地学史勉強会
過去の会合プログラム
その1
第10回地学史勉強会のご案内 当初はどれくらい続くものかと思われた「勉強会」ですが、あっという間に10回目となりました。広い分野をカヴァーする地学史を、多様な資料やさまざまな人から学ぼうという初心を忘れずに続けていきたいものです。前回は、明治初期に来日した米国人ライマンの事績をアメリカに訪ねた 金 光男 氏 の報告でしたが、今回は、昭和の終わりから現在にかけて、様々な困難を乗り越えて東アジアの地質学者との交流をなし遂げてきた 猪俣 道也 氏 の講演です。研究史ばかりでなくかなりホットなこの地域の時代背景も話題にされる予定です。ふるってご参加下さい。 記 日 時 2003年3月22日(土) 午後2時〜5時 場 所 青学会館(渋谷区渋谷4-4-25、電話:03-3409-8181) 話題提供 猪俣 道也 氏(東京農業大学) 演 題 中国・朝鮮・日本 −20年間の地質学の学術交流で考えたこと− 内 容 「1982年北戴河で開催の中国地質学会60周年記念式典に参加、その時チベット巡検に同行した中国の地質学者との交流が継続、更に大別山や福建省の地質調査を共同研究で行ってきた。1992年の初訪朝後は北朝鮮の地質学者との交流も可能になり、現在は主として朝鮮半島に焦点を当てて研究を進めている。この過程でそれぞれ地質学者のおかれている立場の変化を実感した。この辺の状況を序論として整理・紹介したいと思います。」 参考HP:http://www.nodai.ac.jp/teacher/rika.html |
第9回 地学史勉強会のご案内 1年間に4回だけ開くという地学史勉強会ですが,1巡,2巡と経ち,いよいよ第3年目に入ることになりました。今回は先日,ライマン資料調査に米国へ行かれた金光男氏に,その成果を報告してもらいます。年末のお忙しい時期かと存じますが,ふるってご参加下さいますようご案内いたします。勉強会はそのときの演題や講演者に,また広く地学史に興味のある人が自由に集まる会です。 記 日時:2002年12月22日(日)午後2時〜5時 注意! 恒例の土曜日でなく日曜日開催です。翌日,東京で地質学史懇話会が開かれます。 会場:青学会館(東京都渋谷区渋谷4-4-25 電話 03-3409-8181校友会室C 話題提供者:金 光男 氏(協栄) 演 題:Lyman の Field Note にみられる幾つかの特徴 内 容:「講演要旨」参照 付記 ・地学史勉強会の案内状発送業務はこれまで八耳俊文(青山学院女子短期大学)がおこなってきましたが,会が第3年目に入ったのを機に,山田俊弘氏(千葉高等学校)に交代することになりました。今回の案内状は八耳が作成しましたが,発送は山田氏によりおこなわれました。これまでのみなさまがたのご協力に感謝するとともに,これからもよろしくお願いいたします。 ・地学史勉強会に参加してくださっている栃内文彦氏 (北海道大学) が,日本科学史学会の欧文誌 Historia
Scientiarum, Vol. 12, No. 1 (July, 2002) に,論文を発表されました。Fumihiko Tochinai, “The Methodological Aspect of
the ‘Historicity Controversies’ in the Japanese Geological Community
after World War II: The Change of Attitude to Physicochemical Methods before
and after the War”, Historia Scientiarum,
12-1 (2002), pp.59-73. ご紹介しておきます。
Dec. 22, 2002(青学会館) 地学史勉強会 講演要旨 Lyman の Field Note にみられる幾つかの特徴 金 光男 (KIM Kwang-Nam : 株式会社 協栄) B. S. Lyman (Benjamin Smith Lyman,
1835.12.11-1920.8.30:以下 ライマンとする)は,明治初期の困難な時代に,北海道を皮切りに,しかも子弟たちを育成しながら,四国をのぞく日本の全域を地質調査した明治日本の“恩人”のひとりである.ライマンとその子弟たちのまとめた調査資料が後の北海道の「炭田」と新潟を中心とする「油田」開発の基礎となり,そこから得られた化石燃料が近代日本の各種産業発展の重要な“エネルギー源”となったことは周知の事実である. ライマンが1877(明治10)年8月14〜16日にかけて秋田県の小坂鉱山を訪れたことを副見恭子(1993)の詳細な研究により知り,『解説:十和田湖の地質記事(原田豊吉,1889)』(金,1996)にその成果の一部を引用させていただいた. これが縁となり Massachusetts 在住の同氏から1998年3月25日より五次にわたり,120年前のライマンの Field Notes の写しが送付されてきた.地質学史上第一級といえる貴重な資料がほぼ完璧なかたちでしかも多量に筆者の手元に送られてきたのである. すでに今井 功(1966)の報告にあるようにライマンは“飛ぶような速さ”で国内各地を調査するが,Noteにはライマン自身の手により観察事項がこれまたかなりの“速記”により縦横無尽に記録されている.当時まだ地形図が発行されていなかったため Note には等高線が密に書き込まれ,それらに重ねるように調査ルートや観察事項が記入されている.等高線には細かい修正がつけ加えられていることから,ライマンは地形を前方・近地点・後方などの幾つかの角度から数回眺め,そのつど補正しながら調査を続けていたことが理解される.記載中に頻繁にあらわれる“三対の数値”(副見さんの周辺にいる地質学研究者たちの誰に訊いても不明だったもの…:副見私信)は,その経日変化と踏査ルートなどの解析により,各観測点における「標高」(単位:フィート)「気温」(単位:度;華氏)「時刻」に相当する可能性が指摘される.すなわち明治の初期においてライマンの調査隊は精確な高度計と温度計そして時計を携行していたことが推定される. 記載には Kamme(貫目)・ Momme(匁)・ Ri(里)など,日本固有の“慣用単位”が頻繁に使用されている.おそらくライマンは(通訳を介し)現地の鉱山技術者たちと直接交流し,多くの情報をしかも正確に収集していたのであろう. 貫目,匁などの単位で,しかも(おそらく)間違いなく!“秋田訛り”で鉱石の成分を懸命に説明する明治期東北日本の鉱夫たち….それをオンスやポンドなどの単位に敢えて“換算”させることなく,彼らの言葉を素直に聞きとり,忠実に Field Note に記入するライマン….まさに今井(1966),副見(1993ほか)が指摘するように,“郷に入らずんば郷に従え”の基本姿勢を貫いたライマンの“高潔な人間性”が120年前の Field Notes の行間から,見事に感じとれるのである.(金 光男,1999:地質学史懇話会会報 No.12,p.9-10.1999年3月31日発行より 一部加筆) コピーの解読作業を続けるあいだ,どうしても実物により確認しなければならない不明個所がみつかり,また「小坂鉱山」についてのライマンの観察を精確に解読するためには,ライマン自身による他の金属鉱山における記載と比較しなければならないこと,さらに出来うればライマン以外の地質学者による Field Note 記載との比較・検討をしなければならないことに気づき,Massachusetts 行を幾度か計画したが,先方と筆者の都合,さらに2001年9月11日のテロ事件などの影響により,計画の実施は3年待たされた. 2002年9月諸般事情が各種条件を満たしようやく渡米を果たした.その簡単な報告をする. 今夏は日本同様米国も酷暑が続いたらしく副見さんの健康状態が思わしくなく,やや涼しくなる9月に訪米を延期したが,当月の初めは現地大学のみならず全米すべての教育機関の新学期に相当し,交通機関および宿泊施設の混雑の予想されること,つづく中旬は New York テロ事件のちょうど一年後にあたることから回避ということで…9月の下旬,念願の調査行が実現できた.ライマン資料をみる時間を出来るだけ多くとりたい希望があったが,演者の仕事の都合からどうしても月末までに帰国しなければならなかったし,さらに副見さんの現地事情をすりあわ せると,3泊4日の Massachusetts 滞在となった.ならば,残った時間は Massachusetts からの帰路(New Yorkの)アメリカ自然史博物館(AMNH)を訪問しようと思いたったが,すでに出発日が目前に迫り,自然史博物館担当者と連絡のとれぬまま成田を発った. 出発直前,米国本土は初めてという一人旅のこちらの身を案じる副見さんから懇切な情報が寄せられた.New York 着便はしばしば到着が遅れ,また時節柄厳戒態勢にあるため入管手続きもきっと手間取るだろうこと,さらに New York 市内への交通はおそらく渋滞するということ…などを考慮すると,(何ごとにも慎重な副見さんは,筆者に対し)アメリカ到着の夜は New York か Boston に一泊するようとのご提言だった.ところが予想に反し,飛行機は予定通り J.F.Kennedy 空港に午前10:30ころ到着し,(関西からの団体旅行者の)賑やかな一団の後方に偶然整列したせいだろうか, 幾つかの質問だけで入国審査を簡単に終了…空港から乗ったタクシーはどんどん走る…あっという間に市内西の長距離バスターミナルに到着. 12:30 New York 発 急行 Springfield 行の Grayhound バスに飛び乗った… バスは昼下がりの New York を南北方向にすり抜け,Connecticut の州都 Hartford などを経て,Springfield に到着.過剰な冷房(冷蔵庫なみ?)と時差ボケで冷え切った体に暖かいコーヒーを特大カップ一杯補充の後,Amherst 行のバスに乗換.なんと! 当日夕 University of
Massachusetts(UMASS)Amherst に着いてしまったのであった.(旅の間,日本から持参した携帯食の何とも重宝したこと! 滞在中何度も助けられたものでした) J.F.Kennedy 空港から副見さんに「New York 定刻到着」の電話を入れてはいたが,副見さんとは翌日お会いすることになっていたため,バス停から(出発前に頭に入れていた UMASS の地図を頼りに)リュックを背に,トランクを転がしながら図書館に直行.誰にも呼び止められることなく高速エレベーター(各階止まり×3基,高層階用高速×3基)に搭乗… Special Collection
and Archives Room のある25階のホールに降り立つと,一人の男性が目の前を通りかかった…目があったとたん「Are you Mr. Kim?…」と話しかけられる幸運! 副見さんから挨拶するようご紹介いただいていた司書の Mr. Milewski その人だった…副見さんの心配りに深謝! さっそく研究室に通され,荷物をほどいていると, Milewski さんが台車を一台押してきた.副見さんから演者宛の手紙が上に載るライマン資料! 夢かうつつか…北海道調査よりはじまるライマンの Field Notes が眼前に250冊!… 翌朝から調査を開始.同じ階に保存される膨大なライマン資料のことを考えると,一時,茫然自失としかかったが,ここに及んで「木を見て森を見ず」も困るが…「森ばかり見て木も見ず」も決して良い結果をもたらさないだろうと…実視対象を Field Notes だけにすることを決断し,Field Note の概観と,(その一部の)通読を目標に設定した.ひとり机に向かいながらあの膨大な資料はきっと『宝の山』なんだろうな?と考える,ある意味苦行まがいの日を過ごす… 講演においては,ライマンの Field Note の版型について,さらに彼の幾つかの特徴的記載について紹介する.また Field Note に挟み込まれていた数点の図や,このたび現地で収集出来たライマンにまつわる情報などについても画像によりご紹介したい.(資料をもち帰ってからの日が浅いため…現状においては,いささか不確定要素があるが…)時間が許せば,他の著名な地質学者の Field Note とライマンの記述についての簡単な比較を試みたい.(Nov. 13, 2002) |
第8回地学史勉強会のご案内 8月もいよいよ終わり,過ごしやすくなってきましたが,みなさまがたいかがお過ごしでしょうか。さて,第8回地学史勉強会を9月21日(土)に開催します。今回は会場を変え,東京大学総合研究博物館で現在展示中の「クランツ鉱物化石標本展」の見学したのち,同館3階ゼミ室にて勉強会をおこないます。話題提供は韓国からの留学生,金凡性さんにお願いしました。ふるってご参加下さいますよう,ご案内いたします。 日時 2002年9月21日(土)午後2時から5時 会場 東京大学総合研究博物館(東京都文京区本郷7丁目3-1) [アクセス] 営団地下鉄丸ノ内線あるいは都営大江戸線「本郷三丁目」下車歩10分 東大赤門より構内に入り右にまっすぐ進み,つきあたりの建物 同博物館の http://www.um.u-tokyo.ac.jp/
に「交通案内」あり プログラム (1) 見学会 (午後2時から3時) ●常設展示 クランツ鉱物化石標本展(2002年7月27日〜2003年8月28日) 「クランツ標本は,明治初頭から,東京大学の前身である開成学校・東京開成学校における教育研究を推進するために導入された,いわば東京大学最古の標本群である。総点数1万2千点にも及ぶ鉱物・岩石・化石標本は,当時の教育研究そのものであった。研究教育を支援する標本一つ備えていなかった開成学校で学んでいた俊秀にとって,これらの標本群は,まさに干天の慈雨であったことは想像するに難くない。当時の学生は,書籍を参照しながら板紙を用いて鉱物結晶の模型を作成し,初めて結晶形態の全体像を見ることができた有り様であったという。このような環境下で,手にした鉱物・岩石・化石の標本は,彼らに決定的な影響を与えたに違いない。」―展示説明「はじめに」より― クランツ標本:1833年にドイツに設立された,世界的に有名な鉱物・岩石・化石標本商, クランツ商会の標本 ●特別展 貝の博物誌(2002年9月21日〜11月4日) 「東京大学が収蔵する,世界中の様々な地域から集められた標本を公開」 (2) 勉強会 (午後3時から5時) 話題提供者 金 凡性 氏 (東京大学大学院生/先端学際工学専攻科学技術論研究室) 演題 明治・大正期における地震学と気象学 要旨 日本の地震学の基礎を築いた明治・大正期の地震学及び当時の地震学を主導した大森房吉(1868-1923)の業績については,既に藤井陽一郎や萩原尊礼などの通史において整理されており,池上良平は大森の研究全般について仔細に言及している。しかし,大森は「地震はいつ起こるのか」という質問と関わり気象現象と地震発生の関係についても真摯に研究していたが,この点に関して既存の研究は簡単な紹介に止まっていると考えられる。本発表では,大森の「気象学的な地震学」を考察することを中心として,19世紀の後半から20世紀の全般にかけての地震学と気象学の関係を検討してみたいと思う。 集合場所 当日午後2時,東京大学総合研究博物館に直接お集まり下さい。同博物館は入場無料です。勉強会の会場である3階ゼミ室には,見学会後,ご案内します。見学会終えた後に勉強会に来られるかたは,会場におられる博物館の人に,ゼミ室の場所をお尋ねください。 付記 クランツ標本展については,すでに次のカタログが出版・販売されています。田賀井篤平編『クランツ鉱物・化石標本』(東京大学総合研究博物館発行,東京大学出版会発売,2002年)2400円。地学史勉強会のメンバーである矢島道子さんが「クランツ標本(化石)の魅力」を執筆されています。 |
第7回地学史勉強会のご案内 関東地方もようやく梅雨に入り,雨空が続きます。みなさまがたのところではいかがでしょうか。さて,第7回地学史勉強会を6月最後の土曜日(6月29日)に開きます。今回はコマツに勤務で,無名会の浜崎健児さまに話題を提供していただくことになりました。今回も多くのかたが,参加して下さいますようお願い申し上げます。勉強会は地学史に興味ある人の集まりです。参加資格,会費などいっさいありませんので,ご自由に,ふるってご参加ください。
記 日時 2002年6月29日(土)午後2時〜5時 会場 青学会館(東京都渋谷区渋谷4-4-25 電話 03-3409-8181) 2階 校友会室C (いつもの部屋です) 話題提供者 浜崎 健児 氏(コマツ) 演 題 明治の鉱物学教科書(和本)に影響をあたえたドイツ鉱物学書について 内 容
『金石一覧図解』など明治期の和本の鉱物学教科書のなかには,鮮やかな彩色
鉱物図,標本図解を含むものが少なくありません。これらのオリジナルの追求を通じて,
初期の鉱物学の導入時代について考察していただきます。なぜドイツの影響が大きく, 英米系の鉱物学の影響が小さかったのかについても言及される予定です。 |
第6回地学史勉強会のご案内 前回の勉強会は年末の忙しい時期にもかかわらず多くのかたが参加して下さりありがとうございました。北から南まで,全国遠くからも参加していただき,議論を盛り上げてくださいました。今後も多くの人の参加をお待ちしています。さて季節は,暖冬のまま春を迎えようとしていますが,いよいよ3月16日(土),下記の要領で,第6回の勉強会を開きます。勉強会は地学史に興味ある人の集まりです。参加資格,会費などいっさいありませんので,ご自由に,ふるってご参加ください。 記 日時 2002年3月16日(土)午後2時〜5時 会場 青学会館(東京都渋谷区渋谷4-4-25 電話 03-3409-8181) 2階 校友会室C (前回と同じ部屋です) 話題提供者 栃内 文彦 氏(北海道大学) 演 題 地質学における歴史主義者と物理化学主義者
―都城秋穂氏にインタビューして― 内 容
本発表では,日本地質学界における,いわゆる‘物理化学主義者’の筆頭の一人と目されている都城秋穂氏(以下,敬称略)の地質学観を考察する。都城は,1960年代,日本地質学界における‘歴史主義 対 物理化学主義’の対立図式を提示した。都城は,変成岩岩石学で国際的に第一線の研究者である一方,地質学史や地質学の方法論に関する著作も多く発表している。それらの著作は『自然』や『科学』に連載されたり,岩波書店から単行本として出版されたりした。その読者層は幅広く,地質学の専門家にとどまらない。それ故,都城が彼の著作で示した図式は,地質学の外にいる人々が地質学をどのように捉えるかに,かなり影響を与えていると思われる。発表者は,2001年11月末に都城にインタビューを行うことができた。本発表では,都城が‘歴史主義’や‘物理化学主義’をどのように考えているかを,インタビューの内容に即して考察する。都城は‘物理化学主義者’ではなかった。また,‘歴史主義者’と目されている人々も(少なくとも彼らの大多数は)‘主義者’ではなかった,というのが本発表の結論である。 演者の紹介 栃内氏の最近の論文に次のものがあります。 栃内文彦・杉山滋郎「『新しい岩石学』の第二次大戦前の日本 岩石学界への導入過程―坪井誠太郎による Bowen 火成岩成因論 研究―」『科学史研究』第40巻(2001年)220号,pp.205-214. |
第5回地学史勉強会のご案内 20世紀にはじまった地学史勉強会も無事,21世紀の最初の年,続けることができ,今年最後の会を12月22日(土)に,下記の要領で開催することになりました。年末でお忙しい時期かと存じますが,ふるってご参加下さいますようご案内いたします。今回は『地球の科学史』を翻訳された谷本勉氏と,東京学芸大で修論を準備中の吉岡学氏にお話してもらいます。勉強会への参加資格は一切ありませんので,関心あるかたはどうぞご自由にご参加ください。 記 日時 2001年12月22日(土)午後2時〜5時 ※午後2時開始です! 会場 青学会館 2階 校友会室C (前回と同じ部屋です)
東京都渋谷区渋谷4-4-25 電話 03-3409-8181 話題提供者 谷本 勉 氏(法政大学) 演題(予定) 『地球の科学史』を翻訳して 内容(予定) このたび R.M.Wood, The Dark Side of the
Earth (1985) の翻訳を終え, 『地球の科学史―地質学と地球科学の戦い―』として9月に朝倉書店より 出版された谷本勉氏に,同書を翻訳しての体験を述べていただきます。 話題提供者 吉岡 学 氏(東京学芸大学) 演題(予定) 榎本武揚は日本地質学史上に如何なる位置を占めるや(その1) 内容(予定) 幕末から明治にかけて科学技術や外交ほかで活躍した榎本武揚(1836-
1906)と地質学史との関係について述べていただきます。最近,演題に 関連して次の論文を発表されました。 吉岡学・本間久英「榎本武揚の日本地質学史上に占める位置 ― その一 科学者としての出発 ―」『東京学芸大学紀要 第4部門 数学・自然科学』 第53集(2001年8月),pp.75-134.
※同論文をコピーでよいから入手したいという方がおられましたら,事務局 (八耳)までご連絡下さい。お送りいたします。 |
第4回地学史勉強会のご案内 夏も終わりとなりましたが,みなさまはどのようにお過ごしになられたでしょうか。さて地学史勉強会も無事,第3回目を終えることができ,今月最後の土曜日に,第4回地学史勉強会をおこなうことになりました。会は地学史に関心ある人ならどなたでも参加できますので,ふるってお集まり下さい。
日時:2001年9月29日(土)午後1時-4時 東京都渋谷区渋谷4-4-25 電話 03-3409-8181 [交通]渋谷駅より徒歩10分。青山学院をめざして宮益坂を上って下さい。青学会館は青山学院キャンパスに隣接しています。営団地下鉄「表参道」より徒歩5分。地下鉄出口は青山学院方面B1あるいはB3が便利です。青学会館がはじめてのかたは地下鉄構内の地図で確認してください。インターネットが利用できる環境のかたは,http://www.aogaku-kaikan.co.jp/map.htm で最寄地図が入手できます。 内容(予定) デカルト『哲学原理』第四部(1644)とライプニッツ『プロトガイア』(c.1691/1749)の邦訳がそれぞれ1988年と1991年に出て,近代地質学の祖とされるフックやステノの活躍した17世紀西洋の知識人が抱いていた地球観がかなりわかってきた。しかしまだ見逃せない人物がいる。アタナシウス・キルヒャーである。その著作『地下世界』(1665)の概要を紹介し,1660年代後半から1670年代にかけて交流のあったステノの著作『プロドロムス(固体論)』(1669)との関係について考えてみたい。
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東京では春の花が次々と咲き,目を楽しませてくれていますが,みなさまのほうではいかがでしょうか。さて地学史勉強会も無事,2回目が終わり,5月27日の日曜日の夕方,第3回目を開くことになりました。今回は日本科学史学会年会出席者が参加しやすいよう,同年会のあと,勉強会を開くことに致しました。日本科学史学会に関係なく,ご関心あるかたの参加をお待ちいたしています。 日時:2001年5月27日(日)午後4時-6時
◆新宿区西早稲田2-3-1 電話 03-3205-5411 1927年に和達清夫によって発見され,現在,Wadati-Benioff zone として知られる深発地震面。この和達清夫の研究を柱に,本多弘吉,志田順の研究にふれつつ話してもらいます。
開催時刻について:(4月23日)現在,日本科学史学会の年会プログラムが未発表のため,当日のプログラム終了と予想される時刻に,勉強会の始まりを設定いたしました。年会の進行を考慮しますが,終了後できるだけ早く移動して,お集まり下さるようお願いいたします。勉強会は会場の都合上,午後6時で閉会とします。同室は,午後3時より利用可能です。 |
第2回会合 日時: 2001年3月17日(土)午後1時から
内容: 話題提供 1939年創設の「満州国」初の本格的な科学博物館である満州帝国国立中央博物館の活動を、そこに学芸員として集まっていた地質学者や古生物学者などに焦点をあて、講演していただきます。
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第1回会合 日時 2000年12月2日(土)10:00〜12:00(予定) 内容 |