しょうもな文

しょうもない雑文っす。どうしようもないっす。

■2001/03/21 (水) 66.言葉に関する言葉

 言葉の本質とは自己の傳えたいことを相手に傳えることにある。言葉とは、傳わらなければ意味のないものなので、意味や仕組みについて傳達し合う兩者が共通認識を持つてゐることが必要になる。またこの共通認識については、表現と意味とが出來るだけ一對一對応となる樣に正書法と云ふものを決めておかねばならない。
 ところが、我が日本に於いては佛蘭西などとは異なり、どこかの權威ある機關が定める正書法なる代物は存在しないのだ。いや文部科學省が昔文部省と言つてゐたころに、いろいろ國語審議會とか言ふ組織をもつて口出しをしていた歴史はある。しかしこれにしたところで、正書法と言ふ樣な大上段に振りかぶつたものではなく、單に役所や公的文書に於いてはこれこれの用語を使いませうね、と云ふレベルに過ぎないのである。文字や假名遣いといつた言語の根本とも言ふべきものにしてこれだ。言い囘しやことわざが不確定に變化して行くのも無理のない言語だとも言えよう。
 しかし國際化が進み、日本語を正しく他言語使用者に傳える必要が出てくると、これまでの樣に何となく使つて何となく分かり合えてゐた樣な日本語の状況では、樣々な誤解が生まれる虞が出てくる。そろそろ正しい共通語についてNHKに任せるのは止めて、政府なり、學會なりが一応標準の日本語と言ふものを制定してもよいのではないか。
 戰後の日本では表記を簡潔にすることを目的に、假名遣ひや漢字の簡略化を進めた。しかしこれらも慣例などにより單純明快なモノではなく、例外だらけの複雜なモノになつている。
 例えば今、私はこの文章をいはゆる正字正假名遣ひで書いてゐる。好んでこの樣な表記をする者が少數派であることは常識である。このような文がマイナーになつたのも、政治の所爲かな?


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