国際化する新世紀への「人類文化学園」

ラテンアメリカで自給自足で運営する学園の設立計画
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伊藤玄一郎
国際開発コンサルタント、技術協力プロジェクトコーディネーター、NGO支援アドバイザー

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<計画の経緯> <目的と哲学> <教育内容> <教育思想> <教育目標> <教育手段> <運営体制> <産業活動>


 はじめに 

 何でもそろっており食べ物や日常生活品に不自由のない社会。物を置き忘れても誰も持っていくことがない安全。買い物をしても子供だから吹っかけて多く取ろうとは考えない誠実なお店。悪い人間に目を光らせ泥棒を捕まえては盗まれたものを持ち主に返す警察。そういうことが当たり前の日本に育った私は、11歳の時に夢見る父に連れられて南米パラグアイに移住し現地の小学校に転校しました。
 そしてそこでこういった常識がひっくり返されてしまうショックな体験に次から次へと出会い、それまで日本ではなにも考えずに暮らしていた少年の頭にいきなり、なぜこの国には日本のようなものがないのだろうか、なぜ日本のようにできないのだろうか、といきなりクエッションマークが一杯現れる体験をしました。

 そして日本では見えなかった日本の良さや、当たり前に思っていたけれど他の国では存在しない多くの習慣、伝統、そしてシステムや設備などを見直すことができ、さらにそういう日本に生まれたことを誇りに思う気持ちなどが芽生えたのです。
 外国にいって初めて日本が見え出し、そして自分は日本人なんだという自覚が芽生えたのです。

 しかし一方ではジャングルの中で出会う動物や自然の恵みの発見、自然の世界にあるルールの教訓、そして厳しい開拓作業の中で体験できる満足。 たとえば農作業の後のご飯のおいしいこと。井戸水のおいしいこと。世話をする動物たちが見せてくれる信じられないような信頼や愛情。ジャングルを切り開く作業の時の事故や(大木を切る際に斧が滑って自分の足を切ったり蛮刀で手を切ること数回)、蛇や蜂の巣などの危険を乗り越え(弟は毒蛇に噛まれて死にかける)、またジャガーやイノシシなどの獣の出現や(ジャガーの肉は美味)、または牛や馬などとの事故(牛に襲いかかられたり、馬から叩き落されたりした)などの経験を積み重ねることから築かれる逞しさ、慎重性、そして自分への自信。さらに危険や問題が多いことから助け合う家族や仲間との深まる絆。 これらは今の日本では経験できない、かけがえのない南米開拓ならではの素晴らしい財産で、我が家の開拓にはこのような楽しい思い出が一杯あります。 

 また我が家はうちの父が旅人を家に泊める習慣があったため、私が農場を引き継いでからもアルゼンチンの大学の夏休みの帰りに出会った日本人バックパッカーをつれて来て1ヶ月ほど泊めたのを皮切りに自転車やオートバイで世界1周する者などがペルーあたりやブラジルの弓場農場などでうちの農場のうわさを聞いて次から次とやってくた時期がありました。

 私も学生時代はヒッチハイクで旅行をしたり、オートバイにキャンプ用具と寝袋を積んで3ヶ月間ほどアンデスのふもとを放浪したりしたこともあり、このような旅行者とは話が通じることから南米の冒険者たちの立ち寄りの拠点になったりもしました。
 また我が家の農場では、パラグアイ人、ブラジル人、アルゼンチン人、日本人といろいろな国籍で人種もドイツ系の白人から黒人、インディオ系と様々な人間が働いていました。誰でも働く気のあるやつは歓迎する環境があったので、遊びに来た人たちでも農場の手伝いをさせ、旅行者でも仕事をすれば寝床と食事は無料で好きなだけいてもかまわないという条件で、1週間位のつもりできた人も居心地がよくてずるずると居座ってしまいそうになる傾向がありました。 日本で暴走族だったある青年もわが農場に一夏修行にきてインディオのように日に焼けて逞しくなりながら性質もすっかり変わってしまったし、我が家で豚の世話をしたり、また山切りを手伝ったりして楽しい思い出を残してくれた知人たちで今では立派な医者や事業家になったりしているのがいます。多くの人たちがいってくれたのに、「ここは心の洗濯になる」「こういうところで暮すと日本の狭い考え方が馬鹿馬鹿しくなる」「こういう暮しが本当の人間的な生き方かもしれない」という言葉がありました。

 そして考えさせられたのは、このような日本にはない自然のジャングルの残された所で日本の進んだ教育を施すことのできる学校は作れないだろうかという夢です。 自然環境の中で習得する人間本来のサバイバル能力、人間を相手にするのではなく自然を相手にしているから育てられる純真な心、しかも一方では、現在の近代社会で自立できる全人教育をする学園です。それは急激に国際化し、多様化する自由競争市場の社会にも通用することのできる逞しい人間造りと、さらにそれらの社会を引率し、理想的な環境造りへと導くことのできる、強い信念と誠実性を備えた指導者育成ができる場を作ろうと考えるように進展していきました。 

 しかし、一方では時間がたつにつれ、日本の教育と社会環境に多くの限界と、問題や課題があることが分かってきました。それが少年の自殺から少年の殺人犯罪などに見られる精神的な弱さとゆがんだ価値観や、集団でしかなにもできない一般日本人の性質、そして所属する組織によって人間そのものの価値が分類されてしまうような一般常識などにも現れているようです。

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 またさらに、あまりにも恵まれた環境の日本で、もし地震や戦争などの予期しない事態で人間を守っているこの社会構造が崩れた時、過保護に育った日本人は個人で生き延びれるのでしょうか?。 
 国際化の波で外国人が押し寄せ、日本社会の多民族化が進んでいる中、何一つ不自由なく育った日本の若者たちはハングリー精神の逞しい他民族に押しつぶされることなく共存していけるのでしょうか、そして国際社会の中においての激しい競争に負けずについていけるのでしょうか。

 私はラテン人の若者を世界に通用する人間に育ててやろうと思っていましたが、今日本の若者たちの未来に不安を感じるようになってきました。昔は強国、大国だったヨーロッパの国々も、社会環境が恵まれすぎると人間が軟弱に育つようになり、途上国の人間たちに負けてしまう傾向を見ることができます。

  今、日本の若者たちに自分を見つめ、鍛え、そして目的を見つけられるような機会を与えてくれる学校を作ってやろうじゃないか!ということを考えるようになりました。

 なにか世界に通用するものを身に付け、世界のどこに行っても生きていける国際感覚と企業家精神を植えつける学校を創ってやろうじゃないかという夢に発展し、それへの仲間も集まってきています。



 なぜラテンアメリカなのか 

 日本のように恵まれた国では学生がこのサバイバル能力の必要性に気付くのは容易でありません。日本の学校も全て組織の一員、すなわちサラリーマンになるための教育であって、個性を磨き、自立独立するための教育ではありません。社会人になって厳しい現実にぶつからなければ、できるだけ面倒くさいことは避けて過ごしたいと考えるのが普通です。この恵まれた環境から引っ張り出すのがサバイバル本能を引き出すための効果的な療法の一つです。別な世界に飛び込むことによってカルチャーショックやエコノミーショックなどを体験させ、その上で勉強嫌いの若者になにかを修得させる意欲を起こさせることができれば、マンネリ化した日本の教育や学校嫌いの少年達に効果があるのではないかと思っています。

 なぜラテンアメリカなのか。それはラテンアメリカは日本や歴史のある欧州とは対照的な反対側にある環境だからです。ラテンアメリカは整った理想的な社会環境ではありません。問題だらけの遅れた地域です。しかし、それが人間に考える機会を与えます。日本では見えない日本の良さや反省すべき欠点などが見えるようになります。自分のアイデンティティーについて考えるようになります。色々な面での自覚が生じます。 さらに、ラテンアメリカ人は慢性的な不況の中でも明るく楽しくやる知恵や伝統をもっており、苦しい時こそ元気をつける楽観的な性格があり、この中には日本人が学べるものがあります。

 対極的な地点にたって自分の国や、社会、そして自分自身と自分の人生を考えてみることは必要かもしれません。そのための場を提供できる学校を造ろうではありませんか。




<学園設立構想>

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