- パナマ国一般情報 -
作者が赴任したパナマの魅力を求めて
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パナマの社会構成
ESTRUCTURA SOCIAL PANAMENA

これは作者の個人的考察で書かれたものです。


 パナマは、黒人と白人の混血層がパナマ人の大半 (約70%) を占めるため、一見カリブ諸国のような黒人奴隷制度から独立した経緯の国と同じ印象を受けたりするが、パナマこそはスペイン人によって中南米を開拓する上で拠点として築かれたもっとも由緒ある国である。 基本的にはスペイン系社会が人口割合はそれほど大きくなくても政治と産業界では一番強く、他方では先住民たちも官民両方よりしっかりと認められたインディヘナ社会を形成しており、しかしまた他方では、運河建設における労働力の中心となったカリブ諸国出身の黒人社会と、そしてパナマ運河の管理と米国外最大規模の米軍基地に従事してきた経済的に強いアメリカ人社会もパナマ社会の一部として構成している。



(1) 伝統的白人社会

イ)スペイン系: 宗主国スペイン人の子孫が今でも圧倒的にパナマの政治と経済の主役を務めている。 パナマでは「出世と成功は名字次第」と言われるように由緒ある家系の人間でないと偉くなれない厳しい敷居がある。 そして、これはほとんどスペイン系の名字がパナマで知られた由緒ある家系である。 国会議員の中には黒人系や、インディオ系、中国系等も見かけられるが、大統領選や知事選となるとスペイン系の人間だけで争われている。
黒人系はコロンとパナマ市を中心に分布しているが、パナマ市からコスタリカに向かった西部地方は基本的にスペイン人の開拓者たちが築いた市町村で、教養と教育の高い伝統的スペイン系パナマ人たちが存在する。

写真:1999年度パナマ大統領選挙での候補者たち。 中央のミレージャ女史が当選。

ロ)ユダヤ系: しかし、このスペイン系名字をもつパナマ人の中にはユダヤ系も多く、昔はあまり自分たちのユダヤ系出身を隠していたが、国際社会とパナマ社会での地位が上がるにつれ、どうどうと自分たちのアイデンティティーを誇るようになってっきた。数からいったら小数であるが、金融とビジネスで占める割合は大きく、パナマ社会における力は強い。 近代的な高層マンションが立ち並ぶパイテイージャ地区は大半がユダヤ人所有で巷ではユダヤ人街と言われている。



(2) 黒人社会

パナマ運河建設工事にカリブ諸国から集まってきた黒人たちは、暑さや病気に対する耐久力から労働力の主力となり、その後パナマに根をおろしたが、スペイン人や白人との混血を多く生み出しこれらがパナマ社会の大多数派を占めるようになった。 今でも運河委員会の仕事に入るには英語を話すことが基本条件なので従事者には英語のできる黒人系が多く、彼らは自分達がパナマ運河を完成させたというプライドがあり、スペイン系パナマ人とは生活区を一緒にしない習慣がある。パナマ市内のリオアバッホ地区は黒人系住居区としてしられており、作者もこの地区のバーに入ってみたがネクタイを締めた黒人ばかりが飲んでいて私が一人ではいっていったらいっせいに注目されてしまった。袋叩きにされるかと思ったが、幸い同じ職場の黒人スタッフがいて「おまえはこななところで何をしているのだ」とあきられたがご馳走になって帰ることができた。アフリカン文化の影響は選住民文化やスペイン文化の後から入ったにもかかわらずパナマをカリブ文化色の強い国へと変身させ、他の中米諸国とはちょっと違った文化環境を作っている。
(写真:警察のパレード、警官には黒人が多い。)



(3) インデイヘナ社会

 パナマにはスペイン人が入ってくる以前から住んでいた先住民たちが彼らの人権が尊重されるにつれて勢力を広げてきており、現在パナマ全人口の約10%にあたる28万5千人の人口を持ち、「コマルカ」と呼ばれる5つのインディオ自冶区が法律で認められている。以前は百以上の部族が存在していたと言われるが、現在では7つの部族が確認されている。(Kunas, Naso, Ngobe, Bugle, Embera, Wounnan, Bri-bri)

 コロンブスが第4回目の航海でパナマ沿岸によった時に服をきた原住民が住んでいるという記録が残されているが、今でもパナマ市内でクナ族がカラフルな象形デザインの刺繍を施した民族衣装を誇らしく着て歩いているのが見かけられる。 
 長年に渡り人種差別に苦しんできた経緯から向上心は強く、勉強熱心な人間が多く、彼らの中には外国や国際機関からの奨学金を得て大学を終えて、弁護士になって地域のリーダーになったものや、強い発言権をもった国会議員などまで出ている。

 1999年のパナマ国会議長には、クナ族出身の国会議員が選ばれ、その後の大統領選挙で当選したモスコソ女史はこの国会議長より大統領任命を受けることになったが、パナマの新しい時代の幕開けを感じさせる出来事だった。




(4) アメリカ人社会

パナマ運河建設に際し、運河運営の権利と流域エリアの領土権を手に入れた米国の影響は大きく、アメリカ人にとってはパナマは彼等の植民地といった感覚が長い間続いてきた。 しかし、このおかげでパナマは米国通貨による口座をもつことのできる世界中の銀行を集めた金融センターを確立させることができ、また米国最大の在外駐屯基地を置かれることによって確立された安全をもとに 米国風リゾート地としての生活環境が整っていった。パナマでは宗主国的な存在だった大きなアメリカ人社会は今年度末をもって小数派社会に変じる。
(写真:パナマの郊外で天気のいい日に見かけるアメリカ人バイク野郎たち、本場もんじゃ。)



(5) 中国人社会



(6) インド人社会


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