しょうもない雑文っす。どうしようもないっす。
■2000/11/25 (土) 41.地図を読まない男 初めて行った土地で、地図などもあまり見ずに標識や案内板だけを頼りにして、行き当たりばったりの旅をすると言うのは頗る面白いものである。少なくとも、自分はここいらの人間ですよと言う様な顔をして、実は迷っているとしても、さり気なく標識などを横目で見て、駅などへ辿り着くと言うのも、スリルがあってワクワクする。それは自動車でドライヴしている場合にも味わえるのだが、やはり最もドキドキ感を味わえるのは一人で徒歩の時である。地図も見ずに知らない街を歩き回るのは一種の快感である。
結婚した今は、そのような冒険的なことはあまりしなくなったと思いきや、嫁の人に言わせるとそうでもないらしい。
デパートなどで一緒に買い物をしていて売場が分からないとき、私は店員に聞くことを頑強に拒み、案内図などを探して自力で辿り着くことに執着しているらしい。彼女に言わせると、その過程で時間のロスが著しいとのことであるが、私には聞くことを恥とする気性があるのか、いつも迷いつつやっとの思いで目的地を発見しては「どうだ、な?こっちで良かったろ?」などと自慢げに胸を張る性癖があるとのことである。
もっとも、この程度であれば実害は少ないので、まあ大人になったのかもしれない。
昔まだ独身で田舎に住んでいた学生のころは、東京に遊びに来ても基本的に地図などは見ず、地下鉄などの案内板や路線図を駅でさり気なく確認して、友人の家に向かったものである。宿なども予約せず、その友人の家に飛び込みで泊まる算段で出てきているので、無謀なこと甚だしい。
勿論それで失敗したこともある。もある、と言うか失敗の方が多い。例えば乗換駅でないところを乗り換えできると勘違いして駅に着いてから迷ったあげく、終電に乗れずに途方に暮れたこともある。更に地図も見ずに友人の住所のみを頼りに適当に歩いて迷子になり、一晩中雨の中を歩き通して、明け方始発の頃やっと辿り着いた駅が実は迷った地点から一駅程度であったと言うこともあった。その時に地図なり本なりを見て電車に乗っていれば、少なくとも別の友人の家にはいけたかもしれないのに。
まあ、それもこれも過ぎてしまえば良いおもいでのアルバムである。
「地図男莫迦本も見ないで乗らん」と歌にもなっている。
それを言うなら「いつのことだか思い出してごらん」だ。