レックスヒストリー 第1章

昭和47年7月−昭和56年9月


前史

スバルレックスの登場にさかのぼる事14年前、富士重工は軽四輪スバル360を発表する。当時としては画期的な構造ととびぬけた性能を持ち、現在に続くスバルシリーズの始祖となったモデルである。
なんとも愛嬌のあるスタイルで今なお大切に所有し続けている人も多い、てんとうむしという愛称と共に全国津々浦々迄浸透した日本の誇る名車といえよう。関係ないが当地関西ではてんとうむしではなく「かめ」と言う人が結構いる、そういえばそう見えなくもない。


当時としても異例の12年間の生産を経て、昭和44年後継モデルスバルR2が登場。欧風調のシンプルなデザインで今見てもなかなか素敵なデザインである、但しフィアットによく似たデザインの車が有るのはないしょ。
後にエンジンが水冷化されフロントにラジエーターグリルが追加される(下の写真参照)、このグリルがいかにもこてこてのデザインで違和感を覚えた人も多かったはず。空冷モデルも一部存続したが、こいつにもグリルを模したガーニッシュが付いて同じ様なマスクになっている。
R2は出だしこそ好調であったがライバル社の猛攻に押され販売は尻すぼみになり3年でその幕を閉じレックスにバトンを渡した。


初代レックス登場!
昭和47年7月15日発売


発売当時軽四業界でトップを走っていたのはホンダ、次位が老舗スズキ、ダイハツ。少し差が付いて三菱とスバル、その後ろにマツダという順位になっていた。
おそらくスバルは新型レックスでスズキ・ダイハツに迫り、あわよくばホンダのシェアに食い込もうと考えていたのだろう、それまでのシンプルなデザイン路線を捨て徹底的に流行を取り入れたスタイルをレックスに与える。
それで、できあがったのが写真の通り。フロントグリルにいかついにらみ顔を採用レオーネにも似て精悍な印象を持たせる。(これは他社でもよく見られた)小さな窓でボディを大きく見せ、リアーフェンダーの膨らみは車にボリューム感を与えた。(私にはおけつが大きくなっただけのように見えるが・・・)
結論としてはあれもこれもと詰め込みすぎてデザインが消化不良を起こしてるような感がある、実際自動車誌などの回想でこのレックスが触れられると必ずグロテスクとかいう言葉が出てきたもんだ。

メカニズムはR2を正常進化させたもので勿論四輪独立懸架、エンジンは後期R2に搭載していた物と同じ水冷2スト2気筒360CC。
空冷は設定されていない、この時点で3年後に厳しい排ガス規制が予定されており(いわゆるマスキー法による50年規制)適応が難しい空冷はスバルに限らずどんどん姿を消していった。
エンジンは仕様により3タイプに分けられ一般仕様の32馬力、スポーツモデル「TS」に搭載の35馬力、フロンテクーペやフェローMAXといったライバルに対向すべく設定された最強モデル「GSR」にはソレックスツインキャブを装備する37馬力が用意された。

用意されたグレードはなんと7種類、数年前まではSDX・DX・STDぐらいしか存在しなかったのにカスタムLからラグジュアリー、GSR・・・と現在の様にわかりにくく細分化されている。ちなみに各社がGLだのSL・XEとかの呼称を使い始めたのもこの頃。
正確な販売量は不明だが軽四市場自体が低迷していた時期だけにそれほど振るわなかったのではと思われる。

CMキャラクターに当時大人気だった吉田拓郎を起用、TV嫌いCM嫌い(当時は)という事で有名だった彼を使ったことで、話題になったらしい。CMソングも彼が唄っている。


4ドアモデル追加
昭和48年3月3日


2ドアのみのラインナップに、4ドア車を追加。恐らく当初より計画されていたのであろう。
それまでの軽四といえば普通車との住み分けを図っていたからか、マツダキャロルを除いて2ドア車ばかりだった。
これは他社も同じで各社とも前後して4ドアモデルを発表している。
軽自動車の車検制度が実施され(それまでは車検不要だったのである!)1000ccクラスの攻勢が激しくなり、軽ユーザーの引き留めに各社躍起になっていたのである。


新型レックス登場4サイクルエンジンに換装
昭和48年10月13日
これも当初から想定されていたはず、2サイクルは小排気量でも強馬力を得やすいが、不完全燃焼ガスが出やすく排ガス対策が困難とされていた。その為新設計の4サイクルエンジンに換装されている。
同じく排ガス対策とオイルショックの余波からツインキャブのスポーツモデルも廃止、燃費向上を目的に5速MTモデルが追加されている。
ここからがレックス受難の時代である、軽自動車無用論などがぶちあげられ軽自動車という存在自体が危うくなったのもこの時期。
外装が一部変更されている。


新型レックスカスタム5・レックスバン登場
昭和49年2月20日


前モデル登場から僅か4ヶ月・・・安全に対するユーザー意識の高まりから保安基準が順次強化されメーカーは適合モデルの発表に追われることになる。他社も短期間でモデルチェンジを繰り返している。
レックスバンはセダンの後部にリアゲートをつけたもの、それまではR2バンを継続生産していた。
しかしリアエンジン車でボンネットバンを作る会社もそうそうあるまい、スズキや日野、マツダでは別設計でFRのバン・トラックを用意している。
スバルカスタム(スバル360ベースのライトバン)などではエンジンルームのでっぱりで床面が高くあまり実用的ではないようだが、レックスバンではかなり床面が低くなっておりなかなか使い勝手は良さそうだ。しかしエンジンルームを見るとなかなか複雑な事になっている、これを設計した人ならルービックキューブぐらい簡単に解いてしまうにちがいない。


NEWレックス登場
昭和49年9月20日

法規改正でナンバープレートが現在と同じ黄色地のものになっている。
バンと同一ボディを用いたワゴンが発売されている、詳しく調べたわけではないがスバルでワゴンを名乗ったのはこの車が最初のはず、(但しバンを乗用車登録した「ワゴン」は存在する)スバルツーリングワゴンの原点はここある。
外装が一部変更。



レックスSEEC−T登場
昭和50年12月1日


SEEC−T(Subaru Exhaust Emission Control-Thermal Thermodynamic System=2次空気導入式燃焼制御方式)
詳しくはよくわかりません・・・。私の頭ではよく理解できないがこのシステムのおかげで51年排ガス規制をスバルが真っ先にクリアした。
いまでは信じられないことだが規制クリアを危ぶんだスズキがダイハツからエンジンの購入契約を結んだり、トヨタがマツダからロータリーのパテント購入を計画したりと業界全体に混乱がみられた。
この年をもってホンダが軽自動車から撤退、その後マツダもシャンテを最後に撤退これらの市場を残存4社で争うことになる。
軽自動車の規格改正が決まり外寸、排気量の拡大が決定、レックスにとって光明が見え始めたように思えた年だった。
本年11月をもって商用系に残存していた2ストエンジンの生産が終了長いスバル2サイクルシリーズの歴史にピリオドを打った。
生産累計140万9千台


レックス5登場 新規格適合車
昭和51年5月20日


満を持してのワイドボディ車の投入、幅広になったぶん安定感が出て従来車に比べより車らしく見え好評だったようである。
又新規格に完全適合するボディを持っていたのはレックスだけであったのも追い風となる、エンジンは暫定で500ccを搭載。
秋には販売首位のスズキに400台差まで詰め寄るなど大善戦。
明けて52年1月にはカーオブザイヤー軽部門賞を受賞するなど絶好調であった。


レックス550登場
昭和52年5月25日
世界一厳しいといわれた53年規制をクリア、規格いっぱいの550ccエンジンを積んで登場。
排ガス規制も何とか一段落、めまぐるしく変化を重ねてきた初代レックスの完成版。
外装は従来型と変わらないようだがグリルの「SEEC−T」エンブレムが向かって右から左に移動している、何か深い意味があるのだろうか。
リアエンジンフードには「REX550」という大きなエンブレムが新設された、俺の車は新規格車なんだぜぃというオーナーの表情が想像できて微笑ましい。別にスバルに限ったことではなくフロンテハッチ55とかいう風に「5」「55」「550」を付けた車名やエンブレムが巷にあふれかえった時期、最近ではダイハツ車のリアに「NEW GENERATION 660」というステッカーが貼られていたが、550に乗っていた私は実に面白くなかった。


レックススィングバック追加
昭和53年3月1日


スィングバックとはリアーウィンドーにヒンジをつけ開閉可能にしたもの、つまりガラスハッチの事。
シビック、ファミリアなどハッチバックモデルが流行の兆しを見せ、2BOX新型車が各社から矢継ぎ早に発売されていた。スズキも同様な商品をだしているが両車ともリアーエンジンならではのトランクスペースの狭さが問題になってきた。


ファミリーレックス登場
昭和54年10月24日


54年5月軽市場をゆるがす衝撃的な車スズキアルトが発売される、商用車登録のバンだから税負担が軽く、通常の使い勝手は乗用車と変わらないのがミソ。
メカは新設計のFF方式で開発コンセプトが省資源、省スペース、多用途性、そしてなにより低価格。当初の価格が47万円、同時期のレックスは最廉価版STDバンが53.9万円、ミニカ、MAXクォーレも同レベルの価格設定であったからアルトの割安感には際だった物があった。
当然の結果としてスバルを含む他社はすっかり客を奪われてしまう、ただアルトは従来客層だけではなく新しい客層も掘り起こしたから一気に軽市場が活気づくことになった。
そしてスバルがアルトに対抗するモデルとして送り込んだのがファミリーレックス。
レックスバンSTDにファミリーの名を冠しただけのような気もするけど・・・。営業からつきあげられたんでしょうなぁ、もはや珍しくなってきていた合わせホイールをはかせるなど苦しい所が見える。

スズキアルト


新型レックス登場
昭和55年3月17日


R2以来しばらく姿を消していたオートクラッチ採用モデルが復活した、当初アルトにはオートマチックの設定がなかったからそこを狙ったのだろう。後にアルトには電子制御2速フルオートマチックが設定される、スバルはオートクラッチの燃費がMT車と変わらないことを前に押し出し対抗したが、実際はクラッチ操作こそ不要ながら変速操作は手動であったので見劣りしたことは否めない。
安全性と静粛性の改善に力が注がれ、女性ユーザー向けのインテリアを採用するなどモデル末期ながらアルト、同様なコンセプトの新型ミラへの必死の抵抗がみられる。


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