しょうもな文

しょうもない雑文っす。どうしようもないっす。

■2001/02/20 (火) 60.他人の経験

 自分が認識していると思っているこの世界は、果たして他人が認識しているところの世界と同じなのだろうか。

 例えば色である。液晶ディスプレーを使用している方なら良くお分かりと思うが、メーカーによって微妙に色合いが違っていたりする。勿論発売前の商品テストで色チェックはしている筈なのだが、それでも技術上の限界からか、緑が黒っぽく映ったり赤がくすんだりする。これは、もしやチェックする人間の特性によるのではないだろうか。
 かなり以前に高橋克彦氏の推理小説に書かれていたが、白色人種の目に見える色と黄色人種の目に見える色は微妙に異なる可能性があるそうである。白色人種は赤系統の色の微妙な違いに敏感で、黄色人種は黄系統に敏感とか、確かそんな内容だった。虹彩の色は認識される色に直接影響を及ぼすことはなさそうであるが、それでも確かに紫外線から目を保護する必要が地域によって異なっていただろうことから推察するに、若干色の見え方に差異が生じることは首肯できる。そしてこれは人種による違いに限らず、同じ黄色人種であっても個人により色の見え方が異なる可能性は否定できない。
 更に、個人によって色の峻別力にも差異がある。これはいわゆる色覚障害という意味ではない。例えばこのページのbodyの色は#faebd7なのだが、#faebd6にしたところで区別の付く人はいないであろう。しかしこれが#ffccffでは見分けられるという人がいるだろうし、#ffccccでも見分けられない人もいるだろう、ということである。そう考えたときに自然界に存在するグラデーションを何色と認識するかというのは、実はその個人の能力によって千差万別なのではないだろうか。
 よく虹は7色だと言われる。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫である。しかし欧米では6色と言われているし、3色と認識する民族もあるらしい。もしかしたら人によっては8色、9色に見えることもあるだろう。

 色ひとつとってみてもこのように違って認識されている可能性がある。まして音、匂い、味、触覚までも含めた五感を駆使して認識したつもりになっている世界は、実は隣の人の世界とは違う世界に違いない。

 隣はなに世見る人ぞ


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