日本なかりせば
 

私が初めてマハティール首相を知ったのは学生の頃だった。テレビインタビューでサングラスをかけ、流暢な英語で答えるマハティール首相。その歯に衣着せぬ大胆な発言にど肝を抜かれた。細かな内容は忘れたが、「過去の事(戦争責任)を謝罪し続けるのは止めて、アジアのリーダーとして頑張って欲しい。」という内容と記憶している。それ以降私はマハティール首相のファンになった。

思えば欧米先進国に媚びへつらい、東南アジアの発展途上国をNICS(NIES以前)と呼び軽蔑すらしていた気がする。愛国心はもちろんの事、日本人としての誇りも持っていなかった。そんな私に日本人としての誇りと自信を取り戻してくれたのは、奇しくも発展途上国と軽視していた東南アジアの国家元首であった。

ここでマハティール首相の最も有名な「1992年香港国際会議」での演説の一部を紹介しよう。堅苦しい内容で興味のない人が多いと思うが、私自身挫けそうになったり、自信を失いかけたときに読み返すため、ここに書き留めておくことにした。いかなる日本の政治家の演説より、私の記憶に残るすばらしい内容だと思っている。

(前略)第2次大戦後、ヨーロッパでドイツとイタリアの復興・繁栄が支援され歓迎されたが、日本や極東の諸国の経済発展は歓迎されないどころか深刻な脅威と映っていた。その理由は東アジアの人がヨーロッパ人とは異なる民族で価値観が違うからだ。欧米諸国はさまざまな手段を使って東アジアの経済発展を削ごうとして来た。

(中略)日本は軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。

日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界の国はその価格を押しつけられていただろう。北側のヨーロッパのあらゆる製品価格は、おそらく現在の3倍にもなったであろう。

貧しい南側諸国から輸出される原材料の価格は、買い手が北側のヨーロッパ諸国しかないので最低水準に固定される。その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。輸出品の価格を引き上げる代わりに、融資と援助が与えられる。通商条件は常に南側諸国に不利になっているため、貧しい国はますます貧しくなり、独立性はいっそう損なわれていく。さらに厳しい融資条件を課せられて「債務奴隷」の状態に陥る。

それゆえに貧しい南側諸国はテレビもラジオも、今では当たり前の家電製品も買えず、小規模農家はピックアップトラックや小型自動車も買えないだろう。一般的に、南側諸国は今より相当低い生活水準を強いられることになるだろう。南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生もありえなかっただろう。

多国籍企業が安い労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せざるを得なくなったにほかならない。日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。日本からの投資もないから、成長を刺激する外国からの投資は期待できないことになる。

また、日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。ヨーロッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと信じ続けただろう。東アジアでは高度な産業は無理だった。せいぜい質の劣る模造品を作るのが関の山だった。したがって西側が懸念するような「虎」も「竜」も、すなわち急成長を遂げたアジアの新興工業経済地域(NIES)も存在しなかっただろう。

東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。

もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の言い値で売り続けていたであろう。このシナリオには異論もあるかもしれない。だが、十分ありうる話である。(後略)

2001年9月28日)

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