アフリカにはラテン文化の国がありました。 |
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コロンブスがアメリカ大陸を発見する前にすでにアフリカには開発の権利を会得したポルトガル人による植民地が形成されていた。そして、奴隷制度という不幸な経緯の中にアフリカにはポルトガル、フランスなどのラテン文化が言語とともに植えつけられ、それはアフリカ人の生活スタイルにもなり、文化と伝統の一部にもなっていった。 そしてヨーロッパ人から独立を果たした今となってもラテンの言語と文化は切り離すことのできないそれらの国々の文化として定着していたのだった。 アメリカ大陸にラテン言語と文化が入ってラテンアメリカになったのなら、アフリカ大陸にラテン言語と文化が入って根付いているのであれば、これらの国々をラテンアフリカと呼んでもいいのではないか。 西アフリカの沖にはポルトガル人が無人島にアフリカ人を入れてパラダイスを築こうとしてできたカーボベルデがある。(首都プライアのビーチ) 奴隷として連れてこられたアフリカ人とポルトガル人の混血たちがカーボベルデという新しい国を作りあげた。ここはまさに「ラテンアフリカ」なのだ。
カボ・ヴェルデ〜海は思い出の住処 /セザリア・エヴォラ カーボベルデの首都プライアのイルド・ロボス文化センターのラテンダンス教室のグループ。 左端が運動のために通う作者、つづいてラテンダンスの先輩、居川さん。 |