しょうもな文

しょうもない雑文っす。どうしようもないっす。
でも赤ブレ☆ウソツキ雑文企画に参加したっす。これがその雑文っす。

■2002/02/04 (月) 104.春よ来い

 昨日の節分は如何でしたか、みなさん。今日は立春ですね。今日の講義は、「暦における春について」です。
 立春とは、天文學的に難しく云ふと、太陽の黄經が315度に逹する時のことで、太陽暦では毎年今頃に當たります。世間ではまだまだ寒い日が續いてゐますが、暦の上では、もう春なのです。
 こんなに寒いのに、何故春なのかと云ふと、一年で晝が一番長い日を夏の眞ん中、一番短い日を冬の眞ん中と決めて、その一年を四分割したものを春夏秋冬と決めたときに、春の最初の日がこの日になるからです。315度と云ふのは、360度の8分の7ですから、實際に計算してみるとお分かりの通り、春の眞ん中の春分の日は、太陽の黄經が0度になる日と云ふことになります。

 舊暦、つまり日本で使はれてきた太陽太陰暦では、大體立春の日の邊りに一月一日が來ます。正確には、立春を含む月の初日が一年の初めになつてゐます。ここで先程の黄經の話の續きになりますが、暦の上では二十四節氣と云ふものがあります。これは、黄經を24等分したもので、立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小滿、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、處女、齒黒、醜聞、甘露、草稿、栗東、小説、大切、杜氏、召喚、代官と名前が付いてゐます。古代中國では、この二十四節氣と月の滿ち缺けを基準とした一月の組み合はせが色々と變はりました。夏王朝では立春を含む月が正月で、商王朝では冬至を含む月の翌月が正月、周王朝では冬至を含む月が正月だつたさうですが、後漢時代になつて、氣温が最も低くなる立春の頃に太陽が復活すると考へ、現在の樣になつたのです。

 ところで、太陽暦の一月一日は何の日なんでせう。これは古代ローマの時代、ユリウス・カヱサルが新しい暦を作つた年の冬至の次の新月の日を元旦にしたことに始まるらしいです。でもキリスト教では、この説を採用してゐません。イエス・キリストが割禮(まあ、包莖手術みたいなものです。さう云ひ切つては罰當たりかも知れませんが)した日となつてゐるんですね。カトリックなんかでは「割禮年初」と云つてゐます。しかし、キリストの誕生日がクリスマスと云ふ傳承自體が實は怪しいので、この割禮云々は後付の屁理窟だと思はれます。と云ふことは、太陽暦の場合は冬至が新年の基準なのです。

 結局、一年は春の始まる日から始まると云ふことです。季節は一般に春夏秋冬と春から始まります。太陽暦は、いはば「冬至年初」とでも云ふべきなんでせうし、太陽太陰暦では「立春年初」と云ひますが、どちらも春から1年が始まる譯です。太陽太陰暦の名殘で、今でもお正月のことを「初春」と云つたり、「こいつあ春から縁起がいいや」と云つたり、「おらが春」と云つたり、「おつむが春」と云はれたり、「春ばる來たぜ凾館へ」と歌つたり、「三波春夫でございます」とボケたり、さう云ふ眞ん中の人の名前が分からなかつたり、「春9000」がコンピュウタだつたりしますね。

 「立春大吉」なんてお札を貼つたりもしますが、このやうに占ひや呪術などでも一年の始まりを春に置いてゐます。いきなり呪術なんて言葉が出てきたので驚く方もゐると思ひますが、そもそも暦と云ふのは陰陽道の基本科目であつて、古代日本では陰陽寮と云ふ役所の中に暦博士がゐたのです。それに、みなさんはそれと知らずに春に關する呪術の歌を知つてゐる筈ですよ。他でもありません、「春よ來い」です。

「春よ來い」

春よ來い早く來い
あるきはじめたみいちやんが
赤い鼻緒のじよじよはいて
おんもへ出たいと待つてゐる

春よ來い早く來い
おうちの前の桃の木の
蕾もみんなふくらんで
はよ咲きたいと待つてゐる

(相馬御風作詞/弘田龍太郎作曲)

 やつと今日の本題に入つてきました。
 「春よ來い早く來い」とは、これは言靈信仰による呪文で、さう口に出して歌ふことによつて、實際に春の到來を早くしやうとする呪術です。
 「あるきはじめたみいちやんが」とは、「或る際占めた御井さんが」の訛傳、つまり「なまり」で、ある際(きは)つまり山の周縁部を占領した、御井神社(現久留米市御井町)の神樣、つまり「御井さん」のことを示してゐます。
 「あかいはなをのじよじよはいて」とは、「赤い花をノジョノジョ生やして」の訛傳で、まだ寒い季節に赤い花を生やすとの意味です。ノジョノジョは擬態語です。
 「おんもへ出たいと待つてゐる」とは、「御萌えでたいと待つてゐる」の訛傳で、その神樣が赤い花に萌えてゐる樣子とそれを待つてゐるので、早く春よ來なさい、と云ふ意味なのです。「おんも」を表の幼兒語と解釋する向きもありますが、この樣な呪文に俗語を使う事はありません。なお、「たい」は九州辯です。方言は俗語に入りません。

 勿論、二番の歌詞も同樣です。
 「おうちの前の桃の木のつぼみもみんなふくらんで」は、文字通りの意味です。「咲きたいと待つてゐる」と唱へることによつて、一番の祈り、呪文を強調してゐる譯です。

 ここまでで、何か質問はありませんか。
 はい、えーと、そこの、はい、あなた。ふんふん。「はよ」とは何か、と云ふんですね。「はよ」を早くの幼兒語・俗語としないのであれば何なのか、と。うーん、「はよ」くらゐまけといてくれませんかね。え、まかりませんか。うーん、

 實は神樣の名前が「はよ」だつた。


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