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理想郷ブラジル/ 首都ブラジリアの紹介
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  ブラジル人の未来を切り開くために選ばれた町



作者が空より撮影したブラジリアの北側商店エリア

[挑戦する国ブラジルを象徴する都市] .............  [飛行機の形をした町ブラジリア]

[首都移転計画:ブラジリアの誕生] ...  [ブラジリアの都市計画 -ル・コルビュジエ-]

 挑戦する国ブラジルを象徴する都市


 ブラジリアはブラジル人の未来を切り開くために選ばれた町であるとされています。そしてこの町は、リオデジャネイロが世界的美しさを誇っていた1960年代に建設され、当時では「想像を絶するほど美しい町」などと絶唱され世界中を驚かせた都市でした。 リオとは対象的に、この町には人間が集まってきてできた町という印象はどこにもなく、存在自体がひとつの芸術作品といわれるだけの人工的完成度がありました。この町は完全に計画的にはじめから首都として機能するために造られた都市なのです。そしてこの町を回ってみるときにブラジルの広大さや、ブラジル人の感覚や考え方が感じられます。そして現状満足しない、つねに新しいことに挑戦する国ブラジルを象徴する都市であることがいたるところに感じられます。
上の写真:大聖堂(カテドラル)


ブラジリア市内の商店街(左写真)と一般的集合住宅(右写真)

 飛行機の形をした町ブラジリア

 ブラジリアは、セラードという何もない荒れた平野に、ブラジルが誇る天才芸術家たちによって「飛行機」の形をした大胆な近代都市が、自然と完璧なまでのバランスを取りつつ描かれています。 そしてこの町こそは、飛行機産業から宇宙開発へと未来に羽ばたこうとするブラジルを象徴する未来都市なのです。
 特徴の一つに荒野の中の激しい乾燥気候を多少でも水分の潤いある環境を作るために巨大な人造湖で町の中心を翼で覆うように設計されて造られています。このブラジリアの都市工学モデルは多くの専門家の研究対象にされてきました。


行政、学問、宗教の中心となるブラジリア

 ブラジリアはブラジル国家の行政的頭脳とて機能し、さらにここに暮らす国会議員や幹部公務員の子供たちをブラジルの将来のリーダーとなる人材として育成する場所として一種の学園都市的な国家教育の中心となる役割も特徴のひとつです。さらに、ブラジルの首都がこの地に建設されることを神の意志だと予言したドンボスコの影響で、多くの宗教団体や社会福祉団体などがブラジリアに拠点を置くようになったため、様々な団体のコレクションのような集中ぶりが見受けられます。

 たった3年で建設された奇跡的な出現から多くの謎を秘めた都市としても関心を集めていますが、特に古代エジプトの都市と共通したデザインや考えかたも取り入れられていると言われ、 ピラミッド型の建物も多く見られます。そして新興宗教や、伝統魔術などを伝える多彩な団体の本部などがいたるところに見られ、南米の霊的首都としても知られています。
【ブラジリアの謎と魅力】


右から:ブラジリア建設の功労者のシンボル「カンダンゴ」、大統領官邸の前、三権広場


 ブラジリアの誕生

 1956年にブラジル大統領となったジュセリーノ・クビチェックはリオにあったブラジルの首都を国内の中心部に移す計画を選挙公約として当選したことから、なにもない荒野の建設予定地にテントをはって自ら乗り込み建設工事を指揮し、そして計画通り1960年4月21日に遷都を行いました。
 ブラジルでは、大統領任期である4年以内に事業が完成できないのであればその事業は始めから手をつけないほうがいい、という考えが政治界での常識であったので、1年目は設計と積算の準備期間とし、2年目から建設工事をフルピッチで進めて4年目に首都として機能する都市を完成させたわけです。 なにもなかった荒野のまっただ中に、たった3年で近代的な未来都市が造られたのです。 当時は20世紀最大の奇跡とさえいわれ、世界中の注目を集め、わずか38年間で世界遺産に指定された前代未聞の町です。
 またブラジルはこれをおおきなインセンティブとして国をあげての工業化を図り、全国的な近代化を進めました。 その結果、歴史の浅い新世界の途上国の中から中進国に位置付けられ、南米大陸においてリーダーシップをとる国となっています。

 首都を国土の中央に移したいという念願は既にポルトガル植民地時代からブラジル人の心の中にありました。1750年にイタリア出身の一地図師が現在ブラジリアのあるゴイアス州及びその周辺の土地がブラジルの新首都として適切であると提唱したのに始まって、多くの意見や議論が論じられ、独立後(1822)の1891年に憲法でブラジルの首都を中央高原に移すべきことが明記されました。
 首都移転についての理由は、一国の首都を国の中心部に置きたいとおいう象徴的な希望と、首都を海岸線に置くのは危険であるという国防上の理由がありましたが、時代と供に文化の内陸地方への浸透、全国的な産業開発の見地から、ブラジル中央高原へ移ることの必要性が認識されてきたようです。また、アメリカの西部開拓史にも似た、ブラジル人の内陸部へのあくなき好奇心、探究心もあり、この開拓を進める拠点としても、この海から遠く離れた高原地帯が「約束された首都」となってきたようです。


“ブラジリアには都市としての起源と歴史がない。広々とした大地に巨大な造型が横たわる。それはあまりにも唐突で、一種不自然で、ヒューマンスケールを超え、人間を圧倒する。しかし視線を少し上げると、このランドスケープの延長上には広大な大地が広がり、そしてそれ以上のスケールで広大な天空のパノラマがこの都市をおおっている。そのような大きな風景の中では、この巨大な造形も、人々が託した開拓の精神の象徴として、人間的にするも感じられる。”(伊藤寛、「ブラジリアの現在、そして、未来」より)
写真:国会議事堂 (全面のお椀を伏せた形状の上院議場とお椀形の下院議場)と国会議員棟(後ろ)

 ブラジリアの都市計画 -神話的特徴-

 ブラジリアは、大地に描かれた一枚の絵です。その最初の絵(都市計画)を描いたのは、リオデジャネイロ国立美術学校(建築学部も含む)の校長もしていた ブラジル人建築家で都市計画家のルシオ・コスタでした。
 ブラジリア建設を夢に大統領に当選したクビチェック大統領は、新首都建設のために「連邦新首都建設公社」(NOVACAP)を設立し、チーフアーキテクトにニューヨーク国際連合本部ビルの構想にも参加したオスカー・ニーマイヤーを任命していましたが、このニーマイヤーは、都市計画デザインを決めるための「新首都パイロットプランナショナルコンクール」を大統領に提案しコンペを開催させました。
 この1956年に行われたコンクールにコスタは、彼特有のフリーハンドのスケッチが挿入されたほとんど図面らしきもののない分厚いテキスト仕様で、他の建築家のプランとは大きく異なる都市計画案を提出し、これが採用されました。そしてこの独特の手書きタッチの図が多くの神話を生み出し、それが現実化への道をたどり、そして新たな神話へと進展しているのです。

 ルシオ・コスタのブラジリア都市計画案に描かれている不思議な図は、設計図というものではなく、考えをまとめるためにノートにメモったような下書きのようなものです。一番目の図は、平原に描かれた一つの十字形から始まっていますが、彼はそれを「十字架すなわちキリストの姿を象徴するもの」であるとしています。二つ目の絵はその十字架が前面にある人口のパラオノア湖の形に合わせて逆二等辺三角形が描かれ、その中に収まるように十字形の横軸が湾曲した形へと変化した絵となっています。横軸が湾曲することで、十字形は後に飛行機型、鳥型、あるいは弓矢型と、さまざまによばれる柔軟な形態へと変容しています。飛行機、鳥、弓矢は、いずれも単純には飛躍や未来指向のイメージを表わすものです。

 コスタ案を採用したブラジル政府は、パイロットプランの形態を「奥地への開拓を進める意味をもつ飛行機の形」と表現しています。飛行機は文明の象徴であり、飛行機なくしては存在しえない都市であることも意味されています。また、コスタのスケッチ原案は、ブラジル原住民が狩猟に使う弓矢をも連想させますが、文化人類学者のミルチャ・エリアーデは、矢を放つ行為は人類が最初に行った「空間の征服」を意味すると言っています。矢は、その超自然的な速度と威力から呪術的な意味をもつことはよく知られていますが、世界各地の神話ではしばしば落雷と同一視され、即発的に空間を切り取り、天と地を交流させるものです。矢は、新しい地平を指し示し、切り開くにふさわしいシンボルとなります。コスタの提案したブラジリアの絵は、このような原初的なイメージや象徴性を潜ませることによって、神話的な力を得ているといえるでしょう。

 もう一つの神話的特徴は、計画案が
ル・コルビュジエという20世紀にもっとも影響を与えた近代建築の提唱者の理想を、ほぼ純粋な形で具現化していることです。それは現代の建築神話です。ル・コルビュジエは、「輝く都市」や「ユルバニズム」に代表される著作の中で、秩序ある都市計画に基ずく理想的な都市像を繰り返し提示しています。その都市計画は、20世紀初頭にすでに混迷をきわめていたヨーロッパの大都市の問題を解決するための方法論でした。
 計画の中心となる基礎構想の一つはモータリゼーションへの対応を念頭においた、整然とした交通システム(道路網)の構築です。ル・コルビュジエは「パリ、ローマ、イスタンブール...これらの都市は、ロバの道にしたがって建設されている。首都には動脈がない、毛細血管ばかりだ」と表現する、窒息状態の大都市を、現代の叡智によって秩序ある都市へと再建するものでした。それ故に、1925年にはパリのような既存の大都市の上に、理想的な計画都市を重ねてみせ、比較することで未来のあるべき都市像を提示して見せたりしました。しかし、膨大な歴史的集積をもつ既存の大都市では、自動車交通網を基盤とした新都市の建設は不可能に近く、彼の理想都市は実現しませんでした。その思想が継承されたのは、ロバの道どころかまったく何もないに等しい大地に、新しい絵を自由に描くことのできたブラジリアだったのです。


 ル・コルビュジエの都市計画には、交通軸を中心とした計画、速度の異なる交通の立体交差化、歩道と車道の分離、ゾーニングや、スーパーブロックによる居住空間の機能的な区分け、ピロティ形式(一階部分の吹き放ち)による集合住居、都心部における植樹面積の増加などが建築的要素として挙げることができます。そしてこれらの要素の多くがブラジリアには積極的に採用されています。その結果、ヨーロッパでは実現できなかったル・コルビュジエの理想都市が、ブラジルにおいては奇跡的な形で誕生したのです。完成したブラジリアを訪れたル・コルビュジエは、「これこそ近代都市だ」といったそうです。それは建築だけではなく、基盤となった都市計画そのものについての感想だったことでしょう。


都市計画を担当したルシオ・コスタと 建築物設計を担当したニヤマイヤー


参考資料:
国際協力事業団ブラジル事務所/業務概要(2000.4)
季刊大林/No.44 1998「ブラジリア...約束された首都の物語」/大林組プロジェクトチーム
シグナス出版/ 大自然の楽園ブラジルへようこそ(1999)

 
【ブラジリア市内風景】 【ブラジリア滞在での楽しみ方】


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