<<<【ブラジル編】 【放浪記 TOP】

放浪記

【日本編】>>>


Chapter 3 南米編 4 [ギアナ三国] 副題《刺激的な一ヶ月間》

INDEX

仏領ギアナ
2001年10月 7日『ヤバイ!』
2001年10月 5日『再び仏領ギアナへ』

スリナム
2001年10月 3日『とうとうバッグが戻ってきた!』
2001年10月 1日『バッグよ戻れ』

ガイアナ
2001年 9月20日『ガイアナからも出国命令!!』
2001年 9月19日『トリニダードで入国拒否!』
2001年 9月19日『いざトリニダード トバゴへ』
2001年 9月17日『え?ビザいらなかったの?』
2001年 9月15日『スプリングスタウンのロクデナシとサイコーの葉っぱ』
2001年 9月15日『ガイアナへ』

スリナム
2001年 9月11日『テロか戦争か』
2001年 9月11日『スリナムとアタックド アメリカ』

仏領ギアナ
2001年 9月 8日『サンローラン ドゥ マロニー』
2001年 9月 7日『コウロウ』
2001年 9月 5日『首都カイエンヌ』
2001年 9月 4日『フランス領ギアナ』


仏領ギアナ

[Guyana]St.Laurent du Maroni

Oct 7 『ヤバイ!』
明日のパリ行き飛行機に間違いなく乗るため今日はカイエンヌに泊まろうと考えワゴンに乗った。サンローランドゥマロニーをでてすぐ警察の検問に止められた。そしてなぜかそのワゴンに乗りあわせた全員がワゴンごと警察署へ連れて行かれることになった。
(一体何が始るんだ?)と思いながらかなり動揺した。パリまでは持っていく気はなかったけど今日一日は目いっぱい楽しもうと思っていたブツが荷物のなかにあったからだ。
じつはこの時も朝からキメていたのでかなりいい気持ちだったのだが。
警察署にワゴンを止め簡素な部屋に一人ずつ呼ばれ、所持品を持って入っていく。女性も入っていった。なかなか出てこない。一体どんな取り調べを受けさせられるんだ?

ぼくの順番が回って来た。まず鞄類を全部あけて細かく調べていく。ブツを入れてある小さなポーチを調べはじめた。(ヤバイ!) 中に入っていたなにかのメモを読んでいる。が、ブツは見つからなかった。次に尿検査をさせられた。これは大丈夫だろうと思った。葉っぱくらいじゃわかるわけない。ようやく解放されてホッとした。他の乗客がチェックされている間、検査が済んだぼくたちの前に大きなシェパードが現れた。まだ終わってなかったんだ。でも今までも似たような経験があるけど犬に葉っぱはバレたことがない。犬はたいがいコカインの匂いは覚えさせられるけど葉っぱはスルーだ。でも急に噛み付かれるかもしれないという可能性があるから恐い。その恐怖心を微妙に嗅ぎわけられそうなのがまた恐い。

でもなんとか全員検査をパスして二時間ぶりにようやく解放され、あらためてカイエンヌに向かうことができた。

カイエンヌでは昔、『Chez Matilde』という安宿だったことろが同じようにドミのスペースを貸していたのでチェックインした。一階はお洒落なカフェバーになっていて若い観光客達がたくさんいたけど二階のドミトリーはまるで老人ホームだった。安くて美味い中華をハイネケンと一緒に楽しんで早めに寝た。(明日はパリか)




--------------------------------------------------
Oct 5 『再び仏領ギアナへ』
来た道を戻るというのが大嫌いなぼくでもこの時はさすがに早く戻らなくては、と思っていた。 金がなかった。前回仏領ギアナを出てからというものシティバンクカードでの出金ができなくなってブラジルヘアルや虎の子のT/Cを両替して糊口をしのいでいた。川さえ渡ってしまえばあちら側サンローラン ドゥ マロニーで出金できるはずだ。
朝領事館へ行って借りていた本を返し、最後の挨拶をして11時にアルビナ行きバンに乗った。 今回は交渉は一切しなかった。午後1時アルビナに着くと予想どうり渡し舟の船頭たちに囲まれてウチに乗れ、ウチに乗れとウルサイ。前回上陸したフェリー乗り場まで5分ほど歩くとそこは門が閉ざされていた。「?」 どういうことかわからなかった。

ずっとついてきたボートマンが一人だけいたが、出国審査はどこでやるのかということについては何も言っていなかった。ふと見上げるとろくに家も立っていないその辺りに二階家があって二階のバルコニーから声が聞こえる。英語でイミグレーションはどこ?と訊ねるとここだという。フェリーはどうしたの?ときくと運行停止になったそうだ。ほんの10日ほど前はやっていたのにどうしてだろう? 客が少ないからか。 これでどうしても悪名高きボートマンの舟に乗らざるをえない。出国手続きは係官とお喋りしながら簡単に済んで、ぼくは階下で待っていたしつこい渡し屋と一緒に彼らの細長いモーターボートがつけてあるただの岸へ向かった。

さきほどの出入国管理官の親戚だと名乗るそいつを信じることにしてすぐそいつのボートに乗った。ボートには別の操船手が待っていて、どうやらそいつはただの客引きだったのかもしれないがとにかくsf10、000という交渉後に出発した。低くて細長いモーターボートはフェリーよりも早く感じた。川幅一キロ以上ありそうなその茶色い川はゆっくりと海へとそそいでいく。
4分の3ほど来たところで唸っていたモーターが静かになった。嫌な予感がした。
「sf20、000(約1、200円)先払いだぜ」という。船頭もこっちを見ている。大河の上、こっちは一人、向こうは二人。勝敗は見えている。負け戦はしないのが賢い男だ。でも悔しいので(嫌だね!)と行ってみた。「引き返すだけだ。」という。金を払った。前回はフェリーでFF25(約400円)しか払っていないから約3倍とられたことになる。しかもこれは強盗と同じだ!! 気分は最悪だった。

ボートはフランス軍人が詰めるフェリー乗り場に着き、ぼくが荷物を持って降りると二人組みの賊はさっさと踵を返した。(あいつらを機関銃で沈めてくれ!)と言いたかったけど止めておいた。もうトラブルはまっぴらだ。 ギアナ三国の中では一番治安のよい仏領ギアナまで戻って来たのだからあとはさほど問題はないだろうと思われた。

入国審査はあいも変わらずルーズで簡潔だった。 歩いて以前泊まったHOTEL STARに行きちょっとセクシーな受け付けの中国人女将に鍵をもらってチェックインするとすぐに郵便局へ向かった。郵便局にあるディスペンサーでシティカードが使えるはずだった。FF1、000をおろしてその日はホテル横のレストランでテイクアウトしてビールでやった。

翌朝は本国からの旅行者が集まるレストランでコンチネンタルブレックファーストを食べるとすぐにその小さな町に何軒もない旅行代理店の一つへ出向いてカイエンヌ−パリ−大阪のチケットを購入した。FF6、683は11万円以上の買い物になった。

二年三ヶ月に及んだぼくの旅はこのようなかたちで突然幕を下ろすことになった。残念だった。でもここらでリフレッシュしてまた新しい旅をしてみようと前向きに考えることにした。



French Guiana
スリナム共同共和国

--------------------------------------------------

Oct 3 『とうとうバッグが戻ってきた!』
やった!とうとう戻ってきた! トリニダードトバゴで入国拒否にあい、ガイアナへもどされた時には預けたバッグが二つとも行方不明のままそのガイアナからも追い出されてスリナムへもどり、今日まで10日間同じ服、同じ下着、爪も切れず、シャンプーもできず、ただ毎日領事館へ通って電話連絡の経過を聞くというだけのスケジュールの日々だった。
Zandrey の空港で懐かしい二つのバッグと再会した時は今日まで何度もあきらめかけたこともあったぐらいなのでまるで夢のようだった。エクアドルで買った中国製で安物のボストンバッグは手持ちの部分がもげて痛々しく壊れていたし、バックパックのほうは預けた時の膨らみが見事になくなっていたので、(あーCDラジカセは盗られたな)とすぐに分かった。
買ったばかりだったCD20枚以上もいっしょになくなっていて、どちらかといえばそっちのほうが痛い。全部ブラジルで一生懸命探したかっこいいボサノバやMPBのCDばかりだった。 サバイバルナイフも残念だ。Mexico で迷いに迷った挙げ句、それまでの日本製の安物に代替わりして買って以来の付き合いだった。買ってすぐにプラスチック製のハンドル部分の赤い柄にわざと傷をつけてグリップを良くし、ボクの SIN というニックネームを彫り込んだ。 グアテマラのポウサダ レフヒオやエクアドールのオスタル スークレ、そしてブラジルでの二軒のアパート暮らしなどでいくつもの玉ねぎを刻み、いくつものジャガイモの皮を剥き、いくつもの缶詰をそしてビールの栓をこじ開け、時には釘を貫き、時には爪をきり、手に刺さった刺を抜き、歯に挟まった小骨を取り除き、耳の穴をカキほじり、それこそありとあらゆる難題に果敢に挑み、クリアしてくれた良き友だった。
ま、また買えばいいんだけどね。

そう、無くなったものはみなまた買えるものばかりだ。旅行中の写真と書き物がもどってくれたのが何よりだ。それと英和辞書や聖書(日本語)などの海外で手に入れにくいもの。

 ほんとうに 在スリナム領事館の方々、特にYoshie女史、小竹さんそして Mr.Dilip には大変お世話になった。
彼らの存在なくして今日の荷物との再会はなかったはずだ。どうもありがとう。
結局十日以上もここスリナムに滞在したのに、まったくといってよいほどオランダ語は覚えなかったなあ。『ダンケシェン』でいいのかな、感謝の言葉は。




--------------------------------------------------
Oct 1 『バッグよ戻れ』
あれから一週間が過ぎた。スリナムまでほうほうの体で脱出してきて日本領事館に助けを求め、先日ようやく荷物がガイアナの首都ジョージタウンにあることが確認できた。ところがそこからボクの二つのバッグを救出することができないでいる。ジョージタウンとパラマリボを結ぶ Suriname Airway に依頼して荷物の引き上げを画策したが、小さなセスナ機はいつも満員で荷物を積むキャパシティもないようだ。今にして思えばどうして最初から「お金を払うから」 が言えなかったのか昨日になってようやくそれを思い付き申し出たところ話が進展したような雰囲気だ。一度は諦めたボクの全所有物だが再会する日も近いと期待する。

 そして今一つボクの頭を悩ませているのは、その後どこへ行くかということだ。ギアナ三国を横断し、トリニダードを経由してベネズエラに入る予定で旅をしてきた。ベネズエラを訪れている友達は大勢いるので、そこまで行けば後は楽な旅行ができるはずであった。それが最後の最後で大きな穴ぼこに落ち込んでしまい身動きが取れなくなっている。 入国拒否された国へ戻ることはできないし、ブラジルは滞在オーバーしていたくらいだから戻っても当然拒否されるだろう。
領事館の人に相談しているが彼らにしろ年に一人来るか来ないかの旅行者が難解な問題を持ち込んでくるのに少し困っているようだし、ガイドブックからなにから計画の助けになるものもすべて取り上げられた今の状態では一体全体どうして良いものやら。
まあ何とかなるんじゃない? といういつもの楽天家シンちゃんもここ最近は鏡のなかで眉間に深い皺を作って伸びた爪の指先でシャンプーしていない髪の毛のごわごわした頭をかき乱し(はあ)とため息を吐く毎日だ。ヒッピー気取っていたって日本製のよく切れる爪切りやトリートメント効果のあるシャンプーでの洗髪がなければ気が済まないなんて笑っちゃうけど、こんな目にあわなきゃそんなこときっと気がつかなかっただろうなあ。

 もう一つ夢にまでみる気がかりがそのロストバゲージの中にある。うまく隠してあるけど見つかったらきっと何ヶ月かそれとも何年かここスリナムで暮らさなきゃならなくなるかもなあ。
一ヶ月経ってもこの旅記が更新されなかったらこれを見た人是非このサイト丸ごと保存してください。六ヶ月で消滅しちゃうから。。



Suriname
ガイアナ共和国

--------------------------------------------------
[George Town] Guyana

Sep 29 『ガイアナからも出国命令!!』
つくづく大変なことになった。ガイアナのジョージタウンからトリニダードトバゴへ飛んで入国拒否にあい、その日深夜の便でとんぼ返りすることになった時の落ち込みなど今思えばたいしたことじゃなかったんだ。
ジョージタウンへ着くなり航空会社に没収されていたパスポートはそのままガイアナの太った女イミグレーションオフィサーの手に渡り、ボクは3日以内にガイアナから出国することを命令されパスポートにもその旨が記された。
 荷物をピックアップしようとしたがボクの荷物はその便には乗っていなかった! そしてその夜は留置場に叩き込まれた。コンクリートの壁の天井近くに鉄格子の入った小さな窓がある部屋だった。大変なことになった。やばいなあと思いながら部屋の写真を撮り固い木の長椅子に横たわった瞬間ドアが開き「やっぱり出て行け」と深夜の空港から追い出された。

 嘘を言ってボクにチケットを売りしかもロストバゲージまでした航空会社のBWIAにダメ元でその夜のホテル代とそこまでのタクシー代を肩代わりするよう申し出たが、やっぱりダメだった。疲労と眠気から空港建物の脇のコンクリートの上で蚊に刺されながら少し眠ったらすぐに警備員見つかって起こされた。まるで拷問だ。

 一日に2、3本しかないトリニダード便が到着するたびに荷物が着いたかどうか調べてもらうのはかなり厳しい。3日以内に出国しなければならないというプレッシャーもあった。 荷物を残して裸同然でスリナムへ行かなければならないのはかなりツライけど日本領事館があるということだけが頼りだった。(戻るしかない。)そう思った。

 どうしてもこの悲運の東洋人をカモりたいといったタクシー運転手がうるさく付きまとう。時間的にミニバスがないからジョージタウンまではタクシーを使うしか手がない。こういう時はおとなしそうな人をつかまえてこちらからオファーするほうが良い。空港駐車場で居眠りしているタクシードライバーを起こしてジョージタウンまで乗せていってくれと頼んだ。
ただし、今は現金の持ち合わせがないから先に両替屋に寄ってくれということは走り出してから言った。気の良いその運転手はディスカウントにも応じてくれ往きより500安い G$2、500で行ってくれた。

 再びジャーマンズホテルへ着いたときはもう夕方になっていて空き部屋はなかった。ジャーマンズの前にある怪しいホテルとも言い難いところにベッドを求めると、黒人のおばさんがかったるそうに部屋を見せてくれた。建物の外観にくらべると部屋はずっとマシで、G$500のキーデポジットまでとられた。明日すぐにスリナムへ向けて発たないと期限内に出国できなくなるかもしれない。もし出国できないと、再逮捕もありうる。水シャワーを浴び裸でベッドに横たわって目を閉じた。(明日すぐにスリナムへ向かおう。)



Guyana Sep 4 2001 - Oct 8 2001


--------------------------------------------------

Sep 29 『トリニダードで入国拒否!』
朝7時、3泊したジャーマンズホテルをチェックアウトしてホテルの前ですぐにタクシーをつかまえた。前日スタブローク市場前の乗り場で空港行きミニバスの番号が45であることを確認して様子を見た。どうやら満員になるまで出発しない方針はギアナ三国共通の特徴であるようだった。さらに(スリナムの時と同じように)料金も交渉前の合意が到着地でくつがえる可能性が考えられた。ぼくはかなり多くの荷物を持っていて狭いミニバスにそれらを積むと一人分のスペースをとってしまうのでしょうがないとも思えるけど、だからこそ乗る前に交渉しているのだ。 それをくつがえされたらこちらも堪らない。

タクシーの料金はせいぜいミニバスの1.5倍で目的地に着くのもずっと早く、そして快適だ。




--------------------------------------------------
Sep 19 『いざトリニダード トバゴへ』
 もろもろの諸条件を考慮してなぜか Trinidad and Tbago(日本ではトリニダード トバゴとして知られるカリブ海の小国。英語ではチュリニダー エン チュベイゴと聞こえる)へ行くことにした。つい一週間前までどこにあるのかも知らなかった国だ。
Robb.Stのジャーマンズホテルから徒歩5、6分、Main.Stにある旅行代理店でトリニダードトバゴへ行くチケットを手配してもらった。前日Robb.Stにある航空会社のBWIA(ビーウィと発音)へ行き「ビザはいるのか?」ときいたら「往復航空券があれば行ける」という返事をもらっていた。 現金の持ち合わせがほとんどなかったけどアメックスのT/CでUS$136のチケットを購入した。

代理店のすぐ近くに国立図書館を見つけた。名前は立派でも貧乏な小国の図書館だからそれは町の図書館といったレベルだけれど、中に入るとなんとなく趣きがあり、二階へ上がるとそのさほど広くないスペースにはそれなりの数の本棚にいっぱいの在庫を所有している。そして褐色の肌の黒人の子供たちが清潔な白いシャツやワンピースの制服を着て備え付けられた机に向かって勉強していた。
ぼくはいつもどおりに注目を集めたけどトリニダードの資料を探すのに忙しくて大好きな子供の相手をしている時間はなかった。司書らしき女性に訊ねるとそれはすぐに見つかった。そこでは読まないでコピーを取らせてもらった。一枚10円くらいだったはずだ。

その後、Regent Rdのネット屋(G$ 80/15 min)でスリナム領事館のYoshie女史と友達にメールをして明日トリニダードへ行くことになった旨を連絡した。

明日はトリニダードか。あまり治安が良くないというのは資料を見なくても想像できるけれど果たしてこのガイアナのような所なのか? ホテルのすぐ隣にある中華レストランで、言葉は通じないけれど同じ東洋系の顔をもつ中国人の父娘の作るヤキソバを啜り、ビールを飲りながらぼくは(飛行機、落ちないといいな。)と思っていた。

Air Ticket for Trinidad and Tbago US$ 136




--------------------------------------------------
Sep 17 『え?ビザいらなかったの?』
朝レストランも経営するジャーマンズホテルの二階で食べたマトンカリーはすごく美味かった。
雨が降り出したけどぼくは1キロほど離れたスリナム領事館へ向かった。 とんでもないレートを言ってくるスタブローク市場近くのおっかない両替屋のヤツラを儲けさせるのが嫌だったのでぼくはいつまでもスリナムギルダーを両替できずにいた。
その件でもしかしたら領事館が力になってくれるかもしれないと思ったからだった。
古いガイドブックに載っていた場所にそれはなく少し余計に歩くことになった。
新しいスリナム大使館は昔と同じPeter Rose.Stにあったけど3ブロック、400メートルほど 北に移動していた。
大使館は民家風の家だけど、ガイアナ標準から考えたらかなり立派な建物といえるだろう。一応ガードマンがいて訪問の理由を話して入れてもらった。どこが正式の入り口かわからなくて不用心に開け放された窓やドアから「ハロー!」と呼んでもだれも出てこない。
そのうちもう一人中華系の女の子が来た。その子が中国へ行くためにビザの申請に来たということを聞いているうちにようやく大使館の人が現れた。
スリナムギルダーの両替は無理だと言われ、ぼくのことを優しく訊ねてくれるその太った黒人の マダムと話していると別のとんでもない事実が明らかになった。
「あなたどうやってビザとったの!?」 と言われた。1997年から日本人はスリナム入国に際してビザ取得が免除されているという。(いまさら。。。)
仏領ギアナからスリナムへ入る時そのスタンプを見せて入国し、このガイアナに来る時も見せてきたのに係官はなにもいわなかった。それが普通かもしれない。正しい情報をもっていなかったほうが損をするのは当たり前のことだ。でも知ってしまったからには取り戻したい。ビザには325フラン(約5、500円)も払ったのだ。優しい女史はもしあなたがスリナムに戻るのならフランス大使館で返してもらえるかもしれないと教えてくれた。でもぼくはもうスリナムに戻ることはないと思っていたのでビザ代を取り戻すのは無理だなと思った。



--------------------------------------------------
Sep 15 『スプリングスタウンのロクデナシとサイコーの葉っぱ』
Corriverton(コリヴァートン) から George Town まで、前日出会ったロクデナシが彼のバスで G$ 2,000 で乗せていくと言っていたが、そろそろこのアブナイ奴とも切れといた方がよさそうだと思ったので他のバスに料金をきいていた。下は 250 から 上がそいつの 2,000 とどいつもこいつも違うことを言って信用ならない。考えた末に 500 で途中の New Amsterdam までというバスに乗り、そこからさらに 500 で George Town までというバスに乗り換えた。リスクの分散だ。 荷物が多いので 「二倍払え」 というスリナムの二の舞になる可能性が高いから絶えずびくびくしている。
首都に着いたのかどうかわからないほどの普通の町にしか見えない George Town でのホテル探しは何の苦労もなく、Germans Hotel(G$ 1,500/一泊)にたどり着いた。二階のレセプションでお金を払い、三階の部屋へ行くとやはり簡素ながら蚊帳がある。でも扇風機がない。どちらもあったほうがよいが、どちらかといえば扇風機のほうがより重要だ。扇風機をまわしておけば、蚊が刺しにくいという効果もあるのだ。でもやっぱり両方ほしいよなあ、と思ったので客室を改造して同じ階に住んでいるマネージャーに頼んで扇風機を手に入れた。シャワーを浴びて町へでた。 ここではスプリング ランズで見たかわいらしいバス(軽自動車のバン並みの大きさ)を見かけない。写真を撮っておくべきだったなあ。 やはり黒人が多く、インド系もいるが中国人は少ないようだ。 トタン張りのスタブローク市場の前は乱雑としていて、ミニバスが何百台も停まり客引きに血眼、恐ろしい光景だ。 世界一高い木造の建物と書かれている大聖堂は(そんなに高いかなあ?)と思わせる程度だ。 スラム街に迷い込んだ。あちこちから 「Hey Japanese!」 と声が飛んでくるのに親指を突き立てて早足で歩く。危ない地域ほど何と言うか 「絵」 になるものだ。木造の歪んだアパート、裸の子ども、粗末な服、ドラッドヘア、写真を撮りたい衝動に駆られるが、それをさせてもらえない雰囲気を感じる。目に焼き付けるしかない。でも(もういーかなあ、ここ。)はやくも出たくなってきた。



--------------------------------------------------
Sep 15 『ガイアナへ』
一泊したスリナムの ニューニッケリー(Nieuw Nickerie)からスプリングランズ行きのフェリーがでる新フェリーターミナルまでの道は穴ぼこだらけの古い舗装路で、へたにアスファルトで造られているためにかえってひどい道だった。町から37Km 離れていると聞かされいたけど時速20Kmくらいでえっちらほっちら進んで約一時間で着いたということはそれほど遠くもなかったのかもしれない。
新フェリーターミナルへ着いてチケット購入、荷物チェック、出国審査という手続きのために三度も並んでようやくフェリーに乗れた。一キロほどの川幅を約30分かけてその小さなフェリーはガイアナ側の船着き場に今度は反対側の舳先をつけた。
一般的に出国手続きより厳しいはずの入国審査だけどはたしてガイアナの検査はどうなのか? 自分の順番が回ってくるのに30分かかったけどほとんどスルーだった。

ふー、と息をついたとたんに待ちきれずに建物のなかに入ってきたミニバス(乗合バン)の運転手に腕を掴まれて引っ張っていかれそうになった。どう見てもたちの悪そうな奴だったのでアラブ人風ドライバーのほうのバンに乗せてもらったら、二人が喧嘩になってしまった。
これはスリナムどころじゃないぞ、と感じはじめた。両替したかったので最寄りの町スプリングランズで降ろしてもらい料金を払おうとしたら、いらないと言う。親切な人だった。

 両替の正規のレートを知らないけど、誰に聞いても sf 25,000(スリナムギルダー) が G$ 1,000(ガイアナダラー)だという。その小さな町に2つ、3つしかない銀行で聞いたが、どこでもスリナムギルダーなんていらないらしい。仕方ないので sf 90、000 を G$ 7、200 に替えて 一階がバーになっている Reno Hotel (G$ 2、000/一泊 を G$ 1、500にディスカウント)にチェックインした。
部屋には蚊帳がベッドの上にかかっていて、扇風機も設置されている。これなら水シャワーを浴びて裸で横になれば熱帯夜でも眠れるだろう。TVのあるリビングでCNNの 『Attacked America』 を見ていたら道路から誰かの視線を感じてふと見下ろすと、さっきフェリー乗り場で強引にボクを捕まえようとした黒人の男が降りてこいと手振りしている。なんだかうざいけどその目からは先ほどの攻撃的な色は消えていたのでそろそろと降りていって話した。ロクデモナイ輩には違いないだろうけどこちらも同じようなものだし話しているうちに彼の友達のラスタを訪ねることになり、二人でバスに乗って長細い一本道の北の外れ近くにあるその家を訪れた。すぐに交渉成立でその夜はかなり強烈にぶっ飛んだ。

Corriverton Reno Hotel & Disco G$ 1,500 x 1day
George Town Germans Hotel G$ 1,500 x 3 days





スリナム共和国

--------------------------------------------------

[Paramaribo] Suriname 『テロか戦争か』

日本の Jef からメールがきた。

<Writen by Jef>
シャレになってない事態になった。ニューヨークの世界貿易ビル(100階建て以上)がテロによって爆破。それとほぼ同時刻、ワシントンの国防総省(ペンタゴン)も爆破。

爆破、という表現は正しくないかも。正確にはジャンボジェットが突っ込んだ。犯人グループは同時に11機」のジャンボをハイジャックして、内2機が世界貿易ビルに突っ込んだ。サンシャイン60よりもずーっとでかいビルが2本、崩れ落ちてなくなった。

ハイジャックされた他の飛行機は他のビルにつ込んだり、墜落したり。まだ四機が行方不明らしい。恐ろしい事になった。

死傷者は数百人から数万人に上ると思われる。貿易センタービルの中だけでも数万人が働いていて、そのビルが跡形もなくなったのだ。ビルに突っ込んだ一機のジャンボの中には乗客乗員150人が乗っていたらしい。絶望的な人数が死んだみたいだ。

テロリストはまだ誰か判明せず。パレスチナとかイスラエルとかアフガニスタンとかの過激派とか言われていて、まだよくわかっていない。
これから飛行機に乗る人気をつけて。つうか、しばらく乗るな。北米方、中東方面、西アジア方面にいるみんな、気をつけて。できれば陸路で安全と思われる所に逃げてくれ。...... <End>


彼はこの後消息のわかる友人一人一人に簡潔な対処方法を指示している。なんてやさしい気遣いだろう。
一生懸命 Web 上で情報を追っかけていたが、日本の友達からメールがくるとそれで足りてしまう。ありがたいことだ。


--------------------------------------------------
Sep 11 2001 『スリナムとアタックド アメリカ』
暑い日だった。その日仏領ギアナからフェリーに乗り対岸のアルビナという小さな村に着き入国審査では持っているヴァイオリンを弾かされた。ほとんど喧嘩といった激しい客の争奪戦をするパラマリボ行きワゴンのやつらと交渉してsf10、000(スリナムギルダー、約600円)と決ったのにパラマリボに到着すると二倍払えと言われた。確かにぼくの荷物は場所をとっていたけど同じワゴンに乗りあわせたインドネシア系の若者グループも大量の荷物を載せていたにもかかわらず一人 sf10、000だったのだ。運転手と助手はインド系で「絶対に払わない!」というぼくの荷物を引っ張って車をだそうとする。あきらめた。走り去るワゴンを睨みつけながら(スリナムはやばそうだな。)と感じていた。

『UNITED NATION』の旗がかけられた国連関係の建物の斜向かいに建つ『YWCA』にベッドをキープした。(sf22、000:約1、300円)水シャワーを浴びてから強い日差しの照り付ける街へ出た。

商店はスリナムに来る前に通ってきたフランス領のギアナと同様『華僑』 のものがほとんどだが、街を行く人 を見ると黒人が目立つ。が、よく見ると肌は黒くても顔立ちや服装などの雰囲気が違う。アフリカ系だけでなくインド系やインドネシア系の人もたくさんいる。
モスク(イスラム教寺院)の隣にシナゴーグ(ユダヤ教寺院)が建ち、『基督教』の文字は現地の中国人のためのカソリック教会だ。黒人がバミゴレン(インドネシアの麺料理)を啜り、町角にたむろするインド人のタクシー運転手達はニコリともせずに「Taxi!?」と声をかけてくる。そのタクシーの車中からインド女性歌手の艶やか歌声が聞こえてくるのはカーオーディオのテープか、それともラジオ放送か。
内陸のジャングルから出てきたが職にあぶれた、乞食同然のブッシュネグロと呼ばれる奴隷の子孫達がスラナントンゴという混合言語で小銭を乞う。

突然オランダ風の頑強そうな大きな建物に囲まれる。まるでヨーロッパにいるようだ。町中を歩いていても白人をたまに見かけるけど割合的には百人に一人もいない。 公用語であるオランダ語は、クレオール(Afro主体の混血)にはクレオールの、インド人にはインド人の、中国人には中国人のそれぞれ独特の訛りで話され、そして多くの人が英語も含めて二カ国語以上をスラスラと使い分ける。

まさにカオスだ! 一体どんなルールを作ればこんな国家が運営できるんだろう?
こんな不思議な国が世界にあるとはボクが今までに会ったどの旅行者からも聞いたことがない。つくづく面白いところへ来たものだ。

オランダ語のテキストでもないかと思い本屋を探して歩いていると電気屋の前に人だかりができている。ショーウィンドウの中のTVに釘付けらしい。(サッカーのゲームでもあったかな?)と思いながら、画面を見るとどうやらビル火災らしい。CNNのリポートが英語で店内から聞こえてきた。一瞬、嫌な予感がした。映画『タワーリングインフェルノ』や『ダイハード』の映像が頭をよぎった。(事故なのか、人災なのか?)

よく分からないままそこを離れ、うまそうなカレーパンを見つけて中国人の店へ入ると、そこにもTVがあって店主らしき男が広東語訛りのもう何語だかわからない早口の言葉で何があったかを解説してくれた。はじめ「Craneが突っ込んだんだよ!」と聞こえたが、CNNリポーターによると<Plane>(Airplane:飛行機)がテロリストによってトゥイン タワーに激突したらしい。全身の毛が逆立った。ボクの知る歴史上最悪の事件だ。最近のハリウッドが描く世紀末的なテロリストの姿がとうとう実現してしまった。でもその驚異的な映像は決してCGじゃないという信じたくはないが現実のものであるということがリポーターの口調から明らかだ。

あのペンタゴンまでもが破壊された。
これはもうアメリカだけの問題ではない。第三次世界大戦の引き金にもなり兼ねない。言葉が通じない旅の空の下では情報を得るのは難しい。インターネットは命綱だ。日本とは無縁に思えたこの国にも領事館があることを知り少しほっとした。カレーパンは美味かったけど、複雑な印象を残した。


YWCA sf22,000 x 3




Suriname
仏領ギアナ

--------------------------------------------------

Sep 8 『サンローラン ドゥ マロニー』
大通りにでてたまに通りかかる通行人に 「サンローラン ドゥ マロニー?」 と目的地の名前だけをいかにもフランス語っぽく言って訊ねてみた。 「Oui!・・・・・!!」 (ウィって言ってるから良さそうだ)とわかった。バス停らしきものはないけどきっと手を上げれば止ってくれるさ。

30分ほど待っているとそれらしい割と奇麗なシャトルバスが走って来た。
手を上げて止めると荷物を車体下のラゲージボックスに積んでくれたのでぼくは運転手にFF120(約2、000円)を払って乗り込んだ。このフランス南米県は本当に黒人が多い。バスの中も皆黒人だった。ぼくはリズム感の良い黒人という人種が好きだけど大勢の黒人の中で一人だけの黄色人種として居合わせるとある種の恐怖感を覚える。

恐らくパリの言葉などと比べたらものすごく訛っているのであろう彼らのフランス語に耳を傾けていた。黒人は舌が長いからか英語でもその他の言語でも何か黒人共通の癖があるような気がする。それでもやはりどこか優雅だ。この仏領ギアナにきてからいつかちゃんとフランス語を勉強したいと思うようになった。

午前11時。のどかな自然やただ一つの幹線道路近くに点在する民家を眺めているうちにバスはサンローランドゥマロニーに着いた。3時間ちょっとのドライブだった。目当てのHOTEL STAR近くでおろしてもらい歩いた。通りぞいに出店が沢山でていて賑やかだった。カイエンヌでもよく見たのと同じようなフランス製のカッコイイ、あるいは可愛いスクーターに乗った若い黒人の男女も行き来している。

HOTEL STARは大きなグランドの前にあった。中庭にはプールまでついていてこんな小さな町にあるホテルにしては立派な物だ。中華系の経営らしく『星』の字がホテルの外に見えた。受け付けにも中国人の女将さんらしき女性がいて英語で部屋があるかきいてみると「Yes, we have.・・・・・」と流暢な英語で部屋と料金の説明をしてくれた。

FF180/泊(ダブル一泊約3、000円)でホットシャワー付き。シングルは空きがないそうだ。すぐチェックインして街を歩いた。グランド脇の道は市がたっていて賑やかだ。果物や服が多い。ぼくの古いガイドブックに載っていない建物があってちょっとしたフードコートになっていたので入ってみると台湾人の経営する小さな食堂が目についた。若い美男美女の黒人カップルが麺を音をたてて啜っているのがすごく不思議だった。そのうどんのようなものがすごく美味そうに見えて同じ物と、指差して伝えた。醤油ベースのスープに白い麺、細く刻んだ青いネギ。実に美味かった。(FF25)暑いところで熱いものを食べて汗をいっぱいかいたからビールも美味かった。(FF6)

官公舎の多い街の北の外れまで行って郵便局で『CIRRUS』(シーラス、シティバンクカードが使えるATM)のマークを確認して美しいマロニー川の景色を眺め、刑務所跡を見てからホテルのある中心地へ戻ってくるといつの間にか通りには人がいなくなっていた。
12時になると皆仕事をやめて家へ帰ってしまうこの熱帯の習慣は見事としか言いようがない。

買い物をしてホテルに戻った。

翌日は日曜日でフェリーがでないと思い夕方になってフェリー乗り場へ下見に行ったらどうやら日曜も運行しているらしかった。ガイドブックにはなるべく朝早いフェリーで渡って川向こうのアルビナには長居無用と書いてある。すぐパラマリボへ向かった方が無難ということだ。パラマリボへ着くのも夜になる前が良いという。少し緊張してきた。

フェリー乗り場のすぐ向こうに異様なものが見えた。合掌造りの家々が建ち並んでいたのだ。未舗装のカーブした道に沿って建てているのでそれぞれの家は並列していない。おのおの好き勝手な方向を向いているのに大きな三角屋根をもつ同じサイズ、同じ形の家々は秩序的で実に面白い。そしてそこは黒人しかいない居住区だ。ぼくはその中を歩いてみようと思った。 まだ明るかったのでニューヨークのハーレムを夜中一人で歩いたときほどの恐怖感はなかったものの最初は少し警戒していたけど、割と皆無関心だったからだ。 どう考えてもそこに黄色人種のぼくがいるのは不自然だったから無関心だったとは思えないけどぼくは努めて自然体を装っていたので彼らも自分たちのプライベートを覗かれる不快感を感じなかったのかもしれない。 3、4人の小さな女の子達がケラケラ楽しそうに笑いながら通り過ぎる。ぼくを見て大きな瞳を真ん丸く広げて驚いたのでぼくも小さな目をできるだけ丸く広げた。それを見るとキャッキャッと嬉しそうだった。

ホテルへ戻りシャワーを浴びて明日の出国準備をしてからベッドに横たわった。(明日はスリナムか。今度はオランダ語圏だ。)などと考えているうちにエアコンの効いた涼しい部屋で眠ってしまった。

Memo:
Sep 8,9 [St.Laurent du Maroni] Hotel Star 180F x 2days




--------------------------------------------------
Sep 7 『コウロウ』
スリナムのビザもとったし街も歩き倒したしこんなに物価の高い国はさっさと通り過ぎた方が身のためと思い(実はフランス語とフランスパンに未練を残していたが)次の目的地コウロウに向かった。街の南側にある運河のほとりにあるコレクティフ乗り場で炎天下の下約一時間待つとそれは出発した。乗客を乗せたり降ろしたりしながら約一時間後の14時、ベッドタウンのコウロウに着いた。ここでまたしてもホテルが見つからず炎天下にホテル探しを手伝ってくれていたコレクティフのドライバーもとうとうあきらめてぼくを残して行ってしまった。

南米の他の国でこんなに苦労したことなんて一度もなかった。本当にギアナなんてところは観光でくるようなところではないんだとわかった。
二軒ならんで立つ小さなホテルで満室と聞いてがっかりしているとそこにいた若い男性が車でぼくを別の大きなホテルに連れていってくれた。そのホテルはシングルF340(約6、000円)とずいぶん高かったのでその男性には申し訳なかったけれどもっと安いホテルがいい、とわがままを言った。

二人で炭酸でも飲むことにして雑貨屋へ行った。ビンの中身はすぐに乾ききったからだに吸収されてしまった。仕事の合間に休憩を入れていたらしいムッシューがブラジル語(ポルトガル語)を話しているのを聞いてはなしかけた。「ホテルを探してるんだけど知りませんか?」 「ブラジル語話すのか?」 日系人? 俺の友達が以前ブラジルに住んでた日系人だから紹介してあげるよ。といってぼくを車に乗せてくれた。
住宅地の真ん中にある駐車場で車の下にもぐって修理している人に「面白いの連れてきたぞ」というと出てきた紳士は本当に日本人顔した人だったけど日本語はほとんど喋れずぼくらはブラジル語で話した。ブラジルから仏領ギアナに引っ越してきた、というその人はとても感じの良い人でぼくの身の上を心配してくれたけど結局どうすることもできなかった。

ぼくを連れてきてくれたムッシューは海辺にあるカバーニャへ連れていってくれた。そしてフランス語で話をつけてくれた。いくら払えばよいのかわからなかったけどどうやら家の一角で眠ってよいらしい。夜近くのスーパーへ行きパンを買ってきて食べると持っていたハンモックを砂浜に立つキノコ型に藁ぶいた屋根の下のスペースに吊るして眠った。
(風呂に入りたい)と思った。
翌日チェックアウトしようとカバーニャを経営する家族にお金は?とジェスチャーすると(いらない)とやはりジェスチャーする。昨日のセニョールがそういうふうに交渉してくれたんだろう。ありがたくて涙が出そうだった。カバーニャの人にも感謝していたので少ないけれどFF20だけ払った。「メルシーヴォークー!」

Sep 7 [Kourou]
Hammock space FF20



--------------------------------------------------
Sep 5 『首都カイエンヌ』
チケットにTo Cayenne とプリントされているものの、空港から街までは 15km も離れているので、ボクは Taxi Colectif という乗合バンを使う予定だったのだけれど、 1996年(5年前)版のボクの lonlyplanet は時として「それいつの話?」という情報を提供してくれるので楽しい。いや楽しくない。 Taxi はメーターで 150 F 請求した。トータル530 F (約9,000円)はほんの 150km の移動費としては高すぎる。 でもとにかくボクは仏領ギアナの首都カイエンヌに着いた。 ベリーズの首都ベリーズシティを彷彿とさせる雰囲気がある。街中は渋滞して進まなくなったのでタクシーを降りて早速ホテル探しだ。 古いロンプラが示す一番の安宿はどうやら今はないらしい。あちこち歩き回っているうちにヘトヘトのなってしまった。仕方なく今日はとりあえずシングルF180(フランスフラン、約3、000円)のHotel Neptimaに部屋をとった。60時間ぶりにシャワーを浴びた。 冷房をつけたままホテルを出て、近くにブラジルのポルキロような量り売りのレストランを見つけて約40時間ぶりの食事にありついた。F55(約900円)も食べてしまって少し後悔。

Sep 5 - 6 [Cayenne] 
Hotel Neptima 180F x 2days



--------------------------------------------------
Sep 4 『フランス領ギアナ』
ここも地図がなかったし、第一急にフランス語になったものだからたじたじだ。
ブラジルでは一度も見たこともないフランスのルノーやシトロエンの可愛らしい車が何やらボクに(ここはフランスなのよ)といっているようだ。家の形は南の国らしくでもやはりすぐ川向こうのブラジルでは見ない作りのかわいらしいデザインのものが多い。国境越えの醍醐味だなあ。なんて悠長なこと言ってたら炎天下に倒れそうなのでさっさと Douane という税関で入国許可を頂こうと身振り手振りで訊ねていった。ところがそこは警察署でフランス映画でお馴染みのあの筒型の帽子をかぶったかわいい(そう見えてしまうからしょうがない)お巡りさんに「ここは違いましゅ。」(フランス語ってこんな風に聞こえるんだって)と教えてもらった先はたった今来た船着き場のすぐ前だったのでがっくり来た。
まるでブラジル側のイミグレーションと親切さを張り合っているかのような優しい年配の係官が気持ちよく入国許可を与えてくれた。300mほどのところにある飛行場まですぐ歩いて向かったがその日のカイエンヌ行き飛行機はすでに満席で翌日まで待たなければならなかった。 さて、困った。こちらの物価は聞きかじっている。ボクにとっては今世紀最高の物価の高い(つまり通貨が高い)国なのである。直にその物価を感じるために(というか喉がカラカラだったので)炭酸飲料を買ってみた。7F(フラン)つまり、、、前日インターネットで調べておいたレートによると1Fは約16.5円だから、、、115円 か。高い、日本並! これはやばいぞ。
とりあえず今日は町に何軒もないホテルのうち一番安いホテルに泊って、明日は首都のカイエンヌだ。と思っていたら、ヒッピー風の若いのが近づいてきて「ボクといっしょにレジーナ(オイアポーケとカイエンヌのあいだにある町)までトラックの荷台に乗ってゆこうよ。」とオファーしてきた。飛行機が 280 F で トラックが 150 F 。Reginaからはヒッチハイクができるという。ボクが彼のオファーを断ったのは彼が怪しいとかじゃなくて、昨日の12時間バストリップに辟易としていたからだ。彼いわくホテルは一泊 300F以上、と聞いてボクはこの国の滞在初日から野宿をする決心をした。暖かい国だ。野宿くらい平気さ。最後に野宿したのはNYだったかな?カナダだったかな?なんて考えながら星を眺めて眠りに就いた。
と思ったら、 タチの悪い若者グループ がボクの周りに集まって大騒ぎしはじめたので仕方なく飛行場までいってそこのベンチで深い眠りについた、はずだった。 が責め立ててくる。久々Bob Marley にお願いしてようやく眠ることができると思えた。
恐ろしい嬌声でけたたましく鳴く 変な鳥 が現れた。涙が出そうになった。一度空缶を投げて追い払ったのにまた戻ってきた。
続いて近所の という犬がワンワンと吠えはじめた。
まだ真っ暗だというのに ニワトリ が鳴きはじめた。笑うしかなかった。

翌日280 Fの エアチケットの他に100 Fもの荷物の重量超過料金を取られたのは納得できなかった(レシートをもらえなかった)がその時のボクは早くそこを去りたいということしか考えていなかった。もう36時間近くろくなものを食べていなかったし。上空から眺めるGuianaのジャングルはボクの心を癒す間もなく、20分のフライトショーはあっけなかった。380 F も出したのに。と思うのはまだ早かった。

French Guiana
<<<【ブラジル編】 | 【 H O M E 】 | 【日本編】>>>
Hosted by www.Geocities.ws

1