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コリンはケイトと事務所の部屋でファンレターに目を通していた。ソロ活動を始めて2シーズン目に入り、ますます多くの人たちにソリストとして知られるようになっていた。事務所に届けられる手紙の中に、昔の知り合いからのものも多くあった。ずっと連絡を取っていなかった人たちも、ソリストとなったコリンの活動を知ったのだった。この日コリンが受け取った手紙に、カセットテープが同封されたものがあった。手紙を読み進むうち、コリンの脳裏に懐かしい思い出が蘇った。コリンが口元を緩めているのを見て、ケイトは怪訝そうに尋ねた。
「そのテープは?」
「これ?とっても貴重なものだよ。僕の初めての録音さ」
コリンは学校でも人気者だった。整った外見もあるが、頭の回転が速く機知に富み、人を惹きつける魅力に溢れていた。そしてもちろん、天才少年ヴァイオリニストという肩書きもあった。彼はまだ12歳だったが、その気になれば既にリサイタルやオーケストラとの共演のコンサートをすることも可能だった。しかしコリンはまだ特に音楽の道に進むということを決めておらず、彼の師事しているヴァイオリン教師も演奏活動については何も触れなかった。そのため、学校にもきちんと通い、そこでは普通の生徒として、友人たちとスポーツをしたり放課後に遊びに行ったりしていた。友人たちもコリンが類まれなヴァイオリンの才能の持ち主であることを知ってはいたものの、それ以上に彼らにとってはクラスメートであった。
コリンのクラスに金髪の少女がいた。頭もよくクラスのまとめ役で、さっぱりした性格で誰からも好かれていた。背が高い彼女はコリンよりも少し大きかった。美少女と言ってもよかったが、ショートカットをしたその背格好から、あまり「女の子」扱いは受けず、男子生徒とも対等に友人としてつき合っていた。コリンにとっても、彼女は他の女の子たちとは別だった。彼女はコリンに媚びたり愛想よくしたりすることがなかった。はっきりと自分の意見を言い、コリンを言い負かすことも多かった。最初は彼女のことを憎らしく思っていたコリンだったが、いつしか彼女は何となく彼の気になる存在になっていた。
コリンたちの学校は毎年、秋休みの前に祭りを開いていた。クラス単位や個人で、舞台でちょっとしたものを発表するというものだったが、家族や近所の人たちが大勢集まり、毎年かなり賑わうものであった。コリンはその祭りで、毎回ヴァイオリンを演奏していた。学校から頼まれたこともあるが、コリンにとっても大勢の前で弾き、彼らから賞賛されることは気分がよかった。何度も国内のコンクールで賞を取っていたコリンにとって、学校で弾くことはあまり愉快なことではなかったが、それでも友人からいつもと違う目で見られたり、大人たちから特別扱いされることは悪くはなかった。
その年も、祭りが近づくとコリンは担任に呼ばれた。コリンは予想がついていただけに、担任の演奏を頼む言葉に軽く返事をした。
「今年はちょっと趣向を変えてみようとも思うんだけど。いつもソロでしょう?学校には他にもピアノを弾ける子がいるから、一緒に弾くのも楽しいんじゃないかしら」
コリンは表情を変えなかったが、担任の言葉にはがっかりしていた。趣味で弾いているような生徒たちと、この自分が一緒に弾くなんて。音楽に関しては、自分は他の生徒たちと全く違うんだと、コリンは強く思っていた。しかしそうはっきり言うことは出来ず、コリンはその申し出を受けた。
その後、何人かの女の子たちが、コリンのヴァイオリンのピアノ伴奏をすることになった。とても難しい曲を弾くことが出来る子もいたが、もちろんコリンのレベルとは違うものだった。彼女たちはそれぞれ1曲、コリンは全部の曲をヴァイオリンで弾くことになっていた。放課後に音楽室に集まってあわせてみたり、ピアノを弾く子たちの家へ行って練習したりした。それなりに形になる曲もあったが、伴奏がうまくいかない曲もあった。今回の演奏をコリンは内心馬鹿馬鹿しく思っていたが、コリンを憧れの目で見る女の子たちに対しては、あくまでも紳士的態度をとっていた。
ある日、伴奏する子の1人の家から帰る途中、コリンの耳にヴァイオリンの音色が聞えてきた。それ程上手だとは言えなかったが、一生懸命に練習をしているようだった。この辺りにコリンは滅多に来ることがなかったし、ヴァイオリンを弾く人がいるんだと思うと、コリンは少し興味を覚えて、音のする方角に歩いて行った。聞こえて来る曲はコリンも昔弾いたものであった。もう何年も昔に弾いたっきりのものだったが、今でもよく覚えていた。ヴァイオリンの音のする家の前に立ったコリンは、郵便受けを何気なく見た。そこに書いてある名前は、同じクラスの背の高い少女のものと同じだった。
次の日、コリンは彼女にヴァイオリンを弾くのかどうか尋ねてみようとした。しかし、彼女の行動を見ているとあまりヴァイオリンを弾いている姿が想像できず、また何となく聞きづらかったために、きっかけがつかめないまま放課後になった。この日、コリンはレッスンがあったために、学校へヴァイオリンを持ってきていた。レッスンへ向かおうと教室を出たコリンは、廊下の曲がり角で彼女とぶつかり、ちゃんと閉まっていなかった楽器ケースの楽譜入れから楽譜が落ちた。
「ごめん、大丈夫?楽器は平気?」
彼女は楽譜を拾い集めながら、コリンにそう聞いた。
「楽器は大丈夫だけど、君は?」
楽譜を受け取りながらコリンがそう尋ねると、彼女は微笑んだ。
「私は大丈夫」
コリンはいつになく緊張していた。今は周りに誰もいないし、彼女にヴァイオリンのことを聞くいいチャンスかもしれない。その場を立ち去ろうとする彼女にコリンは思い切って声をかけた。
「昨日、君の家の側を通ったんだけど…ヴァイオリンの音がしたんだ。君もヴァイオリンを弾くの?」
彼女は驚いてコリンを見つめた。いつもはっきりとものを言う彼女らしくなく、どう返事をしていいのか迷っている様子だった。
「…ヴァイオリンなんて…そんな気取ったこと、やるわけないじゃない…」
彼女はコリンから目をそらせてしどろもどろそう答えたが、軽く溜息をつくと、諦めたようにコリンを真っ直ぐ見て言った。
「うん、実はね」
コリンはレッスンのためロンドンへ向かわなくてはならなかった。彼女の家は駅へ行く途中だったので、2人は一緒に歩いて行った。
「内緒よ、私がヴァイオリンを弾くって。なんだか恥ずかしいじゃない、君みたいなプロ級と比べられるみたいでさ」
彼女は苦笑した。
「でも聴かれたなんて、もう充分恥ずかしいな。下手で笑っちゃうでしょ」
「いや、そんなことないよ」
コリンは当り障りのないように答えた。もちろん上手だとは思わなかったが、自分と同じ年頃で同じくらい弾ける人のほうが世界中でも稀なことを彼はよく知っていた。コリンはますます彼女に興味を持った。
「よかったら…今度一緒に弾こうよ。お祭りで一緒に何か弾くってのはどう?」
彼女は驚いて目を丸くした。冗談でしょ、と口が動いたが、コリンが真面目な顔をしているので、言葉を飲み込んだ。
「…考えとく」
そう言うと、彼女はコリンに手を振って、自宅のある通りへ曲がっていった。
結局彼女はコリンと一緒にヴァイオリンを弾くことに決めた。彼女の家で2人はバッハの管弦楽組曲第3番アリアを練習し始めた。彼女と一緒にいることは、コリンにとってとても楽しいことだった。頭が良く、話題が豊富でいろいろなことを知っている彼女と話すことが、コリンの世界を広げてくれるような気がしていた。ヴァイオリンを弾くときは一方的にコリンが彼女に教えることになったが、それ以外では逆だった。祭りの日が近づくと、コリンは何となく寂しい気持ちになっていた。祭りが終わったら、もう彼女と一緒に弾くことはないのかもしれない。また以前のように、教室で会うだけになってしまうのだろう。祭りの日が来なければいいのにとさえ、コリンは思うようになっていた。
そしてその日はやって来た。他の生徒たちの発表が終わり、コリンの番になった。彼は何人かの女の子たちの伴奏で弾いた。さほど真面目に弾いたわけではなかったが、集まった人たちはコリンのヴァイオリンを賞賛した。
「じゃあ、アンコールを」
コリンはそう言うと、舞台袖へ向かい、ヴァイオリンを手に緊張した顔をしている彼女を迎えた。彼女の手を取ると、2人は舞台の中央へ進んだ。彼女がコリンとヴァイオリンを弾くことを誰も考えていなかったため、客席からは驚きの声が漏れた。いつものジーンズではなく、珍しく長めのスカートをはいている彼女は、かなり強張った表情をしていた。コリンは彼女の緊張をほぐすように、軽く片目をつむった。
「大丈夫だよ、僕がついているから」
2人は弾き出した。最初、少しぎこちなかった彼女のヴァイオリンも、だんだんと余裕が出てきた。コリンのヴァイオリンにリードされて、曲は無事に終わった。他のピアノ伴奏で弾いたものより、コリンも満足していた。満場の聴衆から拍手をもらい、2人は肩を組んで挨拶をし、舞台袖へ下がった。彼女の頬は上気して赤くなっていた。コリンの方を向くと彼女は言った。
「ありがとう。緊張したけど、すごく楽しかった」
コリンは微笑んだ。
「僕も楽しかったよ。あまり誰かと一緒にヴァイオリンを弾くってことはなかったし。こっちこそ、ありがとう」
まだ止まない拍手に応えるため、2人は再び舞台へ向かった。
それからというもの、2人はよく教室でも話すようになった。彼女はヴァイオリンのレッスンでわからないことがあるとコリンに聞くことようになり、コリンも彼女の機知に富んだ話を聞くのを好んだ。秋休みに入る前日、コリンは友人たちと公園でサッカーボールを蹴っていた。何かのきっかけからコリンが最近彼女と仲がいいという話になった。
「コリンはああいうのが好みなのか?」
1人がそう尋ねた。コリンはどう答えたらいいのかわからなかった。確かに彼女に対する感情は他の女の子へのものとは違っていた。しかし、今までコリンにとっての「女の子」とは向こうから来る存在であって、コリンから好意を抱くものではなく、彼女に対する気持ちを素直に認めることはコリンには出来なかった。
「何言ってるんだよ。あいつは面白いし、いいやつだけど…好みとかそういうんじゃない、あんな男みたいなやつ」
その時、一緒にいた数人が息をのんだ。コリンは何事かと思ったが、ゆっくりと後ろを向いて理由がわかった。そこには彼女が友人と立っていた。
「ちょっと、コリンったら、そういう言い方はないんじゃないの?」
友人のほうがそう言った。彼女のほうは何も言わなかった。いつもの彼女だったら「そうね、あんたみたいなヘナチョコよりは、私のほうがずっと男らしいわよ」とでも言うはずだった。しかし彼女はコリンをじっと見つめたままだった。コリンが口を開こうとした時、彼女の大きな瞳から涙がこぼれた。その場にいる誰もが驚いて何も言えなくなった。彼女は涙を拭うこともせずに、走り去っていった。コリンはその後姿を見つめることしか出来なかった。
休みに入ったある日、コリンは同じクラスの女の子から、彼女が遠くの街に引っ越すということを聞いた。その時はまったく気にするそぶりを見せなかったが、コリンは動揺していた。この間見た彼女の涙を思い出していた。このまま別れてしまうのだろうか。彼女に誤解されたまま終わってしまうのだろうか。帰り道、コリンはずっと考え込んでいた。初めて彼女と出会った何年か前。いつからこんなに気になる存在になっていたのかはわからない。この間彼女が涙を見せた公園を通り過ぎたコリンは、あることを思いつき、走って家に戻っていった。
コリンは家に帰ると、急いでヴァイオリンと楽譜を出した。少し練習してからカセットテープを用意すると、コリンは録音を始めた。クライスラー『愛の喜び』、『愛の哀しみ』、エルガー『愛の挨拶』…自分でも可笑しく思える選曲だったが、コリンにはそんなことはどうでもよかった。ただ、彼女に自分の想いが伝わるようにということだけを考えていた。弾き終わってから一度録音を聴き、そしてそのテープを紙で包むと、コリンは彼女の家に向かって行った。彼女の家の呼び鈴を鳴らそうとコリンは手を伸ばしかけたが、彼は少し考えると包み紙に簡単なメッセージを書き、ポストに入れてその場を去っていった。それっきり彼女と連絡を取ることはなかった。
「同じクラスのヴァイオリンの上手な男の子が、今こんなに有名で立派なヴァイオリニストになっていることに、驚いていると同時にとても光栄に思っています。だって私はあなたから演奏をプレゼントしてもらったのですから!先日、棚を片付けていて、懐かしいテープを見つけました。オリジナルは私の宝物として取って置きます。ダビングしたものを同封しますので、昔の思い出に…あるいは笑い話として、お納めください。これからの活躍を楽しみにしています」
彼女の手紙はそう締めくくられていた。コリンはテープをかけた。演奏はその年の少年にしてはもちろん最高レベルのものだったが、今のコリンからするとかなり未熟に思えた。しかし彼女に対する想いは充分こもっていた。
「なかなかいい演奏ね」
「うん、僕もそう思う」
聴き終わると、コリンはテープを大事そうにしまった。誰かの為に演奏すること…それは今も同じだった。あの時は彼女の為に、そして今は全ての聴衆の為に。僕の気持ちを、そして作曲家が生み出した素晴らしい音楽を伝える為に。
「今度、コンサートで『愛の喜び』を弾こうかな」
コリンはにっこりと微笑んだ。
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