屋久島の森 ページ2


西部林道

エコツアー初日は、西部林道である。林道といっても、アスファルトの舗装道路である。この林道周辺は平地部にも関わらず、世界自然遺産に指定されている。そんな場所を歩きながら、屋久島の自然に親しむ。意外に知られていないことかも知れないが、世界自然遺産に登録されているのは、屋久島の一部の地域のみである。多くの観光客は、屋久島まで来て、片道5時間かけて必死で山を登り、縄文杉だけを見て、そのまま帰ってしまうのだという。これでは、屋久島の自然を理解することもできないし、何のために屋久島まで来ているのだか分からないという状況らしい。確かに、ガイドを付ければ値段は高くなるが、ゆっくりと説明を聞きながら、自然を楽しむというのも良いものだ。

まずは、大川の滝に移動。屋久島は今から約1,700万年前に地殻が隆起を始めたことにより現在に至る。現在でも、年に1mm以下ではあるが、隆起は続いているらしい。昔、海底にあった堆積岩が隆起により、露になっている場所。それが、この大川の滝である。滝壷の水は澄んだ緑色で奇麗だ。

西部林道を歩き始める。舗装されていない旧道に入ってみる。あたりに筍のような香りがする花が咲いている。クロバイという木のようだ。路肩にはシダがびっしりと生えている。その不思議な風景は、どこかで見たような気がする。ナウシカの森だ。ナウシカとは、「もののけ姫」よりも前に映画化された、同一監督による作品である。

しばらく、歩いて今度は、谷に出た。屋久島では大雨が降ると、急流が谷を削り、土砂を運び、今までそこにあった木々を洗い流す。土砂だけになった場所に、新しい生命がゆっくり、ゆっくりとまた育っていく。そして、またいつか洗い流される。その繰り返し。こういう場所には水晶が転がっていたりするらしい。

さらに林道を歩いていくと、猿達と出くわした。この辺りの猿は人に慣れていないため、野生そのものの姿だという。こちらを警戒しながら、次第に去っていった。向こうから近づいてくるわけでもなく、逃げるわけでもなく、そんな感じらしい。

少し林道を離れて森に入ってみることにした。鹿の歩く獣道を背をかがめて、トレースしてみる。なんだか、鹿になったような気分になる。少し林道を離れただけだが、すでに林道がどこにあったかわからなくなっている。屋久島の森では、遭難者がでることもよくあるらしい。こうして森に入ってみると、その理由がよく分かる。鹿は警戒心が強いらしく、なかなか姿を見せてくれない。また、姿を見せたかと思うと、「キョーン」と短く警戒の声で鳴いて、走り去ってしまう。それでも、一瞬立ち止まってこらちを見る姿にはなかなか風格がある。

辺りにはガジュマルの巨木がところどころにある。ガジュマルは、いつも思うのだが、本当に大きくなる。家くらいの大きさになると言ってもいいだろう。カジュマルというのは、既に生えている木に蔦のように纏わりつき、やがて覆い尽くして中の木を枯らしてしまうようだ。イチジクに近いらしいが、この種の木の特徴は枝と枝が出会ったときに、後から一つになることができることだ。なんとも器用な植物である。この辺りの森にはヒルがいるので服に入り込まないように注意が必要だ。ヒルは足から這い登るか、木から落ちてくる。

林道から、山を望むと植物の垂直分布がきれいに見える場所がある。海岸線から山頂までの駆け上る山の斜面に標高差によって、異なる植物の分布がきれいに観測できることは、学術的に非常に貴重なのだそうだ。ここから見える白い樹皮の木、ヤクタネゴヨウマツは、屋久島、種子島の固有種で、もう数える程しか残っていないらしい。屋久杉よりも貴重ということだが、そんなことも聞いてみなければ分からない話だ。生憎の雨ではあったが、屋久島に雨はつきものだ。総行程、約10kmを歩いて、エコツアー一日目は無事終了。

海中温泉

翌日、泊まりあわせた客が、朝4時から起きだしている。何事かと聞けば、温泉に行くのだという。近くに海中温泉があるのだ。温泉といっても、脱衣場も何もない露天風呂だ。この温泉は海中にあり、干潮のときだけ現れるという珍しい温泉だ。今朝は朝4時が引き潮のピークらしい。さっそく、便乗させてもらうことにした。

車でしばらく走り、海中温泉に着く。辺りはまだ薄暗い。誰も来ていないようだ。四人から五人入れば、一杯になるくらいの大きさの湯船が三つある。湯船といっても、単に海岸の岩の水溜まりという感じではある。裸になって、湯船につかる。なんだか、ぬるい。別の湯船に入ると、こちらは丁度良い温度である。辺りには誰もいない。明けきらぬ青白い海岸の静寂。薄明かりの世界を月が晧晧と照らす。引き潮の波が遠くに白く砕け、静かに音が響く。人の世界を離れ、自然との合一を感じる。

しばらくすると、家族づれがやってきた。年老いた婆さん、四十過ぎと見える夫婦、二十歳くらいの娘、十代前半の息子、聞けば家族旅行だという。家族仲が良いというのは微笑ましいものだ。老若男女、ただただ、同じ湯につかる。ここでは、それが自然となってしまう。自然というのは偉大なものだ。

今度は地元のおじさんたちが集まってきた。どことなく鹿児島訛りの方言で、長閑な話が始まる。天気のいい日は、この温泉が朝の社交場となるようだ。さらに、観光で来ていると思われる五、六人の若い女の子たちが入ってきた。狭い温泉はほぼ満員状態となった。みんな適当に、あちらの湯船へ、こちらの湯船へと移動する。

それにしても、男女入り乱れて、普通の顔して温泉につかっているというのも、なんだか妙な光景だ。この自然の中では、みんな羞恥心が消えてしまうのだろうか。地元のおじさんたちは、さすがに若い女の子たちがいると嬉しそうだ。ここでは、誰しも裸でいることが普通だが、そうでない場所では、裸でいると逮捕されてしまう。人はおかしな法律を作ったものだ。人が本来の自然な姿でいると、罰せられるのである。人はいつからか、心を隠すことを覚えた。そのときから、身体も隠すことになった。そして、自分の心や身体が隠さなければならない恥ずべきものであると考えるようになった。原罪である。だが、人は本来、恥ずべきものなど、何も持っていない。隠しているのは歪んだ心なのだろうか。この温泉の湯はとてもよく効くようだ。


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