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- Kapitel 2 -

フローラ皇女歓迎のため、城は美しく花々で飾られた。あくまでも内輪の歓迎なのでそれほど大仰なものではなかったが、それでも将来の王妃を迎えるのに充分な設えであった。正装したコリンは、城の門から皇女の乗った馬車に馬で付き添うことになっていた。均整の取れた長身を絹の服と勲章で飾った馬上のコリンの姿は、女たちだけではなく同性から見ても憧れるものであった。エドと数名の従者たちを従えてコリンは皇女の到着を待っていた。しかしそれは望むものではなかった。逃げ出せるものなら逃げ出したかった。逃げ出す…?いや、違う、そうではない…彼が望むものはたった一つだった。このまま馬首を城に向け、大広間にいるあの美しい女性をさらって行けたら…コリンは瞼を閉じた。この気持ちは抑えなければならない、表に出すことがあってはならないのだ。遠くから馬車の車輪の音が聞こえてきた。土煙を上げ、何台かの馬車とそれを警護する一団が近づいてきた。コリンは意を決したように目を開けた。先導の人物と挨拶を交わすと、コリンはフローラ皇女の乗った馬車の横に馬をつけた。窓にはカーテンが下ろされ、中を窺うことは出来なかったが、そうするつもりも彼にはなかった。彼らは城の門から城へ続く並木道をゆっくりと進んで行った。コリンにはこの時間がもどかしかった。一団が城に近づくと、テラスからファンファーレが演奏された。コリンはひらりと馬から降りると、フローラ皇女の馬車の扉を開け、彼女のために手を差し出した。コリンの手に、白い絹の手袋をはめた華奢な手が重ねられた。フローラ皇女。数多の画家や詩人がその美しさを褒め讃え、求婚者の数は星の数ほどとまで言われる女性。ティアラの輝くプラチナブロンドの髪は、日の光を浴びて絹糸のように輝いた。エメラルドのような翠の瞳は長い睫で縁取られ、遠慮がちにコリンの瞳を見つめていた。コリンは彼女のほっそりとした手に軽く口づけをした。
「ようこそいらっしゃいました」
心にもないことをコリンは出来るだけ丁寧に言った。彼女には何の罪はない。コリンは自分に出来るだけのことはするつもりだった。コリンが口元に少し笑みを浮かべただけで、フローラの頬は赤く染まった。
「フローラと申します、コリンさま」
彼女は花の蕾が綻ぶように可憐に微笑んだ。噂に違わぬ美しい人だった。しかし他の女性を誰よりも愛しているコリンには、その美しさすら彼の心を動かすものではなかった。
「長旅でお疲れでしょうが、両陛下がお待ちですので、どうぞ広間へ」
コリンはフローラに腕を差し出した。もしこれがソフィアだったらと思わずにはいられなかった。フローラがコリンに近づくと、甘い香水の香りがした。2人は並んで緋絨毯の敷かれた階段を上り、広間へ通じる通路を歩いて行った。


衛兵により広間の重い扉が開かれた。玉座へ続く通路の両側には多くの貴族や官僚が列を成していた。その凛々しい容姿と共に学才も誉れ高い王子と美しく嗜み深い皇女が並んで歩く姿は、まさに夢のような光景であった。あちこちから溜息が漏れる。しかしコリンには人々の賞賛の声すら煩わしく、玉座までが異様に遠く感じられた。王と王妃がいる玉座に続く階段の手前でコリンとフローラは立ち止まり、膝をついた。コリンはソフィアを見ることが出来なかった。彼女がどういう顔をして2人を出迎えているのか、知りたくもあったが、逆に知りたくない気持ちもあった。またフローラと一緒にいる自分を見られること自体にコリンは抵抗を感じていた。
「ようこそいらっしゃった、フローラ皇女」
王がフローラに声をかけた。
「御意を得ます、国王陛下」
夜啼鳥の歌声のような可憐な声でフローラは答えた。
「2人ともお立ちなさい」
王の声にコリンとフローラは立ち上がった。そして階段を上り、王と王妃の前に進み出た。コリンはソフィアを見ざるを得なくなった。正装姿のソフィアは日の光のように温かく輝かしい美しさを放っていた。フローラと婚約するというこの時に、コリンにとってソフィアは益々慕わしく、彼女の美しさは比類なきもののように思えた。ソフィアはコリンとフローラに向かい、微笑んだ。コリンは思わず目を逸らした。
(なんていう状況だ)
コリンは運命の残酷さを呪った。自分が誰よりも愛する人の前で、他の女性と婚約するとは!傍目には申し分ない、いやそれ以上に最高の妻を迎えることになるのだろうが、彼にとってはソフィア以外の女性は問題外で誰でも同じであった。王と王妃も立ち上がり、王はコリンとフローラの手を取った。
「親愛なる諸君、私は宣言する。我が愛しの息子であり将来の国王となるべきコリンと、フローラ皇女は今ここに婚約を結んだ。若い2人にとって、これからの人生が幸多く、またこの国の繁栄にもつながらんことを」
コリンはフローラの唇に、軽く触れる程度に口づけをした。列席の貴族や官僚から拍手と祝いの言葉が沸いた。コリンは今すぐに自分の部屋に戻りたい衝動に駆られた。自分がまるで晒し者になっている気がしてならなかった。貴族や官僚たちの好奇の対象でしかない気がした。それに、まるで自分の本当の母親のようにコリンの婚約を喜んでいるソフィアの前からも立ち去りたかった。
(私の本当の気持ちを知っても、貴女はその微笑を浮かべていられるのか?)
コリンはソフィアを抱きしめ、息も出来ないほど激しく口づけする衝動に駆られた。彼女は拒むだろう。しかしソフィアがコリンを押し退けようとするその動きさえ、彼を更に駆り立てるものになるのだ。コリンは拳を強く握り締め、その衝動を抑えた。この後、婚約を祝う晩餐も予定されていた。コリンにとってこの日が長く苦しい一日になることは必須だった。


晩餐の席でコリンはソフィアとフローラとの間に座ることになった。これが婚約披露の席ではなく、フローラが隣にいなかったら、どんなに嬉しいことだっただろうか。しかし現実は全く違ったものであった。コリンは料理にほとんど手をつけず、たまに両脇から話しかけられると素っ気無く答えるだけだった。フローラがコリンを心配し、愛らしい声で言った。
「コリンさま、お加減が悪いのですか?お疲れのように見えます」
「いえ、大丈夫です。ご心配いただくほどのことではありません」
コリンは口元を軽くあげて笑ったふりをした。フローラは完全に安心したようには見えなかったが、可憐に微笑んだ。
「きっと貴女のような美しい女性を妻として迎えることに、緊張しているのですよ」
ソフィアがフローラに向かって言った。コリンはソフィアを軽く横目で見た。彼女は大輪の花のように艶やかに微笑んだ。
(なんて罪な女性なんだ、貴女は!誰のことでこんなに苦しんでいると思っているのか)
コリンは食卓の下で拳を握り、気持ちを抑えた。瞼を閉じ、軽く息を吐くと、ソフィアに向かって抑揚のない声で言った。
「美しい女性二人に囲まれて緊張しているだけです」
ソフィアは優雅に声をたてて笑った。フローラも頬を赤く染め微笑んだ。傍目には美しい義母と妻となる女性とに囲まれ、幸福に見えるだろう。しかしコリンにとって、これ以上の不幸はなかった。料理人が腕を振るった最高級の料理も、演奏家が心を込めて弾いている素晴らしい音楽も、コリンにとっては煩わしいものでしかなかった。ただひたすらこの晩餐が早く終わり、自分の寝室に戻り1人になれることをコリンは待ち望んでいた。女性二人はコリンを挟んで、気が合ったのか色々と話を始めた。コリンの頭の中で、ソフィアとフローラの声がぐるぐると渦を巻いていた。これからこういう状況がずっと続くのかと思うと、コリンは軽い眩暈を覚えた。コリンには何時間も続いたように思われた晩餐が終わり、王と王妃が退出することとなった。その場にいる人々は皆立ち上がった。コリンとフローラに王と王妃は近づき、改めて祝いの言葉をかけた。フローラは嬉しそうに微笑んだが、コリンは軽く口元を上げることしか出来なかった。ソフィアは眩しいほどの笑顔をコリンに向け、その手でコリンの頬を包んだ。
「本当におめでとう…嬉しく思います。フローラ皇女は貴方のような方に相応しい、素晴らしい女性ですわ。お似合いの素敵な夫婦になられることでしょう」
そう言うと彼女はコリンの両頬に軽く口づけをした。ソフィアの柔らかい唇の感触に、コリンは感情の波を抑えきれなくなりそうだった。しかしコリンの腕に絡むフローラの手がそれを押しとどめていた。ソフィアはフローラの頬にも口づけし、そして王と並んで大広間を出て行った。コリンはソフィアの姿が見えなくなると、何故かほっとした。いつもならば出来るだけ彼女の姿を見ていたいと思うのだろうが、この日に限っては彼女が自分の視界にいることが辛く、また彼女にフローラと並ぶ姿を見られるのも嫌だった。


王と王妃の姿が広間から消えると、晩餐に同席していた貴族や官僚たちが、コリンとフローラの周りに集まり、口々に祝いの言葉を述べた。コリンは出来るだけ早く自分の寝室に戻りたかったが、彼らを無視するわけにもいかず、礼を失しない程度に彼らに応対した。コリンのすぐ側に控えていたエドがすっとコリンの横に来た。
「殿下、お疲れのようですが、お部屋に戻られますか」
コリンはエドに声を掛けられてほっとした。コリンがエドの救いの言葉に軽く頷くと、エドは周りにいる人々に言った。
「皆様、殿下と皇女もご退出なさいます。ご両人とも皆様の今宵の祝福と晩餐のご同席に感謝なさっております。既に夜も更けておりますし、更なるお祝いはまたの機会ということで」
人々は皆、エドの言葉に頷き、コリンとフローラの為に道を開けた。衛兵たちが扉を開けると、コリンとフローラ、次いでエドと数名の従者、フローラの侍女が広間から出て行った。コリンは知らず、かなりの早足で歩いており、フローラは半分駆け足にならざるを得なかった。
「コリンさま、よろしかったらもう少しゆっくり歩いていただけませんか?」
遠慮がちなフローラの声にはっとし、コリンは立ち止まった。コリンは自分の行動を恥じ入って、フローラの翠の瞳を真っ直ぐに見て謝った。
「申し訳ありません」
他人の目のあるうちはしっかりしなければ…コリンは軽く息を吐くと、フローラに合わせた歩調で歩き出した。フローラはコリンの気を損ねたのではないかと心配し、小さな声で言った。
「わたくしもコリンさまほどお背が高ければ、早く歩けるのですけど…こちらこそ、申し訳ございません」
「貴女がそう仰る必要はないです。私がもっと気を遣うべきでした」
コリンはフローラを安心させるために微笑んでそう言った。コリンは彼女が哀れに思えた。彼女だって望んでコリンのところに嫁ぐわけではないだろう。そしてコリンに愛されることなくこの宮廷で一生を過ごすことになるとは、この何もかも備えた美しい皇女には相応しくない運命に思えた。せめてこの城にいることが苦痛にならないようにして差し上げなくては…フローラの為に設えた部屋の扉の前に着くと、コリンは彼女の為に扉を開けた。
「ここが貴女のお部屋です。母国の慣れ親しんだお部屋には敵わないでしょうが、気に入って下さると嬉しく思います。何か不自由がありましたら、何なりと仰っていただければ結構です。侍女の部屋は隣で、中からもつながってます」
「お気遣い、感謝いたします」
フローラは優雅に膝を曲げ礼をした。コリンは彼女の頬に軽く口づけした。
「それではおやすみなさい…よい夢を」
コリンは踵を返すと、自分の部屋に向かって歩いて行った。それに続き、エドと従者たちもフローラに挨拶し、コリンの後をついて行った。コリンは出来るだけ早く部屋に戻りたい衝動に駆られていた。自分の部屋の前に着くと、従者たちを労い、さがらせた。彼らが去った後、エドもコリンの側を辞そうとしたが、コリンの顔色が悪いことに気が付き、部屋の扉を開けるとコリンを支えた。
「殿下、顔色が悪いようです…晩餐でも何も召し上がらなかったでしょう」
コリンはほとんど倒れかけていた。エドに肩を借り部屋に入ると、ソファーに倒れこんだ。
「すまない、エド」
「何を仰います。薬でもお持ちいたしましょうか?何かご入用は?」
「いや、大丈夫だ…緊張しすぎただけだよ。エドも早く戻って休むといい」
エドは心配そうな顔をコリンに向けたが、一礼するとコリンの部屋から出て行った。コリンは暫く閉じられた扉を見つめていた。エドはコリンにとってかけがいのない存在だった。親友であり腹心であった。彼は誠実で頭が良く、貴族としても騎士としても官僚としても、全てにおいて優秀だった。コリンとエドはお互いをよく理解していたし、何でも話し合っていた…コリンのこの隠された気持ち以外は。エドはよく気もつく。彼にはそのうち、この気持ちを見破られてしまうかもしれない。コリンはエドに隠し事をしていることに対して、罪悪感を持った。いっそのこと、彼に何もかも話したほうがいいのではないか…そうも思った。しかしエドがもしコリンのこの秘めた想いを知ったとして、どうなるのだろうか。かえってエドを余計苦しめるだけではないか。この想いは決して叶うことがないのだ…だから表に出してはならない。
「私だけが苦しんでいればいいのだ…」
コリンはそう呟くと、深い眠りに堕ちていった。


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