑丈な体になりました。

    肉体運動の重要性
     私がアルゼンチンの大学時代に作ったレポート「肉体運動と知能の関係」では、運動することによって、心臓の働きと肺の活動を強化させ、それが血液の循環と酸素の供給を増大させる結果となり、それが酸素によって活動している脳の働きを活発化させ、知能活動が向上するという結果が、アメリカの老人福祉学の研究で明らかになっています。 つまり運動は頭を良くするためにも必要なものであるということです。
     我々の社会が発達すれば発達するほど、人間の体力は衰え、それにつられて精神力と知能の低下も進むでしょう。 それが今の日本の運動をしない若者たちに著しく見られています。 考える幅の狭いこと、判断力や決断力の欠乏、そして与えられるものを黙って受け入れるだけの人間になっていく傾向が見られ、それに抵抗する反動が、他人を傷つけたり、殺したりという現象を起こしているのではないのでしょうか。 クラブ活動に熱心な少年たちは犯罪や社会問題などは(喧嘩は別)そうおこすはずはありません。それは単に時間の余裕の問題ではなく、また思想的な感覚だけの問題でもありません。 知育、徳育、体育の円満な発達が必要です。 そしてその土台となるものが肉体運動だということを痛感させられます。

     従来人間は生きていく上で、考えることと体を動かすことが生存していく上で基本的なこと部分でした。これは現代のような文明の利器が発達していなかった時代には、体を動かさなくてはなにも手にいれることはできず、そしてどこにも行けなかったのです。それが文明の発達と共に体の労力に変わる機械や乗り物が発明され、そしてついには人間の専売特許である「考える」ことさえ、機械が代わりにやってくれる時代になりました。 いま、人間はほとんど体を使わず、頭も使わずして暮らして行けるようになりました。 さまざまな機械が人間の代わりに働き、そして社会が作ったさまざまなシステムが個人のするべきことをすべて代わりにやってくれるのです。 人間は機械にすべての作業をやらせるだけではなく、コンピューターが揃えてくれる情報や計画などに従って生きていくこともできるようになりました。 そして現代の多くの子供たちは、体力が低く、心臓も低下し、結果として酸素の脳への供給も悪いために脳の重要な部分である判断力が低下し、マスコミやインターネットから流れるあらゆる情報を選択もできずに丸呑みし、非現実的な世界を描き、間違った価値観を育ててしまっています。 そしてそれを現実社会においてみようとするようになってきたのです。 平気で人を殺す少年が多くなっているのもこれらの結果の現れのひとつではないでしょうか。 そしてこれは人間の根本的価値観が狂いだした危険な時代の前兆なのではないのでしょうか。 





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