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だから状況論は嫌いなんだってば

■アニマル増刊。ヘウレーカ最終回。最後まで面白かった。満足。岩明均は七夕の国の後、単行本一冊くらいの尺でやたら渋い歴史ものばかり描いてるけど(掲載誌も渋い。つうか有名どころでさえなければ雑誌なんてどこでもいいとか考えてるんじゃねえか)、これを「歴史」への趣味的な(ロマン的な)傾倒と考えるのは早計だろう。どっちかつうと「叙実詩」のノリだと思う。人の顔が半分削がれるような残酷描写ってのは普通喜ぶかウンザリするかのどっちかなんだけど、寄生獣の頃から一貫として岩明の描写はやけに寒寒としていて、石が猛スピードで飛んできた、ぶつかった、顔半分削げちゃった、という風な事実関係のみが浮かび上がる。石が顔を潰しちゃうような半端な大きさでとろくさく飛んでくるわけじゃなくて、顔を半分削ぎ落としてそのまま通り過ぎるような小ささとスピードで飛んでくるわけね。相手が斬られたと感じるよりも速く斬ってしまう。余韻とか感傷を寄せ付けないんだけどだからといって士道精神というか質実剛健的な気概があるわけではないというその抑制が歴史を舞台とすることのおそらくは必然であろうその理由を我々は探る必要がある。と僕がこう言うとき実際にそんなことする気はまったくないのであった。どうでもいいんだけどアニマルの増刊は毎回優良さんが表紙で嫌でも目に付くのが立ち読みするときの目印としてありがたかった。■なかよし。だぁ!×3最終回。お互い告白してキスして10年後だかに結婚式と実に少女漫画らしく締めてくれたと思ったらこれも少女漫画らしくふたりの娘で「続く」と来た。最近このパターンあんまり見てなかったせいか却って新鮮な感じ。嫌いじゃないっていうかむしろこういうのが好きな僕は今年27になります(無職)。それにしてもだぁ!とどれみと娘。と内容はともかくとりあえずチェックだけはしておくかという気にさせる企画があるなかよしに対してりぼんの元気のなさ(ちゃおに発行部数抜かれたみたいな話もある)は、ちょっと高めの年齢層(小学校中学年〜中学生)という想定ターゲットが谷川、矢沢といった漫画で内面を形成した世代を最後に漫画を読まなくなったということなのだろう。おそらくはそうした漫画家=漫画=読者の連帯をなんとか確保しようとクッキーが生まれた筈で、こうなると漫画を描こうなんて奇特な人間は最初からクッキーとかの方に行っちゃうわけで、ますますりぼんは空洞化が進むことになる。まあ似たような構図は一昔前のりぼんとぶ〜けにもあったわけだけど、今や女の子が背伸びすればぶ〜けがあるというようなお気楽な状況ではないのである。かつてぶ〜けが有していたりぼんに対する差異化の働き(それによってりぼんは活性化された)はクッキーにはない。このような状況下で長らくりぼんの後塵を拝してきたなかよしが低年齢層をターゲットとする従来のメディアミックス路線を更に推し進め成功を収めつつあるのは当然である。確かに講談社的な垢抜けないコマーシャリズムには鼻白んでしまうが寿蘭のような世相から形成された状況になびくだけの救い難い愚鈍さよりは100倍マシってもんだ。しかしアレだね。ろくにりぼんもなかよしも読んできた経験のない外様の人間が具体的なデータも無しにこういうこと書くと全然説得力がないのがいいね。(2/1)

こだわり

なんか全然ネタがないんだけど、それでも昨日の分の後半を今日の日記にまわしたりしないあたりが一応僕のサイト運営上の自分ルールなんだけど、だからといって毎日日記書く気になるかというとそれは絶対ない。(2/2)

「マジョリン、例のものを」

どれみが始まるまでの数分間、あれはもうほんとにえいえんに続くのかと思われましたね。なまじあと2、3分もすれば始まるってわかってるものだから、時間単位から計測される2、3分というものの相対的な短さを知ってるものだから、余計にその時間が長く感じられるのね。永劫の一瞬ってのはこれをいうのかな。僕は日曜はライダー〜どれみ〜テイマーズとその朝を過ごしているのですが、今日はどれみが新シリーズ一発目ということで、これも一発目である龍騎なんか相当どうでもいいやかっこわるいしいいからどれみ速く始まれ! と思ってたら結構面白くてこれは思わぬ収穫です。ライダーというよりはメタルヒーローの線なんだけど、今や誰もこの枠で仮面ライダーを見ようだなんて思ってないんだから別に構わないのです。見た目はそれなりに格好良かったけどどうにも頭が悪かったアギト(キャラがではなく作品が)よりは、多少格好悪くても頭は悪くなさそうな龍騎(キャラは頭悪そうだけど)の方がずっといいじゃないですか。デザインなんて慣れだよ慣れ(←いたるファン)。で龍騎が終わってどれみが始まるまでの数分間は前述のような感じで身悶えてましたが、いざどれみが始まって終わるまでの30分弱。歓喜がそのまま自分の立っている場所を崩していくという恐ろしい感覚を味わいました。しかも確かに足場が崩れてるのになぜかそれでも僕はそこに足場を踏んで立ってるのね。ある筈のものが失われてる筈なのになんかあるのよ。これはね。怖いよ。相当。それでどれみが終わって録画したヴィデオを巻戻ししてもう一度見ようとしたら、ホラ、テイマーズがあるじゃない? もう一回見たいところ猛烈ではあったんだけど、後ろ髪引かれながらそれを必死で抑えてテイマーズ見たら、これも今日いい出来でやんの。ゴスロリ金髪ツインテールはもとより、やっぱ親御さんね。やっぱ今日日親に秘密で(隠れて)冒険なんぞ流行らないのよ。秘密を秘密足らしめる政治的な要素は絶対認めちゃいけないのよ。求められるのは秘密が捏造する偽りの対立を回避し、そこに共闘を挑むことなのです。つまりですね。李君のお母さんは萌えるなあということなんですが。トミーフェブラリーに代表される最近の偽物メガネブームにはなんかムカついてましたが、李君のお母さんは実にいいね。僕はメガネは、ちょっと好きかな、という程度なのですが、それがなんであれ本物はいいです。先週からずっとどれみにばっかり気が行ってましたが、というわけで今日の日曜はどれみだけじゃなくその前も後も楽しくて、なんか改めて日曜の朝の楽しさを思い知りました。3つ面白いのが揃うと生きる勇気まで湧いてきます(←単純)。それにしてもどれみ、これを書いてる時点でもう5回は見てるんですけどまったく飽きないし、別に引きがあったわけでもないのに第1話が終わったばかりの今日既に次の話が待ち遠しくて仕方ありません。こんなのエヴァ以来だよ。(2/3)

サンジに一票

話が動き始めると途端に興味が薄れるのが僕の悪い癖です(シャーマンキング)。話が動き始めると次がどうなるかとても楽しみです(ワンピース)。ニコ・ロビンはいいね。大いにひっかき回してもらいたい。(2/4)

たまにはフィクションを仕立てるのもいいだろう

どれみ感想文の枕詞を引用したついでに大和屋竺の『悪魔に委ねよ』をポツポツ拾い読みしてたら《僕の息子――「ピンポンパン」》ってな文章があって、「僕の息子」というのはいうまでもなくどれみでも脚本を書いてる暁氏なのだが、「DANCE! おジャ魔女」に関して「ピンポンパン」的な感覚を指摘した僕としては、改めて自分の言ってることの「正しさ」に面食らってしまうのだった。まあ以前確実に読んでるその文章をアッサリ忘れてた自分に呆れたともいいますが。《アトラクチヴにリズミカルに、幼児の目にとびこんでくる縫いぐるみのユーモア。為になる、ということへの、健康な主張がそこにはちゃんとある》。大和屋がどれみの脚本を書いてるのはもう必然といっていい。あるいは僕がどれみを見ていることが。(2/5)

泰安洋行

毎週『パンゲアの娘KUNIE』を楽しく読んでいるのですが同士が殆どいてくれなさそうなのが寂しい。じゃじゃ馬はもとよりパトより絶対面白いと思うんだけどなあ。Teenage Fanclubの『Songs From Northern Britain』に相当する感じがあるんだけど(ちなみにあ〜るが『Catholic Education』パトが『Bandwagonesque』じゃじゃ馬が『Thirteen』)、この感覚を共有してくれる人は絶対いないからいいよ俺が一人で楽しんでるんだからとふてくされモード。(2/6)

あれで結構子煩悩

チャンピオン。刃牙。これは笑っていいところなんだよね? ね? しかしなんつうか……一生かかっても勇次郎には勝てそうにねえわな……。個人的には奴(板垣)と勝負ができるのは富野由悠季くらいだと思う。日本で一番嫌な組み合わせだなそれ。(2/7)

関心は人並みに

アニマル。戦アナ。あーそーいえばもうすぐオリンピック始まるんだねえ。と僕の接する世間とは基本的に漫画を媒介とするものなのだった。巡回先はまずオリンピックなんて無視するようなとこばっかりだしー。(2/8)

土曜の憂しの日

■ジャンプ。シャーマンキング。前言撤回。やっぱり面白い。回想から更に回想へ飛んで舞台は今流行りの平安だ! やっぱちょっとうろつけばそのへんに亡骸がゴロゴロしてるくせに文化的には鼻持ちならない貴族の時代ってところがいいね! <完全に歪んでるよその知識。仔猫なマタムネが実に凛々しい。ハオはこりゃマタムネが惚れるのも仕方ないってくらい色気がある。漫画的にはこの先時制をどう処理していくか興味深い。ハオがクローズアップされたからにはこのまま一気にハオ視点で物語本編を再開させるみたいな展開もあり得る。■ヤングユー。21世紀純クレ。だーかーらー。なんで俺の気付いてないところで復活してやがるー! 去年の夏のも前編読み逃してるんだよなあ。つうわけで今月はもう連載2回目っぽくてなんかもう無性に悔しい。先月の主役が実子だったりしたらと思うと余計に時間を巻戻したくなります。僕はホラ結婚するなら相手は実子だから。今月は桃苗。内容? いつも通りだよ。30過ぎようが旦那がいようが子供がいようが連中は連中でぜーんぜん変わってないのです。つうか新たに登場する子供を含めて「相変わらず」ってところがいいのね。純クレの魅力が他愛ないちょっとリアルな女子高ならではの光景にあったことは確かだけど、連中はたぶんそれがどこだろうと丸ノ内女学園での日々と同じように愚痴やら希望やら理想やら現実やら友達やら恋愛やら着る物やら食べる物やら最近のおばさんやら女子高生やらについて無責任なのか真面目なのかいまいち判然としない態度でお喋りするのである。連中が主婦、小説家、モデルといった地に足が着いてるんだか着いてないんだかよくわからない職業に就いてる点に注意。■ニュータイプ。ファイブスター。カイエンが……。カイエンがーっっっ!!! 予告されていたこととはいえ残されたアウクソーが可哀想じゃんかよぉ……(まあミースもそうだけど)。僕がカイエンを最強の騎士と認識してきたのはひとえにアウクソーが好きだからであってアウクソー込みでのカイエン贔屓なわけで、ログナーがどうでもいいのは要するにイエッタに存在感が薄いということなのですが、こうやってちゃんと死んでくれて嫌でも記憶に残ってくれること確定なあたりやっぱりFSS上カイエンこそが最強の騎士なのである。異論反論オブジェクションは一切受けつけません。(2/9)

つかみは上々

龍騎が予想外に普通に面白くていい感じです。ライダーキックがCGの力を借りてもう村枝ライダーばりに決まるわけですが、なんつうかそういうところにも見受けられるきれいに箱詰めに整理されたクラフトマンシップ溢れる作りは村枝ライダーに通じるものがあるかもと思った。それは確かに「良くも悪くも」という類のものではあるんだろうけど、正面切って「ライダー」という思い入れがないぶんその「悪くも」って部分が表に出て来てない気がするのが仮面ライダーSPRITSと違って好印象の要因か。(2/10)

自分棚上げ選手権

さすがに長野はわかるけどアルベールビルとリレハンメルとソルトレイクシティという音声及び文字列がどの国のどの場所を指示しどの大会を指示するかいまだに判別つかないのですが、場所は変わってもどうせやってるこたいっっっつも同じなんだから構わないのである。日本人選手がメダルが感動がってマスコミが騒いでそれに簡単に乗せられちゃう人達を簡単に馬鹿にする人達に簡単にウンザリする人達の為の四年に一度の相も変らぬ馬鹿騒ぎ。と簡単に傍観者然としちゃう僕みたいな人間も四年に一度必ず現れる。どうせ並の人間には語りの腕力なんてないんだから、せめて迂回とユーモアを心掛けるべきじゃないのー。かなりどうでもよさげ。(2/11)

http://www5.mediagalaxy.co.jp/okamoto/

あ、いやね。ほんとのところ家族なんてものはよくわからないんですよ。構造的な分析するのは面倒だから家族という表象を抽象化する気になんてならないし。ええ。無駄にプライドだけは高いから「抽象化できません」なんてなことは口が裂けても言いませんよ。そういうときに便利なのが抽象をもってある環境の自明性を転倒したとしてもその「環境」は消えはしないのだ、という物言いで環境のもたらす痛みに耐えるという感動的なやり方で、こうやって僕はなにも知らなければなにもしないという自分を正当化するのである。ごめんなさい。でも僕はジャーナリスティックな興味関心を持つくらいならなにもしないほうが遥かにマシだと26にもなって本気で考えてるのです。僕が家族という言葉に計画って言葉をくっつけるとしたら、それは単に経済主体としての家計の問題でしかありません。単に所得と消費と貯蓄という味気ない話です。これはわりと得意分野です。生涯設計とか結構好きですよ。捕らぬ狸の皮算用ともいいますが。AIRに関しては家族という概念はすっぽり頭から消しといた方がいいんじゃねえかと思いますけどね。ちょっとでも観鈴が忘れられちゃう感じがして、あれは相当嫌です。ありゃ観鈴を凝視してりゃあいいんであって他の娘さんを思いやったり退屈な「物語」にダラダラ幸せ気分に浸ったり母娘ものにウンザリしたりなんてそんな他のことするのは断じて認めないっつうかそういう手合いをまとめて僕は馬鹿と呼ぶのである。カテゴリー上の問題。頭は悪くなかろうがセンスは最悪とか。(2/12)

(超自我=男=父)/(意識=私=子)/(無意識=女=母)

僕が言ってるのが子供から見た家族というのはその通りで、これはまあ家庭を持つなんてところからもっとも遠いところにいる僕だから仕方ないのですが、漫画や小説なんて基本的に子供のものなんだから作品で描かれるのは子供から見た家族でいいのです(どーん)。でもまあ同世代の友人が子供ができて家庭を持って父親になってという順番を踏んでくれて、その友人が僕から見れば小学生のときとまるで変わってないとか、自分の父親母親がいつまでたっても父親母親にしか見えないとか考えると、子供が親になるというのは子供に対してだけだと思います。僕が親から見た家族というものを考えると、昨日書いたように家族を家計という経済単位で考えることになる。どうも僕は家族というものに対してロマンチックな考えができそうもないらしく、というか考えても無駄なことだと考える。あとさ、(父親=母親)/(息子=娘)っていう権力関係と(父親=息子)/(母親=娘)っていう権力関係と(父親=娘)/(母親=息子)っていうのと(父親)/(母親=息子=娘)と(母親)/(父親=息子=娘)と(息子)/(父親=母親=娘)と(娘)/(父親=母親=息子)とかもうたった一日の間でも様々な局面がある筈なのに(上の例に加えて三角関係だって四角関係だって当然ある)、それをあっさり一つに収束させるような野蛮な振る舞いはどうかと思います。今日のタイトルを本気であっさり信じちゃうような輩のことだよ。

AIRは晴子にしろ観鈴にしろどうも悲観的で相手のことをちゃんと考えてない感じが嫌なのね。内省が不足してます。いやさ。相手のこと考えてるつもりで「自分がいると相手に迷惑がかかる」なんて距離を置くってのはガキのすることだし、自分が一緒にいたいと思うくらいには相手だって一緒にいたいわけよ。それを信じられないような人間に欠けてるのは他者性ってやつで連中が考える他者とは内面化されたものでしかない。問題なんて最初からないんだし(問題は内在的でそれが外に捏造(仮構)される)、晴子と観鈴は首尾一貫として自分のことしか考えてないような神話的な人格で設定されてるわけじゃないんだから、当初の思惑はどうあれとりあえず一緒に暮らして普通にお互い思いやるような関係が生まれてるわけだし、だったらくどくど考えず最初から最後まで一緒にいりゃあいいのになんでそうしない本当に頭が悪いなあ。というのが率直な感想でこれはそのへんの家族ものにそのままコピペできる気がします。読むとウンザリするのがもう分かってるから家族ものはまず読みませんけどね。家族ものに限らないけど結局は内省が不足してて他者性欠けてるのが嫌だってことなんですが。まあAIRは住人にとっても晴子にとっても僕にとっても観鈴がちゃんと不可知領域をキープして描かれるから(女の子が空にいるってやつ)、そこから他者たる観鈴への欲求が生まれてて、内面化が為されないってのがキモだから、上述のウンザリ感とかもっと普通にキャラ描けや(ありゃ外在的な他者ってよりは内在的な異人だ)とかいうセンスの悪さはあんまり強調する気はないです。観鈴を見よ! ちなみに「青空」がかかるシーンってまったく覚えてません。感動的だったっけ?(2/13)

はっぴーばーすでーはづきっち。

昨日の補足。というか自己分析による差異化。あるいは批評的営為。権力関係という言葉を使って家族関係の種種の様態を強調しているに見えてその実あっさり二項関係に目が眩んでるわけだけど、これはまあこの前の連休に妹と一緒に帰省したとき、電車の中で自分達の父親母親弟をつかまえて「結局あの人はさぁヒステリーなんだよね」とか「アイツ彼女とどうなの?」とかそういうことを本人が目の前にいないのをいいことにふたりで好き放題言ってたことを思い出しながら書いてたのがその一因じゃないかと思う。ついでにふたりで申し合せたように「いや、でも、こうやって僕らが好き放題やってるのを許容してくれてるんだから感謝してるよ」「でもお父さんには本当に申し訳ないよね」とか言ってしんみりしたりもしましたが。あと「お兄ちゃんはもっとしっかりしなきゃダメ。絶対ダメ」とか。いや俺も常々そう思ってる。で、これは権力関係というよりはまあ在/不在の問題だと思う。僕のいないところで家族や友人(あるいは赤の他人。このページの読者の誰かとか)が僕の話(まちがいなくロクでもなく扱われてる)をしてることは間違いない。これは別に自意識過剰ってことではなくてね。単なる事実です。確かめようがないけど。とは言っても僕と妹が電話で「お母さんはさあ……」とアレコレ言うくらいには、妹と母親も電話で「お兄ちゃんはさあ……」とか絶対言ってくれてる筈で、だからそれはまあ必ずしも距離的な意味での在/不在ではない。どちらかといえば意識の問題。例えば話の分からない馬鹿と話していて相手が何言ってるかサッパリ分からないというような経験はみんなそれなりにあると思うんだけど、このとき意識は目の前にいる相手のことを全く含まない。というか相手を実質的には不在扱いにして相手の話を現象学的に還元してそれでようやく受答えできるような気がする。これを敷衍して不在者を仲立ちとする対話的理性っていうよな意識モデルを考えるのはちと抽象力に欠けるか。三角関係の構図を意識において見るというまあ毎度お馴染みのやり方に持っていきたいんだけどなあ。不可知の他者を仲立ちに対話的に理性が形成されているというような。とりあえず「現代的な家族の問題」があるならそれを現象学的還元して万人に適用可能な抽象モデルで考えて、それでもなおこの僕には消えない問題があるってくらいは言わないとまあ説得力というか迫力は生まれないわな。(2/14)

行為

今月の敷居読んでなんか凄く遣る瀬なくなったのは、その前にもう日常化しちゃった病気にひたすら付き合う漫玉を読んだせいでもあるんだろうけど、とにかく僕は泣きそうになったけど結局泣けなくて仕方ないからもう一回読んだ。やっぱり泣けなかったけど。なんか最低のやり方であしらっちゃってしばらく遭わないでいたらついついブランコなんかに乗ってるんだけどそこで無様に転んで頭打ったら頭に浮かぶのはやっぱり彼女のことだったとかいう本当になんでもない話なんですが。(2/15)

迷える仔羊よ、お入りなさい

それがどのような類のものであれあの連中が雑誌の表紙を飾るなんてこれが最初で最後になるということなど十分過ぎるほどに分かってはいるのですが、それでも『声優グランプリ』に980円払えない僕をどうか神様お許しください。決して買うのが嫌なわけではないのです。ただ表紙含めてたったの数ページとそれで一週間は楽に過ごせるなけなしの夏目漱石を一枚交換するのは貧しい僕にはどうにも躊躇われるのです。千葉千恵巳の2万字インタヴューや笑ってない秋谷智子のアンニュイフォトグラフや宍戸留美の芸能活動御蔵出し!なんかがあるなら諭吉の2、3枚放出してもまったく惜しくはないのですが(←こういうのをレトリックという)特集とは名ばかりのあの記事ではあまりにも! あまりにも! つうか俺に編集させたらあの100倍はマシな誌面になってたぞいやマジで(小学校のとき新聞委員会の委員長でした)。この手の雑誌って、TVシリーズはまるで儲からないからろくに声優に金が回らずその補填として多種多様のソフトが乱発される結果だというのが僕の読みなんだけど、実はこの読みだとソフトそのものは赤字でも構わない。声優に金を払うことが最大の目的となるから。利益の何%が声優の懐に入るというんじゃなくて実はCD一枚一枚の本一冊一冊の「契約料」を声優に渡す仕組みになってるんじゃないかと勘繰っているのだが、もしそうだとしたら僕が雑誌を一冊買おうと買うまいと彼女達の経済事情になんら寄与しないのだから僕が雑誌を買う謂れなどどこにもないだろう。僕は彼女達にこそ奉仕したいのだから。以上買わないことで生まれる罪悪感に対する理論武装による緩和。無効化できないなんてことはハナっから分かってるんだよ畜生。でもそうでもしないとふんぎりがつかないんだよ畜生。ここまでしないとたかだか雑誌一冊買わないことすら決められない僕のことを人は表面だけ見てはっきりしない男だと言うがそれは誤解である。はっきりしない態度が許せないからこそはっきりとした理論的根拠が得られるまでは絶対に自らの対外的振るまいを決定できないだけである。力なき正義は無力だが正義なき力は無意味である。話はなんだか大袈裟になるけど最初の議題はすっかり忘れられてるあたりに倉持陽一の影響を認めた君はなかなか鋭いぞ。うん。

『声優グランプリ』3月号は表紙+巻頭でMAHO堂を特集。どれみファンは5、6冊まとめて買っとけ。僕の替りに。……ああでも神様どれみファンとしてはやはり買わねばならないのでしょうか。 <振り出しに戻る(2/16)

カードスラッシュ

龍騎は可もなく不可もなく。ただ僕はどうも異端の能力者が共同体から排斥される、またはカミングアウトできずに苦悩する、という構図に耐えられないらしくて、他人には見えない鏡の中のモンスターが見える程度のことで女の子がいじめられるともうそれだけでウンザリするし、取材もしないでどこ行ってたの〜? と訊かれて、変身して戦ってました! とはなんか言いづらい状況作りってのはちょっと嫌だ。まあ主人公のもともとの間抜けっぷりからどうせまたなんかしょうもないことしてたんだろうくらいに思われてるみたいなのはいいけど。『スラン』みたいなミュータントものの古典だと、確かに迫害はされるけど「僕達を虫けらのように扱う政府を潰す。母さんの敵!」っていうヴィジョンに忠実に行為してくれるところがいいのね。オチはまあ措いとくとして。重要なのは内面性を伴わずに信念(論理)に従って行為するということであって。クウガがほとんど感動的ですらあったのは五代雄介の「内面」がまったく描かれないままに「みんなの笑顔の為に」ひたすら雄介が戦っていたからなんだけど、「内面」を描かなくても済む状況を常に作り出していたことを忘れちゃいけない。もういきなり桜子さんは変身の証人だし、雄介は一条さんにあっさり「俺クウガ」ってバラすし、一条さんは椿に雄介診せるし。以下サブキャラは大抵雄介がクウガだって知ってるわけで。で、みんな揃って雄介に惚れてるわけだ。雄介の「内面」は周りの連中が代行(表象)している。敵方のグロンギも結局最後までなに考えてるんだかよくわからんまま人殺してたけど、この大儀のなさは「みんなの笑顔の為に」の空っぽさと正確に対応関係にある。ヒーローがヒーローなら敵役も敵役なのであった。こうして思い返すもつくづくクウガは傑作だったなあ。まあ別に龍騎に傑作は期待してないからこのまま堅実に作ってくれればそれでいいかな。もう一方のライダーに喧嘩売られてボコボコにされるけど、それがちゃんと戦闘チュートリアルになっていて次戦闘時に生かされるというような基本は好きです。(2/17)

あたしってかわいそう。

昴はつくづく面白いなあ。■ワンピース。「人が空想できる全ての出来事は起こりうる現実である」とは「人は現実に起こりうることのみを空想する」ということなのであり、人は空から船が落ちてくることを空想できても、落ちてきた後の対処のやり方を空想できても、それが現実に起きてしまうということに対してはひたすら無力なのである。本当に空から船が落ちてきた。やっぱ尾田天才。■ナルト。サスケがどうも宮田に見える今日この頃。ナルトは当然一歩ね。となると我愛羅は間柴か。まあ作品内での扱いは間柴より良さそうだけど。あれ? 宮田VS間柴だとするとサスケ負けるのか?■シャーマンキング。ウェディング鐘には担当編集者もこの漫画のノリが分かってる気がした。確かにこの漫画襖越しに告白なんて情に流される構図は安直なんだけど(でも強みでもある)襖越しにするしかないってなナイーヴィティだけは決して手放さないところ(どっちかっつうと弱み)がツボなんだよなあ。■ハンタ。穴掘り修行なんか既視感あると思ったらアレだ亀仙人の甲羅だ。喉にひっかかってた魚の小骨がとれた気分。■ライジングインパクト。近年稀に見る壮絶な打ち切られっぷりに思わず涙。復活希望。復活希望。漫画がだめなら毎週絵が見られるだけで構わないから復活希望。つうか別にもうゴルフやらなくてもいいからランスロット&トリスタン他娘さん方多数指名。(2/18)

濃い目の青系でも可

アッパーズ。ピア森。誉子嬢が元気そうでなによりです。それにしても「黒髪ストレート→お嬢様」はだいたい成り立つのに「お嬢様→黒髪ストレート」は成り立たないというのはお嬢様という類型が歴史的に先行していてそのヴァリエーションとして黒髪ストレートという「日本的」お嬢様が生まれたということなんだろうけど、威張ってるのはそうしないと「家柄」から生じる様々な重圧に負けてしまう弱虫の「本当の私」を隠す為、とか語ってくれるお嬢様の風上にも置けないいかにも「日本的」小市民社会を象徴しているかのような貧乏くさい「お嬢様」がやけに「黒髪ストレート」に多い気がするのは、この後発性によるものなんですかね。いやまあ誉子は別に最初から強気が空回りしてるのが丸見えでちょっと笑えるところがかわいかったからいいんですけど。実際お手伝いのおばさんを呼び捨てにできなくなってるのがなんか微笑ましいし。

お嬢様はもっと憎らしいくらい不遜に! 強気に! 高慢に!(2/19)

なんとはなしに

僕はシャーマンキングとファンタジスタには似てるところがあると思っているのですが、それはたぶん両者とも少女漫画に似ているということなんでしょう。あと僕が基本的に一部の少女漫画を含んだヤオイものを受けつけないのはおそらくあれらが少年漫画に似てるからだ。(2/20)

おとなになりましょう

あずまんがやトミーフェブラリーが性質悪いのは非常に否定しにくいということで、愚鈍であるよりは凡庸を選ぶというような小賢しさが生み出すものは面白くもつまんなくもないという黙殺する他ない退屈さなのだが、それらは大抵こっちは見たくもないのに無理矢理視界に入ってくるのであり、心の狭い僕なんかはもうムカムカしてしまうのだが、黙殺しとけばいい代物をわざわざ退屈だと言い放つような振るまいを僕は野暮と言って嫌悪するのだから、これはもう口の出しようがないというのがますますムカつくつうかこんな文章書いてる時点で一方的に俺の負けになるしかないってのがいよいよ泣けてくる。(2/21)

スカートの中の劇場

スカート捲りは基本的にエロくない。それはスカートの中のパンツを覗くことに力点があるのではなくスカートを捲ることそれ自体に力点がある他愛ない子供のいたずらだからなのだが、見落とすべきでないのはそれではない。スカートの中に暴かれざるべき「パンツ」など隠されていないということが重要なのだ。思いだしてほしい。スカート捲りのシークエンスを。女の子の隙をうかがいタイミングを決めて腕一閃。ふわりと舞うスカート。視界の角に純白のパンツ。赤面し悲鳴を上げる女の子を背に得意満面の笑み(フッ、決まった……)。間髪いれず飛んでくる掌。頬に燦然と輝く栄光の紅葉マーク。これぞ男の勲章だっ! これがもし女の子が黒のパンツを着用していたら(しかもガーターでフル装備)スカート捲りどころの話ではない。鼻血ブーである。男の面目丸潰れである。下手すればトラウマもんである。しかし実はそんなものはまだ序の口なのだ。パンツが黒いくらいならまだいい。もし。もしである。もし女の子が何も穿いていなかったら――。ああ、想像するだに恐ろしい! スカート捲りが成立するには女の子はなんの変哲もない白パンツを穿いていなければならないのであり、現実には白のパンツを穿いている女の子のみがスカートを捲られる。そして「家に帰るまでが遠足です」の格言の通り、女の子にいいのを一発貰うまでがスカート捲りなのである。……今月のネコの王を読んでそんなことを考えました。いやあ今日も平和だなあ(僕の頭が)。(2/22)

スーパーカップ(1.5倍)

賞金が。な。にしてもやっぱ鹿島中央のディフェンスに足技使えて走れる若い奴欲しいなあ。秋田とファビじゃなあ。先が打てないんだよなあ。どうも中盤との間が間延びしちゃうし。金古と羽田には頑張ってもらいたいね。しかしなんか今期(も)点取れないで苦労しそうな感じね。試合は別に面白くなかったです。(2/23)

ゼクロスの変身って何気に難しかったよなあ

横山さんも言ってたけど龍騎のカードスラッシュ(正式名称あるんだろうけど知らん。公式サイトも見たことないし)が格好悪いのはいちいちベルト(カードホルダー)見せて腕のカードリーダー見せてっていう画作りがどうもかったるいせいなんだけど、これを単純に演出しょぼいと断じちゃうのはちょっと気の毒なとこがあって、というのはベルトもカードリーダーも主戦級の商品になるわけだから、当然カット割ってアップで見せなきゃいけないわけよ。今日のふたり揃っての変身がカット割らずに一画面でアクションビシッと決めてたことを考えるとあのカードスラッシュの格好悪さは演出としても泣く泣くというところがあったと思う。テイマーズのカードスラッシュも最初にカード見せてからはカット割らずに固定画面で一気にアクション決めてた(作画でビュンビュン動かした)わけだけど、カード抜いてリーダーに読み込ませるっていうようなシンプルなアクションなら、それをけれんたっぷり大袈裟に――でもワンカットで見せちゃった方がスマートだっていうのは素人でもわかることでさ。これが例えばスーパー1みたいな複雑な変身アクションならぐぐぐぐっと手を突き出すところがクローズアップされなきゃそりゃ嘘だろうって感じだけど。基本的にカットを割るってことは「ここに注目!」って印で意味生産的な行いだから、前のカットの意味を読むようなかたちでカットを割ってくれないと、見てる方としてはどうにもダルくなる。まあなかには故意に意味を読ませないかたちでカットを割って逆に見る人間の興味を引く山内重保みたいな手錬れもいるわけだけど、いずれにせよさしたるインパクトのないカット割りっていうのは控えなきゃいけない。そんなことは当然プロなら百も承知だし、だからまあ龍騎のカードスラッシュは玩具宣伝の為止む無い処置じゃないかなあと。しょぼいパンチで龍が飛んでいく思わず目を覆いたくなるような画作りも腕のカードリーダー見せなきゃならんからだとか言われたら同情を寄せる余地もあるだろうってもんじゃないですか。ま、それならそれでデザインの時点で演出を考慮したもっとすっきりしたアイテムを打ち出せなかったのかとか、ベルトと腕にカードホルダーとカードリーダー分けるのはいいとしてそれならそれでもうちっと格好良いゴージャスなものにクリナップできなかったものかとかいう話になるんだけど。おおまかな物語の構造に狂いはなさそうなのにどうもそういう小物の設定デザインとかに無防備なのは(でも車とかバイクとかPCとか服飾とかのチョイスには妙な拘りがある)勿体ないなあと思う。つうかライダーそのもののデザインがなあ。確信犯なんだろうけど。契約したモンスターやアイテム駆使した戦闘から生じる従来のライダーのイメージとの齟齬を逸らして、ミラーワールドをいい意味でチャラチャラさせたいというコンセプトがあるんだろうけど(確かに僕もRXが光剣振りまわし始めたときはなんだかなあとぼやいたもんだ。もう慣れたけど)。格好悪いもんは格好悪いのよね。とか文句言いつつ本気で面白いと思ってます。アギトんときはあれでなんか書く気にはさせられなかったもんね。それが今回はなんだかんだとネタにしてるし。言うまでもありませんが僕がなにを書いてるかなんかは問題じゃなく、それについて書いていることこそが大事なんです。(2/24)

純情パインは大好きでした

昼寝してたら尾玉なみえの新連載がアニメ化! 巻頭カラー+カラーページで情報公開! という夢を見ました。実際のアニメじゃなくてジャンプの見開きカラーページの方が夢に出る、しかも左ページの1/3はなぜかアニメのKanonの裏情報、の筈なのになぜかそれがどれみで演出してる長峯達也の直筆メッセージ、というところがいかにも僕らしいというかなんというか……。ワケわかんねえっての。だれか夢分析してください。(2/25)

ソウルハッカーズのメイドは良かったね

ララ。お迎えが終わっても『ガートルードのレシピ』がある! 先月のお迎え終了に合わせて今月単行本発売に連載再開と編集がちゃんと仕事してたりします。漫画はそんなに上手くないというかむしろ下手の部類に入るんだけどそれを全く問題としない健全さが気に入っています。作者は連載を始める前にワンピースとジョジョを読んでいたということですが、僕の言う健全さとは即ちワンピースでありジョジョであって、間違っても藤田和日郎じゃありません。人造悪魔のガートルード君の体は他の悪魔のパーツのツギハギで、体は全部人のものなのだけど、そうだからこそ異様なまでに自我に執着する。どろろとかだと奪われた自分の体を奪回する為に闘うのだけれど、ガートルードの場合は体を返せ返せと追われる身なわけね。当然こっちの方が僕好み。いやまあそういう緊張感のある悲劇的な物語というわけでは全然ないのですが。追っ手となんか仲良くやってるし。僕がいいなと思うのは自我に執着するってところで。自分が自分でいるということに固執し、自分を完璧にコントロールしようとするガートルード君はやっぱりかっこいいと思うのです。それは勿論体が自分のものではないというところから始まるんだろうけど。そういう感覚って分かりますよね? 爪の先から髪の毛一本に至るまで全てを自分の意識の下に統御してみたいという願望。「僕」とは所詮自意識の言い換えでしかないのだが、「僕」は常に在ってしまうものなのであって「僕は誰なんだろう」という呑気な問いかけが「自分探し」を始める前に徹底的に「僕」を組織しなければならない、と一応本気でそう考えてる僕には、ガートルードは頼もしく見えるのだった。ヒロインのサハラがどれだけいいかという話はまたいずれ(ほんとはこっちが重要なのだが)。(2/26)

ふわふわの髪の毛が大好き

ライジングインパクトが終わっちゃって寂しいからというわけでもないだろうけど、サンデーのパン屋漫画を読んでみる。娘さんは申し分ない。ショタ心をくすぐる主人公もいい。あとは美形の性格の悪いお兄さんだ。マッチョなんぞいらん。美形だ美形を出せ。可愛い女の子だけで読者が満足するわけはなく美少年や美青年や美中年が必要なのだ。漫画や小説で家族ものが題材として選ばれるのは家族関係が普遍的な(現代的と言ってもいいけど)テーマとなるからではなく各年代の美形を登場させるのに一番手っ取り早いからである。嘘だと思うならファミ通ブロスでやってる船戸明里の『Honey Rose』読んでみろって。美形揃いで鼻血出るから。より古典的なフルバと言えなくもないかな。フルバが素晴らしいのは美形を次々と登場させることにまったく躊躇いがないところにあるけど、あれを十二支というファンタジックなアイデア抜きで(いわば現実的に)描くとなれば、19世紀英国あたりに舞台を設定して、正妻と愛人がいてそれぞれに子供がいるというような貴族的な家族形態を材とするのが手っ取り早いかな、とかハニーローズ読んでて考えたことがあります。たったひとりのお母さんが死に際に「お父様を頼りなさい」とやるところから物語が始まるパターン。お母さんは身分は低いけどとても美しくて残された娘は母親にうりふたつというところがお約束。母の言葉を頼りに屋敷に向かえばそこで待つは煌びやかな社交界。多種多様な美形また美形。そこで虐められたり癒してあげたり。(2/27)

たぶん両方関係ない

チャンピオン。虹色ラーメン。ラーメン一口食べたらそこは一面小麦の黄金境。そりゃ虹だってかかって鳳凰だって飛んでいきます。ってのを見開き2Pでやってくれると僕なんかはもう大喜びです。これは正美で培われた感覚なのでしょうか。今川で培われた感覚なのでしょうか。両者を合わせるとGガンになるのでしょうか。(2/28)

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