- ラテンアフリカへようこそ-
アフリカにはラテン文化の国がありました。
■はじめに| ■案内| ■ラテンアフリカ概論| ■文化| ■カーボベルデ| ●リンク| ◆掲示板| ★管理者|
■ラテンアメリカはいかがですか| ■パナマ| ■ブラジル| ■パラグアイ| ■アルゼンチン|
  

アフリカに見つけたラテン文化圏

日本に西洋文化が入ってくる前に、西アフリカ沖の無人群島に、ポルトガル人たちは楽園を築こうとしていた。



 コロンブスがアメリカ大陸を発見する前にすでにアフリカには開発の権利を会得したポルトガル人による植民地が形成されていた。そして、奴隷制度という不幸な経緯の中にアフリカにはポルトガル、フランスなどのラテン文化が言語とともに植えつけられ、それはアフリカ人の生活スタイルにもなり、文化と伝統の一部にもなっていった。
 そしてヨーロッパ人から独立を果たした今となってもラテンの言語と文化は切り離すことのできないそれらの国々の文化として定着していたのだった。

 アメリカ大陸にラテン言語と文化が入ってラテンアメリカになったのなら、アフリカ大陸にラテン言語と文化が入って根付いているのであれば、これらの国々をラテンアフリカと呼んでもいいのではないか。





西アフリカの沖にはポルトガル人が無人島にアフリカ人を入れてパラダイスを築こうとしてできたカーボベルデがある。(首都プライアのビーチ)





奴隷として連れてこられたアフリカ人とポルトガル人の混血たちがカーボベルデという新しい国を作りあげた。ここはまさに「ラテンアフリカ」なのだ。



 ラテンアフリカの音楽




カーボベルデには、アフリカの奴隷時代の苦しみや悲しみを歌った音楽が多いが、男と女の愛をテーマにラテンバラード調で歌い上げた曲はモルナと呼ばれ、日本人の心にも訴える力をもっているが、これは新しいラテン音楽だ。

カボ・ヴェルデ〜海は思い出の住処 /セザリア・エヴォラ





 カーボベルデは、もともと無人島だったところにヨーロッパ人とアフリカ人が住みついて造られた国だから、先住民族というのはなく、外国人をよそ者扱いする傾向もない。他はどこでも排他的なところがある中、この国に来て仕事をしようとすると快く受け入れてくれる寛容性が珍しい。

カーボベルデの首都プライアのイルド・ロボス文化センターのラテンダンス教室のグループ。 左端が運動のために通う作者、つづいてラテンダンスの先輩、居川さん。




Hosted by www.Geocities.ws

1