しょうもな文

しょうもない雑文っす。どうしようもないっす。

■2001/07/31 (火) 85.すむとにごる

 やあ、みなさん、私の研究室へようこそ。今夜もこの時間で言葉とは何たるものかを理解した者のみが味わえる喜びを皆さんにも感じ取って頂くことを期待します。今日は、濁点について皆さんと勉強したいと思います。
 濁点と言えば、最初に話さなくてはならない言葉遊びがあります。濁点をつけたり取ったりすることによって意味が大きく違ってしまう現象を利用した言葉遊びを「すむとにごる」と言います。
 例を挙げると、「ハケ」は毛が多いが「ハゲ」は毛が少ない、「稽古」は練習だが「警護」は実戦だし、「ガイド」は引っ張っていくが「カイト」は引っ張られる、と言った類のものです。
 これには長い歴史があります。その元祖は上杉謙信なのです。そう、あの戦国大名の謙信なのです。

 あるとき、謙信とライバルだった武田信玄が、謙信に歌を送りました。いや、ラブレターじゃありません、そこのヤオイ大好きっこさん。相手を馬鹿にして、自分を誇った、イヤミな歌です。内容はこうです。
 杉枯れて 竹たぐひなき あしたかな(武田信玄)
 要するに、上杉という杉の木が枯れて、武田という竹が比類ないくらい伸びる未来を歌ったものです。相手に失礼でしょう。ところが、謙信、ちっともあわてず、次のように返事を書きました。
 杉枯れで 武田くびなき あしたかな(上杉謙信)
 武田の首が無くなると洒落で返した訳です。この辺はさすが賢人、いや謙信ですね。
 それ以降、濁点をつけたり取ったりすることによって、意味が逆転するような遊びが流行したということです。

 ところで、濁点をつけたり取ったりという試みをしていて、皆さんあることにお気付きになりませんでしたか? 私は気付いたことがあります。総じて単語というものは、濁点をとるかたにすると、妙に力が抜けるのだと言うことです。これを濁取る型=脱力系と言います。これについては、みやちょさんが、「男らしい」かどうかという議論で濁音と半濁音の違いについて既に研究しておられますが、私の研究では半濁音の脱力感よりも、本来濁音になるべき部分が清音になったときの方が、妙に情けない、力のない、ほにゃららとした、疲れ果てた、そういった脱力系に感じられるという結果になっています。
 例をあげましょう。雑文界の各サイト名の濁点を取ってみます。
 デジタルライフ→テシタルライフ
 雑文館→さつふんかん
 補陀落通信→ふたらくつうしん
 大西科学→おおにしかかく
 赤ずきんちゃん☆オ〜バ〜ドライブ→あかすきんちゃん☆お〜は〜とらいふ
 ざれごと→されこと
 それだけは聞かんとってくれ→それたけはきかんとってくれ
 鉄血くだらな帝國→てっけつくたらなていこく
 ばかもの堂書院→はかものとうしょいん
 今朝方見た夢→けさかたみたゆめ
 森で屁をこく→もりてへをこく
 しょうもな文→しょうもなふん うんこみたいですねえ(笑)
 いかかてしょう? これてお分かりになったと思いますか、たくてんかないたけて、こんなに糞にしまりかなくなってしまうのてす。あ、あれれ? いつのまにか私のことはからもたくてんか…あっ!ここの大家さんのろうさんか、怒っています。うんこなんて言って、こめんなさい。たすけてくたさい。これては、オチかつけられません、おねかいしま

 ※注 濁点が元々なかった各サイトの皆さん、対象外になってすみません。
    また、インパクトのなかった各サイトの皆さんも対象外にしてしまいました。
    更に、勝手に取り上げた皆さん、不都合がありましたらご連絡ください。


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