ニューメキシコ州サンタフェとは
ニューメキシコ州は、インディアン(英語では「ネイティブアメリカン(アメリカ原住民)」[Native American]と呼ぶ。)の血を引く人とメキシコからの移民が大勢住んでいる、アメリカでは少しだけ異質な州です。
ニューメキシコ州の住民は、ニューメキシコとは言わず、「メキシコ」と呼びます。本当の「メキシコ」との国境もあり、まるで異国(アメリカ以外)へ旅する気分になります。
ニューメキシコ州には、今もインディアンの血がそのまま受け継がれている「プエブロ」というインディアンの町が沢山あります。インディアン達は現在も、昔ながらの生活にこだわり、アメリカの歴史の証人として生きています。
サンタフェ・ダウンタウン
アメリカの中のサンタフェ
ニューメキシコ州都サンタフェ。サンタフェは、ニューメキシコ州にあるどの町とも違い、清潔で活気がある町です。ニューメキシコ州の荒れ果てた土地を、何時間もドライブしてきたので、サンタフェ・ダウンタウンを見ると、ホッとしました。「沢山人が歩いている!」「普通のスーパーもあるらしい」とか。まるで都会人の言い草です。
ニューメキシコ独特「アド−ビ式」
サンタフェにある建物は、ニューメキシコ州内でよく見る「アド−ビ式」[Adobe]。「アド−ビ式」とは、土・水・ワラを混ぜ、太陽で乾燥させて作る煉瓦を積み重ねている建物です。インディアンの古くからの住居スタイルです。ニューメキシコ州の建物は、インディアンで無くても、「アド−ビ式」の建物が多くありますが、本物ではなく、似せてあるものです。サンタフェ・ダウンタウンにも、「アド−ビ式」建物が並んでいました。こんなエキゾチックなダウンタウンは、アメリカでナンバー1です。
芸術の都サンタフェ
サンタフェは芸術家たちの憩いの場。ダウンタウンのほとんどの店はギャラリーです。インディアンをモチーフにした芸術品が多く並べられています。ダウンタウンから2マイルにも渡る「キャ二ヨンロード」[Canyon Road]は100件以上のギャラリーがあるそうです。私個人はあまり「インディアン芸術」が好きではないので、じっくり見ることはしませんでした。
インディアンと触れ合える場所
インディアンの人も、自分たちで作った工芸品を売っています。旧総督邸[Palace of the Governors]前には、何十人ものインディアン達が所狭しと、インディアンジュエリー[Indian Jewelry] を道端に並べて売っていました。
インディアンジュエリー[Indian Jewelry] とは、ターコイスと銀で作ったアクセサリーです。ターコイスは、水色の石で、ニューメキシコ州南部で発掘されていると、インディアン女性に聞きました。
アメリカのもう一つの歴史
サンタフェのダウンタウン内は、歩いて1時間もしない内に、全てを知り尽くせる程狭い町。けれど、アメリカ西部の歴史を知るには絶好の場所です。
アメリカ東部(ニューヨークやボストン)がイギリス人移民の歴史なら、アメリカ西部はインディアンとスペイン人の歴史です。スペイン人はコロンブスの新大陸発見より、南アメリカを占拠し始めました。そして北アメリカに移動。現在のニューメキシコ州まで占拠しました。インディアンは、スペイン人によってキリスト教を学びました。
1610年建設のスペイン風カトリック教会「セントフランシス教会」[The Cathedral Church of Saint Francis of Assisi]には、アメリカで一番古い聖母像があります。ニューメキシコ州のキリスト教徒は信心深く、道端のあちこちに十字架を見ました。
美味しいもの+バツゲームもの
一番はフランス菓子
サンタフェで気に入ったのは食べ物。サンタフェにも関らず、フランス菓子屋さん[French Pastry Shop & Restaurant: 100 E San Francisco St, Santa Fe, NM 87501]の菓子パンが最高でした。
日本で売られているような菓子パンは、アメリカではなかなか手に入り難いのです。しかも日本よりも美味しい菓子パンとケーキでした。種類豊富なクレープが一番人気。私はリンゴタルト[Apple Tart]が気に入りました。このリンゴタルトは直ぐに売り切れますので、朝早めに出掛けて下さいね。
アメリカ風メキシコ料理
先ほど「サンタフェの食べ物は美味しい」と言ったばかりですが、メキシコ料理はやっぱり別物です。
アメリカ人はメキシコ料理が大好き。けれど、「アメリカ風のメキシコ料理」だと、メキシコ人の友人から聞いたことがあります。アメリカ人が好むようにアレンジされているらしいのですが、私自身は「アメリカ風」が好みです。以前メキシコ人の友人が調理したタコスなどを食べさせて貰ったのですが、自分でもびっくり。吐いてしまいました。
ニューメキシコ料理は本場の味?
ニューメキシコ州のメキシコ料理は、さすが、メキシコ国境が近いだけある。いつも大好きで食べている「チリスープ」は豆の味が濃かったし、辛さも飛び抜けている。けれど、今回は美味しく食べることが出来ました。やはり、今回も「アメリカ風メキシコ料理」だったかな。
お尻から火が出た
「グリーンチリシチュー」[Green Chili Stew]はニューメキシコ州で初めて見た食べ物。店員さんに「辛いよ〜」と脅されながらも試してみました。食べると辛くないが、翌朝、お尻が辛くなります。
息ができない料理
「メキシカン・バッファローウィング」[Mexican Buffallo Wings]はもっと酷な食べ物。なにせ、息を止めながら食べなくてはいけません。「むせる」位に酸っぱくて辛い。
バツゲームをしたい貴方に
このメキシコ料理が食べられるのは
ブルーコーンカフェ[Blue Corn Cafe]。ある旅行雑誌にて「日本人の口に合うメキシコ料理」と紹介されていたので行きましたが、きっと「グリーンチリシチュー」も「メキシカン・バッファローウィング」も試していないのでしょう・・。けれど「メキシカン・コーンスープ」は美味しかったです。
サンタフェ周辺のインディアン
インディアン居住区
主にアメリカ西部に多い「インディアン居住区」[Indian Reservation]。そこは「アメリカであってアメリカで無い土地」。
インディアン居住区の政府は、インディアン独自で選ばれた政治家で行われています。アメリカの法律が通じない所です。アメリカで禁止されているカジノが(ネバダ州以外禁止されている)インディアン居住区内にあるのは、政府が違うからなんですね。
それぞれの部族が、それぞれの政府を持っているので、法律もそれぞれ違っています。「インディアン居住区」に入ったら、そこの部族の法律に従うことになります。
海外で生きていく条件
「プエ廃墟の洞穴の家」[Puye Cliff Dwellings and Communal House Ruins]は、以前コロラド州のメサベルデ国立公園[Mesa Verde National Park]に行ったことがある私にとって、もう一度見たい遺跡。(山を切り抜いて、その洞窟を家にしている、昔のインディアンの遺跡。)
けれど、今回の旅で「プエ廃墟の洞穴の家」は進入禁止の看板が立っていて、敷地内でさえ入ることができませんでした。もし進入したら、「アメリカであってアメリカで無い土地」で逮捕されてしまいます。「その国の法律に従うこと」は海外で生きていくには絶対条件です。
滅びてしまったインディアン
ぺコス国立公園[Pecos National Historic Park]は、1万2千年間もその土地に生きていたのに、滅びてしまったインディアン「ぺコス族」の遺跡。2度のスペイン人進入やアメリカ南北戦争の戦地で耐えながらも、伝染病によって血が絶えてしまったぺコス族の遺跡を歩きながら見ることが出来ます。
インディアンの祖先
バンデリア−国立記念公園[Bandelier National Monument]は、1万年前にこの土地に集まったインディアン達の集落の遺跡。崖に無数の穴が開いている。風で出来た自然の穴らしい。その小さな穴に入って生活していたなんてまるで、鳥か、コウモリか、蜂みたいだ。
大きめの穴には、梯子を使って、観光客も入ることができます。穴の中の壁は、黒く墨が付いたようになっていて、お墓の中に入ったような錯覚がします。
やはり穴だけでは、寒さを防げなかったからか、円形の団地のような集落も。今ではその家の土台だけが残っています。
ニューメキシコを一望
コロラド州には「レッドロックス」[Red Rocks]という、大きな赤い岩があって、アメリカで有名な風変わりなコンサート会場になっている。
バンデリア−国立記念公園を後にする時、「ホワイトロックス」[White Rocks]の看板があったので、何故か対抗心を燃やしながらそこを目指した。
確かにその周辺にある山肌は白いが、実際は「ホワイトロックス」とは、単に町の名前だった。その町はニューメキシコ州で珍しい、アメリカ特有の住宅が多かった。
その普通の住宅地を通り過ぎると、突然崖っぷちがある。そこは「ニューメキシコ州の自然が一望出来る」崖っぷち。眺めが良いので、ぜひ立ち寄って見ると得した気分になるかも。
世界遺産のタオス・プエブロ
世界遺産に住んでいるインディアン
タオス・プエブロ[Taos Pueblo]は1987年、世界遺産に認定された。タオス・プエブロは、サンタフェから車で1時間北に行ったところ。
サンタフェ周辺には、いくつものプエブロ(インディアン町)があるけれど、一番大きなプエブロ。人数も200人から1500人と(出稼ぎをしている人もいるので、季節によって人数が違う)、インディアンの部族でも大人数。
タオス・プエブロを有名にさせたのは、最大5階建てのアド−ビ式住居。(通常インディアンのアド−ビ式住居は1階建てが多い。)千年前に作られ、現在も修理しながら、自分の祖先と同じ部屋で暮らしている。
タオス語を教えてもらいました
タオス族にはタオス族の言葉があるらしい。家族内ではタオス語を使うというので、少しだけ教えて貰った。「こんにちは」=「ハホニ」、「ありがとう」=「ター」と言うらしい。インディアンは族によって言葉が違うらしいが、なまりの様なので、一応インディアン内で通じるらしい。英語とスペイン語も学校で勉強したと言っていた。
タオス族の生活
タオス・プエブロには、電気が通っていない。プロパンガスだけが唯一の時代物だ。灯りを点す時に使ったり、水をお湯にしたい時だけ使う。洗濯はタライに水を入れて手で洗う。コンロやオーブンの代わりに、土で作ったかまどで料理をする。その土かまどで焼いたパンやお菓子が観光客のために売られている。卵と砂糖が入っていないアップルパイを試しに買ってみた。私は苦手・・だったが、旦那さんは美味しい〜と珍しく甘いものを平らげていた。
水を大事にする理由
タオス・プエブロの敷地内に流れる小さな小川「ブルーリバー」から水を汲む。世界遺産のすぐ後ろの山から流れてくる天然水。その水は飲み水、洗濯、あらゆるものに使用される。水を汚染されては生き残れないタオス族は、水が流れている周辺の土地の買占めをした。普段はその水を飲むことは禁止されているが、私たちは許可を頂いて、タオス族の命の水を飲んだ。滑らかな水だった。
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NOV. 29, 2005