しょうもない雑文っす。どうしようもないっす。
でも飲めや歌えや雑文祭に参加したっす。これがその雑文っす。
■2002/05/13 (月) 107.勧酒 毎日のように続いた花見や歓送迎会も一段落し、昨年度やり残した仕事や転勤した人の仕事などの山が押し寄せて来、ゴールデンウイークもどこ吹く風の方も多いのではないかと心中密かに思っている今日この頃ではあるが、そんな風に宴会の嵐が収まってみると、やはり人生というものは出会いと別れが基本なのだなと感慨深く思えてくるから不思議である。
多分多くの人が聞いたことがあると思うのだが、唐の于武陵が作った五言絶句に勧酒という詩がある。
「君に勧む金屈巵(きんくっし)
満酌辞するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨多く
人生別離足る」
というもので、聞いたことがないという方でも、井伏鱒二氏の名訳
「コノサカヅキヲ受ケテクレ/この杯を受けてくれ
ドウゾナミナミツガシテオクレ/どうぞなみなみ注がしておくれ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ/花に嵐のたとえもあるぞ
サヨナラダケガ人生ダ/さよならだけが人生だ」
は、「さよならだけが人生だ」という文句が決め台詞にもよく使われるため、ご存じだろうと思う。
テストでしか漢詩なんてやっていないという方も、日本語にしてみれば、所詮古代中国の宴会の席での即興の歌に過ぎないという感覚が伝わって、それでいて、何とも言えない寂しさや、その寂しさを紛らわすような「飲め飲め飲め〜〜〜〜〜〜っ」という雰囲気を味わえると思う。
しばしの別れのこともあるし、もしかしたら今生の別れになるかもしれないのだが、それでも今この時に一緒に酒を酌み交わしているのだという疑似同志感がそのようなサンチマンな想いを吹き飛ばして、酒場一体化現象のもと、みんなで躁状態になる機会は、胃には悪いものの、やはり大切な人生の一コマであろう。
幹事の醍醐味はそこにこそあるのであって、たとえ翌朝に頭の中で100人の関取が一斉に四股を踏んでいるような宿酔になることが容易に予想されていたとしても、特に送別会であれば、その幹事になって宴会の計画に参画することは、買ってでもするべきことのように思われるのである。
苦労は報われるし、何と言っても
「さよなら参画」
って言うくらいだから。