文化遺産と現実

ジョージタウンはその歴史的街並みの世界遺産登録を目指しており、最近 The Penang Story プロジェクトがスタートした。メインスポンサーはABN-AMRO Bank と日本の国際交流基金である。(←日本はこんなところにも資金援助しているのだ。) 英字新聞 The Star も協賛していることから最近特集記事が多い。文化事業であると同時に観光産業振興の切実な願いが込められている。この事業の中核をなすのが観音寺裏手 Stewart lane のショップハウスにオフィスを構えるPHT(Penang Heritage Trust)である。しかしながらそこに住む住人は深刻な社会問題を抱えているようだ。象徴的事故が皮肉なことにPHTのある Stewart lane で起こった。

2002218日午前4時、ジョージタウン旧市街にて1件のショップハウスが突然轟音と共に倒壊した。(←我が家のタイルが砕けたどころではなかったろう。) この家屋には3世代計10人程度の貧しいマレー人家族が住んでいた。通報により数分後に駆けつけた消防隊員により、瓦礫の中の住人は救出された。しかしながら1歳の幼児が病院到着後まもなく死亡した。古いショップハウスの突然の倒壊は近隣のLove laneで昨年に数回あったが、Stewart laneでは初めての事である。

ショップハウス倒壊の原因は建物の老朽化と不十分な修繕である。多くは戦前に建てられ、借家法で低家賃で賃借されていた。そのため老朽化して危険な家屋であっても、オーナーは修繕には消極的である。住人の多くは自らの手で修繕するか、郊外の近代的住宅に転居する。ただし貧しい家庭では修繕費を捻出できず、州政府の供給する低価格住宅への転居認可を待つしかない。翌日の報道で明らかになったことだが、倒壊した家の主は2年前に低価格住宅の申し込みを済ませていた。しかしながら認可手続きは遅々として進まず、そうこうしている内に悲劇が起こってしまった。

更にこの状況に追い討ちをかけるような事態も起こる。2000年はじめにオープンしたプランギモールコムターだが、この建設工事でもひと悶着あった。基礎工事で打ち込んだパイルによる振動、そして地盤変化が周辺の老朽化したショップハウスの柱を曲げ、壁を崩したのだ。建築業者は住人の苦情に対し、漆喰で壁の化粧直しをしただけというお粗末なものであった。

倒壊したショップハウスは以前より壁面にひびが入り、危険性が指摘されていたが修繕は先延ばしにされていた。現在ジョージタウンのHeritage-areaには83件の「危険な建物」がある。州政府は倒壊事故以降19件の目視検査をを始めたが、厳密には1件あたりRM3,0004,000の調査費用がかかる。そして調査期間中の賃借人の転居先を世話し無くてはならない。更に近代的ビルへの改築は許されず。以前の姿を忠実に修復しなくてはならない。州政府は1ヶ月以内にの修繕着手しないオーナーにはRM1,000の罰金を課すという。

一方でStewart laneからほど近いチュリア通りでは更に難しい問題が存在する。ここにニュニャ菓子行商人である貧しいマレー人一家が住んでいる。彼らの住むショップハウスは80年前に建てられたもので、柱は崩れ落ち倒壊の危険にさらされている。更に電気も水道も供給されていないので、水は隣近所から分けてもらい電源はバッテリーを使用している。州政府から低価格住宅への移転を要請されているが、郊外に転居すれば今の仕事は続けられなくなる。主のMr.Samoonは州政府の申し入れを拒否している。

異国情緒溢れるジョ-ジタウンのショップハウスには多くの貧しい市民が住んでおり、決して快適な生活ではないようだ。文化遺産の保存は好ましい事ではあるが、修繕費は安くは無い。ちなみに日本人会館裏手にフランシスライトの住居であったサフォークハウスがあるが、修繕予算にRM 5,000,000かかるそうだ。現在ペナンで活発に修復が進められているのは、経済力のある華人コミュニティーが援助するChainese clan house や中華寺院などである。不幸なショップハウス倒壊事故は、一方で理想と現実の違いを思い知らされる事故でもあった。

2002221日)

ホームミニコラム>文化遺産の現実

 

次のページへ

Hosted by www.Geocities.ws

1