しょうもな文

しょうもない雑文っす。どうしようもないっす。
でも『かげろう雑文祭』と『勝手に一人雑文祭』に参加したっす。これがその雑文っす。

■2002/11/20 (水) 111.譯若布

 1000年頃と言ふと本朝では平安の王朝期であると世間一般には知識としての概念とは言へ認識されてゐるところの時代である譯であるが、その頃の本朝において花開いた文學の一genreにdiary文學があることも世に常識の範疇として語られてゐるのであるが、抑もdiaryと言ふとmiscellanyと對比して語られることが多い分野ではあるが、小生が腦髓の裏から立ち上る間缺泉の如き思考でつらゝゝ鑑みるに、diary作者にしてmiscellanyも書く者も無いではないし、miscellanyが主である筈であるにも拘わらずdiaryが面白い者も隨分いるやうにも思はれないでもないのかもしれぬ。
 1000年頃のmiscellany書きと言ふと、恐らく清少納言が先ず念頭に上るであらうが、彼女が紫式部の「diary」に「辨清少納言こそ、したり顏にいみじう侍りける人、さばかり賢しだち、眞字書き散らして侍るほども、よく見れば、まだvery堪へぬこと多かり」などと惡口雜言を書かれてゐる事を見ても、diaryの形態を通してmiscellany書きを批評する文脈が當時から密かに深く根強く伏流水のごとく行はれてゐたことが分かる。
 1000年頃から現代日本に到るまで、しかしながらmiscellany書きとdiary書きの生命とするところが廣義の創作であるといふ點は論を待たないであらうし、それは、あたかも科學者が藝術家としての自意識と二つの人格をアウフヘーベンするとともに、自己同一性を確保するための果てしないAdventureに出かける樣な物であらうかと愚考ながら思量するものである。
 1000年も以前に、而うしてそのセンチユアル樣な境涯からは一歩も二歩もいやさ何不可思議歩も離れた位置に自己を置きつつ晴れ野を往くが如き文學を屹立せしめたる女流diary書きも探求するまでもなく存在するのであつて、斯く難解で自己すら理解の雲間に横たわる眞理が洞察できぬヘンデソニツク體を爲す2つの世界に關する認識の中に、恰も晴れ渡る一筋の光明を見付けるかの樣態で藤原道綱母を見付けたのである。
 1000の言葉を費やしても語り足りぬ複雜怪奇な單語の大海を渡る航海者が遠き彼方の島影にも似た蜃氣樓の惡夢を呼び起こして凝視するかのやうな心境を端的に琴線に響く戀歌となしたものが、以下の歌である。

  冬ごもり雪にまどひし折過ぎて今日ぞ垣根の梅をたづぬる

(出典:かげろふ日記/藤原道綱母)

 斯樣なみそひと文字の中に一抹の眞理を垣間見る時こそ、眞に藝術の中に藝術を見付けたサバタルーベンと成り、Hotすると言ふものでは無かろうか。

 ※ 理解できてしまったら私の負けです。謝っておきます。ごめんなさい。


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