- ラテンアメリカのお国案内 -

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南米の都アルゼンチン

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目次


アルゼンチン国一般情報

 1.アルゼンチン概要
 2.基礎データー
 3.経済
 4.社会の特徴
 5.歴史
 6.アルゼンチン人
 7.関係リンク


アルゼンチンの魅力

 1.アルゼンチン美人
 2.ガウチョ文化
 3.伝統文化:フォルクローレ
 4.開拓者たち
 5.英雄、有名人

アルゼンチンの報道

 1. らぷらた報知
 2. La Nacion
 3. Clarin
 4. El Cronista
 

アルゼンチン関係サイト

 1. ラテンマニュアル
 2. Gambateando Argentinos



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南米の伝統と誇りを守る牧童たち

  ガウチョとガウチョ魂
El Gaucho y su Filosofia de la Vida




 労苦と悲嘆のはざまで生きていかねばならない者は、人生の経験を豊かに積み重ねていく。 なぜなら、苦しみと悲しみ以上に優れた教えを授けるものはないからだ。

危機を克服し、いかなる奈落からも自分を救い出すもの。それは人間が内に秘める信念の力である。
信念は剣よりも優れ、槍よりも堅固なる武器となる。
(ホセ:エルナンデス著 『マルティン・フィエロ』より)



 ガウチョと農民たちは都会に住む人間たちよりもずっと人間が上だ。 ガウチョはいつも気前が良く、親切で、客を持てなす精神を持っている。 無礼な者や、不親切な者は見たことがない。
自分と自分の国について話すときには非常に謙虚だが、
同時に無鉄砲で勇敢でもある。 

チャールズ・ダーウィン
 



ガウチョについて


 ガウチョ(gaucho、ウルグアイではガウーチョ、ブラジルではガウーショと発音される)とは牧童のこと、南米のカウボーイたちだ。16世紀ごろから牛が持ち込まれ、広大な草原パンパで野生化した牛を捕らえる危険な作業に携わったのが、馬術に長じた勇敢なガウチョたちだった。現代でもガウチョは牧場で牛の管理に従事している。

 「サムライ」が日本での勇敢な男の象徴とされるように、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル等の南米では「ガウチョ」なのだ。アルゼンチン人は時に「ガウチョ」という言葉を「英雄」の意味を込めて使う。何かに長けている男を指すこともある。かつて牛を追って広大なパンパを移動していた時代には、ガウチョたちは常に大自然の危険と隣り合わせだった。そんな中では勇猛果敢な男でなければ生き残れなかった。

 ガウチョは友情に厚く、助け合って生活していたことから、アルゼンチンで「あいつはガウチョさ」と人を評する時、「いいやつだよ」という意味合いもこもるという。

 ブラジルの場合は、南部のリオグランデドスル州は、ガウーショの州とされ、この州の人間はブラジルではどこへ行っても職業に関係なく「ガウーショ」と呼ばれるが、当人たちはそう呼ばれることを誇りに思っている。それはガウーショたちがブラジルで一番豊かな地域だと云われる州を作り上げたからである。


ガウチョ文化とガウチョ文学


 現在のアルゼンチン中央部からウルグアイ、さらにはブラジル最南部にかけての地域は、パンパと呼ばれる草原地帯がどこまでも広がっている。この中にブエノスアイレスやモンテビデオなどの大都市圏が含まれている。湿潤性パンパと乾燥性パンパに分かれ、本格的な開発は19世紀後半から。湿潤性パンパは肥よくなため牧畜だけでなく、小麦やトウモロコシの栽培が盛んで、世界屈指の穀倉地帯だ。
 金や銀の鉱山がないということで19世紀前半まではあまり注目されなかったこの地方には、スペインやポルトガルからの移民もほとんどなく、ガウチョと呼ばれるわずかな移民と先住民の混血のカウボーイが果てしなく続く草原をかけ回り、自由な生活を送っていた。

 しかし、19世紀後半になると状況が一変した。冷凍船が開発され、ヨーロッパまで牛肉を輸出できるようになると、ヨーロッパの多くの国から移民がやって来るようになった。それまでは誰の土地でもなかった平原を地主が支配するようになり、有刺鉄線で土地が区切られるようになると、昔のような自由な生活を送れなくなる。自由な身だったガウチョはだんだんとへき地へ追いやられ、あげくの果てには牛泥棒になってしまう者もでてくるようになった。彼等は縄張りを荒らされたトラのように行場所を失って他人の牧場に押し入るようになったのである。そして今ではアルゼンチンの平原では当時さながらの牧童がペオンと呼ばれる雇われ労働者になっているが、昔のような自由人ガウチョとは、社会的立場が全然違うのである。

  そのようにアルゼンチンが変わりつつある時代に生まれたのが、ガウチョ文学の代表者とされる「マルティン・フィエロ」の作者ホセ・エルナンデスである。1834年にブエノスアイレス州の牧草地帯で生まれた彼は、ガウチョ文化の中で育つことになるのだが、当時ヨーロッパ文化の導入を進める一方、伝統的なガウチョ文化に否定的だったサルミエントの政策を批判する記事を多数書き、反乱軍を組織までしたために一時期ブラジルへの亡命を余儀なくされてしまうが、サルミエントの影響力が弱まるとアルゼンチンに戻り、1872年に「エル・ガウチョ・マルティン・フィエロ」と「マルティン・フィエロの帰還」を発表する。その後上院議員としても活躍するが、1886年に52歳の若さでこの世を去ってしまう。



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