KLの民族衝突に思う
 

最近私のメールアドレスがあるメーリングリストに追加され、大量の画像付きメールが配信され辟易していた。ある日衝撃的な画像が届き、私はディスプレーの前で凍りついた。それは隣国インドネシアのカリマンタン島において、先住民ダヤック族により虐殺されたマドゥラ人移民の犠牲者の映像である。逃げ送れたマドゥラ人移民に対し、ダヤック族は女子供とて容赦しなかった。

数百の島々に住む多くの少数民族を、軍事力で統合したインドネシアは、民族間小競り合いが絶えない。スマトラ島アチェ地区や、東ティモールの分離独立紛争では、インドネシア国軍が先住民族を虐待している。また1998年ジャカルタでの暴動では、多くの華人が暴徒に襲われた。富を独占する華人に対する日ごろの鬱積が爆発し、凄惨な虐殺行為が行われたのだ。これらの行為は、私の住むペナンから数百キロの隣国で日常的に起こっている。

2001年3月4日クアラルンプルで、誰もが恐れている民族衝突が発生し、8名の犠牲者が出た。場所はクアラルンプル郊外のカンポンメダン。ここは廃棄物処理場に近く、マレー人とインド人、そして不法労働者を含む外国人(インドネシア人)など、低所得者層が住むスラムである。民族衝突の発端は「ちょっとしたいざこざ」であった。それは「マレーの結婚式の前をインドの葬儀が通過した」とも「酔ったインド人がマレーの葬儀を冒涜した」ともいわれている。マレーシア政府は即座に大量の警察官を動員し、武器不法所持や噂を流布した容疑で200名以上を逮捕。影響が地方に広がる前に鎮圧した。政府は今回の事件が根拠の無い噂として広がり、政治問題に利用されないよう警告を発している。

今回の事件はあくまでも地域的なものであり、ペナンではいたって平穏である。しかし私はこのニュースを聞いて密かに戦慄を覚えた。実は2年前ペナンのカンポンジャワでも同様の「ちょっといしたいざこざ」があった。そこはモスクとヒンドゥー寺院が隣接していた。原因は「モスクのスピーカーから発するコーランに、ヒンドゥー寺院がインド音楽で対抗した」とも「モスリムがヒンドゥー寺院を破壊した」ともいわれていた。噂を聞いて本土から集団で駆けつけたインド人グループを、警察がペナンブリッジ阻止したとも言われている。幸い死傷者が出るような事件には発展しなかった。

多民族国家マレーシアは、多数の犠牲者を出した「1969年のクアラルンプル民族間暴動」の様な事件は2度と起こしてはならない。当時の脆弱な政府は、暴動鎮圧の国軍を派遣するまで2週間放置し、暴走するマレー人により、多くの華人が犠牲になった。その後マレーシア政府は民族融和を維持するため、主要3民族による安定した連立与党を編成し、継続的経済発展による貧困撲滅と民族間経済格差を是正する新経済政策を進めている。

しかし今回の事件は、隣国インドネシアで頻発する民族間衝突の火種が、マレーシアでも存在することを改めて感じさせる事件であった。

200135日)

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