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・日付にアンカー入れましたよ。まるで日記サイトみたいだ。 <まるで?
・単語の選択をちょこっと変えました。どこが変わったか調べてみよう!(調べるな)
・つうかオレ単語(用語)の使い方(置き方)知らな過ぎ。
・日記は基本的に自分ルール定式化の為の思考の断片です。
・常に例外を認める為主張に一貫性がありません。
・一貫性がないのはヒトにすぐ影響されるからだろ!
・喧嘩腰なのはその方が書いてて楽しいからです。(実際の僕は極めて温厚ヨ)
・日記なんて書き捨て&読み捨てさ。
・名前を平気で間違います。そのときは本気で書いてないと思って間違いないです。
・最近、批評タームを使いたくて仕方ありません。
《空間》《場》《宙吊り》《差異》《同一性》《なまなましい》《ちなまぐさい》
 
 
2/11(勿論後日ちょびちょびと書き足してます)
■なんだか熱いどれみファンほど♯の最終2話の評判悪いみたいですね。僕はどれみの日常小学校コメディの部分だけを誉めちぎって魔女界話をいらないとか抜かす連中ってのが大っ嫌いです。道徳的な「良い子」を否定するものわかりのよい(ポーズを気取った)大人が勝手に子供に押し付ける「子供らしい子供」像なんてゴミ箱に捨てちゃえ! どれみ達を間抜けなノスタル爺どもの自己愛型ヒューマニズムの空間に縛り付けるんじゃない! 最終回、あのときどれみ達は確かに魔女だった! ママだった! それのどこがいけないのかな。

■まあこういうのは『AIR』にも言えることではありますな。DREAM編のお米券シナリオとか。あれは基本的に『ONE』のセルフリミックスと言ってしまって差し支えないんだけど(ちなみに言うまでもないが、ぽてとシナリオが『Kanon』のリミックス)、これがちっとも面白くない。まあAIR編を機能させる為に、DREAMは、明らかに面白くならないように書かれてるから、仕方ないとも言えるんだけど、お米券シナリオへの不満はそういうことに留まらない。見通しの良くなるよう整理されてしまった、理詰めの『ONE』がいかに魅力を失うか。『ONE』と『ドンキホーテ』を並列に扱われるのは納得できるとしても、ラテンアメリカマルケスと言われて即座にマジック・リアリズム、というような類の理路整然とした胡散臭い態度を我慢できるか? ま、僕はラテンアメリカ文学なんて読んでないけどさ。当然その手に関する「教科書」も。教科書見ても書いてないけど、でもね、もしかしてホントにできちゃうかもしれないよ(おジャ魔女カーニバル!!)。

■『ONE』の良さってのはさあ、子供の口約束程度で今の生活があっけなく壊れちゃうっていうような「因果」と、幼児期のトラウマなんつう今時犬も食わないようなシロモノがきっかけでえいえんが現れるっていうような「因果」がどうしても噛み合わくて、読んでてどうにも困ってしまって、色々考えるところにもあったと思うんだけど。それで作劇上トラウマ暴露と謎解きは完全に同種な「手続き」になる傾向にあると気づいたり。狙ってたのかどうかは知らんけど。

■麻枝准はまともに話作ろうと思うと『MOON.』とか『AIR』になっちゃうんだから、折戸伸次と組んで音と画と詞の道に進んでほしいと切に願うのですが。あの抜群のイメージの瞬発力はそっち方面で活きる才能じゃないかと。もしくは『MOON.』ラス前の人がひっくり返るみたいな感じ(『MOON.』ってつまらないから全然覚えてないんだけど、あれとクリア後のショートは別。マジで凄いと思った)で短編書くとか。Keyなんか涼元に任せてさ。そういえば僕が『AIR』で最高に心動かされたのは、あのイメージショットだったな。ロゴにも使われてるアレ。結局発売前にアレを見たときの感動を本編は超えられなかった。ワンピースと海と空、鮮烈な夏、白と青。繋いだ手。その先は見せず。『AIR』に払った金の8割はここに充てられる。残りの2割はゲームデザインに。今回、音楽とシナリオには金払う気になれないや。え? いたる絵? あー、消費税。 <外税

■確かに典型一本道型シナリオではあるけど、これが「ゲーム」的でないとか言われると、文句のひとつも言いたくなるのが、僕の捻くれ者たる所以です。『AIR』は、「住人が終に観鈴を手に入れられなかった物語」とも言えるんだけど、AIR編でそれが明らかになった瞬間の、どうしようもない無力感と後悔と自責が、プレイヤーを観鈴への凝視へと駆り立てる。物語的には「気付いたときはいつだって手遅れ」みたいなのは、もうみんな、さんざん見てきたわけだけど、『AIR』がこれをゲームレベルで体現してる点は、もう少し注目されてもよいと思う。通常のギャルゲーシステムを忠実に採用しているDREAMは、既に、「的確にフラグを立てれば女の子と間違いなくごろにゃん」という、これまでの経験の蓄積が前提となっているわけで、これが裏切られAIR編と繋がり生み出される無力感は、言わば、ギャルゲーだからこそ獲得し得た感情だと言うべきで、それは、僕が思うに、極めて「ゲーム」的だ。やっぱギャルゲーという形式(がもたらす作用)を正確に理解してゲーム作ってるのは、現在、麻枝准だけだと思う(久弥に関しては新作拝むまで保留)。まあ僕は、女の子より男の子の感情の揺れにしか興味がないという、ギャルゲーマーとしては致命的な欠点を備えてるので、住人退場の時点で『AIR』というゲームはどうでもよいものになってしまうのだが。あとなによりアレだね。無力感とか不可能性とかは、それそのものは、はっきり言って何の魅力もない。人はいつか死ぬもんだし、ゲームなんぞプログラムミスれば簡単に死ぬ。総長も言ってたじゃん。「映画はいかにして死ぬか」(←M川君家で斜め読み)。無力でジタバタする人間の姿とかの方が。できることなら格闘してほしいけど(僕は絶対しないから)。まったく無力だとか、そんな当たり前のこと! ラストでおめおめと舞い戻る浩平のみっともなさを思い出せ! 僕的には夏エヴァと『ONE』のラストは完全に重なります。

■…でも、ああいう理性的なことやる人間が、なんで本編でベタな母子ものやるのか不思議なんですけど。そんなだから「愛されて育った子は強い」みたいな、退屈で湿っぽい言説の延長上に乗せられちゃうんだよ。こういうのは、どれみを「子供らしい子供」として見ちゃうのと、完全に重なると思うんですよ。どれみ達を分かりやすい教科書的認識の下に置かれるのには耐えられない。どっかで聞いたような、ウソだかホントだか分からないけど、なんか真実っぽく認識されてるものが嫌いなんです。トラウマ? 心の欠落? 程度の差こそあれ、ンなもんみんなひとつやふたつ抱えてるわ。自分がうまくいかない(と思い込んでる)ものについて、他の人はごく普通に備えてて、自分には欠けてるとか思って、必要以上にありがたがるのは、バカのすることだと思います。最近のカレカノのバカっぷりを誰か止めてやってください。かたつむりの藤川はその点ちゃんと知性的だね。ま、正確には、そういうフィクションの前提となってる基本認識をそのまま信じちゃうのがバカなんだけど。トラウマ持ちが常人に焦がれるって図式はもう止めにしましょうや。そしてそういうフィクション的な概念を内面化するのはホントもういい加減終わりにしましょう。トラウマ持ってたって、トラウマ持ちの自分を対象化するくらいのことはみんなできるんだから。「愛されて育った『普通』の子供らしい子供」とやらを美化してる人見るとウンザリします。「普通」から何か引き算した形で、「普通」を尊んでどーするんでしょ。既にそんなもん「普通」じゃねえっての。何の懐疑もなく「それがあれば幸せ」と盲信しているもの――大概は愛情とか触れ合いだとか――を、予め引いておいた形で尊重するのは、やっぱどう考えてもバカのすることだよな。

■ちなみに僕はリヴァを閉鎖空間に長期間置かれるという「極限情況で次第に人間の本性が云々」って見るのも嫌いです。あれはそんな大層なもんじゃなくて、連中のどうしようもないくらいのバカさ加減が、バカをするしかなかったものとして、きちんと描かれてたのが良いのです。救出があのタイミングで入るのは文字通り「物語の破綻」であって、それは狙ったものでしょう。救出という本来祝福されるべきドラマが、イクミにとって忌むべき事象となってた辺りは結構胸に来るものがあったと思うんだけどね。決してあざといだけのバカアニメではないよ。ま、小説版の酷さを考えれば、黒田洋介バカだと思うのは仕方ないけど。サミーも見てられなかったもんなあ(殺意を覚えるアニメなんてそうはない。こともないな)。あとリヴァと言えばヴァイタル・ガーターの問答無用のカッコ良さ! ふくらはぎ萌え! スラスター萌え! 実は僕VG萌えでリヴァ見てました。エヴァ後のロボットデザインでVGを越えるものは未だお目にかかってません。というかあれよりかっこいいロボは当分出て来ないだろ。

■同時期にやってた今僕とかも、「戦争の陰惨さ云々」とかは見るべきものじゃないと思うし、だいいちそんな見方しかしていないと、全編にわたって、画面を浸透するように充たしていた、深い「青」の美しさについて、思いを巡らす機会を失うことになる。まあ今僕は大して好きなわけでもないんだけど、やっぱあの「青」は印象深いものがある。シュウうぜえとか言うのもナンセンスだと思う。いつでも正直猪突なシュウには、確かにウンザリさせられたけど、空回りにも全くめげず、おそらくは正しかろうことをそれでも言い続けるシュウ君の姿は、滑稽を通り越して何か胸に迫るものがあった筈なのだ。

■エヴァもね。映画に幻滅したって人の気持ちがさっぱり分からなくてね。分かろうとも思わないけど。夏エヴァには、庵野の切迫感とか諦念とかみっともなさが、それ以外の何ものでもないものとして充満してたから、エヴァに関してはあれが正しかったと思うんだけど。夏エヴァって傑作だよなあ。僕に言わせりゃ、庵野より押井の方がよっぽど「バカ」だったりする。言ってることとやってることが一致してないのは押井だよ。ドラマに興味ない人間が、「虚構と現実」に引きずられた映画撮ってどうするんだか。そういや麻枝のエヴァ好きは相当なもんですよね。タイトルがAIRで、最後は海。少年と少女。となると「さようなら」に「現実に帰れ」を読み取るのも可能…ってのは穿ち過ぎの見方ですか? 前も言ったけど、SUMMERが学園エヴァね。ユーザーの皆さんこーゆーのが好きなんでしょう? 僕は確信してるんですけどね。ワリと。それで、そういうものを吐かなくてはならないところまで追い詰められてた作り手の脅迫観念が、画面を支配していたエヴァに対して、果たして『AIR』にそこまで説得力あるか? って問題。照れが入ってスカしちゃうくらいなら、そんなもん露とも匂わせるなっての。麻枝准ははっきりと言うべきだ。「鍵っ子うぜえ」。それをしたくないなら、も〜っと理性のレベルを上げなきゃ話にならん。「さようなら」程度じゃ臭みは消えない。

■こういうことをまとめて、ひとつのテキストにする力が僕にはないんで、レビューが書けないんです。日記形式なんて嫌いだ。反則だ。卑怯だ。書いてるけど。あーあ、まともな文章書けるようになりたいなあ。


  

2/12
■さて、今シリーズは一本として絶対に貶さないって心に誓った僕ですが。第2回目にしてはやくも! 脱力加減がもう! 困ったことに! 力技で過去話作るくらいだったら 無視した方がいいと思うんですけどねえ。新参者を1級合格の魔力+水晶玉破損なんていう特異な古株4人に無理矢理合わせなくても別に構わないのに。まあ物語上仕方ない手続きだとしても、せめてMAHO堂内では思い切ってカメラ引こうや。ナミダナミダをベタにやり過ぎるよなあ、岡佳宏は。客観性はおんぷだけでは保たれないって。それと婦人公論にでも載ってそうな(読んだことないけど)話の分かる親御さん描くのは止めれー。

■でも、ま、いっか。どれみだし(←マイ免罪符)。つうかおジャ魔女出てればもうなんでもいい身体になってるからなあ。つまらないと思ったら平気で自分に自分で嘘つくし。自分くらい騙せなくてファンサイトできるかっての! <いつからファンサイトになったんですか

■普段着からパティシェ服へのお着替えには納得いきません。見習服へのお着替えと同じ曲使うなら、動きも合わせるべきでしょう。頭叩いてからの空白が辛過ぎる。手袋ないせいなのは分かるけど、あそこは何がなんでももう一芝居入れなきゃ。スカートの舞い方(とくにあいこ!)とかおんぷのウィンクとか絶品な分あの空白は痛い。あと魔法バンク凝り過ぎ。まあお着替えバンクも凝り過ぎで作中浮くんだけど。それ考えると♯のバンクは理想的だったなあ。

■それにしても♯最終回と☆初回のギャップはまるで気にならないのに(20年もアニメ見てればね)、先週と今週の画面の差に消沈する(20年もアニメ見てるのに)僕って少数派ですかね。でもやっぱ馬越のすぐ後に青山はイカンて。


 
2/13
■もう! 本当に! ピロウズが! ピロウズが凄く良いです。荒野を目指す少年の音楽はいつどこでだって最高なんです。世界に真理なんてものがあるとしたら、それはたぶん男の子の「世界を変えてやる」って意志を宿したギターですね。僕が世界で信用してるのはギターの響きだけです。何か言ってるらしい歌詞が、気にいらないもの全てをねじ伏せるかのように掻き鳴らされるギターの暴力的な響きの中に呑み込まれて、声とメロディだけが剥き出しになった本物のうたが現れて、それで初めて僕は歌詞を聴き取ろうという気になる。ギターはペンより強いんだよ! 況や銃とか剣とかロボットをや! ハル子がギターを振り回すのは圧倒的に正しい。

■つうかオレ、ドライヴするギターさえあれば何でもいいんじゃねえのか?

■どうも涙腺が緩くて困ります。ピロウズの"Last Dinosaur"(フリクリの予告のときかかるやつ。激大名曲。ギターキッズのアンセム)聴いて涙あふれてるし。めちゃくちゃに頭振って涙流してんの。人には絶対見せられない姿。バンプとかだと立ち尽くして涙を堪える感じなんだけど。そういやエロゲで泣いたことはないけど、音楽だとワリとすぐ泣くな。しかもバースト系ギターロックで。ミッシェルもいちばん好きなのは"世界の終わり"だし。ナンバガも"Destruction Baby"がいちばん好きだし(この前のライヴで涙我慢してたは沖田さんには内緒)。僕の精神は基本的に男の子なんですよ。それが何故か行動には結び付かないんだけど。いや、簡単に行動に結び付くような奴はそもそもギターバンドなんて聴かないよな。あ、これってワリと真理じゃない?

■さて、エロゲで泣くのと、ギターロックで泣くのではどっちが恥ずかしいか? (答え:どっちも恥ずかしい。目糞鼻糞)

■あとピロウズは思いっ切りギターの音デカくなるよう調整してライヴ感覚で聴くのがミソです。たぶんレコードよりライヴの方が格段にいいバンドだと思う。


  
2/14
■ハッピーバースデーはづきっち。

■バレンタインデイキッス♪ っていう訳でもないですけど、こんな日はやっぱ可愛い女の子ポップスが聴きたくなりますよね。人工甘味料たっぷりの甘〜い甘〜い和製ポップス。間違ってもマイブラなんぞ聴いてドローンとトリップしちゃいけません。そんな感じで今日御紹介するは…。

一触即発 / 四人囃子
なにが甘い女の子ポップスだよ! 思いっきり情念系ロックじゃねえか! 74年発表のデビューアルバム。当時の世界最先端であった(んじゃないかと思う)プログレにはっぴいえんど的「日本語ロック」の節回しが載っている感じとでも言えば分かってもらえるか。抑制の利いた落ち着いた演奏が、白と黒で描かれた日本の情念的な世界を的確に拾っていく。つげ的な町の風景? そんな感じ。メロディは一部あんまり良くない意味で「日本的」なところがあったりするんだけど、詞と歌とのマッチングで然程気にならなくなってます。そして何よりこのバカテクが! それまでの抑制を捨て去り、壮絶なまでの楽器バトルロワイアルに突入していく盛り上がりパートは圧巻です。震える。それにしても日本人ってのはやっぱ新しいものを取り込んで消化し、日本人好みに作り替えるのに長けてますね。四人囃子聴いてると確かにそういう風に思いますよ。

■まさかプログレな音に凄みを感じる日が来るなんてなあ。プログレは鬼門でしかなかったのに。今ならフロイドやクリムゾンも聴けるかな。それとピロウズが気に入ったんで、その繋がりでニルヴァーナなんて聴いてたり。しかも悪くないなあとか思ったり。…この僕がグランジ! この僕がプログレ! 数年前の僕には全く考えられない状況ですね(僕の音楽的嗜好を把握してる人ならこれがどんなにオカシなことであるか御理解いただけると思う)。耳がある程度肥えると、偏見がもたらす特定ジャンルへの嫌悪が緩和されるということでしょうか。まあCD手に入れてまで聴きたいとは思わないんだけど。ちなみに僕が 今いちばん欲しいCDはモー娘。のベストだ。 <本気


 
2/15
ぶわーはっはっはっは、腹いてえ! コイツかっけえよ! 加奈を守る? すげえなあ、ここまで捻りなくストレートに来るとやっぱ笑うっちまうわ。いやあ、こんなに本気で笑うの久し振りだ。ホントに腹抱えちゃったよ。腹いてえ。ひーひひっひひー。

「なにー? なに大笑いしてるん?」
「あ、いや今さ、テレビに加奈っ子が出ててさあ。これがこんなヤツほんとにいるんか!って感じでさあ。ほんと爆笑もんだったんだよ。こっちきて一緒に見ようヨ、あいちゃん


  
2/16
■カリ城DVD延期されてたんですね。いやまあどうせ金なくて買えないんだから延期されようが何が困るってわけでもないんだけど。映像特典の絵コンテ見たいなあ。誰か僕に買ってくださいよ。

■っていうか本当はラピュタの絵コンテ集が見たいんですけどね。古本屋で見かけた時(\3000)買っておけば良かったなあ。ちなみにヤフオクでは\2900でした。凄い良心的で驚きました。1万越えてても驚くようなものじゃないですし。生活に余裕があるなら速攻で落としてたと思います。

■中学生の頃ラピュタの台詞は全部諳んじてました。この方向できちんと育ってれば、今頃立派なオタクになってただろうに。中途半端に引いたせいで、今この中途半端なオタク風体。やっぱオタクなら好きな作品のカットの流れ(当然レイアウト込み)と音楽と台詞を頭の中で完全に再現できるくらいの特技を持ってないとね。オレってオタク以外の何者でもないくせに、どうにも薄過ぎるんだよなあ。知識も全然足りないし。まあそんなこと言っても詮無いし、とりあえず勉強しようとは思うけど、面倒だから今日もどれみをリピート。だいたいちゃんとアニメの勉強しようとしたら、ビデオ借りまくらにゃならんし、そんなお金ないから今日もどれみ。はやくアニメスタイルの第3号出ないかなあ。

■未だにラピュタを超える「雲」には出会えないままです。あれが僕の原点。絵であることも雲であることさえも止めてしまっている、途方もない白い塊の迫力は子供心に強烈なイメージを焼き付けるには十分でした。実際に空に浮かんでる雲? あんなの雲じゃねえよ。


 
2/17
♯の最大の功績は「世界一不幸な美少女」どれみが、実際最高の美少女であることを、ハナやぽっぷや暁との関係の中で試聴者に示した点にあると思うのだが、実はどれみのイジラシイまでの可愛さは、無印時代のソロCDの時点で明らかになっていたのである。僕はこれを聴くまでどれみには特別強い感情は持っていなかったのだが、これ以降完全にどれみを見る目が変わったという。ちなみにおジャ魔女4人に対する僕の感情は、どれみ=最高に可愛い、はづき=痺れる、あいこ=愛してる、おんぷ=シンパシーとなるが、誰も聞いちゃいないですね。で、どれみ以外の各々のソロもまあ悪くはないんだけど、やっぱどれみのソロが際だって良いんですよ。これは千葉千恵巳の媚びのないロリ声質と絶妙な歌唱に拠るところが大きいです。これ聴いて以降、千葉千恵巳は僕の中で神のごとき存在に。千葉最高。飯塚や桑島に比べてツラも遥かに見れるし(※比較対象が間違ってます)。浮ついたところが全然ないのもナイスですね。声優雑誌には出ないで週アスで不定期連載とか。渋い!(そうか?) とまあそんな感じでどれみソロの紹介。

乙女は急に止まれない
無印時代のソロ1曲目。ファンキーなエレピと千葉の元気系ヴォーカルの絡みに悶絶。いつもの画面上のどれみを描いたこれと画面上では見えづらいイジラシサ満点のどれみを描いた次のを聴いて、どれみに思いきり萌えると同時に、どれみという役柄を越えて千葉千恵巳に惚れた(←大マジ)。千葉の歌からはどれみに対する愛のようなものが感じられます。普段の演技と違って、対象と微妙に絶妙に距離を取っているのが、どれみソロが単なるやっつけ声優ソングに留まらない本当の意味でのアニメノベルティ足り得ている所以だと思う。

きっとちゃんと女のコ
無印ソロ2曲目。ボサチックな緩やかな曲調に千葉の伸びやかな歌声が抜群のマッチングを見せる問答無用の激大名曲。乙女チックな歌詞も素晴らしい。もうどれみ萌える。千葉最高。

アイスクリームチャイルド
♯ソロ。なぜか歌謡テクノポップ。ひょっとして早瀬優香子に勝るとも劣らないんじゃないかと思えてくる千葉自作の壊れた詞世界が聞き手を未知なる地平にいざなう。鉄格子付きのベッドとかに。

隣のシロクマ怖いから ガムの紙にくるんちゃえ
天使をレンジでチンしたら 桃色ヒヨコができちゃった

誰か解釈してください(切望)。あと呪文みたいなところは嶺川貴子の「Drive My Car」(ビートルズのカバー。1st『Chat Chat』収録)からの大胆(=まんま)な引用。パクるにしてもさすがに目の付け所が違う。ということにしておこう。つうかこの辺の連中は引用を当然のものとして楽曲を作るんで、コイツラがネタ元だと思ってたら実は大元のネタがありました、ってことがあったりするので、安易にパクリとか言っちゃうのは危険なのだ。 <経験者は語る

ルピナスの子守唄
♯ソロのボーナス。作中ではアイドルっていう設定のおんぷより、どれみソロバージョンの方がずっと良いというのはいかがなものか。


  
2/18
■僕のネット生活ってのはイコールMP3他のダウンロードって言っても過言じゃなくて(みんなそうだろ?)、チャットには顔出さないし、ICQは最後に起動させたのがいつだったか覚えちゃいないし、近頃は巡回すらろくにしてなくて、テレホタイムはひたすらIriaかWinMXのクライアント画面とにらめっこしてるっていう感じなんですけど、暗い人間だっていうのは分かってるから余計なお世話だほっといてくれチキショウメ。だからいちいち「DLありがとう」とか「come on #○○○」とか言わんでよろしい。僕は落とす。君も勝手に持っていってくれ。

■回線貧弱なのにはホント泣きたいです。DSLな人が羨ましい。

■サーチエンジンで「○○○(バンド名) discography」を検索→アルバム未収録のシングルのB面や別バージョンをチェック→ナプる。これやってるとあっという間に時間潰れます。DL中は人のフォルダ覗いたり。色々プレイリスト作って遊んでるし。

■自分の編集テープを作る楽しみって、おそらく多くの人に共通するものだと思うけど、でもやっぱインデックスとか実際に手書きするのめんどくさいじゃないですか。テープの管理も面倒だし。だからCD聴きっぱなしっで済ましちゃって、結果的に曲単位では然程聴き込まない傾向が強かったんですが。でもこれが不思議なんですけど、ハードディスクの中でフォルダ掘って視覚的にファイルが並んでるの確認できると、俄然整理欲が刺激されるんですよね。バンドフォルダの中にレコードフォルダ掘って、ファイルにタグ入れてって作業が楽しくてしゃあないです。最近暇さえあればタグ入れてます。つまりは1日中。 <仕事しろ

■ビデオ(動画)なんかも近いうちにハードディスクライブラリー化するんだろうなあ。もうなってる人もいるだろうけど。

■CDとかDVDとかに対して、単なるデータに還元されないモノとしての価値に拘る人等が出てくるだろうけど、それはたぶん錯覚に過ぎない。未だヴァイナル信奉者が多いのも、デジタルよりアナログの音が良いというよりは、自分が慣れ親しんできたものに対する愛着と言った方が正しいだろうし。微妙な音のニュアンスの違いを聴き取れるのなんて、オーディオマニアだけだって。ただひとつ思うのは、CDで音楽を聴くようになって以来、ターンテーブルにレコードを載せてひっくり返すという、いわば一種の身体性(←大袈裟)が失われたことによって、現在の聴き捨て的な態度が一般的なものとなっていったんだろうけど、タグ入れという刻印行為は、音楽の失われた身体性を取り戻す契機となるかもしれないなあ、ということ。スピッツも歌ってましたが、「名前をつけてやる」ってことは対象とちゃんと向き合っちゃうってことで、そのほんのりエロスな相互作用性は結構「身体的」じゃない? と思ったけどCDそのままエンコするときにゃCDDB使うんだから、あえなく自説沈没。ぶくぶくぶく。だいいち回線マシになればサーバ上に置いとけば良くなるんだろうし、自前のハードディスクで管理なんてしなくなるだろうしなあ。

■ま、当分の間はソフトがモノの形を取るでしょう。でもこの先他の形態が消えても、本だけは残るだろうね。いや、ただでさえテキスト読むの疲れるのに、htmlやtxtみたいに読まれることに最適化してくれない文書はイカンて。僕、フォントサイズをデカくしたり、フルウィンドウでブラウズしてる人が信じられなくて。よく読めるよね。あんな風にして。まあ本で育った人間だから、こう思うだけなんだけど。物心ついたときから、1行当たりの文字数や行間の隙間、ページの余白なんかの形式はだいたい決まってて、そこから外れたものってのがどうも読みづらいってだけのこと。学校のレポートや会社の報告書が読みづらいのはコレのせいだろうなあ(中身はこの際別問題だ)。そういや作家とか編集って本になってないテキストで仕事してるんだよなあ。よく気狂わないなあ。

■最初からhtmlで育ってれば、こんなこと思わないんだよな。たぶん。形式が制限する思考。形式決まってないと思考もできない? 読みたいところが検索できないなんて不便なもの、よく読めますね、とか新世代に言われる日が来るのかも。自分でカスタマイズできないなんてさいてー、とか。でもなあ、自分の読みやすい形式ってのは、どっかで必ず刷り込まれたものの筈なんだ。1行20字もしくは40字程度とか。単行本の字の大きさより大きくなると読む気がしなくなるとか(つうかデカい字の文章ってそれだけでバカっぽくない?)。少なくとも僕にとって、ウインドウサイズの調整は、ここに合わせるためにある。それは本の再現ってことなんです。大袈裟に言えば。書評とかやってる日記サイトに限って、ろくにインテンドも取ってなかったりするんだけど、コイツ本当に本読んでるのかなあとか思う。よくあんな無神経なことできるよね。ただまあ僕みたいにフォント10P、ウィンドウサイズ横500縦400くらい(死エロはこれで見ることを推奨)でいると、絵入りのサイトは途端に見づらくなるんだよなあ。むー。

■やっぱね、1行20字もしくは40字程度ってのは日本人がいちばん読みやすい形式だと思うんですよ。つうかね、今回この文章書くに当たって、実際の雑誌とか文庫の1行当たりの文字数調べたらだいたいこの数字だったんですけど、僕がいつもネスケ使う時のウィンドウサイズで日頃よく行くところの1行当たりの文字数調べたらこの数字だったんです(本当はインテンド取ってるとこは30字くらいになるけど、まあいちいちひとつひとつのサイトに合わせるわけにもいかんし。最大公約数的処置)。秀丸も1行40字程度に設定してました。これは本によって育てられたからというより、本の持つ読みやすさは、こういう数字的なところに支えられて、それはおそらく形式が定まるまでの思考錯誤の結果生じた答えであり、僕は無意識にその再現を試みていたということなんでしょう。人間にとって本能的に好ましいスタイルってのはあるんですよ。縦横比の黄金比とか。日本人はどうしたって七五調のリズムに快感を覚えるじゃん。そういうのは絶対あるんですよ。

■そもそもソフトの話だったんだから、html文書とかの問題じゃなくて、エロゲー含めた電子ブックについて語らなきゃいけないような…。んー。理屈考えるのめんどくせえから確たる根拠もなしに言っちゃおう。やっぱ本は廃れないと思います。だってPCじゃベッドの上でページ捲れないからね。


 
2/19
■いやあ、今日のどれみは凄〜くいい話でしたなあ。僕はやっぱ良い人ぶりが隠せない矢部秋則の演出回とは相性良いです。なかじまちゅうじも今日は画が安定してたし。もうホント今回は終始ニコニコにやにやしっぱなし。実質あいちゃん主役だったし。やっぱおジャ魔女はあいちゃんで持ってるよネ! 他の3人についてももこに伝えるとこ、あいちゃん他の3人のことすげえ大事に思ってるのが滲み出てて。嬉しくなりますね、こういうの。まとめ役あいちゃんさいこ〜。らぶ。つうかよく考えたら今回お菓子屋さんなんだから、これは料理上手なあいちゃんの独壇場ってことじゃん! よっしゃー! ま、パティシェ服はいちばん似合ってないけど(それでも十分可愛いけど)。

■おんぷはやっぱこうじゃなきゃ。「命令されるの嫌い。気分悪い。帰る」なんて見事な三段論法! 学校での鬼のように素っ気ない「気にしてない」は確かに本当だと思うけど、MAHO堂の言動にも嘘はなかったと思うゾ、あいちゃん。やっぱ付き合うならおんぷだよなあ。気遣わなくていいし(気遣われると絶対嫌がるタイプだから)。楽そうだ。

■まあ僕はあいちゃんを愛してますから浮気はしませんけど。でもなんかアレっすね。あいことももこ似た者同士で仲良くなりそうですね。そんですげえ毒舌トーク交わしたり。…ン? 待てよ? MAHO堂の連中ってどれみ以外みーんな口悪くねえか?

■ところで今回って何作ろうとしてたんですかね? チョコレートクッキーかな?

■学級委員の林野君って一発殴りたくなるタイプですね。

■むつみちゃん奥山さんじゃやっぱ萌え強度足りないよ…。ななこちゃんにもっと出番を! あと黒髪ツインテールの小さい娘、何気に可愛いんで出番増やしてください。


  
2/20
■そういえば石毛佐和休養ってのはどの程度信憑性ある話なんですか? 昨日ちゃんとぽっぷ喋ってたけど。あ、でも台詞と芝居のタイミングが変にズレてたな。んー。どうなんだろう。来週も冒頭はぽっぷなのかなあ。

■ぽっぷにはどれみって言い続けて欲しかったんだけどね。世界はナイフで分断され続けてるって歌ったのはアズテック・カメラだけど、ホント、それは確かに。「お姉ちゃん」と呼んでしまうことで確実に明確に形作られてしまう「姉」と「妹」の関係。それは愚かしいというよりは悲しいと言うべきなんでしょう。僕はどれみのしっかりお姉ちゃんな感じもぽっぷの甘えた妹な感じも大好きなんだけど、ぽっぷの口から「お姉ちゃん」って言葉を聞いて、なんだか少し切なくなったんですよ。

■小沢のドゥワチャライクの最終回を思い出しまして。でも久々に聴く「ラブリー」のなんて素敵なことか! 可愛い君がいれば世の中は万事快調。どれみとぽっぷだってこれまで通りさ。ね、あいちゃん。

■(蛇足)僕の一週間の精神バイオリズムは日曜の朝9:00に決まる。今週は穏やかないい一週間になりそうだ!


 
2/21
■「〜だけとっても…」 さて、どういう風に捉えるべきでしょうか?

(1)楽観的に
「とっても」を「取り上げる」の意味として考えた場合、「…」であることは「〜」の他にもありそうな気配。
(2)悲観的に
「とっても」を「very」の意味で考えた場合、「…」であることはただひとつ「〜」だけな感じ。

日本語ノコウイウ文章ッテ単語ノ意味一字ダケトッテモ難シイデスネ(5年1組飛鳥ももこちゃん談)。

■リンクが使えるって言ってもらえたのは凄く嬉しいですね。

「どうせダメだとわかることこそ自分の才能だ。みんなはこの女がどれほど凄いのか知らないんだ。知っているのは僕だけなんだ……。」(榎戸版フリクリ)


  
2/22
「しっかしパパパパパフィーってなんでまだ続いてるんかね? これ面白いと思ってる人はいねえだろう?」
「やっぱこのヌルさが丁度いいと思ってる人が結構多いからちゃうの?」
「んー、でもこれはヌルいってより、ただ単につまんないだけじゃない?」
「そう思ってるなら見なきゃええのに」
「でもホラ、八太郎とスルメ子ガレッジセール出てるから。つい。ネ」
「結局そういうことちゃう? みんな芸能人の緩〜いオトモダチ関係が見たいんよ」
「それも『アーチスト』寄りの、『いかにも』って感じじゃない人達の。な」
「あー、それはあるなぁ」
「結局パフィーが好きでこの番組見てる人はいないんだろうね」
「ん? あたし、パフィー嫌いやないよ」
「僕も嫌いじゃないよ。どっちかってと好きだし。でもホラ、なんつうのかな。モーニング娘。好きな人しかハローモーニングは見ないじゃん。番組としてのつまらなさはどっちが下行くか判断付け難いところがあるけど、ハローモーニングにはモーニング娘。の番組というだけである一定の価値が生じる。パパパパパフィーにそれはないってこと。これはそのままアイドルとしての価値に繋がるよ。パフィーをアイドル扱いしていいかどうかは若干の憂慮がいるだろうけど、小泉今日子以降の『脱アイドル』路線、つまりアイドルの神話性を捨て去り、身近な人間としてのアイドル像を模索していった結果、辿り付いたのが、パフィーだったんじゃないかと僕は思ってる。小泉今日子ファンを明言して憚らなかった民生がパフィーのプロデューサーってのもそれを裏付けることになると思う。で、モー娘。の場合は捨て去られた神話性を地道に拾い集めた結果が、今の人気だと思う。今時根性ものスレスレのサクセスストーリーに別れと出会いのドラマにメンバー間確執のオマケ付きだよ? こういう部分って本来後になってから仮構的に見出されるものなんだけど、モー娘。の場合は、そこをガラス張りにして最初からオープンにしてたのね。それは最初から『虚構』であるということで。モーニング娘。はたぶんいどこにもいないんだよ。アイドルとファンの双方にそれが合意された一種の共犯関係が結ばれている。中澤がその存在を許されているのもその一点に尽きる。誰もが舞台裏での中澤の姿を想像するだろう? モー娘。の核心は中澤にあるという意見は余りにも正しい。『虚構』としてのアイドルが『構築』される『場』の提供が喜ばれたんじゃないのかな…って話聞いてる?」
「…くー。あ、悪い。寝てしもた。話長くてつまんないから」
「頭悪い理屈屋で悪かったね。あとひとつ付け加えるならヨッスィー萌え」
「(無視して)それにしてもえらい熱弁やったなー。ひょっとして密かに立体も好きなん?」
「……」

 
2/23(没日記リサイクル)
オタ文脈での代表的物語初動力「来襲」「召喚」を示す典型例として第一期天地とエルハの比較検証を行い、これらのふたつの動きに対してギャルゲーの論理がどのように働いているか確認したい。とは昔から考えてるんだけど、もうこんなこと絶対誰か書いてるよな。

イフリータより萌えるロボ娘がいたら教えてくれ。 

人外萌えってやつが嫌いでして。

手に入れたいという本源的な欲求が叶わないという絶望的な現実感がおそらくは人外(ロボ)萌えを生む筈だ。勿論この感覚が生まれさえすれば、人であってもいいのだが(人を人ならざる存在へと変える「外的要因」が必要とはなりそうだが。『DESIRE』のティーナ(←爆萌)はデザイアの暴走(だったっけ?)によって螺旋に囚われる。『雫』の瑠璃子さんは兄の暴行によって壊れる(註)。あと血の繋がった妹とかもある意味そうか)、人を外れた存在であるほうが哀しみは増す。所詮彼女達は僕らとは異質なのだ。手に入れることはできない。とても哀しい。

(註)瑠璃子さんは寧ろ自ら望んでそうしたと言えるのだが。

とかいう殆ど直感的な感覚での感動を呼ぶ物語は確かに魅力的だし、僕も大好きではあるのだが、それは所詮僕にとって彼岸の物語だ。そんなところに哀しくなったところで、「だから何だ」は避けられない。「手に入らない」などという「世界の現実」とやらを描いた分かりきった収まりの良い物語は、「世界の現実」を前に無様に惨めに蠢くだけの「人の現実」を見ようとはしない。

やり切れない「シリアスな現実」を思い出すちょっと哀しいラストがいいとか寝言ぬかしてる人達は、「自分達の現実」を省みた方がいい。「予定調和」な「シリアスな現実」に安穏と胡座をかいてる自分達の姿が見えないか? ハッピーエンドもちょっと哀しいラストも予定調和なことに変わりはないし、双方共に等しく御都合主義だし、娯楽とはすなわちそれを言う。

願いは叶わないこともあれば、叶ったりもするのだ。人生苦もありゃ楽もある。うまくいかないことばかりのような気がするのは、単にうまくいかったものは忘れ難いってだけのことだ。この前『大阪物語』見返したんだけど、あの映画には極上のラヴソング「サマーヌード」(真心ブラザーズ)をバックに自転車が清濁を飲み込んだ町の活力の上を滑走するっていう名シーンがある。ただそうであることを切り取るってのがいい。愛情がある。「みんな生きてるのが嬉しいねんな、アホやな」「悪いか」「褒めてるんや」

ちなみに僕は『大阪物語』は池脇千鶴に萌える映画じゃなくて、沢田研二みたいに生きたい(逝きたい)ナーと思う映画でもなくて、市川準に惚れる映画だと思う。所詮俳優なんて監督の駒だ。キャラなんぞ作家の駒だ。僕はキャラが「勝手に動く」などと妄言を吐く作家を信用しない。

ある物語がその物語の性質上ハッピーエンドが妥当か否かの議論はひとまず置いておくとして、物語である以上幸せなハッピーエンドだろうが、悲しいラストだろうが構わない。それを見せるのが物語だと思うし。でも悲しいラストが不当に持ち上げられるのは納得いかない。そんなのヨカッタヨカッタ、カナシイヨヨヨ、で済ましちゃうような浅ーい読み方でしかないんじゃないか。

『AIR』で観鈴が翼人だったのは作品論理上当然ではあるのだ。あれはヒロイン注視を極めた結果、主人公が排除され、手に入れられなかった無力感が痛い仕組みになってるから。「手に入らない以上は人外」のセオリーがここでも見られます。

僕基本的にドリーム入れて矢鱈執拗に女の子描きたがる男作家って嫌いなのね。エロゲ作家に多いけど(麻枝も久弥もそうだ)。そんなに女の子って素敵なものかねえ。ドリームの欠片もない『NieA_7』(漫画版)なんかは最高なんだが。いや、でもどうせドリーム入るなら、思い切って女の子で男の子を(多少は)甘やかした方が良くないか? 見てる方も(多少は)甘やかされた方がやっぱ気持ちいいし、甘やかし気味にドリーム入った方が、女はパーツ扱いの分、作品自体は抑制されて落ち着く。え? 庵野? 幾原? 佐藤順一? 五十嵐卓哉? えーっと、アイツらは作品を成立させる方法をちゃんと知ってるでしょ?(←苦しい言い訳) ところで錦織博の『エンジェリックレイヤー』は結構見たいと思っているのだが。漫画は当然眼中にないが。

『ONE』をただのハッピーエンドで済まされるのもどうもね。あれはせっかくえいえんへと逝っちゃいながら、絆とやらが忘れられなくておめおめと帰って来ちゃった心底情けない、だからこそ愛すべき男の話なのだ。たぶんヤツはあの「感動」のエンディングの後も性懲りもなく同じことを繰り返すアホだ。

所詮物語なんて起承転結に飼い馴らされた「ネタ」と言ってしまっても過言じゃないんだから、その結末に一喜一憂するよりは、物語全体の美しさ(美意識の統一)として要不要で考えた方がいい。

分かりきった収まりの良い物語なら、エルハくらいの華麗さと割り切りを見せろってなもんだ。あああイフリータ、長かったよね、辛かったよね、でももうすぐ誠が迎えに来るから泣かないで。

イフリータより萌えるロボ娘がいたら教えてください。


  
2/24
■温泉っていいよね。湯治。心の洗濯。北の山にある温泉に行ってきました。やっぱ雪山は絵になるね。露店風呂って贅沢だ。あーごくらくー。これでとなりにウサギちゃんがいればもう何も言うことはないのだが。僕もウサギだし。番いてえ!

■猫耳はムカつくがウサギ耳はセーフ。着ぐるみ? 全然オッケーっスよ!

■お湯につかるのはいいんだけど、他に人がいるのが嫌だ。まあ慣れの問題だろうけど。湯気もうもうの浴場ならともかく、脱衣所って妙に緊張するというか地獄だ。やっぱ朝4時とかなるべく人がいなそうな時間を見計らうのがポイントだよな。貸し切り状態だとバタ足だってできるし。 <これやらないことには始まらない

■東北の山奥行けば携帯持たなくても済みますよ。なんせ通じないって話だから。試しに終に携帯持っちゃった裏切り者のお兄ちゃんにメッセージ送ってみます。

「暇はあるけど金はなし。だから楽しみにしてますよ。オフレポ。オフレポ〜♪」

あ、間違って沖田さんに送っちゃいました(笑顔)。つうか今回大掛かりになりそうで外野としても非常に楽しみです。みんな気をつけろ! ヤツはドニ・ラヴァン並に物騒な面構えしてるぞ! あとホントに自分からは絶対喋らないです。 <お前が言うな


 
2/25
■萌える萌えないの以前にウンザリする話ってあるよね。PCがオンナだとか。 <喧嘩売るの止めれ

■人様の性癖をとやかく言うべきではないと思う。が、僕は旧態依然とした萌え思想の持ち主なんで、あーゆーのにはストレートにムカついてしまうのです。というかうる星の否定から始まってるからなあ、僕の場合。写楽に和登サンは釣り合わない、とか。どっちかってえと今現状は70年代あたりに帰っただけだと言う方が正しいような気もする。田中圭一が、手塚が生きてればギャルゲーを作ってる筈だ、というマンガ描いてたけど、さすがいいとこ突いてると思う。ここで取上げると文脈ちと違っちゃうけど。はやいとこギャルゲー論理否定の揺れ戻しが来ないかナー。ラブコメにトドメ刺した『キラキラ』みたいなの。オレって根っからの80年代育ち。

■まあ余程のバカでもない限り、今、日常学園ギャルゲー作ろうとは思わないだろうけど。エロゲ雑誌読んでないからあんまり偉そうなこと言えないけど(言うけど)、去年あたりからワリと物語的な側面の強いゲームが相当増えてるような気がする。日常学園モノで「恋愛」に不満が出る人間が結構多かったってことなんでしょう。あれは「恋愛」色を極力隠蔽することに気を遣う(「恋愛」隠蔽がシナリオ成功の鍵となる)ジャンルだしね。となればシナリオの本質を物語性に求めるのも当然で。『Kanon』がここに無自覚だったとは思えない。エロゲー的には、これも回帰現象と言えるんだろうけど。astazapoteにも書いてあったけど、物語的な運動がないとポルノは成立しないわけで、僕が思うにエロゲが徒にAVGを連発するのは物語に最も適したゲーム形式がAVGだからだ。麻雀で勝って女の子とセックスしようがあんまりエロくないのは、そこに物語的な裏づけがないからである。たぶん。『河原崎家の一族』後、マルチシナリオ型AVGが矢鱈流行ったのは、制作者がここに気付いたせいだと言えなくもない。筈だ。只の売れ線物真似なんて、まさか、そんなことがあるわけがない。もっともありきたりのイメージに凝り固まったワンパターンなウンザリする貧しい物語に終始してしまいがちなのがエロAVGの問題ではあろうが(例.AIL)。菅野ひろゆきはここに業を煮やしてエロ抜きでも面白い話を書こうとしたんじゃないか(それが実際面白かったかどうかは別として)、とも思うのですが、エロゲの歴史状況的な分析なんてものは浅学な僕には無理ですから(調べる気もねえし)、完全な印象論です。信用しないでください。で、物語的な充実が『雫』『痕』で達成されたにも関わらず、ギャルゲー文脈からの影響で、エロゲーは物語としての側面を弱めていくことになる。これはエロ薄が声高に糾弾されるようになったのとも完全に歩調が一致する。『To Heart』以降って文脈ですな。それが今、物語的な流れへと戻っている気がする。無論『To Heart』以降なわけだから、エロの為の物語ではないんだけど。どっちかつうと菅野的な。繰り返しますがこれは只の印象論です。根拠なんかねえから信じちゃダメですヨ。

■『To Heart』に関してはおそらくは作り手の思惑を超えた誤解が主流になってしまったのが不幸だったというのが僕の持論です。リーフスタッフがオタ全開なのは『雫』『痕』のオマケをやれば分かることだし、その連中が今度はラブコメ! ってのは完全な笑いどころだと思うのですが。少なくともオタ的文化を幾らかは齧っているだろう主要エロゲーマー層にとっては。「今度はそう来たか!」。と同時に「来襲」的な物語初動力なくして、色物キャラがわんさか何の疑問も挟む余地なく存在し得るという、ギャルゲー世界観の恐ろしさに、見かけのハートフルネスとは全く逆の薄ら寒さのようなものが感じられる筈なのですが。『To Heart』は来襲モノにトドメを刺した筈なんだけどなあ。なんでみんなあんな批評眼が剥き出しなもんに素直に萌えられたんだ? ちなみに作り直したプレステ版では、新録の綾香シナリオが非の打ち所の全くない完璧なギャルゲーシナリオとなってて二重に驚きました。「こういうのが読みたかったんだよ!」「あの高橋が本気でギャルゲーで勝負しに来た…」

■僕がどれみを好きなのは、僕の趣味がいいからだ。と本気で思ってる。二次元に関しては相当メンクイなんです。一見して絵の上手さが感じられないような絵なんて評価しません。まあ文脈によって要求される絵は違うだろうけど、汎用性の全くない絵はちっとも上手いと思いません。それなりに萌えはするけど。自分で自分に萌えを許しはしない。


  
2/26
■風邪。微熱。下痢。頭痛。意識朦朧。でも根性でどれみは見る。

■山吉康夫ってこんなに遠めのカメラ多用する人だったっけ? 5人揃ってカメラに収めようとすると必然的に遠めになるってことか。まあ今回はMAHO堂の内装見せようって意図もあったんだろうけど。というか見せ場を減らして、MAHO堂の1日をそのまま切り出したかったってことか。オレ、おジャ魔女さん達がパティシェ服で動き回ってるの見るだけでもう…。溜息しか出ないです。可愛いよぉ。オレもMAHO堂行きてえよ…。クッキー食べたいよ…。つうかMAHO堂に就職したい。

■キャンディ包む妖精達が可愛過ぎ!(含マジョリカ)

■おんぷが何気に相当可愛く描かれてやいませんか? 魔法のもと振りかける時のポーズとか。ラジオのパチパチパチ〜とか。らぶりー。

■関先生可愛い。

■まりなちゃん準レギュラーの座ばっちり確保。あとはまきちゃんだ。まきちゃんになんとか陽の目を!

■やっぱ小竹なの? 小竹なのか? 暁君はどうした? 小竹ごときにどれみやるわけにはいかん! 美形エリートでもない限りどれみをやるわけにはいかん!(←年頃の娘をもった父親の気分)

■はづきとまさるはとーさんも(誰がだ)許しちゃる。女の子4人と一緒にお菓子屋さんに来る小学生男子(狼系)。

■例の幸せな気分にな〜れ、はどれみ達が試聴者にかけている魔法だという説。

■「おジャ魔女でBAN2」えいえんとリピート。風邪で参った身体には劇薬を。なんだかやっとこの曲が愛おしく思えてきました。どれみというアニメの本質を考えれば、別に音楽が凄くなくても構わないのだ。おジャ魔女さん達が凶悪に可愛ければそれでいいのだ。いつのまにやらOPの音とカットが頭の中で再現できるようになってましたとさ。福富幸宏でリミックスとか聴きたいなあ。あとナイトロの人とか。オタクなんでしょ? それとよく聴きとれないんだけど(それでもファンかよ)、バンバンビンビンは順に宮原、千葉、宍戸、松岡、秋谷ですよね?


 
2/27
■み、見逃してた。ピロウズって吉田仁プロデュースだったんか! オレこれで吉田仁プロ何枚聴いてることになるんだ? 結局音楽はこうやって繋がっていくのだなあ。

■吉田仁といえば、なつかしやフリーダム・スウィートの新作プロデュースも手がけたらしいですね。

■僕もチーズケーキ作るッス! 大学なんて行かないで料理学校行ってれば良かった。こんな形でどれみと関わり持てるなんて! <東映入れ

■二次元が素晴らしいのは、それが三次元とは全く繋がりがないからだ。二次元に萌えるのは人として当然であるが、二次元を僕等が普通そうするように接吻したり抱きしめたりする妄想をする人間はまずいない。あまつさえ性交なんて! 二次元コンプレックスとは見返りを期待することすら許されない恋だ。僕等はただ好きでいるだけなのだ。

■君達は人に恋愛なんてものができるって本気で信じているのかい? 僕は生まれてこの方物語の中でしか、「恋愛」なんてものは見たことないのだが。いったい君達はどうやって恋愛と呼ばれるものを経験したんだい?


  
2/28
■飛竜乱にどれみを貶されないとなんか逆に落ち着かないんだよなあ。ちなみにヤツに対するムカつきがこのサイトの主原動力です。つうか僕がなんか書きたくなるのって、十中八九、人の考えが気に食わないときだよな。いやホラ、エセ批評家気取りだから。

■オタク層を一種の共同体として考えるのって有効なんですか? 巷に溢れるオタクを抽象化させる言説には全く説得力ないんですけど。僕とは全然違うから。オタク友達とも全然違うし。抽象化されたオタク像を人格とした共同体論に説得力を感じないのは言うまでもなし。

《きわめて客観的に、作者個人の考えや感想は反映させず、簡単に言えば、作者の目にしうる媒体に書かれた「文章」と「言説」によって性格や行動を決定されて作られ書かれた「登場人物」たちが、現実の人物に「これは自分だ!」という「苦い」屈辱を感じさせてしまうことは、考えてみれば、おおいにありうることでしょう》

ギャフン(と言ったらそれこそギャフン)。あーオレも頭良くなりてー。引用元はまあ《》で気付くだろ。

以下は今月の補足
■麻枝准は確かにゲームデザイナーとして稀有な才能の持ち主だろうけど、ハナシを余りに信用してなさ過ぎないか? まあハナシ優先じゃないゲーム的ゲーム作らせてみたいとも思うんだけど。現状では無理だろうし。

■僕が基本的に男の子視線でしか物語を捉えられないのは、『雫』をボーイミーツガールタイプのTVアニメ的少年成長モノの亜流としか見ることができないという僕みたいな人間が圧倒的に少ないのに対して、あれを真剣に読み込んだ層が相当数になると知って初めて気付いた。まあ今でも『雫』に関しては僕の読みの方が自然だと思うのだが。僕の中では、長瀬ちゃん=パズー、さおりん=シータ、瑠璃子さん=飛行石、毒電波=ラピュタのテクノロジー、月島兄=ムスカ(これは苦しい)、で大体処理できる。で、悪くはないけど、宮崎には全然程遠いナーと笑顔で7点付けられてしまうのが僕の中の『雫』。…今気付いたけど、この図式化ってラピュタを既にパズー視点でしか観てない証拠だな。イカンですな、うーむ。

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