放浪中に習い事@▼INDEX 1ヴァンクーヴァー (カナダ) English Conversation(英会話) イスラ ムヘーレス (メキシコ) Scuba Diving(スキューバ ダイビング) アンティグア グアテマラ (グアテマラ) Conversacion de Espanol(スペイン語会話) アンティグア グアテマラ (グアテマラ) Baile de Salsa(サルサダンス) ペレイラ (コロンビア) Baile de Salsa(サルサダンス2回目) ペレイラ (コロンビア) Violin(ヴァイオリン) キト (エクアドル) Espanol(スペイン語2回目) サルヴァドール (ブラジル) Percucao(パーカッション) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ▲INDEX ・・・・・・ 【放浪中に習い事A】→ English Conversation(英会話) ヴァンクーヴァー (カナダ) 感想 アメリカ、サンフランシスコのユースホステルで一人英語の勉強を始めた。LAからSFまでグレイハウンドバスに乗ってこれたのだから英語が話せなくても旅行できそうだとは思ったけれどデカイ人、黒い人、金髪で青い目の人、あらゆる人種、あらゆる文化を持つ人たちと楽しく話しながら旅ができたら良いなあという思いがぼくに中学英語の復習をする気にさせた。たまに会う日本人ともあまりつるまないようにしてなるべく外国人と英語で話すようにした。 旅を始めていきなり40日間も同じ場所に留まってしまった。 そしてまた旅がしたくなった。 再び西海岸を北上した。ポートランドではバスの中でオレゴン州の存在を忘れて『いつシアトルに着くんだ?』と訊ねるぼくに『シアトルはワシントン州よ』と教えてくれた婦人としばらく楽しい会話ができたし、そのときにはシアトルのことをアメリカではスィアロと発音することも知っていた。 そのスィアロでは地元マリナーズがヤンキースと行うゲームのチケットを当日ゲットするのにそれなりの英会話力(と演技力)が必要だったけれどチケット売り場のお姉さんに気に入られてシートをゲットできた。チーズたっぷりのナチョとビールを飲み、七回に 『Take me out to the ballgame』を歌い、そしてあの ケン グリフィー Jrがホームランを打つのも観ることができた。 その後国境を越えカナダ西岸の美しい都市、ヴァンクーヴァーについた。 夏のヴァンクーヴァーは最高だ。東京の春のような気候、整然とした街は程よい大きさで海に囲まれた半島状になっている。その先端のかなり広い面積が全てスタンレー公園として市民の憩いの場となっていてジョギング、サイクリングそしてローラーブレードのメッカだ。 チャイナタウン近くの安くて汚いホステルからグランビルブリッジ近くのバックパッカーズホステルに移り、中古のローラーブレードも買って一ヶ月間スタンレーパークに通って遊んだ。 英語の勉強はその時も続けていた。中学英語の復習は済んだけれどそこで限界を感じていた。ヴォキャブラリーは徐々に増えていくけれど会話の聞き取りができないからいつまでたってもネイティヴスピーカーのような言い回しができない。 アメリカ映画がせめて三分の二くらいは理解できるようになりたい、と思っていた。 ユースホステルで働いている二人の可愛いフランス人がすごく愛想が良いのに後から来たアメリカ人の小僧たちに取られた。くそっ、鬱々として来る。 ホステルのすぐ近くの小さな本屋でGEOSの張り紙を見た。まさかとは思ったけど、どうも日本にある英会話学校『ジオス』のヴァンクーヴァー校らしい。 住所を見るとこれまたそのすぐ近くだ。 ちょっと見てみるか? 二十階程度のオフィスビルの上の方にあるそこを訪れると女性の日本人スタッフがいて高層階の窓側に集中した明るく見晴らしの良い教室を見せてくれた。料金を含むシステムの話をつめていると授業の終わった教室から若い男女がキャーと騒ぎながら出てきた。 ジオススタッフのアキコに聞くとコロンビアという国から来ている子供たちらしい。女の子達がやけに可愛いと感じた。 だからすぐホームステイ込みの4週間の受講申し込みにサインした。 申し込みをしてから一度アメリカへ戻り、今度はアムトラック(全米を網羅する鉄道網)の15日間有効パスを買ってシカゴ、ナイアガラ、ニューヨーク、ワシントンDCなどを見て周り一度帰国して再度格安航空券を買ってヴァンクーヴァーに戻ってきた。 入学初日は申し込みのときにおこなったペーパーテストの結果が実力以上に良かったようで、編入させられたクラスについていけなくて翌日からワンランク下のクラスに移してもらうことになった。それにしてもグループレッスンの八人ほどが全員日本人だったことには驚いた。 よそのクラスを見てもほとんどが日本人で、あとは以前見たコロンビア人だけのクラスがあるだけだった。 授業のあと学校まで迎えに来てくれたホストファーザーのキムの車で彼の郊外の家まで送ってもらった。その途中でホストマザーのタニャを彼女の働く病院に迎えにより、それから彼らの可愛い息子と娘をひろいにその小学校へ行った。 小奇麗な家の立ち並ぶ閑静な住宅地のなかにある彼らの家はこれぞカナダの家!というべき理想的なもので一階はダイニングキッチンとリビングだけで、二階に家族の部屋がある。ぼくの部屋は半地下で天井が低くて少し暗いけど小さな窓があるのでそんなに陰気には感じなかった。 なんといってもホストファミリーは日本人の受け入れに慣れているらしくいかにもカナディアンといった穏健な印象の人たちなのでぼくはこの環境で自分の英語に磨きをかけようと決心したのだった。 最初の数日間は日本人の女の子がステイメイトとして住んでいたけれど、彼女は違う英会話学校に通っていて、あまり話すことはできなかった。たまに話しても彼女は一切日本語を口にせず、たどたどしくても必ず英語を使った。でも彼女の発音からきっとすごい東北なまりがあることは想像できた。なまりが恥ずかしくて日本語を使わなかったのか、それとも英語を身につけるためかはわからないけど彼女はきっとぼくよりずっと早く英語をモノにすると思った。 ホームステイの契約では月曜から金曜までのブレックファースト、ランチそしてディナーを用意することになっていた。ディナーは毎日家族と一緒に食べたけど朝は一人でコーンフレークと果物を手早く取って出かけた。夏でもヴァンクーヴァーの朝は少し肌寒いのでお腹の弱いぼくは朝のコーンフレークは本当のところ避けたかったのだけど日本人的な遠慮がちな気持ちがでてそれを伝えなかった。ランチはたいがい主人のキムが早く起きてサンドウィッチを作っておいてくれた。食器洗いや洗濯はオートマチックなので問題はなかった。シャワーも使えたし、バスタブも良く利用した。 週末は家族とBBQしたり、キムが将来家を建てたいという遠方のビーチまで連れていってくれたりもした。 スクール内では日本語禁止と言われていたけど実際はレベルの低い日本人ばかりのクラスでそれを実現するのはなかなか難しい。 授業内容は文法ばかりで、ぼくは四週間しか受講しなかったから形容詞、副詞の種類と使い方しかやらなかった。今思うとそれはそれで身についていて役には立っている。 いつも日本人同士でかたまって授業の合間の10分休憩でビルの外までタバコを吸いにでている光景は客観的にみると異様だ。 授業のあとは居酒屋でキムチ納豆なんかをツマミに酎ハイを飲んだりしていたからほとんど日本にいるのと変わらなかった。 クラスメイトの女の子二人に誘われてヴァンクーヴァー島へ遊びに行ったりもした。 とにかく英会話学校に入るまで日本語なんてほとんど使わなかったのに通学するようになってからはよく日本語を話した。日本をでて三ヶ月、きっと日本人と日本語が恋しかったんだろう。 他の日本人は皆ぼくよりもずっと長く契約していて、本格的な語学留学なのにやはり日本語からは離れられないといった感じだ。 年齢層の若いその学校でぼくは飛びぬけて歳が上だったけれど、一人ぼくと同じジェネレーションの女性がいた。彼女も旅行好きでそのときもぼくと同じ旅行中のお遊び的に英会話学校へ来ていたので話もあった。 (忘れていたけどもうひとりぼくらよりさらに一回り歳上の女性もいた。) 学校は週に何度かエクスカージョンを設けて希望者を市内のTV局やスケートリンクに連れていってくれたりもした。費用は自腹だったけど、たいがいそれほどお金を使うこともなくてそのわり結構楽しかった。 教師は勿論皆ネイティヴカナディアンだったのだけれど、ぼくらを受け持った数人のなかにたまに少し日本語を使う女性がいて、おかしいなと思っていたら彼女は日本人男性と結婚して日本で二人の子供を生み育てたということがだんだんわかってきた。 彼女の家はぼくのホームステイ先の目と鼻の先だということがわかってお互いにびっくりした。 彼女は彼女の兄夫婦の家の二階を間借りして家族四人で住んでいてぼくを招待してくれた。日本の小さなアパート暮らしのようでかわいそうだったけど、いつかもっとひろいところへ引っ越すわと言っていた。 とにかく日本人ばかりと遊んだ記憶がほとんどで、もしかしてぼくは日本語の勉強にいったのではないだろうか?と思ってしまうほどだ。でもぼくの目的はこの旅の楽しい一ページをつくることだったのでその意味ではとても良い思い出が作れた。 後から聞いた話で、その学校の近くの日本人会館のような場所でカナディアンの老人などがボランティアで日本人にマンツーマン会話の相手をしてくれるという。それはそれでまた面白そうだと思う。 メモ GEOS Vancouver 4weeks/1.500 Ca$(Include home-staying with 3meals a day) |
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Scuba Diving (スキューバ ダイビング) イスラ ムヘーレス (メキシコ) 感想 メキシコの内陸高地の平野にある古都オハカという街で初めて日本人旅行者に会った。 パレンケ、メリダと一緒に移動してきたら一人また一人と出会い自然に結合した。 カンクンで日本人宿に部屋を取り、ぼくはイスラ ムヘーレスという島へ出かけた。 50人ほど乗れるボートで45分ほど美しいカンクンの青い海の上を行くとその 『女の島』という名の島に着く。桟橋から歩いてその小さな町の中を横切って徒歩5分ほど ビーチへ向かった。町中にはマリンスポーツショップが多く、スキューバやシュノーケリング の宣伝用の写真が店の外に張り出してある。旅行者向けの欧米っぽいレストランからは アメリカンロックが流れている。現地人向け(=貧乏パッカー向け)の食堂などもチェック しながらビーサンを焼けたアスファルトに引きずる。ビーチに着いたがさほど奇麗とは思えず そこに戯れるのは地元メキシコ人のとくに子供ばかり。 泳ぐのはやめた。 レンタルバギーを借りたかったけどけっこう高い。 ダイビングショップに入って英語でスキューバライセンスについてきいてみる。 あくまで冷やかしのつもりだった。せっかく船に乗ってなにか面白いものを見つけに来たのに 手ぶらでかえるわけにはいかんなあ、と思っていた。 そのショップにいる二人のガタイの良いメキシカンはあまりセールストークに熱心には見えない。そのことはだまっていても日本人とわかると群がってくるメキシコ流のセールスとは違って 新鮮に思えた。海の男という風情だ。ダイビングライセンスは金で買えるお気楽なもので、 いつか安いところで取得しようと思っていた。料金や日程をきくと3,000ペソ(US300$) 、4日間の講習と実技で取れるという。 (閑だしなあ。海の中は奇麗みたいだし、やるか!) 決めた。このメキシコでライセンスを取り、そしてこれから世界中の海という海を潜ってやる! と、ろくに泳げもしないのにイキんでいた。 近くのダイビングショップできいても(所詮どんぐりの背比べであったが)そこほど安くはなかった。ホテルもチェックした。わりと小奇麗なダブルの部屋が見つかった。もちろんそれほど高くない部屋だ。 一度カンクンに帰り仲間たちに話した。皆ノーライセンスであり且つ興味を持ったようだ。 次の日皆で日本人宿を引き払い、ボートに乗って引っ越した。 そしてあらためてそのダイビングショップへ行き詳しい説明のあと契約書にサインした。 すぐにダイビング器材の説明がありそれらを三輪バギーで牽引する車に乗せて桟橋近くのビーチへ行き浅瀬で呼吸する方法などを学んだ。 早く潜りたい気持ちに水をかけるように渡された分厚い教本は日本人向けに日本語で書かれていたけど窒素のパーセントがどうの水圧がどうのといった理科の教科書みたいでぼくの頭はウキウキダイビングから一転して早くも潜水病の様相を呈してきた。 一夜漬けで勉強して翌日テストがある。東大生の若者は早々合格して早く海に行きたーいといった様子だ。二人目もすぐに抜け出す。ぼくと二人残った男は元報道カメラマンであったがスペイン語はおろか英語もさほどわからないような奴だったけど気が付くと合格していた。 ぼくがテストが好きだったのは小学校まででその後は嬉しい思いをしたことがない。 4、5回再テスト、採点を繰り返してようやく合格した時は皆待ちくたびれてしまった様だったけどぼくだけは早く海に行きたーいと試験疲れも見せずにはしゃいでいた。でも実際は海に潜るという楽しい反面すごく危険な行為の為に必要とされる正確な知識や自分のみならず他人の命までも危険になるということの重大さを知って少しビビッテいた。 実地の二回目はボートに乗ってかなり沖までやってきた。どこでも良いというわけではなくてそれなりに初心者に感動を与える美しい海でということだろう。 ボートの縁から後ろ向きにダイブする夢を実現し海面で立ち泳ぎしながらドキドキ、ワクワク、ダイブマスターの指示を待つ。全員がそろうとブイから海底へと斜めに伸びるロープに捕まり ズッシリと腰に巻き付けたウェートの重さで徐々に沈む程度にライフジャケットの空気を抜く。 沈降が早すぎると思ったらジャケットの胸のあたりのロープを引けばまたボンベから空気が送られて膨らみ浮上する。微妙な調節をしながら徐々に光が遠い海底へと近づいてゆく感覚が楽しい。十数メートル潜ると白い砂の海底に足が着いた。月面着陸の気分だ。 小さな熱帯魚が群れをなしているのも見える。たぶん皆もぼくと同じようにこの感動を口に出してみたいに違いないけどそれができない。目でコンタクトすると結構真剣な眼差しだ。ぼくも冷静になる。陸でミーティングしたとおりマスターの合図でマスクにわざと海水を入れてそれを空気で排出するという実習が始った。ペーパーテストは苦手なぼくだけど実技は自信があった。 元カメラマンがなかなか上手くできないのをぼくはすんなり(Bueno!)のサインをもらって応援していた。楽しい!と思った。 水平に泳ぐ練習などしながらポイントも変えて今度は気味の悪いオブジェが沈む場所へ来て水中写真を撮ったりもした。 天候が悪くて実技の日数が短縮された。そんなことで良いのか?と思いつつもこれで念願のライセンスが取得できたという思いが強くて皆納得した。 後日現像、プリントされたそれはフィルムが悪かったのかピンぼけの暗い写真で雑誌に載ってる海中写真みたいなのを想像していたぼくらをがっかりさせたものの良い思い出の品として大切にとってある。その後ベリーズで潜ったもののどうも寒がりのぼくは海中が苦手だということに気が付き、今後はよほど暖かい海じゃないと潜りたくないなあと最近は思っている。旅行中はずーとテンポラリーカードを持っていたけど日本に帰国したら本カードがPADI本部から送られてきていた。イルカの写真のそのカードを眺めているとあのメキシコの初ダイビングをしたバディーたちと頼り甲斐のあるマスターを思い出す。そしてまた世界のどこかで潜りたいと! メモ PADI OPEN WATER 4days US300$ include all equipments Isla Mujeres Mexico ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ▲INDEX Conversacion de Espanol(スペイン語会話) アンティグア グアテマラ (グアテマラ) 感想 グアテマラの首都 Ciudad de Guatemala (シウダ デ グアテマラ、なぜか英語風にグアテマラシティとも呼ばれる)からバスで小一時間、山間のドライブを楽しんでいるとアメリカのスクールバスを改造したそれは道々バスを待つ人々を乗せ満員状態でやがて石畳の路の両脇にパステルカラーに彩られた家々がならぶ小さな街に入ってゆく。そこが古い時代の首都、その名も Antigua Guatemala (アンティグア グアテマラ:『古いグアテマラ』の意)だ。 ぼくにとって初めてのスペイン語圏であるメキシコではアメリカで買った翻訳機で独学しながら旅行してきた。そのあと英語圏のベリーズに行き勉強もバカンスに入り、再びスペイン語圏であるこのグアテマラにやってきた。アンティグアの噂は旅の途中に聞いていた。スペイン語学校のメッカと呼ばれるほど多くの学校がシノギをけずっているという。 メルカド(市場)裏の雨期にぬかるんでデコボコのままにされたバスターミナルには何十台もの同じ形(以前アメリカのスクールバスとして利用されていたボンネットバス)をしたバス、しかしそれぞれオリジナルにペイントされフロントガラスにも派手な装飾を施されたそれらがずらりと並んでいた。一台分開いた隙間にぼくの乗るバスがお尻を押し込むとバスの屋根に積まれたぼくの大きな鞄がそこに登った運転手の相方(料金集めなど担当)によっておろされるのを待つ。 その鞄をマイアミ以来活躍するキャリアにくくりつけて地図を確認すると街の中心部に向かった。土のターミナルをでても石畳の路でキャリアの小さな車輪はガタゴトと音を立てた。 いかにも怪しそうな金のネックレスをしたグアテマラ人が近寄ってきて『ホテルか?』とぼくに聞く。ホテルならガイドブックに乗ってるから結構と言うと、アンティグアに何しに来た?スペイン語だろ?学校なら紹介するぞとしつこい。学校なら自分で見つけるし、君に払う金はないよとハッキリ言うと『金は紹介した学校からもらえるから気にするな、ついて来い。』というのでターミナルからわずか数分の学校へ案内してもらった。 玄関からすぐ二階へと小さな螺旋階段を上がるともう廊下に置かれた机にグアテマラ人と欧米人らしき女性が向かい合ってレッスンの途中だったが二人とも上がってきたぼく達に 「Hola! Como esta?」(こんにちは、ご機嫌いかが?)と挨拶してくれる。 ぼくを案内してきた男は我が庭のようにどんどん廊下を歩いて同じように廊下や小さな教室の中でマンツーマンの授業をする人たちに挨拶しながら校長室らしき部屋へぼくを招き入れた。 完全にポン引きのペースに乗せられてしまっていたけど雰囲気的に安心できそうな男だということがわかってきた。忙しそうに電話に応対しているひげ面の校長もどこかマヌケじみていて憎めない。やがて電話も終わりHola!と挨拶しあってからぼくはスペイン語と英語を混ぜながら勉強したい意思と、学校側のしめす内容、料金などの質問など一通りすませると他の学校を見もせずにその場で契約した。 月曜日から金曜日まで毎日4時間。ホームステイは土日以外三食付きで4週間 400US$。 悪くない。ホームステイ先は気に入らなかったら変えてくれるという。 その日は学校の隣のツーカンという美しくて可愛い鳥を飼っているホテルでぐっすり眠り、翌日すぐ近くにあるホームステイ先に行って部屋を見せてもらった。小さいけれど清潔でシャワー室もすぐ隣だし勉強する環境としては文句無しだ。学校と同じように屋上があって山に囲まれた美しいアンティグアの町並みが一望できる。 これ以上を望むべくもない好環境にぼくのやる気がむくむくと起き上がってきた。 レストランも経営するぼくのホームステイ先のホスト、オスカルはスペイン系白人で二人のインディヘナ(原住民族)系の女性を家政婦に雇っている。ぼくたちの食事は彼女たちが作ってくれる。グアテマラに来て以来街の安いレストランで食べる食事に慣れていたこともあるけどその食事はすごくきれいで豪勢でそして美味しい。朝はヨーロッパ人に合わせたコンチネンタルブレックファーストだけど果物がいっぱいでる。さすがにフルーツが安くて豊富な国だけある。 ホームステイメイトのスイス人マルコは長身の好青年でぼくとは違う学校でスペイン語を勉強中だ。もう一人細身のドイツ人は少し陰気な中年で一日中部屋でコンピューターをいじっている。 かれらとは食事の度に顔を合わせる。 二週間ほどするとアメリカ人のカップルも入ってきた。彼ら相手でははじめのうちこそ英語で話すことが多かったけれど日に日にスペイン語が上達してきてホストのオスカルも交えてスペイン語で話すことが多くなってくる。とはいっても本当に言いたいことなどは到底言えないわけで、そのうちにある問題が起こった。 ある晩いつものように夕食後の団欒も終わり、ぼくはシャワーを浴びてから部屋で勉強していた。そして寝る頃になってぼくの部屋のすぐまえにある洗面台で誰かが蛇口をまわした。ひねっても水が出ないのにあきらめずにそれ以上回そうとしているのがわかる。酔っているようですぐに鼻息があらくなってきたが、いつまでもあきらめずにふんばっているようだ。そのうち水がダーと流れ出したのでぼくは(断水じゃなかったのか?)と思って安心すると何時の間にか眠ってしまったようだった。 ところが朝になって目が覚めるとまだ水が流れていて、寝る前と同じようにだれかがあえぎながら蛇口と格闘しているようだ。部屋を出るとホストのオスカルがもげた蛇口の元を一生懸命ペンチで回して閉めようとしていた。そしてかれはぼくに『シンゴ、蛇口は無理に回しちゃ駄目だよ。』と言ったのだった。寝耳に水とはこのことか!とばかりに『!Yo no hizo nada!』(おれは何もやってねーよ!)と言い、昨夜聞いた音の事など知っているかぎりのことを知っている限りのスペイン語でまくしたてたけれど『君だけに言ってるんじゃないんだよ。皆に同じ事を言ってるんだ。』という。だけどぼくはすっかり気分が悪くなったのでその日のうちにホームステイ先を変えてもらうことにした。 次の家は家というよりも客の入らない安宿といった風情で、オスカルのところと比べると今いちぱっとしない家だったけれど丸々太ったドニャ(女主人)の人柄がよかったので同じように太った愛想のない娘やあまり美味くないそこのごはんや、暗い部屋にも我慢して決めた。ぱっとしないノルウェイ男とぱっとしないアメリカ人の壮年夫婦がやはりスペイン語留学のホームステイで一緒だったのでぼくまでぱっとしない Chino(チノ、中国人の意だけど日本人は皆こう呼ばれる)になってしまった。 ラファエルという新婚ホヤホヤで元気の良い男が最初のマエストロ(先生)だった。 文法も教えてくれるけれど基本的に例文が多くてすごく実践的だ。それに放っておいてもペラペラよく喋る典型的なラテンの男だったのでまず聴くことの必要だったぼくにはもってこいだった。スペイン語の文法と発音はすごく簡単で同じラテン語系言語のなかでもとくに日本人には学習しやすい。それまで独学してきた甲斐もあってもともと得意とは言えない英会話に比べても遜色のないレベルまで上がるのにさほど時間はかからなかった。 ラファエルに教わりたいという生徒が現れて彼はぼくに講師変更の承諾を求めてきた。 女子大生だというグラティスという女の子を紹介されて断るぼくでは当然なかった。 グラティスの教え方もすごく上手だったのだけどまるで恋人同士の気分でプライベートな話ばかりしていたせいかノートを取らなくなってしまった。だからどれくらい彼女に教わったのかわからないのだけど、外国人とコミュニケートするのに、そして特に女の子と仲良くなるのに実は正しい文法なんていらないんだという大きな事実を学習した。 その学校はすごく活気があって、それは放課後のエクスカージョンで生徒同士のコミュニケーションをはかっていたことが良い効果をあげていたように思う。生徒は欧米人も多くてつい英語で話していまいがちだけれどぼくはなるべく先導してくれる教師にくっついてスペイン語を使うようにした。 アンティグアには近場にエクスカージョンに適したスポットが沢山あって大してお金も使わないで楽しむことができる。楽器博物館、蝶の園、十字架の丘、民芸品織物の盛んな隣町、アーモンド園などなどあちこちへ出かけた。 ぼくの通っている頃から昼間はマンツーマン授業の場として使われている学校の屋上を利用して サルサダンスのレクチャーも行われるようになった。もちろんぼくは勇んでそれに参加した。始めのうちこそ足が言うことを聞いてくれなくてじたばたしていたけれどそのうちにダンス下手な欧米人に秀でるようになった。『!Shingo esta ben!』(シンゴ、上手いよ!)なんて皆のまえで誉められるとついその気になって学校のあともスペイン語そっちのけでサルサステップの練習に励む毎日になった。 楽しむことが大事、というラテン気質が知らないうちに身についていた。学校は4週間の契約が切れると再契約はしなかった。その時点で知っているスペイン語と、サルサのステップだけでアンティグアを遊ぼうという気になっていた。それでいいんだということを教わったんだ。 メモ 400US$ / 4 weeks(5days Mon to Fri Include Homestay 3 meals a day) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ▲INDEX Baile de Salsa(サルサダンス) アンティグア グアテマラ (グアテマラ) 感想 スペイン語学校でサルサの洗礼を受けたぼくは「スジが良い」とおだてられたのを真に受けてそのままサルソテカ(サルサバー)へ行っては日本人の女の子を誘っていた。今から思えばなんともへんてこりんな踊りを踊って(教えてあげるよ)くらいのイキオイだったのだから顔から火が出る思いだ。 ぼくのいる安宿に遊びに来ていたリエとヒデそして他にも数人の日本人の間でサルサ熱が蔓延しはじめた。リエとヒデはアレックスというグアテマラ人の教室に通いだしてコンビを組んで練習している。ぼくはぼくのいつものパターンどおりにスタートで遅れをとった。リエはジャズダンスをやっていたので本当にスジが良くてメキメキと上手くなっていく。ヒデは不格好ながら一日中そのことばかり考えているというほどに熱中したので一応形だけはほぼ完璧に覚えていった。 ぼくはぼくたちのマドンナであるリエと踊りたいと思っていたけどぼくたちの実力差は広がる一方だった。そして遅れ馳せながらぼくもアレックスの門を叩くことにした。日本人女性エミを助手になんと現役の高校生ながらそのダンス教室を運営するアレックスはとても16歳には見えない貫禄を持っていた。そしてその教え方は日本人に適した懇切丁寧なもので、ぼくのように飲み込みの悪い人間にはとてもありがたい存在だ。 基本的にレッスンはクラス制で同じ日に入学したら毎日同じ時間に一緒にレッスンを受けることになる。男女同数ならコンビを組んでレッスンを受けられるし、プライベートでもパートナーになりうるのだけどなかなか中米に来る女の子は貴重で足りない時は助手のエミが相手をしてくれる。それでも足りない時はアレックスが女役をやるんだけど、さすがダンスのマエストロというのは異性の型もしっかりこなすことができるので安心だ。 高い天井をもつその鏡張りのフロアは夕方の涼しい時間であっても汗の止まらぬ特訓場となる。 ぼくはリエたち先輩格のレッスンを見学したりして彼らに追いつこうとしたけどとても追いつけるものではなかった。 レッスンが終わり夕ご飯を済ませてしばらくすると「アフロ行こうか!」となる。『エル アフロ』とはアンティグアのセントロにある唯一のサルソテカでその狭いダンスフロアはいつもギュウギュウ詰めの人気店だ。ぼくはサルサを習う以前よくそこで踊っていたのにサルサがどういう踊りかがアレックスに習わるようになってからだんだんわかってくるようになるとすっかり足がすくんで踊れなくなってしまった。 そしていくつも習ったプエルタ(相方操縦法)がスムースに繋がらないことにコンプレックスさえ持つようになってしまった。どうやら頭でっかちになっているようだ。 フロアで踊れない同士店の外の路上で踊るのも悪くなかったけどどうも惨めな気持ちだった。 フロアではアレックスのお兄さんであるワルテルが天才的妙技の連続を披露している。ヒデもいつの間にかドレスアップして女の子をとっかえひっかえしながら踊っている。 ちっとも楽しくない。でも止められない。アレックスがニューヨークへ旅行に出かけた折りに他のマエストロにも少し教わった。アレックスとは全く違ってとにかく体で覚えろ式の教え方でそれはそれで為になったけどどうも自分には才能がないということがはっきりとわかってしまった。それがわかるとぼくは酒を飲んでまるっきり初心者だったあの頃の楽しさが味わいたくなった。『エル アフロ』じゃなくて『ラ カノア』というディスコへ行ってキューバリブレ(ラム&コーク)を数杯飲ると女子大生相手に目茶苦茶に踊った。そして彼女とキスした。頭がぐるぐる回っていたけど久しぶりに楽しかった。 しかしそのシーンをマドンナのリエに見られてぼくは破滅した。 もうどうにでもなれと思った。 数日後、リエと同じベッドに寝そべり天井を仰ぎながら(ベッドの上でも上手く踊れないなあ)と嘆いていた。 メモ Latin Dance School "Ritmo Latino" Maestro: 36 Quetzales / hour (約 500円) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ▲INDEX |