最後の1週間
     

「帰国準備はマニュアルに添って」

マレーシア生活は残すところ1週間となった。引越しを済ませ通勤用車両を処分した為、今日からホテル(The Northam)からレンタカーでの通勤になる。月曜日が独立記念日の代休だったので、今日から実働4日間で業務引継ぎは勿論、残った出国手続き(就労許可解約、個人所得税清算、等)、その他個人的諸手続き(銀行口座及びクレジットカード解約、公共料金清算、等)を済ませなくてはならない。そして夜は送別会や会食の予定が入り分刻みのスケジュールになる。

帰国の際にやるべき諸手続きはマニュアルに添って順調に進んでいる。このマニュアルは会社独自の物があるだろう。無ければ引越し業者に相談すれば、「帰国までのチェックリスト」が準備されている筈である。またインターネットで「帰国準備」で検索すればいくらでも情報は得られる筈である。以前は苦労したPC データの持ち帰りも、現在はCD-Rに焼いて簡単に持ち帰れる。後は帰国挨拶状をメールで送れば完了である。



「ううっ、そんな話は聞いてなかったぞ。」

92日(火)、赴任先のインドネシア現地法人から「入国前に在マレーシアインドネシア大使館でVBSを取得して欲しい。」と連絡が入った。VBS とは仮就労許可の事で、申請すればパスポートにステッカー(右写真)を貼ってくれる。これを元にインドネシア入国後1週間以内にIKUTA(就労許可)とKITAS(滞在許可)を申請するのである。私は総務担当として幾多の駐在員をマレーシアから送り出して来たので、帰任手続きは手馴れたものであった。しかし当然ながら自分が帰国した事も無ければ、日本で受入れ手続きをやった事も無い。ここが盲点であった。

そこで在ペナンインドネシア総領事館に問い合わせると、VBS 取得には2日間掛かると言う。今日から4日間は出国手続き、等でパスポートは毎日諸官庁に提示しなくてはならない。「ううっ、そんな話は聞いてなかったぞ。これじゃ分刻みのスケジュールが破綻してしまうじゃないか。」 インドネシア現地法人と協議の末、入国後に「何とかしよう」という事になった。インドネシアは世界に名だたる汚職国家である。入国審査官、税関、税務署、警察、等すべての官庁がいちゃもんを付けて袖の下を要求してくるらしい。ただし金さえ払えば「何とかなる」という実に融通の利く国でもある。何とかなるかなぁ・・・・。



「最後の休日」

96日(金)、せわしない1週間が過ぎ、ペナン島での最後の休日がやって来た。ペナン通りのHobi Sports にメンテナンスを頼んでいたレギュレータを受け取りに行き、ついでに想い出深いGorge town 旧市街を一周した。残念ながらアメリカングラフィティーの様に素敵なご婦人は見かけなかった。ペナン通りは赴任した当時からの馴染みの店も多く、思い出深い場所である。ホンギャプに顔を出して、おばちゃんにお別れを言う。そこで気が付いた「そうだ、お土産を買いにPRANGIN MALL行かなくっちゃ。」

バラマキ用のお土産に何を買うかは決めていた。ペナンでしか売っていないもので、ピュータやバティックでも無ければ、当Websiteでお勧めした「ARCHHeritage Collection」で無ければ「Penang Schetchbook」」でも無い(←だったら勧めるな!)。私が選んだのは「STARBUCSオリジナルTシャツのペナン島バージョン」である。女房の友達が着ていたのを一目見て気に入ってしまい、ペナン中のSTARBUCSを回ってLサイズとMサイズを買い占めていが、まだ数が足りなかったのだ。シンプルなデザインでお勧めだが(←またかいな?)、もう売り切れてないだろうなぁ・・・・。

午後2時になり小腹が空いたので、最後にペナン通りで昼飯を食うことにした。私がペナンを愛してやまない理由のひとつは「グルメな毎日」であった。しかしそれは2年前に終わっていた。体調を崩すたびに日本食を食う機会が増えたからだ。長年続けた食生活はそんなに簡単に変えられるものでは無かった。あんなに好きだった屋台飯もほとんど食うことは無くなっていた。しかし食えなくなると思うと最後に食っておきたいものである。福建麺、肉骨茶、海南鶏飯、飲茶、等など。悩んだ末に私はナシカンダーを食うことにした。明日はペナンを出国する日である。



20031210日)

ホーム極楽駐在生活>(さよならペナン島)>最後の1週間

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