しょうもな文

しょうもない雑文っす。どうしようもないっす。

 
■2000/11/21 (火) 38.秋は夕暮れ

 枕草子に言うとおり、秋は夕暮れが美しい。遠くに山が見えて山裾までずうっと首を垂れた田んぼが続いていると言った日本の原風景は、見ていてとても懐かしさを感じさせる。夕日が射すと山が近くに見えると言うのも、そんな夕空に烏が数羽飛んでいるのも枕草子のとおりである。基本的に平安時代からそれほど変わっていない田舎の秋の日の風景がそこにはあった。
 別に農家に育った訳でも、育った家の周りに田んぼが広がっていた訳でもないのに、そのような景色に妙に郷愁を感じるのは不思議だ。よくぞ日本に生まれけり。

 そんな風景の途中にちらと動くものが見えた。一面金色系の絨毯の中、赤く光るものありけり。動いている。近づいてくるようだ。ああコンバインか。
 近づいてくるに従ってだんだんと音が聞こえてくる。がががががと稲を刈って来る。通った後にはボトボトと籾入りの袋が落とされて行く。音は騒音と呼んだ方が良いまでに大きくなる。それまでの長閑な田園風景が一瞬にして興ざめたものとなってしまった。

 勿論、今時手作業で稲刈りをする非効率な農家はほとんどいまい。そんなことをするのは天皇陛下だけだ。それにしても折角田舎の風景に浸っていたのに、妙に科学文明の権化のようなものを見せられた気になった。そんなとき、農作業の大変さとか、後継者不足とか、高齢者による体力のない農作業省力化の試みなどと言う現実的な論理は私の中には存在しない。ふざけるな、楽をするな、風景を壊すなと言う自分の欲望の赴くままの感情が膨れ上がるのだ。

 しかし考えてみれば、このような農作業用の機械と言うものは、その図体や動きを見る限り通常の自家用車などとは比べられないほど高価で、維持費もかかりそうである。はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢつと手を見る、である。稼いだ分を農作業機械に持って行かれるのだ。残るはわずかに自分の生活費のみなのだ、きっと。
 そう思うと、この騒音も興醒めな機械も、これまで感じてきた秋の景色と調和して見えるから不思議だ。
 日も暮れてきた。虫の音も聞こえてくる。こういった風情を歌った歌があったな。

 夕焼け小焼けで日が暮れて ヤンマー農家の金を食う


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