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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ 『TAXI DRIVER』 Aug 25 2005 2年勤めたタクシー会社をクビになった。女性客と揉めた際に腕を掴んで下車させたことが原因だ。 悪い客だと思わずに乗せたのだが、目的地直前で「メーターが高い。」と文句を言い、こちらが「メーターは道路の混み具合によりますから。」と説明しても聞かずに、ハナから踏み倒す気アリアリのいわゆるクレーマーだった。 喧嘩になってからわかったことだが、彼女はソープ嬢だったらしく、金の為に自身を切り売りし、タクシー代を値切る行為に哀れみを覚えた。 そして、そんな女に見下されるタクシーという商売が嫌になった。 クビになるつもりで喧嘩を買ったわけではないけれど、結果的にはズルズルと続けずに済んだのでホッとしている。 タクシーという職業自体は世間に必要とされている遣り甲斐のある仕事だと、自分でやってみてわかった。自分勝手な一部の運転手のせいで他の車や歩行者にまで「タクシーはマナーが悪い」と色眼鏡で見られることも少なくないが、目先の客よりもマナー優先で様々な状況を把握できる運転手のほうが、トータルでは事故も少なく、稼ぎも良いものだ。ただでさえ長時間拘束され、残業もギリギリまで暗黙のうちに強要される会社が多い中でも、自分のペースをキチンと守って仕事をする人は、ガメツク稼いでくる運転手よりも立派だ。 良い先輩に恵まれ、組合での活動を通じて、人間らしく文化的に生きることと、その権利を守ることの大切さを学び、これから沢山の仲間を作ろうと思っていた矢先の出来事だった。 けれど後悔はない。どんな逆境でも発想を変えれば順境なのだ。 クビになったことで北海道は二風谷(にぶたに)で行われた『アイヌ1万年祭』に行くことができた。そこでボクはずっと探し続けていたものを見つけることができた。 これからの人生は順風満帆だ。 Jun 21 2003 ゲストハウス、リサイクルショップ、カフェバーなど、やりたいことのために約1ヶ月間、不動産屋を駆けずり回っていたが、自分のねぐらである外人ハウスの再契約をしなかったので、とりあえずアパートを借りることになった。 引越しで資金も減ったし、物件探しも長い目で見ることにして、とりあえず仕事をすることにしたが、そもそも自分にも『できる』、そして『やりたい』仕事を探すのが難しくなってきたからこそ、焦って『自営』の道を探っていたのだから、そう簡単にやりたい仕事ができるはずもない。 不況だの、就職難だのと言ってもブランド物が飛ぶように売れたり、求人情報誌が次から次へと創刊されたりしているのでイマイチ実感がわかないが、実際に、今仕事が溢れているのは女性や、若者たちがほとんどだ。 前回マッサージの会社で、研修期間終了を待たずに、解雇されたことの後遺症もあり、まともな会社へのチャレンジ精神が失われている。 とはいえ、株で食っていけるほどの収益もないので、働かなければならない。 求人で昔から気にはなっていたが、イマイチ魅力を感じない『タクシー乗務員募集』の文字。 年齢も50くらいまで募集しているのでまあ、いつかやることになるとしても、いつでもできるし、と思っていた。 給与は45万以上!とか書いてあって景気がよいが、『全社員平均』とか、『各種手当て含む』 とか、何かその言葉の裏にすっきりしないものが感じられた。 『月12乗務』というのは休みは多いけど、一勤務が尋常じゃなく長いことを物語っている。 新聞配達とタクシー運転手には金貸しも貸し渋る、という話を聞いたことがある。 職業に貴賎はないとはいえ、実際にある職業の人に『遅延、滞納』や『夜逃げ』なんていうことが多ければ仕事を聞いて貸し渋ることがあっても仕方がないだろう。 そんな、ぼくにとっては暗いイメージの仕事だが、今となっては(なるべくしてなったんだ)、と思わざるを得ない。 それでも試採用となったその会社は『桜にNのマーク』で有名な業界最大手の会社で、「面接に来た人の3分の2は不採用になる」と言っていたので、他社に比べると敷居の高い会社だ。 『大声で社是や心得などを叫ばなければならない』研修カリキュラムがはじめぼくを辟易とさせたが、そこの副所長の「誰もタクシー運転手になりたくてここへ来ている人はいないんです。だけど、そんなこと言っていてもしょうがないんです。やるからには本気でやってもらいます!」という『お互いの心理を理解した人』の言葉を聞いてからは、スーと気が楽になり、そして(そうだ、やるからには嫌々じゃなく、本気で、そして楽しんでやろう!)という気持ちになった。 トラック運転手時代に趣味で取った大型二種免許があるのでぼくは多くの同期入社の人たちが免許取得から始まる研修で、都内の地理を勉強することからスタートとなった。 その他、サービス、料金関連の研修が終わったら、営業所へ行って先輩社員の同乗研修を経て、独り立ちすることになる。 12乗務というシフトは月日の流れるのがあっという間だと聞いた。 気がついたら40歳独身というのも悲しいので半年単位でいろいろなことを見直していこう。 夢はあきらめたくない。 |
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ May 8 2003 『指圧マッサージ』 以前からマッサージ関連にも興味があって、『未経験者歓迎』 と 『〜35歳まで』 の文字に飛びついて面接を受けたのが10日前だった。 丸の内線西新宿五丁目駅から地上に出たところにあるビルの4階を訪ねて研修生としての契約を結んだ。 二週間の第一次研修期間の間に2段階の研修カリキュラムをこなせない場合は契約終了となることが最初に言い渡された。 実際に通い始めると平均年齢20代前半という男女半々の研修生たちと一緒に毎日午前中一杯マッサージをしあい『気持ちよいのか』『効いてるのか』などを互いに評価しあったり、いずれも手技に長けた会社の上司たちや先生と呼ばれる客員のプロフェッショナルたちに指導を受ける日々だ。 午後からは毎日その日に発表される店舗へと出向して受付や雑務に従事する。 暇があれば店舗で働く契約社員やポインターと呼ばれる人たちにも研修してもらえる。 どこの店でも客足は多く、雑務には限りはない。また仕事は覚えれば覚えるほどやることも増えて大変だ。お客さんにリラックスしてもらうために癒し系のBGMを流して一見静かだけど水鳥のバタ足と同じで見えないところでは死にもの狂いの忙しさなのだ。 昼2時くらいから夜は残業無しで9時まで休憩なしで働いた分に関しては時給710円が発生する。 くたくたに疲れて帰宅して翌朝は辛いけどがんばって本社まで行けば研修でマッサージが受けられるので体は軽くなる。 研修が終わって店舗で手技をふるうようになれれば待遇もずっと良くなるだろうと思ってがんばってみたけど昨日までに研修の第一段階のチェックを数回受けた結果合格できず、結局首になってしまった。 自分としては一生懸命やったつもりだけどなんとなく不完全燃焼な感じだ。 他の会社をあたるか、それともこの仕事は向いていないと思って諦めるか。少し考えてみよう。 |
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ Apr 20 2003 『引越助手』 新宿の支店で登録していたグッドウィルという会社が吉祥寺にも支店を持っている。 その支店は新宿の支店とは紹介してくれる職種が違う。新宿は以前書いたようにテクニカル・サポートといってコンピューターのセッティングが主だったけど、吉祥寺支店では引っ越しやイベントの設営、撤去などがメインだ。 中には力仕事以外のものもあると思って登録したのだけど、一日だけ働いた引越の現場で同じグッドウィルのアルバイターに聞いたら、紹介される仕事のほとんどが引越助手だそうだ。 しかも吉祥寺で登録したのだから近辺の中央線沿線の仕事が多いのかと思いきや、都心の仕事がほとんどだと聞いて(これっきりにしよう)と思った。 その日の現場は目黒線沿線のあるマンションの7階から車で10分程度の戸建て住宅への引越で、搬出は台車を使える部分が多かったので楽だったけど、搬入は重たい荷物を抱えて急な階段を何度も往復せざるを得ず大変だった。 業者は大手の引越会社で20代半ばくらいのドライバーも実はアルバイトらしい。 同じアルバイトでも命令、指示は当然業者側が出すので、グッドウィルから出向したぼくたち3人はそれなりにこき使われたけど、この仕事に慣れていて手際の良い人に指示されるのはちっとも苦にならない。 その現場が5時に終了すると「この後もう一本他の現場があるけど来る?」と聞かれたが3人とも辞退して上がった。 やりたいときにできるという面でグッドウィルの仕事は便利だけど、内容の割には賃金が安いのがたまに傷だ。 それに吉祥寺支店が紹介してくれる仕事は椎間板ヘルニアのぼくには無理がある。(今回はなぜか翌日腰が痛くなることもなかったけど。) やっぱり今回だけかな。 |
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ Mar 14 2003 『放浪者の確定申告』 平成14年度の収入は150万円ほど。103万円までは非課税なのに、随分中途半端に稼いでしまった。年の後半に勤めたテレアポや居酒屋は所得税を全く天引きされていなかったのでわかりやすかったが、前半に所属していた配膳会が今回の確定申告をかなり深刻なものにしてくれた。 イメージとしては『派遣』のようだけど、給与計算上はあくまで『紹介』であって、給与は紹介先のそれぞれのホテルやレストランから支給されていたということになる。 つまり源泉徴収表もそれぞれの会社に発行してもらわなければ、きちんとした確定申告ができないことになるのだ。 確定申告は始めてだったが、タイムリミット(3月17日)ギリギリというところがぼくらしい。 毎年、税務署から離れた地域住民のために臨時の申告所が設けられて、税理士たちが大活躍するのがこの時期だ。本来なら源泉徴収表と健康保険税、医療費の領収書、生命保険の控除証明書それにハンコを持っていけば、あとは税理士先生がどこに何の額を記入してと教えてくれて、会場に用意された電卓でピピピと計算すれば、「ハイ、○○円還付されますよ。」となるんだろうが、ぼくの場合はほとんどの仕事で税金が天引きされていなかったので、言うなれば税金を払うために休日を潰して御足労した、ということになる。(なんて模範的な市民なんだ!) と、いうのも後々税務署から未申告で罰金を課されたり、滞納金を上乗せされたりするのが嫌だったからなんだけど。(なにしろ噂にきく税務署とは街金と同じくらい恐いところだからね。) それに昨年はおしりの手術なんかもして医療費もかさんだし、個人年金もたっぷり払っているので、(もしかしたらそんなに払わないですむはずだ)と、たぬき算用していたのだ。 実際源泉徴収表がほとんど足りない状態で給与明細や計算書を持参して証拠がわりに提出してきたが、後々税務署がなにか言ってくるかはわからない。 が、とりあえず目論見どおり計算上は800円の所得税追加で済んだので気が向いたら滞納している健康保険税と一緒に払ってこよう。 こんなに低所得でいろいろなバイトをしているフリーターからもっと絞り取ってやろうなんて考える税務署員がいたらケツを蹴り上げてやろうと思う。 |
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ Feb 24 2003 『Technical Support for ISP』 3月14日(金)OJT 4日目 渋谷駅から徒歩5分。私服。半数以上は女性。推定平均年齢25歳。悪くない。 覚えることが無尽蔵にある。女の子にマンツーマンでモニターについてもらって、冗談話しなんかしつつも、鼻の下伸ばしてる余裕はまだない。モニターしてくれる女の子はぼくより一回りも若いけど仕事は1,000倍できる。プライベートに仕事を持ち込むのはトイレに食い物を持ち込むくらい嫌だけど、或る程度知識をつけてしまえばこんなに楽な仕事もないので、今は我慢して閑さえあればサービスと業務の知識を増やそうと思う。 それにしても何も知らないことを自覚しながら始めて顧客からの電話応対させられた時の脈拍数や手のひらの汗の量は尋常じゃなかった。一本とるごとに慣れてはいくけど、モニターしながらわからないことを小声で指示してくれる先輩たちが居なかったら絶対できない。 とはいえ、野生動物の親が子供を育てる過程で『強く生きるちからを養う』ために彼らの子供を突き放すよう、ぼくも近々千尋の谷へ。。。 2月26日(水) 研修3日目 二日目からは渋谷駅近くの宮益坂にあるビルの会議スペースを借りて研修中だ。一気に130名も募集したものだからさすがのKDDIも十分なスペースを用意できなかったようだ。 日替わり、正確には半日替わりで次々とやってくる講師達はサブリーダーと呼ばれ、研修後はぼく達の上司になる人達で、ぼくよりもずっと若い人ばかり。 しかも格好は渋谷系なので見ていて飽きない。シャベリが面白い人、ルックスが良い人様々だけど少し真面目そうな人でも仕事では大して突っ込んだサポートはしていないようだ。 実際そこまで深くネットワークの事を知っている人はいないみたいだし、部署の方針が基本設定以外をサポート外としていることで勉強する必要もないし、前例を作ってはいけないという意味で敢えて自分の知っていることでも教えないというのが鉄則になっているからだ。 この手の仕事には価値観を見出せないぼくだけど研修中の仲間を含めて面白人間が沢山いてこの先が楽しみになってきた。 2月24日(月) 研修初日 今日は新橋で研修の初日だった。実は先週の月曜日からの予定だったのだが数日前から急に足が痛くて動けなくなり(ああ、おれはやっぱり駄目人間だなあ)と自嘲して、このまま部屋に引きこもり、いつか破産して路頭に迷う、という人生の転落コースを想像しかけていたときに派遣会社から電話があって「じゃあ、今週からお願いします。」という話しになっただけのことだった。 朝5時くらいに寝る生活がすっかり体に染み込んでいるので朝型の生活に慣れるまでは遅くても午前1時には無理矢理消灯してお目目ぱっちりでもフトンから出ず、空が白む前にはREM睡眠に突入して、たとえ三時間しか寝ていなくてもゾンビのように起き上がり、脳みそはまだ寝ていてもシャワーを浴びて無理クソ体だけでも起こし、研修地まで電車を乗り越さないように辿り着き、半分眠りながらでも研修を受けるという生活が続くだろう。 ジャージで出勤してもOKという今度の職場は、もし仮に寝ぼけて部屋着のままで行っても大丈夫!ということだからしばらくの間下着一枚で寝ることは避けようと思う。 2月23日(日) ああ、またツマラナイ仕事を選んでしまった。 痔の手術をしてから約三ヶ月間も遊んでしまったが、持ち株も上がらないし仕事でもしなけりゃ食っていけそうにないので先日メルマガで見つけた仕事をするため、派遣会社に登録してきた。 今度は机から離れられないサポートセンターでの仕事だ。 DIONという大手のISP(Internet Servis Provider)での電話サポートだから以前やった東京電話のテレアポとパソコンの出張セッティングの仕事を足して二で割った感じの仕事だ。 以前は二千円ちかい時給をだすところもあったらしいが、最近は1000〜1500円くらいが相場らしい。一緒に研修を受けた人に聞いたら彼は派遣ではなくて直接DIONと契約したらしいけど、どういうわけか時給はぼくよりも安かった。 |
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ Nov 24 2002 『Technical support for computer setting』 グッドウィルという短期アルバイターの派遣会社がテクニカル・サポート(PCセットアップ)のアルバイト派遣専門の部署をつくって募集を始めたので登録した。 今日までに2回そこの仕事をした。仕事をしたい日の二日前の11時から13時までの間に与えられたコード番号と名前を名乗り、翌々日に仕事をしたい意思を電話で伝える。その時残業ができるかどうかも言っておく。 そして翌日の16時から18時の間に再度電話をして仕事があるかどうかをこちらから確認しなければならない。 登録時に自分のスキルなどを記入した用紙を提出しているので、スキルのある人にはそれなりの仕事をさせるのかもしれない。こちらが予定が入っているときに限って会社の方から電話がはいって「明日、仕事できませんか?」とくる。こちとらは土日のデート以外はなるべく仕事がしたいから前々日に予約を入れていないときは居酒屋のバイトが入っているということだからまず色のよい返事はできないのだ。居酒屋でも同じだけどバイトを使う仕事はシフト調整が一番難しい部分だ。 今日、ブラジルで知り合って以来連絡を取り合い、たまに会っている松本さんが、始めたばかりの仕事で雇用していたアルバイトの男の子とシフトのことでもめて喧嘩になり、顔面を蹴られて骨折、入院したとメールが入ったばかりだ。 一回目 は大手町にある野村證券のトレイディング・ルーム、 二回目 は外苑前の損保会社の仕事でどちらも予定では4時間の仕事だったので4千円づつもらったが、実際はそれぞれ2時間、1時間で終わる簡単な仕事だった。終わってしまえば担当者にサインをもらって直帰できるのでおいしい。 三回目 は東京都の大きなプロジェクトで現在、都の職員一人に一台のパソコンを配給しているだが目黒にある教職員組合でのセッティングだった。 四回目 は同じ東京都プロジェクトで江東区役所だった。なんと会社から夜9時に電話がかかってきて今から仕事しないかという。寒い夜だったけど一時間以上かけて出向してそれから約12時間も拘束されることになった。だけどこういうスクランブルの仕事は結構好きだ。 やる事 は素人でもできるパソコンの交換作業で腕力もスキルもほんの少しだけあれば良い。あとは一流コンピューターメイカーから来たメンテナンス要員の振りをして堂々と振る舞っていればカッコがつくのだ。 現場によってスーツでいったり作業服を羽織ったりするが、いずれも派遣会社から派遣されたただのアルバイトであることは秘守しなければならない。 ハッタリは苦手だけど演技と思えば面白い。 時間厳守などのルールがいくつもあって違反すると降格、減給の対象となる。 始めはスターターと呼ばれるランクにあり、違反せずに15回勤務するとワンランク昇格してアシスタントになり、同時に昇給する。その後もサブリーダー、リーダー、チーフというランクがあって昇給していく。 この仕事で食っていくつもりはなく、今のところはあくまでも居酒屋バイトのシフトを埋めるためだ。今後どんな仕事をするかわからないけどこの仕事はいつでもできるし、日払いが可能(条件つき)なのでなかなか良いバイトだと思う。 |
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ Oct 7 2002 『cook』 グアテマラのポウサダ レフヒオで自炊の楽しさを知った。日本にいた以前から料理はきらいじゃなかったけれど、この旅の途中で設備の整ったホステルのキッチンでしてきたことといえば パンを切ったり、コーンフレークに牛乳を注いだりなんてことばかりだった。 ぼくのように料理をしなかった世界一周放浪者の猪飼君もその旅の途中で料理の楽しさを知ったのだと語った。彼に触発されてぼくも作り始めたけれど、それはあくまでも自己流で創作料理であるがゆえに時には人に勧められない代物ができたりする。 その後もエクアドルのオスタル スークレでキヨシくんという放浪調理人に出会いますますぼくの『美味しいもの作りたい熱』は上昇していったが、ぼくが力めば力むだけおじやはマグマのごとくグツグツと沸騰し、コロッケは爆発するといった有り様だった。 一度調理場で働きたいものだ、とその頃から思うようになっていた。 最近隣駅の外人ハウスに引越しが決まり、そのすぐ側にあるチェーン店居酒屋に『求人』の張り紙を見つけてアルバイトを始めた。34歳未経験ながら調理補助希望というぼくを24歳の女性店長はすんなり受け入れて『求人』の張り紙は剥がされた。 貸与される制服は帽子、割烹着、ズボン、靴でワイシャツとベルトを自分で用意する必要があった。着てみるとそれはそれなりに和食調理人といったものだった。プラスチックケースの名札を左胸につけなければいけないのがいかにもチェーン店らしいところだ。 出勤して狭いところで着替えるとレジのところで指紋読み取り式の機械で出勤時間記録をして、爪、頭髪、などの体の衛生に関する事項にチェックしてから調理場に入る。 おはようございます、と元気良く挨拶するところが業界っぽい。まずは殺菌洗剤で手を洗ってから仕事に入る。海鮮ものをメインに打ち出した居酒屋なので刺し場と呼ばれる刺し身や寿司を作る板場がこの店の花形といえる。業界用語では板長と呼ばれるのだろうけどチェーン店の事細かなルールに従って調理長と呼ばれる人がこの店では刺し場を切り盛る。 調理長よりも年かさの恰幅のよいHさんは奥で煮物、汁物をメインに洗浄機までやっている。 腕も知識もかなりの人だと思うけれど年下のAさんが調理長を任されているのはAさんが腕も知識もそしてその他の責任者としての資質が相当なものだということなのだろう。 実際、一緒に仕事をしていてその記憶力や管理能力の高さはたいした物だなといつも感心する。 人を使うコツもよく知っていて日本企業の一員というイメージにもあてはまる。 冗談も言えるし、時代が時代ならどこかの料亭で板長をしていても良さそうな貫禄もある。 珍味場、焼き場というのはサラダからお茶漬けまでありとあらゆる顧客のわがままに答えるメニューの担当で、Kさんが冷蔵庫のどこになにがどれ位入っているかまで正確に把握している。 この人が整理しているのだから当然といえば当然なのだけど忙しい調理場においてそのことを掌握しているというのは一つの武器のようなものでたまにしかシフトが入らないぼくのようなアルバイトはKさんに「××はどこですか?」ときかなくてはならないのでそのたびに上下関係がハッキリする仕組みになっている。 とはいっても以上の三人はれっきとした社員で、始業から終業まで実質12時間も会社に縛りつけられている彼ら三人を補助するのがアルバイトの役目だ。 そしてぼくの担当が『揚げ場』と呼ばれるその名のとおり天ぷら、唐揚げなどの揚げ物を調理する板だ。ただ揚げるだけの冷凍物がほとんどで料理の勉強というぼくの目的には今一歩遠いような気もするけれどローマは一日にしてならず、石の上にも三年ともいうが、調理場の社員三人がその知識を得るのにどれだけの年数をこの仕事で従事してきたかと思えば口をつぐむしかない。 単純な仕事にこそ良い仕事、悪い仕事の違いがよく見えるので物覚えの悪いぼくは今の通常レベルの仕事ができるようになるまではかなり叱られた。最近ようやく天ぷらが商品レベルになったのだから飲食店におけるOJT(On the Job Trainning:働きながら訓練する)も客にしてみれば迷惑なものだ。まあ、あまりにもひどいときは「こんなもの出せるか!」といって調理長に却下されたりもした。 ようやく仕事を覚えてきたのにシフトは減る一方で現在他の飲食店を物色中だ。 『寿司』もかじってみたくて回転寿司にも興味があるけど、まずは魚貝類をさばく練習にスーパーの鮮魚コーナーの仕事も良いかもしれないともくろんでいる今日この頃だ。 |
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ Jly 24 2002 『Apointment Maker』 ウェイターの仕事はやはりヘルニアの腰に響いた。ホテルの宴会サービスだけならそれほどでもなかったけど日本橋三越の『特別食堂』という名のレストランに常備の仕事をもらい喜んでいたけどほんの三ヶ月で腰が潰れてしまった。ハイソなお客の多いところで配膳としても気持ち良く働ける環境だっただけに残念だ。 五月に退店して約二ヶ月間もの間外人ハウスに借りた自分の部屋に引きこもって毎日レコードを 聞いて過ごした。うっとおしい梅雨の時期が過ぎるとハウスは暑くてたまらないので地元にある亜細亜大学の図書館へ行って涼しいAVフロアで映画を観たりしていた。 暑さが本格化してきた七月に入りようやく仕事でもしようかと思い、タウン ワークという無料のアルバイト誌でセールスの仕事をみつけた。自分の住んでいるゲストハウスから歩いて一分のところだったし、成績次第ではかなりの高給が期待できる内容だったので鼻息を荒くしていたけどなんのことはない、「今回はご縁が無かったということで」と不採用の返事がきただけだった。 ふてくされてそれから数週間また遊んでいた。いくらか金を持っているからついこんな風にだらだらとしてしまう。 それでもなんとか立ち直って今度はテレアポの仕事を見つけた。 以前から次に仕事を探すなら吉祥寺と思っていたので時給1000円でもいいかと納得して面接におもむいた。ところが行ってみるとはじめ十日間は時給800円だという。 駅から徒歩5,6分の商工会館前に位置した七,八階建てビルの四階にあるその会社はT電話という第二電電の一つを売り込む代理店だ。 テレフォンアポインターはタウンページに載っているような中小企業へ電話して契約のためのアポイントをつくる仕事だ。つまり飛び込みセールスのように靴をすり減らすことなく口先だけで人を説得するというもので、未経験のぼくにはすごく魅力的に思えた。 当初は一日6〜8時間働くつもりでいたのだけど雇い主からそんなに長くは集中力が続かない、とアドバイスを受けて驚いた。そして実際にやってみるとこれが確かにきつい。 初日は一件のアポも取れなかったのだけど、アポが取れないと気が緩まないので神経が疲れる。 二日目は開始草々に一件とれたのでその後が楽だった。 一日に200件もの電話をして一件取れるかどうかというのがつらい。 コンスタントに数件とれる状況だったら他者との競争になって遣り甲斐もありそうだけど、一件とれるかどうかでは話にならない。始めのうちは口が言うことをきかなくてお客に言うべきこともカミながらだったけど、一週間目にはスムースに話せるようになった。 それでもアポがとれるようになったかというと逆にスランプになってしまった。 下手な鉄砲もなんとかで、がんばってかける本数を多くしたりしているが一向に良い結果がでない。この仕事で納得できる成果をあげられるようになったら足を使う現場型の営業にもチャレンジしてみたい。 |
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ Jan 18 2001 『Working as an Waiter』 二年ぶりに日本で年を越したが、年末から年始にかけて横浜のシェラトンで働き詰めたので年越しそばはレストラン業務でサービスしたが自分では食べそこねたし、初詣も行けなかった。ジェフ主催のクリスマス落語と新年会の後、今日はカナダ時代の友ヒロ、アヤカと再会し飲んだ。ヒロは今週化粧品工場ラインのバイトを辞めたばかりで、アヤカも二月には今のスポーツ用品会社の事務職を辞めるらしい。 旅行中知り合った仲間のなかでは割と日本人としての社会性を失っていない北米の友でさえこのありさまだから、日本の社会システム自体が目に見えて変化してきているようにも思える。 そんな中で二人とも彼氏、彼女がいるらしく海外仲間のなかではまったくもって日本人らしい日本人であったが、ヒロに軽く訊かれてまたしても「葉っぱはドラッグじゃない!」 を狭い居酒屋でぶちまけてしまった。 なぜかあまりカナダで写真を撮らなかったのでヒロとアヤカにあらかじめ写真を持って くるように頼んでおいた。アヤカは朝の忙しい時間に忘れてきてしまったが、ヒロはめでたく無職なのでちゃんと持ってきて見せてくれた。懐かしい同窓生のVivianaとぼくのツーショット写真もくれた。住所が離れている他の面子とは飲みながら電話して再会を約束した。ヴァンクーヴァーの頃からいつもべったりだった康二と陽子が結婚していてぼくたちをホットにした。フミヨは看護婦に復帰していてた。福岡なので今度大分に行ったときに会えるかもしれない。千賀子はメキシコ人と結婚したと写真つきのメールをくれた後しばらく音沙汰がなく心配だがきっと毎日美味いタコスを食いながら幸せにしているのだろう。 カナダ組みと会えてすごくうれしかったけれど、夢の中に生きているようなあの南米組みの馬鹿馬鹿しさがなおさら恋しくなった気もする。 ウェイターの仕事は日本では配膳と呼ばれていて学生時代にアルバイトで経験している友達も多い。主にレストランのお客を相手にする職業かと思っていたが、一番気を使わなければいけないのはそのレストランやホテルのバンケット(宴会)を一緒に支えていく先輩たちなのだが、この業界にはテレビドラマやマンガに登場するような、信じがたいような人格をさらけ出している人が非常に多いことに驚いた。つまり右も左もわからない新人に「こんなこともできないの?」と嫌味を言ったり、仕事中故意にぶつかってきたり足蹴にしたりということが日常的に行われる。幾度となくキレてしまったが、キレないということもこの職業の大事な素養だということもわかってきた。日々あちこちのレストランやホテルに入りまだまだ覚えることも多く、やりがいも感じているしゲストハウスから通う生活にも慣れてきた。時に『気持ち』よりも『型』が大事であることなど、三十路ではじめて知ったサービスの世界だが実務的なことを超えて勉強になることが多い。 いつか自分でサービス事業を起こすためと考えれば今はエタ、ヒニン、ハイゼンと言われる仕事でも苦にはならない。 |
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[ Japan ] Tokyo ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ Dec 13 『in Tokyo』 帰国して2ヶ月が過ぎた。2年以上海外で生活していたことが今では昔の夢のように霞んでしまった。最初大阪で生活することを考えていたけれど、大分の母を訪ねていってそのまま1ヶ月ちかく落ち着いてしまい、寂れた温泉地の別府で仕事を探そうと考え出した ら今度は埼玉の親父が自転車の事故でじん帯を切断して手術、入院することになり、助けになるかと思い飛行機で駆けつけたがまたしても親子関係の亀裂を深めたに過ぎなかった。 埼玉、東京で旅行中に知り合ったアミーゴたちと再会し飲み歩いていたらどんどんお金が 無くなってしまった。長いこと無職で親のすねかじり続けてる奴もいるけど、大半はアルバイトのようなものを始めている。そいつらがめいめい自分の暇な時にぼくを呼び出すのにつきあっていたのが失敗だった。まあそういうのが楽しくもあったし、その間に預貯金の整理もつき、これでいつでもまた海外逃亡できるようになったわけだから、またここ日本に飽きるまでは旅行資金を増やすためと経験値をあげる意味でパートタイムジョブをしてみることにした。 別府で数少ない就職口を探していたので東京の求人の多さに心引かれて、母親のカムバックコールに生返事を返しながら、アパートを探しもせずにサウナでのその日暮らし。ウェイターの派遣会社に登録して前日に指示されたホテルやレストランに出向いて知らない人たちといっしょに働く。この業界の古い習慣である年功序列はまだかなりまかり通っていて驚いた。しかも新人いびりのようなことをする人がたくさんいる。自分たちがそういう環境のなかで成長してきたから今度は新人をいじめる番、というのはどうかと思う。それでも郷にいれば郷に従えで 「はい」 「はい!」 とまめまめしく働いているのに、教えもしないことを 「何でこんな事も出来ねえんだ。あ?」なんて耳元でぐちぐちやってくれた大先輩はぼくが生まれる前からこの仕事一本というこわもてだったけれど、あまりに度が過ぎたようだったのでこちらも久々に目が三角になってしまい気分が悪かったけどその後その先輩も少し態度が軟化したのでこちらも水に流した。 島ちゃんやジェフは今年もブラジルのカーニヴァルへ行くという。「セニョールも行こうよ!」と誘われているけど今度行く時は永住覚悟だと決めているので今回は我慢してお金を稼ぎながら永住に関する情報をキャッチできたら良いなと思う。 でもほんとは明日にでも我が心の祖国ブラジルへ飛んでいきたいのだけど。 [ Japan ] Kyusyu ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ Nov 17 『in Kyusyu』 母親に顔を見せに来ただけですぐに大阪へ戻るつもりだった。チカちゃんに住所まで借りて東大阪市で住民登録までしたのだ。携帯も関西DoCoMoで契約したし、銀行口座までつくった。 両親の離婚で少年期から母親の手料理と縁が切れていたぼくには彼女が三食作ってくれる食事が長旅から帰ったばかりというファクターと重なって強烈にぼくの後ろ髪を引っぱった。 おまけに関のサバだ、アジだ、フグだと高級なものを食わされてぼくの闘争心はぐにゃぐにゃになってしまった。 いつのまにか別府で良い仕事ないかなあ、なんて言ってハローワークや懐石料理屋などをチェックしていて我ながら苦笑してしまう。 それでもやはり別府で仕事を探すよりはずっと選択範囲の広い大阪へ戻ることを諦めきれずにいたのだが、今日弟から電話があり、埼玉の父親が事故で手術をするということがわかると何も考えずに翌日の羽田行きを予約していた。 大阪で働きたいというぼくの願望はこの後どうなるのだろうか? [ Japan ] Osaka ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ Oct 17 『in Osaka』 関空に降り立ち、その足で難波にでてしばらくサウナに通って旅の垢を落とした。 ビッグカメラでメールチェックができたので見てみるとエクアドルで出会った千佳ちゃんから ≪おっさんどこおんの?≫ とメールが入っていた。電話すると、彼女の実家が千林というところで営む居酒屋で同窓会をすることになった。康助、ヤスとも皆エクアドルの首都キトのホテル≪スークレ≫で知り合ったメンバーだ。皆相変わらずだったけどちゃんと社会復帰していた。康助は以前と同じ発掘調査。ヤスは家業の代書屋。千佳ちゃんも在宅介護の仕事に就いている。無職は僕だけだ。しかもまだ住所不定である。 大阪で働きたくて関空を選んだのだ。フグ料理屋や鰻屋など駄目元で飛び込んでみたがやっぱり駄目だった。まだまだ就職活動に向けるエネルギーは溢れていたが、二年以上の間ぼくの帰りを待ちわびていた別府の母親から「顔を見せて」という電話がひっきりなしで、ついに根負けして一時九州へ行くことにした。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ▲ |