Prague manifest 1996

           Japanese        furigana        roomaji
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国際語こくさいごエスペラント運動うんどうかんするプラハ宣言せんげん


わたしたち、エスペラントの発展はってんのための世界的せかいてき運動うんどうくわわるものたちは、
この宣言せんげんをすべての政府せいふ国際こくさい組織そしきおよび良心りょうしんある人々ひとびとたいしておくり、
ここに表明ひょうめいされた目標もくひょうけてわたしたちが不退転ふたいてん決意けついをもって活動かつどうつづけることを宣言せんげんするとともに、
それぞれの組織そしき個人こじんとがわたしたちのこの努力どりょくくわわるようびかける。

エスペラントは、1887ねん国際的こくさいてきコミュニケーションのための国際こくさい言語げんごあんとして提唱ていしょうされたあと生命せいめいりょく表現ひょうげんりょくんだ言語げんごへとすみやかな発達はったつげ、すでにいっ世紀せいき以上いじょうにわたって言語げんご文化ぶんかかべえて人々ひとびとむすびつけるはたらきをたしてきた。エスペラントの使用者しようしゃたちが目指めざしてきた理想りそういまなお重要性じゅうようせい現代的げんだいてき意義いぎうしなっていない。わたしたちは公正こうせい効果的こうかてき言語げんご秩序ちつじょのためには以下いかべる原則げんそく必須ひっすであるとかんがえるが、いずれかの民族みんぞく世界せかいとして使用しようしても、また今後こんごいかに通信つうしん技術ぎじゅつ進歩しんぽし、あたらしい言語げんご教育きょういくほう開発かいはつされるにしても、これらの原則げんそく実現じつげんすることはできないであろう。


1.      

民主みんしゅせい

あるコミュニケーションのしくみが、特定とくてい人々ひとびとには一生涯いっしょうがい特権とっけんあたえる一方いっぽうで、人々ひとびとにはよりひく段階だんかい能力のうりょく獲得かくとくにさえ多年たねん努力どりょくをつぎむようもとめるなら、それは根本こんぽんにおいてはん民主的みんしゅてきなものである。エスペラントは、言語げんご同様どうように、完全かんぜんではないが、平等びょうどうぜん世界的せかいてきコミュニケーションという領域りょういきでは、どの競合きょうごうする言語げんごくらべてもはるかにまさっている。
 言語げんご不平等ふびょうどうは、国際こくさいレベルをふくめたあらゆるレベルにおいて、コミュニケーションの不平等ふびょうどう生み出うみだすものであると、わたしたちは主張しゅちょうする。わたしたちの運動うんどう民主的みんしゅてきなコミュニケーションを目指めざすものである。


2.      

民族みんぞくせいえた教育きょういく

民族みんぞくはそれぞれ特定とくてい文化ぶんか国家こっかむすびついている。たとえば、英語えいご学習がくしゅうする生徒せいと英語えいごけん諸国しょこくとくにアメリカ合衆国がっしゅうこくとイギリスの文化ぶんか地理ちり政治せいじについてまなぶことになる。それにたいしてエスペラントを学習がくしゅうする生徒せいとは、国境こっきょうのない世界せかいについてまなぶのであって、そこではどのくに故国ここくなされる。
 いずれの民族みんぞくもちいた教育きょういく特定とくてい世界観せかいかんむすびついていると、わたしたちは主張しゅちょうする。わたしたちの運動うんどう民族みんぞくせいえた教育きょういく目指めざすものである。


3.      

教育きょういくじょう効果こうか

外国語がいこくご学習がくしゅうするひとなかで、それを習得しゅうとくできるひと割合わりあいはごくひくい。それにたいしてエスペラントの習得しゅうとく独習どくしゅうによっても可能かのうであり、言語げんごまなぶための予備よびてき学習がくしゅうとしての効果こうかについてもさまざまな研究けんきゅう報告ほうこくがある。また、生徒せいと言語げんご意識いしきたかめるための教科きょうかにおいてエスペラントを中核ちゅうかく位置いちづけるようすすめるこえもある。
 民族みんぞく学習がくしゅうむずかしく、第二だいに言語げんご知識ちしきがあればそれによってえきけるはずのおおくの学習者がくしゅうしゃにとってつね障害しょうがいとなりつづけるであろうと、わたしたちは主張しゅちょうする。わたしたちの運動うんどう効果的こうかてき言語げんご教育きょういく目指めざすものである。


4.      

多言語たげんごせい

エスペラントの共同体きょうどうたいは、その構成員こうせいいん例外れいがいなくふた以上いじょう言語げんごはなすという、世界的せかいてき規模きぼ言語げんご共同体きょうどうたいとしては数少かずすくないれいひとつである。構成員こうせいいんはそれぞれ、すくなくともひとつの母語ぼご会話かいわのできる程度ていどまでまなぶことを自己じこしている。おおくの場合ばあい、このことは複数ふくすう言語げんごたいする知識ちしき愛着あいちゃくをもたらし、ひいてはそのひと視野しやをよりひろくすることにつながっている。
 どの言語げんご話し手はなしてにも、その言語げんご大小だいしょうわず、コミュニケーションが可能かのうたか水準すいじゅんまで第二だいに言語げんご習得しゅうとくする現実的げんじつてき機会きかいあたえられていてしかるべきだと、わたしたちは主張しゅちょうする。わたしたちの運動うんどうはその機会きかい提供ていきょうするものである。


5.      

言語げんごじょう権利けんり

言語げんごかんちから不平等ふびょうどうがあることは、世界せかい大部分だいぶぶん人々ひとびとにとって、言語げんごてき危機感ききかんをもたらし、ときには直接ちょくせつ言語げんごてき抑圧よくあつとなっている。エスペラントの共同体きょうどうたいでは、母語ぼご大小だいしょう公用こうよう公用こうようわず、たがいの寛容かんよう精神せいしんによって、中立ちゅうりつあつまっている。このような言語げんごにおける権利けんり責任せきにんあいだのバランスは、言語げんご不平等ふびょうどう紛争ふんそうたいするあたらしい解決かいけつさく進展しんてんさせ評価ひょうかするための先例せんれいとなるものである。
 いずれの言語げんごにも平等びょうどう取り扱とりあつかいを保証ほしょうするむねおおくの国際的こくさいてき文書ぶんしょ表明ひょうめいされているが、言語げんごかんちからおおきな格差かくさはその保証ほしょうあやうくするものであると、わたしたちは主張しゅちょうする。わたしたちの運動うんどう言語げんごじょう権利けんり保証ほしょう目指めざすものである。


6.      

言語げんご多様性たようせい

諸国しょこく政府せいふ往々おうおうにして世界せかいにおける言語げんご多様性たようせいをコミュニケーションと社会しゃかい発展はってんにとっての障害しょうがいとみなしがちである。しかし、エスペラントの共同体きょうどうたいにとっては、言語げんご多様性たようせいきることなくくことのできないゆたかさの源泉げんせんである。したがって、それぞれの言語げんごはあらゆる生物せいぶつしゅ同様どうようにそれ自身じしんすでに価値かちがあり、保護ほご維持いじするにあたいするものである。
 もしコミュニケーションと発展はってんかんする政策せいさくがすべての言語げんご尊重そんちょう支持しじ基礎きそくものでないならば、それは世界せかい大多数だいたすう言語げんご宣告せんこくするものであると、わたしたちは主張しゅちょうする。わたしたちの運動うんどう言語げんご多様性たようせい目指めざすものである。


7.      

人間にんげん解放かいほう

いかなる言語げんごも、その使用者しようしゃかんのコミュニケーションを可能かのうにすることによって人々ひとびと自由じゆうにしている一方いっぽうで、人々ひとびととのコミュニケーションを阻害そがいすることによって不自由ふじゆうにもしている。ぜん世界的せかいてきなコミュニケーションの道具どうぐとして立案りつあんされたエスペラントは、人間にんげん解放かいほうおおきな実際的じっさいてき事業じぎょうひとつである。すなわち、すべてのひと各自かくじ地域ちいき文化ぶんか言語げんごてき独自性どくじせいにしっかりとざしていながらそれに制約せいやくされず、人類じんるい共同体きょうどうたいにその一員いちいんとして参加さんかすることを可能かのうにする事業じぎょうなのである。
 すうヶ国かこく民族みんぞくのみを使つかうことは自己じこ表現ひょうげんやコミュニケーション、連帯れんたい自由じゆうたいする障害しょうがいとなることがけられないと、わたしたちは主張しゅちょうする。わたしたちの運動うんどう人間にんげん解放かいほう目指めざすものである。


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    Franko Luin / 3 September 1996 - 10 April 2000

   






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