この不良少年たちを、お前の愛の目でみつめたりするな。
慈愛の手を差しのべて、彼らを救おうなどするな。
彼らこそそのような君の態度にもっとも鋭く感じて、すばやくナイフを抜く者たちだ。
(大和屋竺)
『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』
2002〜放送中
(ABC・TV朝日系列毎週日曜朝8:30より)
(C)ABC・東映アニメーション
第1話(2002.02.03)
「どれみびっくり!新しいおジャ魔女」
演出:五十嵐卓哉
作監:馬越嘉彦 脚本:栗山緑
満足度:A
イントロが鳴って駆け足のどれみ達が現れてフレームの向こうからどれみの「ど」がやってきて「おジャ魔女どれみドッカ〜ン!」とタイトルロゴ(これが実にいい)が現れるまでのこの一連は魔法がかかってるとしか思えない。見る人間を呪縛する。俺こういうのが見たくてアニメ見てるんだよなあ。しかもそれがおジャ魔女最終シリーズ(だよな? たぶん)の掴みとしてあるわけだから、もう俺なんかそれだけで泣けるのよ。それにしてもこのOPは素晴らしい。『も〜っと!』のOPで僕が不満だったのはそこにどれみ達の生活の描き込みが不足していたからなのだが、このOPはもうどれみ達そのものと言っていい。どういうことかと訊かれると言語化は困難で非常に答えずらいんだけど、とにかくこれがどれみなんだよ! 曲も詞も画も全部がどれみなの。OP見てボロボロ泣くのなんて俺これが初めてだよ。曲調は「ほんじゃまおジャ魔女大集合」から繋がるオルタナ昭和歌謡の線、つまりピンクレディーやフォーリーブス、あるいはドリフのヒゲダンスやズンドコ節、そしてピンポンパンといった、「アート」には絶対向かわない《俗臭ふんぷんたる》アクチュアリティー。実際元ネタに「モンスター」を使ってるんだけど(歌いまわしが「ブルドッグ」にちょっと似てるとこあるような気もするけどこれはまあ僕の考え過ぎだろう)、これは絶対に正しい。意識に対応するような有形の無意識ではなくて無=意識を浮かび上げる儀式――《呪われたように釘付けに》どれみを見ること――どれみが常にそこで生活しているという現実に触れること――でかかるのはおそらくこういうアクチュアルな音楽なのだ。それは詞にも表れていて、千葉が言うように「意味が分からない」わけだけど、この歌詞は意味が分からないというよりは「意味がない」のだ。「おジャ魔女登場〜ドッカーン♪」気が付くと歌っているだろう? 考えるな、どれみを見よ! このOPは見る者にそう促している。画面狭しと動き回るどれみ達はまぎれもなくどれみ達以外の何者でもないどれみ達なのだ!
そんでまあここから先はごく個人的な内面に関わる話だから読んでる人にとっては間違いなくどうでもいいことになるから読み飛ばしてもらいたいんだけど、僕の内面ってのは90年代のアニメと切っても切れない関係にあるというか、ぶっちゃけた話僕はエヴァで内省を覚えたというかなり恥ずかしい種類の人間であるわけで、だからまあ「CHANCE! CHANCE! CHANCE!」のところでどれみ達も親御さんもクラスメイトも先生方も揃ってダンスしてるのを見ると『こどものおもちゃ』を思い出してしまうし、「よってらっしゃれ ファソラシ、どれよ?」のところで6人輪になって空に浮かんでるのを見るとエヴァの映画を思い出してしまうし、ウテナの最終回で剣が飛んでくるのを(あるいは『ウォーゲーム』の掃討シーンを)思い出してしまう。忘れられない記憶としてあるこれらの作品とどれみが確実に繋がってくれるのは僕にとってやっぱり感動的なことであるわけですよ。他の人がどう思うかは知らないけど。しかもエヴァシリーズにしてもウテナの剣にしても円の中心に向かって内側へ力が働いていた(それには作品そのものが表れていた)のに対して、どれみ達の輪は外向きなのね。いやわかるよ。短絡的だって言いたいんでしょ。まあ自分でもそう思うんだけどさ。でもダメなのよ。僕にはどうにも示唆的象徴的に感じられるのよ。どれみ達は内省でぐちゃぐちゃになっちゃったりはしないのよ。いちいち内部、つまり他のメンバーを確認しないのよ。それが僕にこうストレートに入ってきてね。僕もちゃんとしなきゃと思ったのね。ゴメンね短絡的で。でも世界を変えるってのはこういうなんでもないことだとも思うんだ。少なくとも僕には物凄く感動的なものだったのよ。どれみ見てて良かった! って心から思った。どれみについて書くことが世界を変えることになるんだって確信できた。だから僕はこれからもどれみを見るし、どれみについて書くんだよ。他ならぬどれみの為に。
で本編だ。ああもうハナちゃんがかわいいぞ畜生! 白いふりふりの見習服は見習服の最高傑作パトレーヌドレスの再現だし、お着替えは最もお着替えしてた無印の「頭からすっぽり」の再現なわけだ。ハナちゃん美味しいところ一人締めです。ひょっとしてリバーシブル構造も隠されてるんじゃないか?(2クール経過後にお披露目) どれみ達の方の新しい見習服は落ち着いたデザインが好印象。とりわけ肩のラインが素晴らしいです。しかしまあどれみもはづきもあいこもおんぷもももこもなんでみんなこんなにかわいいかなあ。世界一かわいい女の子が5人揃ってるよね(←本気)。新しいお着替えはリズムアクションがなくなっちゃったのは寂しいけど、そのぶんギュンギュン動いてるっていうか回ってるのがポイント高い。バレエでもやってるのかってくらい回ってる。さすがにこれは真似できないなあ。ン? 今まではしてたのかって? なに当たり前のこと訊いてんだよ。MAHO堂はこれまた無印を思い出させるシンプルなフロアぶちぬき構造。階上からハナちゃんを見守るどれみ達と下からどれみ達を見上げるハナちゃんと、このへんの上下に交わる視線ってのが今シリーズのポイントになりそうですね。なんだかんだと落ち付いちゃったどれみ達に替わってハナちゃんが無邪気に天真爛漫におバカに話を引っ張っていくんだろうけど、やっぱどれみ達がいるから安心してワガママ言い放題のハナちゃんをかわいいと思えるところがある。僕が必ずしも無印を無条件に肯定できないのは、どれみ達に上への視線というものが殆どなかったということがあって。「子供」を押しつけられていた感じが拭えない。どれみの抜けっぷりにイライラすることもたまにあったのね。子供って自分が子供でいるのが結構嫌で背伸びしたくなるところがあると思うのよ。身近なところのお兄さんお姉さんの真似をするみたいなところが。または絶対真似したくないというような。これは勿論ぽっぷとどれみの関係においては見られるわけだけど、あくまでそこ限りのものだったし、作品単位では視線が横にしか走っていない。それがハナちゃんの登場で下への視線が獲得されて、ついには大きくなったハナちゃんによって上への視線が獲得されたわけ。こうなると世界強度が相当なものとなって作中多少の無茶も全然平気になる。というかそもそもハナちゃんの急成長自体が相当な無茶なんだけど、結果を先取るかたちで事件(原因)が起きるような事態をもって世界は変わるのである。階段を使っての密談や教壇からの関先生のカミナリみたいなのって今までなかったでしょ? そういうことです。それにしてもこれから先のどれみ達の楽しい苦労が偲ばれますな。シリーズ初回から思いっ切り引っかき回されたどれみとももこには心から同情いたします。つうかこのふたり凄くいいコンビね。さすがは思考が同レベルと思わずにはいられないユニゾンにはなんか嬉しくなっちゃった。上下視線があるからそのぶんこんな具合に横視線も活性化されると思うのよ。いやほんとこのシリーズがどうなっていくかすんげえ楽しみです。
クラス内の描写になるとつい真っ先にかよこちゃんを探してしまう僕は自分でも相当過保護だと思うのですが、まあでもちゃんと教室にいてくれると安心するよね。
EDもいいね。楽曲的な面白味は皆無だけど、そのぶん画に手間かけてて。東映って基本的にはしょうもない会社だと思うんだけど、伊達に業界最大手で業界最古参じゃないというかどこか良心的なものが引き継がれてるところがあるんだよな。個人的に『メモル』に通じるものを感じたんだけど、コンテはやっぱりというかなんというか佐藤順一でした。そりゃ通じるわな。
第2話(2002.02.10)
「ハナちゃん6年生になる!」
演出:広嶋秀樹
作監:稲上晃 脚本:栗山緑
満足度:A-
どれみの成績の悪さもももこの天然もハナちゃんの幼児性も玉木の高飛車も次々にもう一項に相対化され関係に還元されていってくれると、見てる方としてはもう安心してそれぞれの項を笑えるのです。これよこれ。当事者の意識レヴェルではそれなりに悪意や善意があろうとも世界レヴェルでは決して悪人も善人も現れないというこの真っ当な幸福感に僕はメロメロなのよ。しかしそれは世界は複数の「物語」が相補的に重なり合っているというような種類の「物語」を作品において描いてるということではなくて、それを顕在化させようとする運動の結果なのだということは、どれみ、ももこ、ハナちゃん、玉木、関先生その他というそれぞれの項がある関係をなすとき、カメラの振り方と彼女らの位置関係が完全にシンクロしていたことからも明らかだろう。しかし広嶋上手くなったね。物語と場所に連動したカット割の堂に入ってること。
ただ若干関係が物語として落ち着いてしまいそうな気配が感じられなくもなかった。もっともシリーズ第2話にしての、この先そういう図式化が避けられない、とでもいうような早過ぎる不吉な予告はどれみを見るということへの改めての自戒――あるいは自信でもあるのだろう。
それにしても「甘えん坊将軍」はさすがだももこ。そういうとこお兄ちゃんはもう大好きよ。あとハナちゃんMAHO堂で暮らしてるみたいだけど、ご飯とかってやっぱマジョリカが用意してるのかな?
第3話(2002.02.17)
「ハナちゃんには負けられない!」
演出:長峯達也
作監:川村敏江 脚本:成田良美
満足度:B-
試験話はハズレだってとこまで無印を踏襲しなくてもいいの! そんなんだから魔女界話はいらないとか言われちゃうんだよ……。しかもぽっぷの試験にはこれまでハズレがなかったのに……。
僕には「〜じゃないみたい」はもうかなりの禁句っぽくって、ぽっぷがハナちゃんを「理由もなく我が侭言う子じゃないでしょ」というくらいにはハナちゃんもぽっぷがなんでこんなに切羽詰ってるか思いを巡らしてもいい筈じゃないかと考えちゃうのよ。それまで我が侭してたハナちゃんに対してのそのエピソードはちゃっと説得力に欠けるし(エピソードそのものはいい感じなんだけど)、それをハナちゃんが思い出してぽっぷに語ってぽっぷが平常心を取り戻すっていうのは、なんつうか無神経に感じられて相当好みじゃない。ハナちゃんは別段「語り」を入れたりしないで天真爛漫に我が侭してた方がかわいいと思うんだけど。我が侭なのと無神経なのは根本的に異なるものだと考えます。まあとりあえずがんばれぽっぷ。応援してるぞ。ついこの間まで面倒見てた赤ちゃんに身体でも学年でも追い抜かれあっという間に学校の教育カリキュラム進度も抜かれ、等級では勝ってるけど魔力そのものでは勝負になりそうもない(この前まで等級でこそ年長者に劣っているものの魔力そのものは一番の有望株と目されていたのに)という君のその複雑な立場に、お兄ちゃんはシンパシーを覚えて仕方ないのだ。
とりみきの漫画に出てきそうな顔のマジョクロスさんがなんで魔法使わんと怪しげな森の奥でひとり機織りしてるのかさっぱりわからないのと、どれみ達がいきなり「魔法使えば楽勝だよ」とか言い出して追い出されるのは、まあ単に「魔法使って楽するより何事も自分達の手でやる方が尊重される」という作品(が属する文脈)内の美徳のあからさまな結果なんだけど、それはその美徳が今や単なる前提でしかないということなのである。それについてはまあなんとも思わないけど、そんなもんにいちいち付き合わされるどれみ達がちょっと気の毒ではある。前提でしかないなら無視しちゃえっての。つうか内面化されてない明文化された規則に私的に従ってるって風に感じられるのがどうも野暮っぽくてね。「一から口で説明されないと分からないのか」ってどの口がそれを言うのかまったく。マジョクロスを前にどれみに「魔法使えばいい」みたいなこと言わせたいなら最低限学校でどれももがハナちゃんに苦労させらてクタクタのところにMAHO堂でグッズ作りがあって思わず「ねえ? これ魔法で作らない?」とか言って2組の3人に心から哀れみの顔されるくらいの前置きがいるの。そういうのはおんぷにヴィデオ回させるような余技の前にやっとかなきゃいけないの。じゃないと折角の余技が生きないの。
第4話(2002.02.24)
「MAHO堂がつぶれちゃう!?」
演出:岡佳宏
作監:青山充 脚本:大和屋暁
満足度:A+
めちゃめちゃ面白かったっス。つうか面白すぎ。個人的に最ウケは放心ももこの「ペットショップMAHO堂……」
やっぱハナちゃん成長させたのは大正解だよ。ここまで他意なくトラブル起こせちゃう娘はそうはいないもん。まさに生粋のトラブルメーカー。そしてそのトラブルを起こさせてるのはどれみ達なのね。最初の悪戯は新装開店の準備でおミソにされたからだし、抱腹絶倒のおんぷ増殖は最初の悪戯を「いつもいつも上手くいくとは限らないけど、魔法っていうのはね、困ってる人を助けるために使うんだよ」と諭されたからだし。だからまあ怒られると思ったのか身を縮こませるハナちゃんにどれみは「ありがとう」と言うんだし、ハナちゃん加えてみんなで雑貨作りを始めることになる。ホントいいよね、こういうのは。意図と結果の不可避的な断絶というよりは内面性を伴わない行為に即して関係が顕れるという感じ。いいね、こういうの。ハナちゃんの行為の人っぷりはデザイン面にも表れてて、変形ツインテールが感情をストレートに反映してぶんぶん動いてくれて、髪が感情を表現してるというよりぶんぶん動く髪の毛がもう感情を置き去りにしちゃってる。あの髪は凄いよ。見てるだけで相当楽しいもん。触覚生やして喜んでるような低脳な連中には一生かかっても絶対辿り付けない世界。
それにしてもハナちゃんをおんぷに変身させるだけでは飽き足らず「どうせだったらいっぱいいた方がいいよねー」ってそのへんの犬や猫や鶏やトカゲをみんなおんぷにするというその破天荒に贅沢な発想はいったいどこから出てくるのか。「塀の上でおんぷちゃんが髪の毛逆立ててるー!」。笑うっての。で、獣化したおんぷを見て(正確にはおんぷ化した獣)おんぷの筆舌に尽くし難いかわいさというものについて改めて詳細な分析が必要だと思った。OPのウィンク+投げキッスでも明らかだけど、なんかこう見ててゾクゾクするほどかわいいってのはおんぷなんだよなあ。勿論みんな同じくらいかわいいんだけどさ。一人異才を放ってる。それは宣伝はするけど接客するとは言ってないというような小悪魔的な振るまいによるものじゃなくて、もっと瞬間的にかわいいのね。
第5話(2002.03.03)
「素顔のおんぷ」
演出:山内重保
作監:生田目康裕 脚本:栗山緑
満足度:B+
ハナちゃんは疲れて寝てるおんぷを起こすことができず、もう二度とおんぷに変身しないという約束を破って替りに仕事するのだけど、それをハナちゃんが決断するきっかけとなったのがおんぷの「パパ……」という寝言なら、今日の話はもっとハナちゃんを追い込まなければならなかったと思う。そうしないと物語に迫力が出ないというか。おんぷとの約束を守ることとおんぷにパパの夢を見させてあげたいことが決定不能というところまでいかないと、その決断(行為)は悲劇性を帯びないわけで。おんぷにとって仕事がどんなに大切かってことを伝えて「もう私に変身しないでね」と約束したシーン、ハナちゃんがしぶしぶという感じだったのと、変身したハナちゃんを追いかけて咎めるシーン、ハナちゃんが「そんなにお仕事大切にしてるなんて思わなかった」と泣き出すのを見れば、ハナちゃんとおんぷとに温度差があったのは分かるし、約束破っちゃうのもスムーズに受け入れられるけど、そのきっかけに「パパ」を持ってくるなら、約束のシーンと同じくらいの比重でおんぷがあまりパパと会えなくて寂しがってる様子をハナちゃんが見てしまうシーンが必要なんじゃないかなあ。全体的な話の作りは凄く良かったと思うんだけど。緊張が高まるところで丁度ハナちゃんが二歳児に戻っちゃって話は後、になるとか。変身ハナちゃんのちょっとした親切で本物おんぷが後から助かっちゃうとか。変身ハナちゃんの子供っぽい仕事ぶりがどれみ達といるときの自分の表情の幼さをおんぷに気付かせるところも、前の日のMAHO堂でのやりとりが効いてくるわけでさ。あそこでわざわざハイタッチを強調してるのはMAHO堂での時間をおんぷがどれだけ楽しんでいるかを端的に示しているということで。山内が去年の映画のハイタッチの作画の良さにすっかり味をしめたということではないんですよたぶん。アイドルやってるおんぷとどれみ達と一緒にいるおんぷの表情が違うということが自然なのかどうかは分からないけど、とりあえず違うのは確かで、それはそのどちらかを選ぶようなものではなく、とりあえあず違うのです。「素顔のおんぷ」というのはたぶんそういうことで、おんぷが中身はハナちゃんの写真を使うことをOKしたのもそれがおんぷの「素顔」だからではないのです。そういうわけで全体的には好印象なぶん前述の不満が気になるわけですが、なんかいまいちキレが悪いなあという率直な感想はそれと無関係ではないような気がする。山内にしては中途半端というか。まあさすがに雨の画はなかなか良かったけど。
しかしあのカメラマン絶対変態だよな。「他のどんな女優よりおんぷちゃんの写真を撮る方が幸せだよ」嫌だそんなカメラマン。ハナちゃんが変身したおんぷはすこぶる可愛くてタイヘン満足でしたが。目の上の線に黒目が被らないところがポイントね。
第6話(2002.03.10)
「学級文庫の迷コンビ!?」
演出:矢部秋則
作監:なかじまちゅうじ 脚本:影山由美
満足度:C
どれみにおいて一定の割合で確実に存在する捨てエピソードの一つだと思えば別段見ててヘコむこともないのです。だいたい今日のみたいな出来の悪い話にいちいちめげてたら3年も4年もどれみを見続けることなどできんわ! はーっはっはっは、はーっはっはっは、とエルハの陣内ばりに偉そうな高笑い。笑っとけ笑っとけ。はーっはっはっは、はーっはっはっは……はぁ(溜息)。
法とはその解釈であり運用である、とそこまで明確ではないにしろそれに近いテーマがあったわけで、ちょっとヒステリックなまでにルールの遵守を主張するけいこちゃんが杓子定規にルールを守ればいいというものではないとちょっと余裕をもてるようになるまでが描かれたわけだけど、「ヒステリックなまでにルールの遵守を主張するけいこちゃん」を見せる為に期限内に本を返さないとか又貸しするとか表紙を汚すとかいうような出来すぎなエピソードを用意するというのは作劇としていくらなんでも手を抜きすぎじゃないか。ハナちゃんに連れ込まれた本の世界が、けいこちゃんにとってさっぱりワケのわからん世界(視聴者にとってもさっぱりわからない。なんせ連れ込んだハナちゃんは遊んでるだけだし、状況や意図は全く説明されない)というのは、まあ正しいとは思うけど、そのアリス基調の本の世界が「杓子定規にルールを守ればいいというものではない」とけいこちゃんに気付かせる為だけにあるという風に感じられるのは、これもやっぱり手を抜きすぎだと思いますよ。そもそもなんでアリスなんだ? いや本の世界に入るならそれはやっぱアリスだろうとは思うけどさ僕も。ひょっとして僕が今回の演出意図を解せないだけですか。というか元ネタがアリスだと事後的にいくらでも解釈でっちあげられるのがアレなんだけど。
ところで学級ウンコなんてギャグ僕は初めて目にしたんですけど(つうか学級文庫という言葉そのものに馴染みがない)、これって「小学生」という観念上ポピュラーなものなんですか。小学校のときの記憶なんてもう殆ど残ってないし、そんなあやふやなもんをいちいち参照させるようなネタはどうでもいいです。
第7話(2002.03.17)
「開いて!心のとびら」
演出:山吉康夫
作監:河野宏之 脚本:成田良美
満足度:B
出題者に「問題」を出題される「試験」とは違って、「ハナちゃんの野菜嫌いをなおす」の場合、出題者はいないわけだからどれみ達の「意識」がモノをいう、つまりやるべきことははっきりしてるんだから、黙ってせっせと野菜のお菓子を作ればそれで万事解決しちゃうわけで、そんな当たり前のことには当然全くドラマ性がないから、自ずと当たり前のことをやってる上での当事者の「意識」をクローズアップしないことには作劇という営為が成立しない……筈なんだけど、まあなんだ、どれみ達がハナちゃんの呪いを解こうとハナちゃんで心をいっぱいにして来る日も来る日もお菓子作って、でもハナちゃんは食べてくれなくて、どうして? どうして食べてくれないのハナちゃん、ママ達はこんなにハナちゃんを愛しているのに……なんてドロドロの内面を曝け出したりしたら、見てる方としてはこの上なく萎えるわけで、そこで作劇としては全力をもってどれみ達の「意識」を隠蔽しにかかる。呪いがかけられたそのときは「なおしてみせます!野菜ギライ」なんて意気込んでたけど、その後どれみ達は殆ど思い出したかのようにハナちゃんの為に野菜のお菓子を作ってたわけで、これは普通に考えるとちょっと変だ。君達少しばかり呑気過ぎないか? これを変だと思わせなかった(自然だと思わせた)のは、どれみ達の「ハナちゃんの野菜嫌いをなおす!」ってな「意識」を不自然なほどに描かなかったためで、野菜のお菓子を作る話は殆ど定期的な「試験」のようなノリで作られていた。いかにして「問題」を解くかという劇形式を借りることで、「試験」の自明性(ある種の暴力性)を、実際には「試験」が不在のまま、擬似的に話に注入して、「意識」が表面化する事態を回避していたというか。また、野菜のお菓子を作ることに技術的な困難が全くなかったのは、「時間と技術上達の関数」と「時間とハナちゃんの魔力減少の関数」というシミュレーションゲーム的状況から遠近方的に見出されるような「内面(葛藤)」を避けられるという点で正解だったと思う。勿論僕はこうしたやり方は正しいと思ってるし全面的に肯定するけど、作劇として強度不足の感は否めない。「葛藤」とはドラマのダイナミズムそのものだし。それに「試験」話が出題者の意図した解法を迂回するうちに「問題」が問題でなくなるまで解体され「試験」の自明性を転倒するようなベクトルすら有していたに対し、「試験」の自明性を利用するということは自明性を疑わないことでもあるから。
一応雑貨はお菓子ほど簡単には作れないというハードルは用意されてるみたいだけど、一刻も早く先先代の女王様の眠りを覚まさないと魔女界は大変なことになる、ってな状況でもないみたいだし、「先先代の女王様の心の茨を消す」も野菜のお菓子作りと同じ方向でいくのだろう。茨が6本あって今回あいこがフィーチャーされてたとこ見ると、雑貨作りの話はおジャ魔女6人に代わる代わるスポットが当たる仕様になってるのかな。で、野菜のお菓子作りの話の強度不足を反省したのか今回は先先代の女王様と孫達とどれみ達をリンクさせる存在として妖精ババが用意され、気分屋のコイツがなかなか情報教えないことで話のポイント作ってるんだけど、今日のところは完全に失敗。ババは本来先先代の女王様のお付きの妖精なんだし、先先代の女王様のこと本気で敬ってるみたいだから、普通に考えればババはどれみ達に協力的である筈なのよ。そのババの「意識」をまるで隠さずにまるで無防備にただヘソまげさせてるから、ババの言動が凄く嫌な感じなのね。あとなんでウェディングチェストをわざわざ先先代の女王様のとこまで持っていかなきゃならないのかさっぱりわからない(チェストの中に先先代の女王様の心に通じる扉があるなら別にMAHO堂の中からでもネックレスは届けられるだろう)というか、まあ先先代の女王様を前にしないと茨が消えるというシーンを作れないから仕方ないといえば仕方ないわけだけど、それならそれでもっと上手に設定作れなかったもんかいなとか、なんで開かないとされていた心の扉がハナちゃんの魔法(+どれみ達の魔法)でアッサリ開いたかさっぱりわからなくて、見ててさすがにこれはちょっと手を抜き過ぎだろうと思った(これは今後ハナと先先代の女王様との運命的な結び付きという神秘的な挿話として解釈されるのだろうか)とか不満は結構あるんだけど、激プリチーな小さいあいちゃん(松岡最高)はそれだけで僕の心を蕩けさせるのだった。マリアンヌもかわいかったです。
第8話(2002.03.24)
「バレちゃった!?ハナちゃんのひみつ」
演出:岩井隆央
作監:川村敏江 脚本:大和屋暁
満足度:B
なんで信ちゃんのおはなしの回は毎度毎度こうも見てられない代物になっちゃうのかなあ。4年続けて外されるともう信ちゃん呪われてるのかと思うよ。
一応「秘密」で引っ張るけどその「秘密」は最後まで明かされないという、コメディとしてはたまにある形式の話だったわけだけど、デキはいまいち。「秘密」を横に滑らせるギャグの完成度が低くてどうにも歯痒い。MIBなサングラスとスーツでハナちゃんを警備する一行の圧倒的なバカバカしさでどうして押し通せなかったのか(どうでもいいがこのおんぷは無茶苦茶かわいい)。やっぱどれみと所謂パロディネタっていまいち相性良くない。いっそのことどれみ達をMAHO堂から一歩も出さず、ハナちゃんの秘密を信ちゃんとミホミホが掴んでいるのではないかという疑惑をあくまで観念のレヴェルで扱った方が良かったんじゃないのかな。一応話の構造としては「信ちゃんとみほちゃんにはもうバレてるのよもうおしまいよもうおしまいよー」と当人の意図におかいまいなく、どれみ達が勝手に騒ぐという横軸を、信ちゃんミホミホの描いた『ハナちゃんのひみつ』という縦軸によってハナちゃんが統べる、「行為」を軸にした展開(どれみ達は読むことを脱線しハナちゃんが漫画を読み進める)と、ハナちゃんの秘密がバレたのではないかという今回の話を縦に駆動させている根本的な疑惑を個々のギャグが横に滑らせる、「秘密(観念)」を軸にした展開(どれみ達が「秘密」それ自体を疑わないのに対し『ハナちゃんのひみつ』はその「秘密」を脱線させる)というような二重の脱線があったわけで、予告編と本編というかたちで時空間を分割し、予告編を読んだ後で実際にハナちゃんをガードしたりすると、どれみ達の「行為」面での脱線が弱まっちゃうと思うし、なにより「秘密」がばれちゃったんじゃないかという疑惑が「観念」に属する事柄である以上、それに対して実際に策を講じちゃうのは、最後まで「秘密」が明かにされないという今回のコンセプトに反しちゃうと思うのね。まあハナちゃんガードするのに魔法使ってMIBと忍者になるところでおんぷとももこのお着替え&魔法バンクが初登場してるあたり、素人が抽象的に考えるほど簡単にアニメが作られるわけではないよなあ、とも思うけど。
まあ信ちゃんメインにして野暮ったく友情がどうのとかいう話にされるよりは良かったかな。とはいえ存在感希薄な信ちゃんなんて伸ちゃんじゃない気もするし、あいこ達から見た信ちゃんミホミホというかたちでもっと活躍させてくれたら嬉しかったんだけど。