- パナマ国一般情報 -
作者が赴任したパナマの魅力を求めて
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パナマの経済事情
ASPECTO ECONOMICO DE PANAMA

ラテン・アメリカでは特異な、サービス業に生きる国


     パナマは国土が狭小で国内資本が十分蓄積されていないことから、外国投資に関し、きわめて積極的に臨むなど自由な経済体制を確立し、中継貿易に関するサービス業、コロン・フリーゾーン、国際金融センターの発展を実現しました。  経済構造はサービス産業に大きく依存 (実質GDPの約80%、就労人口の約60%) しており、この結果、中南米最大の物流・金融センターとして中南米の貿易に大きく寄与しています。
     従来パナマでは、米国領土としてパナマ国内に位置してきたパナマ運河、およびアメリカ南方軍の数カ所に分かれた米軍基地の存在と、これらが及ぼす雇用と物資供給などがパナマ経済を支える重要な要素となってきましたが、1999年12月末に運河所有権、運河地域及び全ての米軍基地が完全に返還され、2000年からパナマの経済的自立が始まりました。

     パナマ経済は、1987〜89年に軍部最高司令官となったノリエガの独裁政権時代の対米関係悪化による政情不安、アメリカの経済制裁措置などにより大きな打撃を受け、80年代末には一人当り実質GDPは大きく落ち込み、失業率も8.8%(79年)から20.1%(90年)と大幅に増大するなど経済的危機に陥っていました。 89年12月米軍の進攻によりノリエガ将軍は米国に投降し、国防軍も解体され、そしてエンダラ政権が発足しました。 その後にアメリカをはじめとする諸外国より支援を受けつつ、経済の再建が図られ、経済成長率は、91年5.8%、92年8.2%、93年5.5%と高成長を見せましたが、94年の選挙では野党のペレス・バジャダレスが勝ち、94年2.9%、95年1.8%、96年2.5%、98年3.9%と政権交代に伴って一時落ち込みましたがその後比較的良好な経済成長ぶりを見せています。 失業率は15,8%、そして物価上昇率は1,1%(97年)となっています。
     この高い成長率に貢献している産業は、港湾、コロン・フリーゾーン、観光、鉱業、水産業といった、輸出や外資の導入に関連した分野で、すべて10%を超える成長を示しています。 GNP(国内生産)も98年(世銀)で85億ドル、一人当たり3,080ドルのGNPとなっています。

     しかし、第三次産業が栄える首都圏以外の地方では貧困問題が深刻化しており、不安定な天候状態などからくる農業生産の低下、輸入に押されて成り立たなくなる農業からの離れが急速し、また、前政権も首都圏を中心とした社会基盤インフラ整備への投資に偏り、地方への支援が少なかったこともあり、貧富の格差と地方間格差が著しく進んでいます。 ラテン・アメリカではブラジルと並んで富の分配が最も悪い国の一つになっています。 そのため、今後の課題としては、失業、貧富の格差改善等社会政策の実施、運河返還地域への外国投資誘致の実現、また、経済国際化の動きの中で、2国間自由貿易協定の推進及び輸出振興などの問題にどのように対応していくかなどが残されています。


産 業

 主要産業別GDP構成比(1995年)は、農業10.4%、鉱工業9.0%、サービス業80.1%となっています。  主な農産品はバナナ、米、砂糖きびなどで、主な工業は食品工業と石油精製業などがあります。
 サービス産業の比重が高いのは、パナマ運河およびコロン・フリーゾーンの存在のほかに、米ドルが自由に流通していたことと開放的経済体制が維持されていたことなどを背景に、パナマが国際金融センターとして重要な地位を占めてきたという要素によるものです。

金融センター

 1907年パナマ政府は、パナマを金融センターとすべく銀行法を改正して、進出銀行に対し自由な営業活動を保証し、オフ・ショア取引において税制面での優遇措置を与えるなどの銀行誘致策をとりました。  この結果、パナマにおいて米ドルが自由に流通していること、政情が安定していることもあり、70年当初、営業銀行数は26行であったのが、88年11月には113行に増加しました。 しかし、対米関係の悪化に伴い、一時金融センターの縮小があったものの、その後の対米関係の改善、国内政治状況の安定により、銀行活動も着実な回復が見られ、96年末には総資産335億ドルの水準になりました。

コロン・フリーゾーン

コロン・フリーゾーンは、パナマ運河の大西洋側の出入口であるコロンの一角にある自由貿易地区で、この地帯への輸入、この地帯から海外への再輸出には課税されないため、各国のメーカーや商社が進出し、中南米市場向けの保管基地として利用しています。 また、再輸出による所得に対し、国外営業所得として2.5%から最高8.5%までの軽減税率を適用しており、これが大きな魅力となっています。 いまや金融センター、パナマ運河とともに国際的にパナマを代表する部門となっています。

貿 易

貿易収支は恒常的赤字になっています。 これはパナマの第1次、第2次産業が弱体であり、食料加工品などの生活必需品から衣類、雑貨、工業製品、機械など、生活、生産の手段に必要なほとんどの品目を輸入に依存しているためです。 

オープンフラッグ海運大国パナマ

 実際パナマが世界有数の海運国である理由は、便宜置籍船が多いことによりますが、便宜置籍船とは、例えば、実質的な船主は日本の会社であるが、形式的な船主(船籍)をパナマとしておくもので、オープンフラッグとも呼ばれパナマでは約76年前から行われています。パナマ以外ではリベリア、キプロスなどもオープンフラッグ海運大国です。 ちなみに日本の船の約4割がパナマ船籍となっています。
 パナマ船籍を取るためには、同国内に弁護士を置き、登録船舶を管理する会社を設立しなければなりません。 実質船主は、パナマ船籍の船を借りて運用するという形式になります。船舶登録手続きが簡単であり、船主が船籍を移すことについても制限が少ないという利点がありますが、実質船主のメリットは、税金が課せられないことです。船舶を最初に登録する際に、船舶の大きさによって決まっている登録料はかかりますが、収支に応じた法人税はかからず、収支の報告義務もありません。 また、パナマには世界の主要な銀行が集まっていることから、船を担保とした融資も受けやすく、さらに、アメリカ、日本、ノルウエー等の伝統的な海運国では、船の士官は大部分自国民でなければならない等、船舶管理には厳しい条件がありますが、パナマでは、士官、乗組員を含めた全乗組員の10%がパナマ人であればよく、その条件を満たしていれば、士官の国籍は問われません。これは年々厳しくなってきている環境対策や人件費の高騰の中で、日本国籍の船だと船長の人件費に月百万円以上必要ですが、パナマ船籍にしておくと、四分の一の費用で中国人やフィリピン人の船長を乗せることができるのです。


コンテナ港と漁港の発達

 今まで一つのコンテナ港をもっていたコロンに、1992年からイギリス投資のコンテナ港と台湾系海運会社「エバーグリーン」投資によるコンテナ港の建設工事が始まり、1997年からは大平洋側のバルボア港も香港の港湾開発会社「ホッチンソン社」によるコンテナ港開発工事が決まり、ラテンアメリカ向けの貿易拠点としての大幅な発展が見られています。 
 またパナマは日本のマグロ漁船や中国系漁船の南米での活動の重要な拠点としても利用されています。パナマ市のバルボア港には、エクアドル沖で漁をするマグロ漁船や供給船などがよく見かけられ、パナマ市から30キロ離れた大平洋側のバカモンテ港は色々な国の遠洋漁船が供給拠点と利用したり、または海産物を陸揚げする重要な漁港となっています。


(1999年12月改正)


参考資料: JICA発行「任国情報/パナマ」、外務省提供「各国・地域事情と日本との関係/パナマ共和国」、在パナマ日本大使館作成「パナマ共和国概況 99年度」


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