しょうもな文

しょうもない雑文っす。どうしようもないっす。
第五回雑文祭参加作品の蛇足っす。ルール上「一本書く」なので、正規の参加文章は前のページですが、結びの文句が「まだ続く」だったので調子に乗ってみました(笑)
第五回雑文祭

 
■2000/10/23 (月)秋の夜長に

 秋の夜は長い。長過ぎて本当に続いてしまつた。隣の夜逃げの者は最前まで荷解きで少々五月蝿かつたものの今は落ち着いたやうで静かになつた。分からぬ者は上から読むやうに。
 それでも先程来の喧噪は消えた。外からは虫の音が聞こえてくる。げえむは終了した。いよいよ今回の雑文祭に向けた文を練る事にする。それにしてもお題が難し過ぎる。そこで初心に還つて雑文と言ふものの定義から考える事にした。
 大体が以前も何度か書いたが、私はたかが数ヶ月前に雑文を読み始めたのでネタが過去の先人の雑文とかぶることが間々ある。流石に雑文祭でかぶつては格好悪いと言ふものだ。かぶつて格好悪いのはチンコだけではない。カツコウ悪いがホトトギス良いと言う訳でもない。ホトトギスは「天辺駈けたか」である。
 外からは虫の音が聞こえてくる。コオロギであらうか、リリリリリと鳴いてゐる。
 「聞きなし」と言ふ言葉がある。虫や鳥の声を人間の言葉に置き換へたものだ。と言つても分かりにくいと思ふのでいくつか挙げると今述べたホトトギスの「天辺駈けたか」ヒグラシの「カナカナ」ウマオイの「スイツチオン」、ニワトリの「コケコツコー」等のことである。他にも沢山あるので一寸例示してみると、
 イカル「お菊二十四」「これ食べてもいい?」
 ウグイス「法法華経」
 コジユケイ「一寸来い一寸来い」
 コノハズク「仏法僧」
 サンコウテウ「月日星ホイホイホイ」
 シジフカラ「一杯一杯土地金欲しいよ」
 ジフイチ「十一」そのままだ
 センダイムシクイ「鶴千代君」
 ツバメ「土食つて虫食つて渋い」
 ヒバリ「日一分日一分利取る利取る」
 フクロフ「ぼろ着て奉公」
 ホホジロ「一筆啓上仕り候」「源平躑躅白躑躅」「札幌ラーメン味噌ラーメン」
 メジロ「長兵衛忠兵衛長忠兵衛」
 メボソムシクイ「銭取り銭取り」
 ユキサオリ「ルルルルルル」
 ナカジマトモコ「ルルルルルル」人の方が鳴き声つぽい
 などである。かうして見ると虫の声が擬音の域を出ないのに対し、鳥については人語に聞きなしてゐることが分かる。先人の鳥に対する擬人化が思はれて面白い。何しろ本来人語に成らない「音」を「言葉」に置き換え言ひ表すのだ。その為か同一種に複数の「聞きなし」が存在してゐる。
 さう言ふ訳で、元々無いものを有るが如く言ひ表すと言ふのは難しい。「聞きなし」もさうであるが、極端な例では漢詩帳、いや違ふ幹事長も感じちやうも違ふ、勧進帳と言ふものがある。
 知らない方の為に言ひ添へておくが、源九郎判官義経が兄頼朝に追はれての逃避行の折、加賀国安宅の関で富樫某が山伏姿に身を変へた義経・弁慶主従を尋問した際に、弁慶が東大寺復興の寄付を募つて歩く山伏に成り済まし白紙の巻物を『勧進帳』(寄付者署名簿)と称して読み上げると言ふ歌舞伎の名作のことだ。その後、無事通行の許しを得て関所を出る一行の中に義経に似た者がゐると見咎められて弁慶は大芝居を打つ。主人である義経を杖で撃つのだ。心で泣く弁慶の胸の内を察した関守富樫は義経と知りつつ一行に関所の通行を許すとまあこのやうなお涙頂戴の筋書きである。結局あどりぶでは切り抜けられずに芝居を打ったと言ふ話なのだが、無いものを有るが如く見せると言う意味で雑文にも通ずるものがある。
 さう言ふ法螺話と言ふものは、かの半村良師匠に言はせると「真実に剃刀で切れ目を入れ両側を引つ張つて出来るその裂け目を嘘で埋める作業」となるのだが、雑文書きにはその手法の名手が多い。私も先人に習ひさうしやうと思ふのであるが、なかなかそのやうには運ばない。難しいものだ。大体日常の生活において法螺話を盛んにするとなると、職場の人にも家族の人にも嫌がられ、特に彼女の人などは怒つたりする。雑文を書くやうになつて日常から法螺や駄洒落が多くなつた為か先日などは彼女の人に立て続けに怒られた。彼女によるとずつと我慢してきたが遂に我慢出来なくなつたとのことである。私も謝るつもりで逆に火に油を注ぐやうな発言をしたらしく彼女は切れた堪忍袋の緒が蘇生する暇もないほどだった。いや、そんな話はどうでもよい。要は雑文とは日記と違いフイクシヨンと言ふか、法螺話と言ふか、無いものを有るが如く見せる手法が必須と言ふ事が言ひたかつたのである。それは恰も幼児を育てるにも似てゐる。それは保育所だ。茄子を土に埋めて取り出すのにも近い。それは掘れば茄子だ。
 一応雑文らしくなつて来た。そろそろ落ちを付けねばならない。きつと世の雑文書きの方々はこのやうな雑文の本質と言ふものを体得してゐるのであらう。だからあれだけ沢山書いて発表してゐてもネタが尽きぬのだ。いやいやそれでは先人達の苦心や努力を軽視してゐる。やはり精進が大事なのか。それと新聞を読む事であらう。最低でも全国紙五種類は読まねばいけない。精進は五紙が大事と言ふではないか。それは小人は御し難しだ。
 結局最後には努力忍耐根性か。精進とはさう言ふものなのかもしれない。然しこのやうに締め切りに追はれて背に腹を代えられずに拙速に出した結論と言ふものは間違つてゐる可能性が高いので、本当は言ひたくなかつた。追い詰められるまでそれだけはどうしても言えなかつたのである。なぜなら、
 精進断固として不言を為すと言うではないか。
 而して夜はまだ続く

 
■2000/10/23 (月)秋の夜長に(おまけ)

 秋の夜は長いと言うが、短い小話も一つ。

 総理に取材しているのだが、与党三役を慰労するパーティを企画するとのことである。学生時代にしょっぴかれた経験がおありの割りには懲りないお方で、皆を十分に楽しませようと風俗店で開催することにしたそうだ。
 幹事長も感じちゃうほど濃厚なパーティになりそうだ。一国のトップがこれでは呆れを通り越して腹が立ってくる。連日この調子なので切れた堪忍袋の緒が蘇生する暇もないほどだったが、煮えくり返るはらわたを押さえつつ諫言しようかどうか迷った。しかしやっぱりそれだけはどうしても言えなかった。何故なら、
 記者も鳴かずば打たれまいと言うではないか。
 総理のリップサービスはますます滑らかで、このしょうもない夜はまだ続く


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