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ブラジル経済の特質
A ECONOMIA BRASILEIRA



[大土地所有制度] [不平等な所得分配] [工業化過程の特質] [対外債務問題]
[インフレーションの高進] [経済自由化の成果] [経済自由化の課題]



第一節 ブラジル経済の基本的特質

1 大土地所有制度

 ブラジルには歴史的に固有な土地所有制度があり、著しい土地の集中が進んでいる。1995年の農業センサスによると、10ヘクタール以下の零細農は全農場数のうち49.4%を占めるが、農地に占める割合は僅かに2.2%に過ぎなかった。逆に、1000ヘ クタール以上のファゼンダ(fazenda)と呼ばれる大農場は全体の農場数の1.0%に過ぎないが、全農地のうち45.1%を占めている。かつては、こうした大農場は肥沃な優等地を多く支配しているにもかかわらず、近代的な経営に関心がなく、粗放的で生産性が低いとされてきた。同様に、零細農も家族労働が主体であり、わずかに自給作物を非効率的な方法で生産しているに過ぎない。
 しかし、70年代に入ると多くの中・大農場が近代化し始め、なかでも大豆、コーヒー、砂糖キビ、オレンジなどの輸出作物や戦略作物は対外債務返済のための輸出奨励政策を背景に、機械化された大規模経営によって急激な成長を遂げている。とくに、大豆生産は60年代にはごく僅かであったが、短期間に急成長し、現在では生産量・輸出額ともブラジル最大の農作物で米国に次いで世界で第2位の生産国となっている。その営農方法は、大規模経営、機械・土地集約的技術、灌漑設備など極めて近代的な生産方法を採用しており、高い国際競争力を有している。この大豆生産の拡大にはセラード地域における日本の技術協力が大きく貢献したことが良く知られている。

 だが、大農場の近代化と拡大の裏側では、農業補助政策が輸出作物に偏向していたこと から、国内向け基礎食糧作物の生産が停滞することになり、これを生産する多くの零細農 家が土地無し農民へと転落した。零細農家が手放した農地は大規模農家に吸収され、土地 がいっそう集中するという現象をもたらしている。同時に、大農場の機械化など労働節約 的技術の導入は、それまで大農場で抱えていた労働者を必要としなくなり、伝統的な小作・地主関係が崩れ、やはり土地無しの農民を多数輩出することになった。こうした土地を持たない労働者はボイアス・フリアス(冷めた弁当)と呼ばれ、農業賃金労働者として日雇いもしくは季節労働で生活の糧を得ているに過ぎない。農村での生活に困窮すれば都市に流出するが、都市での雇用機会が限られているため、いずれの場合も極めて貧しい生活条件におかれている。


2 不平等な所得分配

 以上のような農村内部での豊かな地主層と貧困な労働者層の二極分解は、所得分配の不 平等性と貧困問題の基本的要因の一つとなっている。ブラジルは世界で最も分配が不平等 な国の一つで、世界銀行のデータによると95年には分配の不平等度を表すジニ係数は60.1と極めて高く、最も裕福な階層の10%の所得階層が所得全体の47.9%を占めるのに対し、最も貧困な階層の20%は全体の所得の2.5%を占めるに過ぎない。もちろん、こうした所得分配の不平等には、教育機会の不平等、間接税主義・所得税における累進性の不足・相続税の不備などの問題も重要な要因となっている。また、農業・工業それぞれの部門内での格差の問題や、地域間、企業間、職種間など種々の所得格差の複合的な結果とみなすべきである。

 問題はブラジルの所得分配問題、貧困問題が経済発展とともに深刻化し、現在において もなお依然として拡大・悪化傾向にあり、90年代から始まった経済自由化によってむし ろその傾向が強められていることである。とくに東北部の諸州はアフリカ並みの貧困だといわれており、世界の冠たる農業生産国、食糧生産国でありながら、貧困に苦しむ1千万 とも2千万ともいわれる人々が同じ国の中に存在することは、アフリカ諸国とは質の異な る貧困問題であり、かつ、より深刻な問題であるといえる。こうした分配と貧困問題の存 在は、強い社会的緊張と政治的不安定性の潜在的な圧力となっており、深刻な階級間、セ クター間の対立をもたらしている。
 例えば東北部の諸州には土地無し層が多く存在するが、最近では全国的に「土地無し農 民運動(MST)」が広がり、少なからぬ社会的影響を与えるにいたっている。これは、大土地所有者の土地を占拠してもそれが未使用地である場合、農地改革(INCRA)が占拠した土地を地主から強制的に買い上げ、それを土地無し農民に分配するシステムを利用した農民運動である。土地無し農民の土地占拠が広がるにつれて各地で大土地所有者との抗争が頻発し、無視できない社会的問題となりつつある。


3 工業化過程の特質

 ブラジルで本格的な工業化が始まったのは1950年代からである。そこでは、政府主 導の開発政策のもと、いわゆる輸入代替的工業化が採用され、政府系企業・外資系企業・ 民族系企業が三脚(trip)となって工業化を支えた。60年代前半までは容易な輸入代替の余地が存在し工業化が進展したが、やがて輸入代替的工業化は市場制約に直面し経済成長のダイナミズムは失われた。このため、64年の軍事政権への転換とともに経済再建と輸出志向的戦略が図られ、再び60年代末から70年代初めにかけて「奇跡」と呼ばれる高度成長を実現した。しかし、73年の石油ショックを契機として深刻な経済停滞と対外収支不均衡に直面したため、対外債務に依拠しながら資本財・中間財・エネルギーなどの分野で第二期の輸入代替的工業化を推進したが、80年代の対外債務危機にいたるとブラジルの工業化は再びそのダイナミズムを失うことになった。

 以上のようなブラジルの工業化過程の問題点は以下のように整理できる。

・輸入代替を進めるための過度で長期的な国内市場保護は、狭隘な国内市場で多数の非 効率な産業を生み出し、輸出競争力を獲得するにはいたらなかった。このためアジア諸国 のように狭隘な国内市場を輸出によって打破することはできなかった。

・輸入代替が比較優位を考慮せず無差別に実施され、消費財のみならず中間財、資本財 にまで及び、非効率な産業を多数抱えることになった。また、これら産業では多数の政府 系企業が設立されたが、莫大な赤字を抱え政府財政の大きな負担となった。

・輸入代替的工業化の主体の一つは多国籍企業であったが、多国籍企業は本国で開発さ れ普及している労働節約的・資本集約的技術を導入するのが一般的であったため、工業化 は十分な雇用吸収能力を提供するものではなかった。また、工業部門への優遇政策は、生 産要素市場における政策的歪みをもたらし、やはり労働節約的・資本集約的な技術が促進 され、工業部門での雇用吸収能力を不十分なものとした。

結局、輸入代替戦略に基づく工業化は、資源配分に歪みをもたらし、非効率な生産シス テムを作り出したと同時に、輸出産業へと転換できなかったことから市場制約を打破でき ず工業化の長期的な成長を保証できなかった。また、雇用吸収能力が不十分であったこと は、農村から都市に排出される労働者を吸収できず、都市インフォーマル・セクターの肥 大化の基本的要因となったのである。しかし、後述されるように、90年代に入ると、それまでの政府主導の開発戦略から市場メカニズムに立脚する開発戦略へと急激に転換がな され、ブラジルの工業部門はその姿を蛯ォく変貌させている。


第二節 マクロ経済の進展

1 対外債務問題

 1970年代のブラジルでは、軍事政権のもとで政府主導型の発展戦略が追求され、と くに73年の第一次石油ショック以降は対外借り入れに依存した積極的な高成長政策が追 求された。一国が国際収支不均衡などのマクロ的不均衡に直面しているとき、十分な対外 借り入れが可能であれば、無理な投資資源の動員や困難なマクロ調整を必要とせず、現在 の投資や政府支出を海外資金によって補填し、社会的・政治的安定を得るための高成長政 策が実施可能となるからだ。しかし、基本的にかかる高成長政策は、政府が広範に市場に 介入することによって主導されたため、市場メカニズムの機能を弱め、資源配分の歪みを 拡大するものであった。

 ブラジルの場合、対外債務の7割近くが政府や政府系企業の借入れであったことから、 多くの部分がナショナル・プロジェクトに投下され、世界最大といわれるイタイプ・ダム をはじめ、原子力発電所、鉱山開発、製鉄所、鉄道建設などのエネルギー、基幹産業、イ ンフラストラクチャーへ大規模投資がなされた。しかし、これらの分野への投資は懐妊期 間が長く、投資を開始してから実際に生産活動が開始されるまで極めて長い期間を必要と することや、輸出財産業への連関効果が希薄であるという問題点を有していた。したがっ て、対外債務が直接的に債務返済のための外貨獲得能力すなわち返済能力につながらず、 80年代に入り深刻な債務の返済負担に直面することとなった。ブラジルはIMF の債務危機管理政策に従い、債務返済のために国内経済の引締めと輸入制限に基づく国内経済調整を実施したが、これはブラジルに急激な投資率の低下と経済停滞をもたらすものであり、たんに一時的な返済資金を作り出させるものに過ぎなかった。このため、IMF の経済調整策はかえってブラジルの返済能力の形成を妨げただけでなく、深刻な経済停滞によって社会的不安定化が生じた。1,110億ドルの対外債務を抱えたブラジルは、返済負担に耐えきれずついには87年に支払拒否を発動する事態となった。
 しかし、80年代末になると、米国など貸付を行なっている先進国側で、発展途上国の 債務問題は一時的な流動性不足ではなく返済能力欠如の問題であると認識されるようにな り、それまでの総需要抑制や銀行に新規融資を求める方法から、いわゆる「ブレイディー 提案」と呼ばれる債務免除を認める債務処理方法へと転換した。ブラジルに対しては92 年に債務の35%減免などの内容で債務救済が合意され、ブラジルの対外債務問題は一応 の決着をみた形となった。しかし、海外資金に強く依存する体質を残したままで90年代 に資本自由化が進展したため、80年代の政府の銀行借入れという形ではなく、証券投資 や民間部門の海外資金調達などの新しい形での対外債務が急増している。99年には2,447億ドルにまで達し、後述される通貨危機の基本要因となった。

2. インフレーションの高進

 ブラジルでは、他のラテンアメリカと同様に1950年代から慢性的なインフレーションを経験してきた。とくに80年代に入ると著しいインフレの高進がみられ、ハイパー・ インフレとなった。80年代のインフレ高進は、債務危機を背景に階層間・グループ間の 対立による政治的圧力が高まり、マクロ政策が政治的圧力から隔離されないため85年か らの民主体制下でポピュリスト的政策が実施され、マクロ政策の整合性が失われたことを 背景としている。政府系企業の赤字・政府の債務返済負担にともなう財政赤字の増加、イ ンデクゼーションがもたらすインフレのイナーシャ、安定化政策の失敗の繰り返しによる 政府への信頼の低下によって、インフレは際限なく上昇を続けた。
 以上のようなインフレの高進に対し様々な安定化政策が実施されてきた。80年代中頃 までは対外債務政策とともに実施されたマネタリズムに基づくオーソドックス・タイプの 安定化政策が基本であった。しかし、その結果は、インフレの継続と深刻なリセッション の発生であった。オーソドックスな安定化政策は、総需要の抑制が速やかな価格調整を伴 うことを前提としているが、現実には価格の下方への調整は緩慢である。長期間にわたり 高インフレを経験した国では、民間の安定化政策への信頼が欠如しており、インフレ期待 の下方への調整はスムーズではない。かかる状況下ではマネタリズムの安定化政策が実施 されたとしても、総需要抑制がインフレ率を低下させるには極めて長い時間を要する。こ の間の景気後退と失業の拡大が社会的コストを高め、社会的・政治的安定が脅かされるこ とになり、インフレ抑制策は貫徹されずストップ・アンド・ゴーを繰り返すのが常であっ た。
 このため86年には「クルザード計画」と呼ばれ、価格凍結や所得政策に基づくヘテロ デックス・タイプの安定化政策が実施された。しかし、一時的にインフレを抑圧すること は可能であったが、財政の健全化が伴わなかったため、結局はインフレを抑制することは できなかった。価格凍結によって強制的にインフレをコントロールしたとしても、財政赤 字が存続する限りインフレ期待を鎮静化することはできず、経済にはこの財政赤字に対応 するインフレ率を実現しようとするメカニズムが働き、時間とともに価格凍結が維持でき なくなるからである。80年代末になると、ヘテロドックス・タイプの安定化政策の実施 と失敗を繰り返すうちに、政府に対する信頼がさらに失われ、ついにはハイパー・インフ レが出現することとなった。ハイパー・インフレは、価格のシグナル機能を破壊し資源配 分を歪めると同時に正常な経済活動を麻痺させ、未曾有の経済危機をもたらすことになっ た。90年3月には月率で82.2%となり、90年の年率は2,864%にまで達した。
 しかし、94年に入るといわゆる為替レート・アンカーに基づくインフレ抑制政策が実 施され、インフレは急激に沈静化した。93年に財政緊縮政策が実施されるとともに、94年4月にはURV と称する計算単位が導入され、事実上ドル単位ではインフレが存在しないことを民間に理解させることなどの準備期間を経て、「レアル計画」によって新しい通貨と実質的なドル・ペッグが導入され、人々のインフレ期待を沈静化させることになった。ドル・ペッグは貿易財部門のインフレ率を瞬時にゼロとし、非貿易財部門のインフレ率も徐々に低下し、96年には一般物価水準のインフレ率は一桁となった。 しかし、周知のように、ドル・ペッグ制は完全にインフレ率をゼロに抑制しない限り為 替レートの過大評価を生み出し、対外収支は赤字が拡大した。こうした対外不均衡は旺盛 な海外資本流入で埋め合わされていたが、98年に入るとアジア通貨危機の影響のために資本流出が始まり、99年1月には変動相場への移行を余儀なくされる通貨危機に直面し た。現時点では、変動相場制で独立となった金融政策の下でのマクロ運営が課題となって おり、インフレーション・ターゲッティング政策を実施している。ただし、依然としてマ クロ的状況は必ずしも安定的であるとはいえず、今後は財政健全化と為替レートの安定化 が重要な課題となっている。


第三節 経済自由化の進展

1. 経済自由化の成果

 1990年代には新経済自由主義がラテンアメリカ諸国を覆うなか、ブラジルもコロル 政権下で本格的な市場経済化が開始され、その開発戦略は大きく転換した。貿易自由化、 民営化、地域経済統合、規制緩和など様々な領域での経済自由化が進展している。 貿易自由化の指標として平均関税率の変化を見ると、改革前の89年には42.2%(単 純平均関税率)であったが99年には13.6%にまで低下しており、アジア諸国が30 年近くを費やして実現した関税引き下げを短期間で実現している。貿易自由化は輸出・輸 入を急増させ、輸出は90年の314億ドルから2000年の551億ドル、輸入は同時期に206億ドルから558億ドルへと拡大している。こうした輸入代替期の閉鎖的経済から開放経済への転換に伴い、ブラジルの産業構造や企業行動は大きく変化している。例えば労働時間当りではかった製造業の労働生産性は90年代に実に95%近い上昇を示し ている。
民営化の実績はさらに顕著である。91年に始まった連邦政府・州政府企業の民営化は、 売却額と債務移転を合わせると2000年4月までに1022億ドルに達する。95年の外資差別を撤廃した憲法改正から民営化が本格化し、製鉄、電力、化学、銀行などの分野で進展した。98年からは、固定電話・移動電話などの通信分野での民営化が始まり、現在では通信が民営化の最大の分野となっている。民営化は、その企業の効率性と公共サービスの質の改善、財政負担・政府債務の軽減が期待されるが、同時に外国資本の民営化への参加によって直接投資の拡大が期待される。もちろん、民営化はそれだけで市場競争の改善を意味するものではない。独占的市場構造が解消されない限り、市場成果や公益の改善は保証されず、この意味で市場競争政策が必要である。
90年代には海外からの直接投資も急増した。90年代初めには資本市場自由化ととも に証券投資が急増したが、ペソ危機やアジア通貨危機でその比重を低下させたのに対し、 直接投資は通貨危機の時期にも拡大した。中央銀行データによると、99年にはブラジル の通貨危機にもかかわらず269億ドル、2000年には305億ドルが流入し、世界で中国に次ぐ直接投資受入国となっている。とくにスペイン、ポルトガルなどのヨーロッパ企業が通信、電力、銀行などの分野で急速にそのプレゼンスを高めていることと、自動車部品産業などで欧米企業が積極的にM&A を展開していることが注目される。しかし、逆にこうした通信、電力、銀行などの分野で競争力を持たないわが国の対伯直接投資が激減していることに注意が必要である。

 以上の直接投資の趨勢的な拡大には、自由化とパラレルに進展してきた地域統合が関連 している。ブラジルは95年よりアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイとメルコスール を結成したが、ブラジルへの直接投資の急増には、民営化関連の投資だけでなく、海外企 業がメルコスール域内の貿易の急増を一つの統合された巨大なマーケットの成立として判 断し始めたことと、今後のメルコスールの南米大陸での外苑的な拡大を予想して投資を行 なっていることがあげられる。実際、ブラジルからのメルコスールへの域内貿易は急速に 拡大しており、94年から97年の間に輸出は62%、輸入は110%の増加であった。
メルコスールは発足後、チリ、ボリビアをメルコスールの準加盟国として加え、EU とのFTA (自由貿易協定)交渉など積極的にリージョナリズムを展開している。ただし、ブラジルの為替レート切り下げ後は域内貿易が停滞したことや、2000年からのアルゼンチンの経済危機によってアルゼンチンが共通関税から一部離脱するなど共同歩調に乱れが生じていることも事実である。

2. 経済自由化の課題

 1990年代の経済自由化を目指す改革が成長率の回復などの成果をもたらしたことは 疑うべくもない。しかし、急激で広範な自由化が様々な影響を与え、社会的不安定をもた らしていることも否めない。経済自由化は、これまでの政府介入主義の弊害を除去し、長 期的に経済全体としていかに有益であっても、異なる階層・セクター間に必ず調整コスト と再分配のインパクトを与える。とくに政策改革の移行期においては、改革のコストがす ばやく現れるの対し、改革の成果が実現するには時間を要する。とくに製造業の場合、貿 易自由化が競争力改善のために生産性の改善を要求し、資本・技術集約的な技術の採用が 促進されることから、労働のインフォーマル化や柔軟化が生じ、雇用機会を減少させてい る。ヴァルガス財団(FGV )のデータによると製造業での雇用は総労働時間数で94年を100とすると2000年5月には80近くにまで低下している。
 一般的に、製造業から離れた労働者はサービス部門に雇用を求めることになるが、通信、銀行、一部商業などを除き、多くの雇用機会を提供するサービス部門はインフォーマル部門である。近代的なサービス部門がより高い技能を有する労働者を雇用し、より高い賃金を支払うのに対し、インフォーマルなサービス部門では低賃金のままであり、賃金格差が拡大する。こうした事情を反映し、国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(CEPAL )のデータによると、ブラジルのジニ係数は90年の0.528から97年には0.538へと悪化している。経済自由化の分配への影響に関しては今後の研究を待つ必要があるが、少なくとも90年代の経済自由化の追求が社会的公正を改善したとはいえない。このため、経済自由化とともに社会的公正に配慮した政策と制度的な整備が必要であることが示唆される。
また、急激な政策改革がもたらした問題の一つに、99年1月にブラジルが通貨危機に 直面したことがあげられるが、結局、こうした問題は国内の諸制度が未整備のままに急激 な貿易・資本の自由化を実施した結果であり、マクロ政策など他の政策と非整合的であっ た結果であるといえる。したがって、政策改革には他の政策との整合性が必須であり、画 一的な処方箋に基づくのではなく、改革のシークエンスなどそれぞれの諸国における個別 の事情に応じて策定される必要がある。しかし、こうした複雑な政策運営には高度の政府 能力が要求される。
さらに考慮すべきは、ブラジルの長期的成長に不可欠な条件である、貯蓄動員、国際競 争力の改善、基礎教育による人的資源の開発などの問題に、経済自由化がどのように関わ るのか不明な点である。したがって、整合的な政策改革を立案・実施するためにも、社会 的公正や長期的成長の条件を実現するためにも経済自由化の進展のなかで、改めて政府の 役割が問い直されているといえる。


おわりに

ブラジル経済は政府介入から市場メカニズムへと大きくその開発戦略を転換したが、市 場メカニズムが全ての経済問題を解決するわけではないし、常に十分に機能するわけでも ない。持続的な経済成長や社会的公正が実現されなければ、豊かな社会を築くことはでき ない。市場が解決できない問題や市場を機能させるために、政府や制度は依然として重要 な役割を有しているし、そのためには政府改革と制度構築が必要である。
だが、ブラジルの政府と制度は、市場を補完する適切で十分な能力を備えているとはい えない。残念ながら、これまでのブラジルに関しては、政策の非整合性・非継続性・非効 率性、肥大化した公的部門、官僚の腐敗、信頼されない司法、レントシーク、ネポティズ ムなどのイメージが付きまとっている。法律やルールを遵守させるための効率的な制度が 機能しなければ、市場メカニズムの前提条件である私的所有権、契約の履行などが保証さ れない。
政府の機能強化の基本的メニューは、公的部門に競争を取り入れ、公的部門の効率性を 高めることである。さらに官僚組織自体のインセンティブを改善する制度的メカニズムと して、司法の独立性・権力の分立などチェック・アンド・バランスの構築、実力主義の導 入と登用システムの改善、分権化、公務員へのモニタリング・メカニズムと懲罰メカニズ ムの強化などが必要である。しかし、ここで問題とすべきは、政府改革はいかなる誘因に よって開始されるかである。政府の改革は、実は政府自身が取り組まなければならない問題でもあるからだ。
しかし、ここでは既にブラジルにおいて、政府・官僚組織に変化を与える趨勢的な環境 変化が生じていることを重視したい。すなわち、民主主義の定着のプロセスにあることと、既に第一段階の改革が実施されグローバルな競争圧力にさらされていることである。民主主義の進展は、一般大衆の政治的参加を促し、非合理的で特定の利益集団や階層のみの利益となる体制や政策を許さない政治的状況を作り出している。現実にも、まだ始まったばかりとはいえ、行政改革やチェック・アンド・バランスの確立を目指す改革が進みつつある。また、ブラジルでは、経済自由化とともに勝者と敗者が峻別されるに従い、女性、エスニックス、環境問題などが新たな問題として登場してきた。また、NGO などの市民組織も大きな社会的影響力を持つようになりつつある。かつて連邦国家改革省の大臣であったブレッセル・ペレイラは、政府改革と民主化の進展は表裏一体であると主張している。
同時に、経済の世界経済との緊密化や地域統合の拡大と深化は、既存の経済システムの 必然的な変革を迫っている。国際的な取り引きの拡大は、保護や規制の代りに、公正な競 争のルールを求めている。政府と官僚システムに対しても、より透明な行動ルールと制度 を要求しており、より透明なルールと制度のもとではじめて健全で活発な経済活動が促進 される状況となっている。ブラジルでグローバル・スタンダードが浸透した事例として、 金融システムの改革が挙げられる。九四年の「レアル計画」によるインフレ鎮静化後に銀 行危機が生じたブラジルでは、グローバル・スタンダードに従って中央銀行の機能強化が 図られ、銀行セクターの徹底したリストラ政策、プルーデンス規制の整備、中央銀行の監 督業務の強化、外資系金融機関の導入などを積極的に進め、現在ではアジア諸国より健全 な金融システムを実現しているといってよい。

 いずれにせよ、ブラジルは日本とも重要な経済関係を有するラテンアメリカにおける大 国であり、今後の進展を注意深く見つめていく必要があるといえる。

ブラジル経済 ―基本問題と今後の課題― 西島章次 (神戸大学経済経営研究所教授)より(1999)



参考となるサイト:
<ブラジル経済> <駐日ブラジル大使館のブラジル経済情報> <ブラジル経済危機>






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