コロニアル建築
 

私がペナンを愛してやまない理由の一つが、歴史を感じるコロニアル建築の街並みである。中国寺院やヒンドゥー寺院でも、モスクや高床式マレー建築でも無く、英国植民地文化の面影である。今にいたる道のりを簡単に紹介しよう。

「英国の植民地支配」

16世紀,大航海時代にヨーロッパ列強はこぞってアジアへ進出し、コロニー(植民地)を築いていった。とりわけマレー半島は東西の中継貿易拠点として栄え、そこは英国の海峡植民地と呼ばれた。ケダ王国領土であったペナン島も1786年に民間商人であるフランシスライトによって不法占拠され、英国領としてスズやゴムの積出港として開発が進められた。島はプリンスオブウェールズ島、街はジョージV世にちなみジョージタウンと名づけられた。

「欧州文化の流入」

英国人は同時に本国の文化も持ち込んだ。そして港から伸びるライトストリートやビーチストリートに本国の様式を模倣したビルが建設された。ビルは古代ギリシャ様式に起源を持つ、威厳ある欧州古典建築であった。植民地政府は中国広東省、福建省から大量の移民を受け入れた。その中には大工もいた。当時の中国建築は英国占領地支配下である香港の影響を受けていた。彼らはビショップ通りやチュリア通りに長屋スタイルの商店を建設した。

「独立そして荒廃の始まり」

時は流れ独立を果たしたマレーシア。民族意識に芽生えたマレー人はアイデンティティを求めだした。とりわけ連邦首都府KLでは、欧州古典建築に代わりイスラム建築の公共建築物が急増した。しかし華人多く住むジョージタウンではその影響は少なかった。また日本軍から受けた経済的打撃を救済するため、長屋は借家法により格安の賃借料で住民に提供されてきた。おかげで古い建物が今でも数多く残っている。

英国の建築様式を取り入れたとはいえ、大理石で出来た中世の大聖堂とは違う。ほとんどは日干し煉瓦を漆喰で固めたイミテーションである。手入れしないと老朽化は早い。ところが二束三文で貸しているオーナー、手入れ修復などせず朽ち果てるままにされている。最近、借地法撤廃の法案が議会を通過した。家賃の値上げや地上げが起こり、遺産破壊と乱開発が始まりつつある。数年前よりNGOによりコロニアル建築の街並みを文化遺産として見直す、文化遺産保護基金(PHT)の運営がはじまった。ユニセフ世界遺産にも申請をしている。

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