放浪中に習い事A

 ▼INDEX 2
ペレイラ (コロンビア) Baile de Salsa(サルサダンス2回目)

ペレイラ (コロンビア) Violin(ヴァイオリン)

キト (エクアドル) Espanol(スペイン語2回目)

サルヴァドール (ブラジル) Percucao(パーカッション)


今後の予定
フランス語、イタリア語、ドイツ語、中国語
インドでタブラー
中国で書道
アラブでアラビア文字のカリグラフ
アフリカでジャンベ etc etc

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Baile de Salsa(サルサダンス)  ペレイラ (コロンビア)


感想
ペレイラでは夜毎スケベな日本人のアミーゴたちと一緒にバーを巡り歩いていた。 バーではアグアリデンテという安焼酎を頼むと基本的にマンツーマンで女の子がついて お話をしたりダンスをしたりできるのだ。ぼくはコロンビアへ来る一月ほど前まで中米の グアテマラでサルサの学校へ行っていたので少しは踊ることができた。スケベ目的の ヒデとタナカはそのバーでぼくが女の子と踊ってモテているといって羨ましがっていた。 ぼくとしてはグアテマラで習ったニューヨークスタイルのステップとコロンビア人の ステップの違いに戸惑いを覚えていたのだが。

そんな折り、昼間町中を散策していたぼくは『RITMO LATINO』という看板を見 つけた。くしくもぼくがグアテマラで通っていたのと同名のダンス教室だった。下り坂に なった通りにあるバス停の真ん前に半地下の教室の窓が建物の低いところにあって中が見えた。 RITMO LATINOと描かれたついたての向こうからサルサの軽快なリズムが流れて くる。鉄の扉を押して中に入るとすぐに急な階段があり、それを下りてついたてをよけると 天井の低い20畳ほどの鏡張りの部屋で太ったおっさんが5、6人の若者たちに稽古をつけて いる最中だった。
突然現れたぼくをみとめて「Hola,como esta?」と大音量のステレオに負けない 大きな声で愛想よく笑って近づいてきた。
「ここはダンス教室でしょ?」 という質問から始ってぼくが旅行者でペレイラに滞在中であり、サルサを習いたいという希望な どをその割腹のよいJohn Williamという映画監督みたいな名前の男に伝えるとレッスンそっちのけで相手をしてくれた。
生徒をほっぽりだして相手をしてくれるのは嬉しい反面先行き不安にさせたけどたまに 生徒たちをにらんで「Un、Dos、Tres!」と声をかけると生徒たちも大汗かきながら 一生懸命にまだ未熟なステップを踏んでいたので(なかなかよい雰囲気だな)とぼくに思わ せた。
料金をきくと1日1回2時間のレッスンを10回セットで37,000コロンビアペソ(約2千円!) という超格安だ。一時間百円!? ありえない安さにぼくはすぐやる気になった。 小柄ですごくスレンダーだけどとっても魅力的な胸の谷間とヒップラインをもつ助手の モニカは亭主もちだったけど、ぼくのやる気を倍増したことは確かだ。

モニカのことを話してスケベコンビのヒデ、タナカも誘うと喜んで乗ってきた。 陽気だけど真剣なジョンと、たまにしか来ないけどけど組んで踊ると離れたく なくなるモニカとのレッスンはすごく楽しかった。

 グアテマラの時は一回一時間のレッスンだったけど終わると程よく疲れたものだったけれど、はたして二時間ぶっ続けのレッスンはかなりハードだった。そしてはじめのうちこそ戸惑ったコロンビアスタイルのステップにも慣れていったけれど、同じテンポの中で取るアクションが一つ多くてよりハードだったのだからいつもレッスンが終わる頃にはクタクタになった。 とはいえ実際サルサのレッスンは4、5回だけであとはメレンゲ、マンボ、トランス、テクノ、ヒップホップなどを日替わりで教わった。サルサを沢山習いたかったのだけど、ここで他のダンスをかじり知っておくのも悪くないなと思ったのでジョンの方針に従った。

グアテマラで教わったマエストロ(先生)はサルサの英才教育を受けて育った本物のバイラリン(踊り手)だったけど、ジョンは大人になってから友達に教わって、あとは独学で学んだという、言ってみればちょっと踊りの上手い素人に過ぎないのだけど、ぼくのような初心者が教わるのにはちょうどよい男だったと思う。なんといってもいかにもコロンビアーノといったひたすら陽気なこの男から教わるものは大きかった。踊ることの楽しさを教わったんだ。


メモ
Latin Dance School "Ritmo Latino" Carrera sa No.22-67 Perreira TEL 3347-688 Maestro:John William
37,000 Colombia Peso (約 2,000円) / 10 days lesson (2hours a day)




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Violin(ヴァイオリン)  ペレイラ (コロンビア)


感想
コロンビアのペレイラというその小さな町に沈没してあっという間に四ヶ月が過ぎ去っていた。 まるで竜宮上だ。酒、女遊び、ビンゴ、映画、ビリヤード、サッカー観戦などスペイン語の勉強を兼ねて遊び過ごしていた。1ヶ月以上このペレイラで一緒に遊んだヒデ、タナカも去っていった。青年海外協力隊員の二人と夜遊びは続けていたけど、昼間は閑をもてあましていた。そんなおりに街を徘徊していて楽器屋をみつけた。そしてその美しいヴァイオリンと出会った。

120,000ペソは約7千円の買い物で中国製だけどその美しいヴァイオリンはつい先日ペレイラの映画館で観た『紅いヴァイオリン』(原題:『RED VIOLIN』)という映画を思い出させた。 その映画ではヨーロッパから中国、ロシアそしてアメリカへとあらゆる人の手から手へと三つの世紀を生きてきたヴァイオリンの生涯を描いていたが、このヴァイオリンは中国でつくられ、コロンビアで放浪者のぼくの手に渡り、そしてこれからどんな経路を旅してゆくのだろう。

ぼくはこの旅に出る時日本からギターを持ってくるつもりだった。旅先でギターを弾く、あらゆる国の空の下で、時には公園で小銭を稼ぎながら、そのつもりだった。でも当時世界一周という大目標を持っていたぼくは装備を軽くするという義務を自分にきせて結果やむなくギターを持ってゆくことを断念した。
そのことはずっとぼくの心の深いところでくすぶる火種のように残っていたことがそのヴァイオリンに出会った時にわかった。『音楽を奏でたい!』
ぼくは慌ただしく移動しなければならない世界一周というものをいつのまにか放棄していた。そしてヴァイオリンはギターよりもよほど小さく持ち運び安そうにも見えた。
120,000ペソは円に換算すると大した額ではなかったけれどコロンビアでは三度に分けて出金しなければならないほどの高額だった。

ヴァイオリンを購入してすぐマエストロ探しをはじめた。すぐにホセという指揮者と知り合うことができ、彼から大学でヴァイオリンを教えているフレディを紹介してもらった。
ホセにフレディ一家が住む高級マンションへ連れていってもらいほとんど全く初心者であるけど教えてほしいと伝えると「私は小学生にも教えているから大丈夫だよ。」と言ってくれた。

1回1時間 20,000ペソは少し前に習ったダンスのレッスン料と比較するとずいぶん高いように思われたけれど、よく考えてみれば一時間千円ちょっとで大学教授からヴァイオリンの個人レッスンを受けられるなどということは日本ではまず考えられない破格なのだ。翌週の朝九時に時間を割いてもらうことになった。ぼくの宿泊するセントロのホテルからマエストロの家まではタクシーを使わなければ行くことができない。それまで昼起きの生活をしていたぼくは週末を境にライフスタイル自体を変えることになった。

あまり広くはないけどピアノのある豪華な応接間でマエストロはまずぼくの買ったばかりのヴァイオリンに弦を張り、チューニングをしなければならなかった。その美しいだけの工芸作品が音の出る楽器という器へと仕上がってゆく過程はぼくを興奮させた。弓にもピンとテンションを与えてやりチューニングも佳境に入ってくるとマエストロは何かの小節を奏でながら音を確かめている。(なんて美しい音が出るんだ!)中国製の安物でも、素人にはわからないくらいよい音が出ることを知ってぼくは嬉しくなった。ぼくも上手くなればきっとこのヴァイオリンで人を感動させられるはずだ。
足を肩幅に開いて左の肩とあごでヴァイオリンを固定してというところからぼくのレッスンは始った。

実は、ぼくは私立中学在籍中の三年間に音楽の授業でヴァイオリンをやらされていた。 でも当時のぼくにとってはヴァイオリンよりもその弓のほうがチャンバラの道具として、より魅力的だったのだ。一本1万2千円だというその刀は簡単に折れてぼくはその後六年間(高校は付属で同じ敷地内にあった。)音楽教師と顔を合わせる度に「お金を払い給え!」と言われ続けたが結局弁償しないまま卒業してしまったのだ。

そのぼくが今自分の意志でヴァイオリンを始めようなどとあのY先生が知ったらどんな顔をするだろう?きっと弓を取り上げられるに違いない。

ギターもタコができるほどはやっていなかったのでヴァイオリンの弦を抑えるときは痛みを伴ったけど早く上手くなりたい一心で無意味かもしれないけれど指立て伏せまでやっていた。15,000ペソ(800円くらい)で買わされた子供用の教本の簡単な曲を弾きながらおもにフォームを直される日が続いた。途中からレッスン料も15,000ペソにしてもらった。 初心者なりの上達は自分でもハッキリと感じることができた。

コロンビア入国時のビザが切れていることに気が付いたのはレッスンを受けはじめて五日後のことだった。通常90日もらえると聞いていたので安心しきって確認しなかったのが間違いでぼくは60日しか滞在が許可されていなかったのだ。

たった5レッスンで突然切り上げなくてはならなくなったためにぼくもマエストロも煮え切らないものがあったけれど彼の著した子供向けのヴァイオリン教本を手にぼくは次の機会まで独学するのも悪くないなと思った。

美しい奥方と教授、そして彼によく似て優しい目をした小さな彼らの息子、将来の音楽家に別れの挨拶をしてホテルへ戻った。はやくパッキングを済ませなければならなかった。相変わらず大荷物の引越しだけど今回はさらに黒いヴァイオリンケースが一つ加わることになるだろう。 次の目的地エクアドルのキトではよいマエストロが見つかるだろうか? そしてもしかしたら将来彼らの息子に再びペレイラで再会して教えを請うことになったら面白いな、と思った。

メモ
Maestro:Fredy Munoz (ペレイラ大学音楽部教授) 15,000 Colombia Peso (約 800円)/ 1hour lesson



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Conversacion de Espanol(スペイン語会話 2回目)  キト (エクアドル)


感想
南米でスペイン語学習のメッカといわれるエクアドールの首都キトにつくとすぐに、知り合った日本人に紹介された学校へ行った。学校とは言ってもルイスという一人のエクアドル人が4階建ての建物のほんの小さな一部屋を借りて自分で営んでいるもので、言ってみればフリーの先生だ。ルイスは一時間 $2,5(単位スークレはUS$と同価値なので300円ほど)で教えてくれた。教科書などはどこかのテキストのコピーで教え方は一生懸命さは伝わるもののイマイチずれている気がした。友達の延長的で授業のあとに一緒に何かを食べに行ったりした。ほとんど予約も入っていないようだったのでいつも「遊ぼうよ」と言っていた。
エクスカージョンと称して遺跡を見に行ったこともあった。ぼくはルイスが好きだったけれど自分のスペイン語が上達しないことに苛立って他の学校を探すことにした。

そんな時、ぼくが宿泊していたホテルに生徒を探しに来た学校があった。セシベルという若い女性と彼女と同年輩のパウロという男だった。ホテルにポスターを貼らしてくれというので「構わないけどどこにあるの?」と訊ねるとなんとそのホテルとはプラザ(広場)一つ隔てたところで徒歩2、3分の場所だ。授業料もルイスのところとさして変わらないし一度訪問してみることにした。

ホテルで履いているサンダルをつっかけて行ける距離。歩いてみると本当にその近さが嬉しかった。ルイスのところへ行く時もよく雨に降られたので学校は近いにこしたことはなかった。
中庭のある建物の階段を登って二階の一番奥まった場所からさらに階段を登ったところに増築したような形の部屋があり、それが彼らの学校だった。入ると居間になったその部屋は校長室も兼ねていてそれは校長と教師と生徒の距離を感じさせない効果を持っていた。とはいってもルイスのところとは違って複数の教師を雇い、生徒の数もコンスタントに10名前後抱えているという。グアテマラで通った学校に比べたらずっと小規模とはいえ、この旧市街に学校があること自体が珍しいことだった。キトのスペイン語学校のほとんどは新市街と呼ばれる割と治安のよい地域に集中していたからだ。スペイン語を学びに来る外国人の多くも新市街のホテルやホームステイさきに宿泊しているので必然的に学校もそちらに固まっているのだ。

ぼくはあくまで料金が安くて日本人バックパッカーの集まるホテルスークレを根城にしたかったので学校もできれば近くが良かったのだ。
そんな意味で突然現れたセシベルという胸の大きな黒髪の女性はぼくのビルヘン(天使)のように思われた。彼女は校長だったけど、ぼくは彼女に教えてもらいたいとお願いした。彼女と最初に話した時から彼女ならきっと筋の通った教え方をするに違いないと直感した。そしてなんと言っても女性としての細かい心遣いが行き届いた授業が想像できた。

今思うとパウロとセシベルが婚約しているということを彼らから聞くまで疑わなかったのが不思議なくらい彼らの息はぴたりと合っていた。セシベルが婚約していることを知るとぼくは勉強などどうでもよくなった。

彼女はぼくの気持ちを知って嬉しそうだったけど、やはり校長職が忙しくてレッスンをするのは無理そうだった。セシベルもひょっとしてぼくの気持ちを知っていてパウロのことにはあえて触れなかったきらいがあるが、とにかくぼくのやる気が失せそうになったのを見計らったようにピンチヒッターが登場した。ベロニカという金髪の白人美女だった。胸の大きな美しい女性でとても色っぽい声で悩ましげに自己紹介する彼女はどうやらぼくに一目ボレしたようだった。そしてぼくは彼女たちの学校 SAN FRANCISCO SPANISH SCHOOLに通うことになった。

学校に着くとまず「Hola! como esta?」(こんにちは!調子どう?)から始っていっきに明るい雰囲気に持っていく会話になる。これは後から考えてみるとものすごく重要なことだと気が付く。ここでその日の授業がどういうものになるかが決まってしまう、というぐらい重要だ。彼らはそれを技術でなく自然と実行していた。ソファに腰掛けぼくの冗談を引き出すとあとは「いい加減に授業を始めるわよ!」と言われるまで楽しいトークが続く。

乗りはそのままの授業もちゃんと押さえるところを押さえていてわかりやすい。
そしてベロニカの胸の谷間を見ているとパウロが現れてコーヒーでも飲むか、ときいてくる。
うるさい奴だ、といっても美味いコーヒーを入れてくれるのがうれしい。

ぼくがベロニカにスペイン語でどうプロポーズするかを考え始めると彼女は急に学校へ来なくなった。彼女が辞めることが確実になるとセシベルはベロニカが亭主もちだということを教えてくれた。また騙されたようだ。

そしてセシベル監督はパウロコーチと相談して最後のエースを投入してきた。
パウロの妹エリザベスだ。彼女の可愛らしいマスクと表情、そしてセシベルやベロニカに負けず劣らず立派な胸の二つの丘は神の贈り物のように思われた。そしてその日からエリーは新しいぼくのビルヘンとなった。
ぼくはまるで恋人に会いに行くような夢見心地でサンフランシスコ教会の鐘が鳴るのを聴きながらプラザを横切ってエリーに会いに通った。彼女とのレッスンは初々しい恋人同士のそれでありとても文法的な上達は見られなかったものの、刹那的な恋に言葉が必要ないということを見事に証明するものであった。

彼女との蜜月時代は長かった。学校のエクスカージョンでペデルナレスというビーチリゾートへ行くというプランはセシベルがぼく達のために計画してくれたハネムーン旅行だと思っていた。 全員そろったので出っ発ーというパウロに聞くとエリーは来ないよ、と笑った。また騙された!

参加した生徒はぱっとしないボストンの消防士マイク、看護婦で痩せ太コンビのドイツ人カティアとソニアそしてぼくの四人。太平洋岸の寒村ペデルナレスはエリーを失ったぼくにはとてつもなく寂しい場所に思えたけど、波の音を聴きながらのパティオでのレッスン、その後のフルーツいっぱいの朝食、近場へのちょっとしたショートトリップなどセシベルたちによってしっかり計画されたその臨海学校でぼくの傷心はすっかり癒された。ジセラという巨乳の女性がぼくたちのエクスカージョンをサポートしてくれていた。彼女の悪魔的魅力にもふらっと翻弄されそうなぼくだった。

$130のペデルナレス3泊4日ツアーはとても有意義だったので次に近場のラタクンガという町へ『ママ ネグラ』という祭りを観に行くときいた時は愛しのエリーも参加することをくどいほど確かめてからぼくも行くことにした。
エリーとデート気分で歩いていると群れからはぐれそうになったけどそれも悪くないなと思えた。その日は若者(馬鹿者)同士の喧嘩に巻き込まれそうになったがぼくはエリーしか見ていなかったのでしかとした。楽しい一日だった。

そんなぼく達にもとうとう別離の日がやってきた。ある日の授業中にエリーは今度大学に行くことになったからもう教えられなくなると打ち明けた。そして彼女が来なくなるとぼくも自然と学校から離れていった。

ぼくはこのサン フランシスコ スペイン語学校で色恋に狂奔していたわけでは決してない。それまでのテキストとノート中心の勉強から脱却して生きた言葉を学ぶための擬似恋愛を楽しんだのだ。ある程度のレベルに到達すれば言語学習ほど楽しいものもないとこの時初めて感じた。英語会話では未だに達し得ない境地だ。



メモ
Maestro:Luiz $2,5 / Hour
San Francisco Spanish School $3 / Hour Maestro:Cecibel




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Percussao(パーカッション)  サルヴァドール (ブラジル)


感想
ブラジルのアマゾン川を下ってベレン経由で着いたサルバドールという町の特にペロリーニョと呼ばれる地区はカーニヴァルが終わっても変わらず音の溢れる場所だった。昼頃になるとアパートの隣からアフロダンスの激しいタイコのリズムで目が覚める。近くのレストランからはボサノヴァの静かな調べが流れてくる。夕方になるとタイコを抱えて町を練り歩く集団が現れる。小さな子供のタイコ軍団もいる。女の子だけの軍団もいる。集団が解散してもその残党があちこちで深夜までタイコを叩いている。完全にサルヴァドールに感化された日本人のタイコ屋がぼくらの部屋に来て叩く、その音を聞いて他のやつが叩きに来る。全くここは一体どうなっているんだ!? いつのまにかぼくもタイコを買ってミュージシャンでもあるアパートの大家に頼んでレッスンをつけてもらうことになっている。

大家のパウロ(パウロアシェー)は黒髪の美しい名古屋女性と結婚してペロリーニョで土産物屋をしている。そことは別に借りている一間を彼のスタジオとして使っていた。そこを利用してぼくと相棒のコースケにタイコを教えてくれるというのだ。ぼくはコンガというタイコが好きだったけれどそれは大きなタイコが二つ一組で値段も張るのでとてもできそうになかった。
初心者ということもあって土産物のちゃちいタイコを買って持参した。
コースケはボンゴという小さな二連タイコを選んだ。彼はセンスがよくてすぐに上手くなったけどぼくはなかなか苦戦した。とくに始めのうちは手のひらが赤く腫れて痛くなるので上手いこといかない。それでもよい音を出したくて日夜叩き続けていると少しずつよい音が出てくる。パウロのように破裂するような音には程遠いけれどなんとか自分を納得させられるレベルまでにはなれた。そしていくつものリズムを教わった。サルバドールのリズム、レゲーのリズムなど覚えきれないのでテープに録音してもらったりもした。

パウロは日本で活動した時期にあの有名バンド 『THE BOOM』の宮沢と知り合った。そしてその時ちょうどブラジルに音探しに来ていたその『ミヤーン』と連絡をとりパウロを訪問することになったと聞いたのでとても驚いた。しかも「ミヤザワ クル アナタタチモ クルネ!」なんてはしゃいでいる。楽器だらけの六畳間ほどの小さな教室にミヤーンが現れた時にはパウロがあらかじめ呼んでいた日本人たちが10人ほどもいたのでかなり狭かったけれど、ミヤーンに注文を受けて用意していたスルドという大太鼓を彼に見せるとブラジル人らしくすぐに即興のセッションが始ったのでぼくたちはすごく興奮した。パウロの日本人のカミサンもブラジル人以上にセクシーなサンビスタ(サンバダンサー)の腰つきを披露した。
彼女がそのスルドに自らデザインした絵を描いて日本の宮沢宛てに送るのだそうだ。宮沢個人で使うのか、それともTHE BOOMで使うのかは定かではないけど。

ペロリーニョの中にあるアパートに住んでいたぼく達がタイコを叩くのはなんの抵抗もなかった。なんせ一日のうち20時間は賑やかな場所で、美観地区であり、商業地区でもあるころろなので近くに住人らしい人がいないのだ。そんなわけで閑さえあればタイコを叩いていた。タイコの練習をするのに世界でこれ以上都合のよい場所もないだろうと思う。ここにはブラジルのトップクラスのパーカッショニスタがウジャウジャいる。その辺を歩いてるおっさんだって侮れないタイコ叩きだったりするのだ。

レコード収集に血道をあげるようにならなければもっと続けたかったのだけど今回もその深い世界の一片をカジルだけで精いっぱいだった。
でもこの経験は確実にぼくのなかに『リズム感』というものを作り上げた。
音楽の聞き方が真摯になり、そして音に対する厳しさが備わった。それは今レコード収集にも役立っている。

メモ
7 Real / Hour (約 400円)Maestro:Paulo−Axe



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